軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第38話 just one Victory

「いろいろあったけれど、こうしてみんなに祝福を受けて結婚できてよかった」

白い礼服姿の殿下が、ウエディングドレスをまとった私の隣で麗しのプリンススマイルを見せる。私は愛想笑いを返した。

結局、その後も竜の襲撃は起こらず。私は今日の結婚式まで逃げることはかなわなかった。塔から即席ロープで速やかに逃げ出す準備に、ずっと密かに腕立て伏せをしていたから、ささやかに育った筋肉でドレスの腕がキツイわ……。

ルナは学院の顧問として実績を上げ始めているそうだ。見舞いやら結婚式の打ち合わせやらと称して塔にやってくる度に、殿下がルナの活躍ぶりを私に教えてくれるのだ。

『結婚式が終わって落ち着いたら、君もルナの施策の後援者としてみんなに紹介するよ。王妃になる者として、平民の教育に関する成果は大きな功績となるからね』、だってお。私はこれ以上警備が厳しくなることを恐れて、陛下の訪問以降は努めておとなしくしていたから、どんな話もニコニコと笑顔で聞いていたけれどね。

話を聞く限り、殿下は塔にくる回数よりも、打ち合わせといって学院のルナを訪れる回数のほうが多いようなんですけど。別にやきもちとかじゃないんですけどイラっとするのは仕方ない。

結婚を嫌がる素振りも全くない。塔に来る殿下は、ルナの話はするけれど私にとても優しい。流行りのお菓子や花束を持って、学院に入る前の時分よりもずっとずっと、怖いほどに優しいのだ。でも、ルナに会いに行くことはやめない。

殿下が私と結婚して、学院顧問となったルナを元執行部が支える『みんなお友達エンド』ということ? それとも、いつかの陛下の提案を実行しようとしているか。私にはわからない。

なんだろう、卒業しちゃったから、政策の打ち合わせという名目で元執行部が集まる。竜の襲撃を執行部が迎え撃つために、『物語の強制力』が働いているのだろうか。私の婚約破棄は破棄されたというのに!

「はあ~」

ついため息をつく私に、緊張しているのかい? と殿下が優しく微笑む。

そして今日、とうとう王都の大聖堂で結婚式を挙げた。花で飾られた屋根のない馬車に並んで座り、沿道の集まる人達に笑顔で手を振りながら城に向かっているところだ。一つ救いといえば、この世界では結婚式で誓いのキスをする習慣がなかったこと。司祭と参列者の前で署名をした婚姻契約書を、そのまま教会に納めるというのが重要視されているようだ。

これから城に戻って、貴族たちを集めたいわゆる披露宴が行われる。その後は解散となるわけだが……。ようやく塔から出して貰えた私は、今夜をこそ逃亡の決行日に狙い定めていた。花嫁は身支度に時間がかかるため、披露宴から一足先に退室する段取りになっている。

広間から控室、私室への移動や身支度で、少し一人になりたいとか、庭園で休みたいとか。なんとか一人になる時間をもぎ取りたい。なにせ、私は最近まで体調を崩して臥せっていたという設定だ。急に眩暈を起こしたり、気分が悪くなっても当然、当然。

最悪、夜に殿下と寝室で二人になってしまったら。お酒をたっぷり飲ませて、油断しているところを縛り上げて逃げる方法もある。

寝室の中までは護衛はついてこられない。殿下一人をどうにかできれば、あとは窓から逃げられる。ロープ代わりに使えるように、一見するとカーテンのような長い布も用意してある。

どうやったかといえば、アンナだ。陛下訪問のあと、私が不自由のないようにと公爵邸からよんでつけてくれたのだ。塔に閉じ込められている以外には、本当に不自由のない生活をさせてもらっていたといえる。

結婚の準備は衣装だけではない。天下の公爵家から嫁ぐとなれば、調度やアクセサリー、リネン類だってたくさん必要なのだ。アンナは私が逃亡したことを知ってか知らずか、何も訊かず、以前と同様に頼んだことをあれこれと手配してくれた。心強い私の侍女。本当にありがたい。最近は夜眠る前に、シグルドだけでなくアンナにもこっそり祝福を贈っている。

そのせいもあってか、アンナを経由した『頼みごと』は無事に着々と実現していった。

例えば、警備対策。城の内外を守る兵たちが万全の状態で臨めないように、今日は城にも王都にも、実家の名前でたっぷりの振る舞い酒と料理を用意している。お父様も、市井で根強いルナ人気を打ち消したいこともあるか、それとも王妃様の時と比べて吝嗇といわれたくないせいか、すんなりと了承してくれた。

前世の記憶で、炭酸系のお酒はまわりやすいと聞いた。披露宴にはシャンパン、城の使用人にはスパークリングワイン、王都にはビールを。そして、料理には悪酔いをアシストすべく高い利尿作用を持つメロン、ナッツ、干しブドウ、とうもろこし、じゃがいもといった食材を使用したメニューをそろえた。

少しでも思考や動きを鈍らせて、私の逃亡の邪魔はさせない。私にはたくさんの祝福をかけた。他の誰よりも高い幸運値で、障害を避け切ろうという算段だ。

どれも不発で上手くいかなくても、殿下を酔い潰して今夜を乗り切れば。早朝、二日酔い集団となっている城内を、朝の散歩とでもいって途中で資料室に逃げ込む手もある。

王族の私室区画から出てしまえば、資料室のある執務区画は警備も薄い。駆け込んで鍵を閉めて、とにかく通路で城から抜け出す。でも、今度は小舟には乗らない! 小舟を流して、またかと思わせておきながら逆方向に逃亡しようと思っている。シグルドの待つ隣国にいくには遠回りになるけれど、まずは逃げださなくては始まらないのだ。

今回、ドレスには小さな宝石をたくさん縫い付けて貰った。資料室に着いたらドレスを脱いで、宝石をいくつか資金に剥ぎ取る。資料室の古びたカーテンをマント代わりに被って、靴の代わりに足には布を巻き付ければいい。私はそっと太もものあたりを手で確かめる。ふんわりとしたスカートの下に隠されたナイフと硬貨の感触。こっそりと靴下止めにくくりつけてきた。

必ず、必ず逃げ出す! それまでは、漲る気合を隠して。己の運命を受け入れたか弱そうな花嫁になりきる。油断を誘え。一人では何もできないと思われることこそが私の勝機。

城に戻り、控室で身支度を整える。そして白い絹の手袋をした殿下にエスコートされ広間に入った。これから、少し早めの晩餐会までの時間に貴族たちから祝意を受け、談笑をする時間が設けられている。

陛下や王妃様を始め、王族がずらりと並ぶ壇上から降りたところに私と殿下の椅子が置かれていた。以前の、殿下の誕生日パーティーの時のように。ずらりと列をなした貴族たちが口にする祝いの言葉に、私は隣に立つ殿下と共に王族スマイルで礼を述べていた。

横目でチラリと列を確認する。あと半分くらいだろうか。うんざりした気持ちを隠して笑顔を作り直した時。

「陛下!」

飛び込んできた兵士が、侍従たちの制止も聞かずに陛下に駆け寄って何やら耳打ちをする。

「何と!」

その尋常ではない様子に、広間中の視線が陛下に集まった。

「王都に竜が現れた」

落ち着いた声音で、陛下がそういった。会場内が困惑と不安に、低くどよめく。

――来た!

遅いと思いつつも、私は安堵した。これから城内が、いや王都中が混乱に陥る。これに乗じて逃げ出すのだ。披露宴も中止になるはず。まずはこのウェディングドレスを脱いで、動きやすい服に着替えよう。それから。

これからのことをあれこれと考えていたその時、会場の窓を大きな影が横切った。と、ドシンと大きな地響きがして、吊られているシャンデリアがシャリシャリと音を立てる。

「何事だ?」

城内の警備の騎士達は殿下を取り囲み、音のした庭園に向かって剣を構えて警戒した。

結婚したばかりとはいえ、私も王族になったはずなのに、王子しか守らない城の兵たち。これ幸いと、私は少しずつ殿下から距離を取ってそっと扉に向かって移動を始めた。

うろたえる人々の低いざわめきの中。テラスへと続く窓が開き、剣を手に飛び込んできたのは。

「ヴィクトリア!」

「シグルド?!」

この国では二度と聞けるはずのなかった、私の名前を呼ぶ彼の声。

「貴様、国外退去となった身がなぜここに」

背後から飛んできた殿下の声を気に掛けることもなく、シグルドが私に駆け寄ってくる。

「ヴィクトリア、あなたを迎えにきた。約束通り、自由にするために」

「シグルド……」

「もう遅い、結婚式は終わった、彼女はもう僕の妻だ」

言い放つ殿下に、ようやくシグルドが視線を向ける。

「紙に名前を書いただけだ。そんなものに意味はない」

「シグルド……」

「国を追われた平民ごときに何ができる。衛兵、あれを捕らえよ!」

「動くな!」

それは騎士団長の声だった。

「なぜ止める! 衛兵、かかれ!」

「だめだ、動くな! お待ちください、殿下!」

「王家につかえる身で、なぜお前まで逆らう?」

「騎士団長として兵を無駄死にさせるわけには参りません」

「平民一人に何をいっている?」

「彼は確かに平民ですが、窓の外をご覧ください。今の地響きの正体を」

騎士団長の言葉に促されるように、誰もが目線を移した窓の外には巨大な黒い竜がいた。

「王都に現れた竜って、この男が……?」

「ここ最近、竜を打ち負かして従属させた冒険者があらわれたという噂があります」

本気にはしていなかったのですが、と騎士団長が低く呻く。

「ありえない!」

「では! あの窓から見えるものが竜以外のなんだというのです?」

先程よりは軽い地響きが何度か続き、やがてテラスに続く窓から、巨大な爬虫類の瞳がのぞきこんできた。騎士達は剣を手にしたまま硬直している。

「衛兵、何をしている。かかれといっている!」

「殿下! いい加減にしてください。人間ごときが竜に敵うはずもない! 私の部下を皆殺しにするつもりですか?」

「それが兵の仕事であろう」

「我らが全員討ち死にして、それで残されたあなた方がどうして助かるというのです? 一度暴れだしたら、誰が止められるのですか? 刺激してはいけない」

騎士団長の言葉に、広間の誰もが息をひそめた。

「あの平民にできたことが、なぜ其方らにできぬ」

「どうしてそんなことができたのかなんて知りません。試したければ、殿下、あなたが庭園に降りればいい。兵はその場からゆっくり竜と距離を取れ。背中を見せるな。そのままゆっくりと下がるんだ」

「だめだ、あの者を捕らえよ!」

「兵は騎士団長に従え」

「父上!」

「陛下と呼べ」

「御意」

不満顔の殿下を騎士団長が促し、陛下を守る輪に合流するように大きな影から静かに遠ざかる。

一人取り残された格好の私に、シグルドが笑いかける。

「遅くなってごめん」

「いいえ、あなたが元気でいてくれて、それだけで私は」

それ以上言葉の続かない私に、シグルドが告げる。

「俺と一緒に来てくれますか」

「あなた、すごい冒険者になったのでしょう? こんな危険なことをしなくても」

水車小屋で別れたあの日よりも更に日に焼けて、引き締まった、いや、少し痩せた顔。

「あなたのために、あなたに相応しい男になるためにドラゴンスレイヤーになったんだ。ずっと手を伸ばすことすら許されなかったけど。誰にも文句をいわせずにあなたの手を取るために。だから、どうか俺と、一緒に来て欲しい」

「一緒に行ったら、私、あなたを罪人にしてしまう」

一緒に行きたいという本心に喉が締め付けられるようで、何とか絞り出した私の声は細い。

「構わない」

優しい琥珀色の瞳が私を覗き込んでくる。

「あなたのご実家にも迷惑が」

「大丈夫、いっただろ。俺の実家はみんな強いし、俺の実家に手を出すというなら俺がそいつと戦う。今は特級冒険者になったんだ。よその国じゃ英雄って呼ばれているんだぜ。それに、相棒の竜が助けてくれる。街でも国でも、竜の群れをけしかけてやるさ。だから、お願いだ。俺のためだと言って、諦めないで」

力強い言葉とは裏腹に、シグルドの表情は少し悲し気になった。

「俺強くなったんだ、歴史のある国の王子様にはなれないけど。あなたを自由にしてあげられるくらいには強くなった。だからどうか、俺の手を」

取って欲しいという言葉は続かなかったけれど、私に差し伸べられるその手。

もちろん、白い絹の手袋に覆われてはいない。

指の付け根には以前に見た時よりも固く、大きくなった剣ダコ。もう一度彼を見つめる。目があえば、私に優しく頷く瞳。私も頷き返す。そう、まずはあの痛そうな剣ダコを癒してあげなければ。私が手を伸ばそうとした時。

「ヴィクトリア!」

殿下が叫ぶ声にハッとする。振り向くと、私を睨みつける殿下と、その後ろには国王夫妻、父母に兄、それからたくさんの貴族たちが私を見ている。責める目、蔑む目、諫める目、怒りの目、悲しみの目。

彼が来なくても逃げ出すつもりで、準備も万端だったのに。どうしてだろう、幾百もの冷たい眼差しに晒されて、伸ばすつもりの手が震えた。私は隠すようにもう一方の手で自分の手を握りこんだ。冷たい。怖い。体が凍り付いてしまう。

「ヴィクトリア」

呼吸を忘れた私を彼が覗き込み、囁くように名を呼んだ。優しく肩を包む手があたたかい。

「シグルド」

ホッと息をつき、口から零れた彼の名前が魔法の呪文のように染み込んで。私は体の自由を取り戻し、差し出された手を取った。よかった。幾百の冷たい目に貫かれても、今度は逃げ出さなかった私の恋心。むしろ勇気をくれた。きっと、彼が一緒だから。二人なら強くなれる。これが本当の恋なのかもしれない。

「行こう」

柔らかな彼の声に頷く。

「私ずっと、あなたの無事を、幸せを祈ってた。一人でも結婚式のあとに絶対逃げようって決めてた。今も、あなたを罪人にしてしまうとか、御実家に迷惑をかけたくないって思ってるの。だめだって、たくさんの人に迷惑をかけるってわかってる。でも、嬉しいの。本当はずっと、こうしてあなたが迎えに来てくれるのを待っていたのかもしれない」

「ヴィクトリア……」

ぎゅっと目をつぶったあと、空いた手で、シグルドが燃えるような赤い髪をかきまぜた。

「とにかく、今は逃げないと。でも」

あとでいっぱい抱きしめさせて、と彼が耳元で囁いた。

「話はついたか」

壇上からいつの間にか降りていた陛下の声が割り込んでくる。シグルドが私を背中に庇って前に立った。

「敵対するつもりはない。其方、クロイツの者か」

「いいえ、もうクロイツ家の籍は抜けたので。ただの冒険者シグルドです」

「竜を供に乗り込んでおきながら、ただの冒険者とはな」

陛下がにやりと笑った。

「其方の望みはアーヴィングの娘だけか?」

「……縁は切りましたが、願わくば実家にはお咎めがないように」

「よかろう」

「父上、なぜそんな奴の願いを叶えるのです?!」

「陛下と呼べといっている」

「ですが!」

「私は為政者だ。国を守るのが役目。竜を使役する者と敵対することはできぬ」

陛下はいっそ冷たい声で、殿下にいった。歯噛みする殿下を気に掛ける様子もなく、陛下は再びシグルドに向き直る。

「冒険者シグルドよ、試みに問うが、私が否と答えたら。今其方に兵をけしかけたらどうする? いかな特級冒険者といえども多勢に無勢とは考えぬか」

シグルドが下げていたグラムを構える。

「兵隊や騎士が何人いても、キングを取れば王手詰みだ」

グラムがその刀身に火をまとって、広間の人々が低く驚愕に呻いた。

「陛下!」

向かい合う二人に、剣を手にした騎士団長が割って入る。

「剣を下げよ」

「しかし!」

声を荒げる騎士団長に対して、陛下はあくまでも落ち着いた声音のままだ。

「冒険者シグルド、先程もいったように敵対するつもりはない。両者、剣を下げよ」

互いに相手をねめつけながら、二人はゆっくりと剣を下げる。

「王命により、アーヴィング公爵令嬢ヴィクトリアは冒険者シグルドに嫁す。公爵、よいな」

「御意」

少し離れたところに居た父が、胸に手を当てて恭順を示した。

「クロイツ男爵家には特に咎めだてはせぬ。其方の国外退去も取り消す。何年後でもいい、その気になればいつでも戻れ」

「グラム」

陛下には返事をしなかったけれど、シグルドはグラムに声をかけて火を消した。

「ヴィクトリア、手を」

シグルドは剣を片手に、差し出した私の手から器用に緑石の指輪を抜き取った。

「シグルド?」

もの問いたげな私に優しく微笑んで、それから殿下に向かって指輪を投げた。

「そら、受け取れ!」

この半年、私の指にあった小さくて重たい枷は、緑色のきらめきを放ちながら殿下が咄嗟に差し出した手に向かって放物線を描いていった。

「さあ、行こう」

シグルドに手を引かれ、私はウエディングドレスの長い裾を引いて広間を横切り庭園に降りた。空を背にした巨大な黒い影を見あげる。手持無沙汰な様子から一転、私に首を下げて顔を寄せてくる。

「俺の奥さんだ、大事にしてくれ」

竜が挨拶をするように、鼻先でそっと私の額に触れた。

「よろしくね、ファヴニール」

祝福を唱えたわけではないのに、光が溢れ竜に吸い込まれていく。

「いきなり、なんでファヴニール?」

「シグルドの竜ならファヴニールしかないでしょ」

シグルドが小さく肩を竦めて。私たちは学院の裏庭でそうしていたように笑った。私はなくしたものをようやく取り戻せた気がした。

「大丈夫?」

両手を差し出して、彼が問いかける。頷いてみせる私を抱き上げて、彼が竜に乗る。ちょうど手綱が届くあたりに横向きに座った私を、シグルドが背後から包み込んでくれる。その胸に身体を預けてシグルドを見上げる。まるで確かめるように一度だけぎゅっと私を抱きしめてから、シグルドが手綱を取った。

「さあ、しっかり捕まって」

シグルドの声に応えるように竜がゆっくりと羽ばたく。ぶわりと風が吹き上がり、髪を覆っていたベールが飛んでいく。巨体に似合わず、羽ばたきごとにふわり、ふわりと竜が浮き上がっていく。

「こいつ、随分と気を使ってくれているみたいだ。いつもはもっと雑に飛び上がるんだぜ」

「優しいのね」

言葉を理解しているように、竜が一つ大きく鳴いた。

「待て、ヴィクトリア! 行くな」

声のほうを見下ろすと、広間から飛び出してきた殿下が手を伸ばして叫んでいるけれど、どんどん遠く小さくなっていく。幼い私が夢に見ていた白馬の王子様。さようなら。私は黒い竜に乗った冒険者といくわね。心の中で別れを告げたことを察したように、シグルドが優しい瞳で私を見ていた。

「あ、あれ。あいつ、トーマスっていうんだ。前に話した俺の友達」

シグルドが指した先には騎士の礼服を着て、笑顔で大きく両手を振る青年。確かに、あの日、ハンカチを拾ったと声をかけてくれた人だった。その後ろには何人かが、やはり騎士の礼服姿で拳を掲げている。

「ねえ、あの人達の手首」

「組紐だな。トーマスには俺が餞別に贈ったんだけど。後ろの奴らも下級貴族の出身だからギルドで兼業冒険者をしていたんだろう」

「あの人達、私たちに手を振ったりしてあとで怒られないかしら?」

「大丈夫、下っ端なりに上手く立ち回るさ」

トーマスは要領がいいんだと、なぜかシグルドが自慢げにいう。

「見て、あそこでハンカチを振ってくれているのはアンナよ、私の侍女なの」

私もシグルドにアンナを示す。一緒に城に上がってくれるはずだったけど、彼女ならきっと大丈夫だろう。あとでこっそり手紙を出してみよう。

「彼らに祝福を」

手を組んで唱えると、日差しに輝く光の粒がゆっくりと降り注いだ。

少し離れた場所で、父が黙ってこちらを見上げていた。私の目線の先に、シグルドも気づいたようだ。

「本当にいいのか? 家族も何もかも置いて。今ならまだ戻れる」

私は首を振って、シグルドに微笑みかける。

「ねえ、竜ってどれくらい速いの? 一番速く飛んで、ここから離れたい」

「この竜となら、月にだって手が届く」

シグルドがにやりと笑った。

「もう、降ろしてやらないからな。しっかり捕まって」

二人を乗せた黒い竜はみるみると遠ざかり、小さな点になって青い空に溶けて消えて行った。