軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

願掛け

マーキオ子爵令息エンリークはエーデル様の婚約者で、俺を『信奉する会』の貴重な男子会員だ。優しげなセピア色の目に長めの若葉色の髪を後ろで縛った美少年だが、濃いめのそばかすがあるのでこちらではまあまあの不細工判定。昔は少々俺に当たりが強めだったが(エーデル様が俺のファンなのが気に入らなかったようだ)だんだん態度が軟化していつの間にかファンクラブに入っていた。エーデル様は彼のことを「大事に扱ってくれるし長話をしっかり聞いてくれるし趣味を一緒に楽しんでくれる」と言っていた。彼女に理解ある彼氏君である。

彼は今までずっと二組の上位をうろうろしていたのだが、今年初めて学年二十位に上がり一組になった。俺とは一年の時以来の同じクラスだ。

よく一緒に行動するようになって「普段は「デウス」でもいいよ?」と言ってみたが「呼び捨ては恐れ多いしエーデルにも悪い(?)ので……」という独特の線引きで『デウス様』呼びになった。

夏めいてきた日の午後。リーベルト達は騎士コースの授業に行き、俺はエンリークと一緒に歩いていた。数メーテル前にジュリ様と女子二人が並んで歩いている。

何か感じたのか、バッとジュリ様が上を見上げた。それが目に入った俺も反射的に上を見る。そこには人一人すっぽり覆うくらいの―――――巨大な水の塊が浮いていた。

驚いたジュリ様が透明な盾を頭上に構えると同時に水の塊が落ち、強風が吹いた。

「はぁっ!!」

バッシャァッ……!!

少し離れた所から気合の声が聞こえたと思った次の瞬間、俺は水を浴びて全身濡れていた。

「………………???」

声がした方を見るとニフリート先生が手を斜め前に突き出した奇妙なポーズで目を丸くしていた。

それを見てやっと何が起きたかわかった。

ニフリート先生は落ちてくる水の塊をジュリ様達からズラそうとしたのだ。「はぁっ!!」と言いながら咄嗟に風魔法で水を動かした先に、俺がいた……ってことだ。多分。

「っ、そこの者を捕らえろ!!」

二秒で気を取り直したニフリート先生は水塊が落ちてきた窓を指差して叫ぶ。周辺の騎士が駆け出し、上の階の騎士にも聞こえていたのだろう、すぐに窓から「確保しました!」という声が聞こえた。

「意識は?」

「――――ありません!」

「保健室へ!」

先生がそう指示すると窓から顔を出した騎士が頷いた。

犯人の……意識が、ない?

「デウス様! お怪我は!?」

ジュリ様が気付いて駆け寄ってきた。

「いえ、……うん、大丈夫、ただの水です」

服に染みた水をよく見て匂いも嗅いでみて、何も含まれてないと判断する。こちらの世界では無色無味無臭の毒は今のところ確認されていない。泥水とかじゃなくてよかった。落とし方からしても水魔法で出した水なので、空気中の水分を固めたものだ。雨みたいなものなので綺麗な水とまでは言えないが。

ただの水とわかってとりあえず皆ホッと息を吐き、自然とニフリート先生に視線を遣った。彼は少しバツが悪そうに一歩後ろに下がる。なんとなく重い空気が流れた。

「…………ふ、アッハハハハ!」

「あ、アマデウス様? 笑い事ではありませんのよ」

「ハハハ、なんかマン……本の中の出来事みたいで、すみません、アッハハハ、びっくりした」

プリムラ様から窘められてしまったが、笑ってしまった。女の子をかっこよく魔法で助けたかと思いきや他の人に被害がいっちゃって、イケメンが「やっちまった……」という顔をしている――――というマンガみたいなことが起きたのに皆真顔、という状況に耐えきれなかった。

さっきの魔法が女子組に当たってしまっていたら、もっと命に係わるものだったら、そう考えたら確かに全然笑い事ではないのだが、被害者は俺だけだし空気が険悪になり過ぎないためにももう笑い飛ばすことにする。

ジュリ様は険しい顔でニフリート先生を見ていたが、多分わざとではないのでそんな目で見ないであげてほしい。上着を脱ぐと腕の部分は無事だがシャツが肌に張り付くくらい濡れていて気持ち悪い。幸い鞄は外側が濡れただけで済んでいる。

「ご無事でしたらいいのですが……。ああ、お召し物が……」

「まあ、ほら、水も滴る良い男という言葉もありますし」

「そんな言葉が……?」

ジュリ様は両手を彷徨わせながら首を傾げた。こっちには無いか。そういえば『水も滴る』はみずみずしく美しいという言葉であって水に濡れているという意味ではないらしい。

「どっか外国の言葉です。ほら、水に濡れてると……色気が出るから?」

髪をかき上げて笑うとジュリ様がぽわっと赤くなった。何故かエンリークもちょっと赤くなった。冗談だったのだが。

「ジュリ様、見惚れている場合ではないですわ」

スンとした顔でカリーナ様がツッコむ。

「あ、ああ、そうですね、夏とはいえ濡れたままでは……」

「そうだ、寮に行けば私の服をお貸しできます」

エンリークがそう提案してくれた。あ、彼は無事だったと思ったが足元と上着の一部がぐっしょり濡れてる。

後は帰るだけとはいえびしょ濡れで馬車に乗るのはなぁと思っていたのでお願いしようと思ったら、ニフリート先生が遠慮がちに横入りしてきた。

「……ここからなら訓練場の更衣室の方が早い。私の着替えを貸そう」

※※※

訓練場の男子更衣室は少し土埃っぽくはあったが整頓されていた。男子運動部のごちゃついた部室を想像していたが、流石身嗜みを気にする貴族。うっすらと香水の匂いがする。

必要はなかったがエンリークもついてきてくれた。いざこざがあったニフリート先生と俺を二人きりにするのを回避しようとしてくれたのだろう。

「わざわざありがとう」

「いえ。お傍にいたのがリーベルトだったらきっとデウス様をお守り出来ていたでしょうに……」

感謝を告げたらエンリークは遠慮がちに笑ってからしゅんとした。彼は次期子爵だ、守られる側だし気にすることないのに。

「気にしないでよ。こういう時にサッと盾を出せたらよかったんだよなぁ……私がもっとしっかりしないとだ」

「それはもっともだ。精進したまえ」

ニフリート先生はぶすくれた顔をしながら俺にタオル、シャツ、トラウザーズを差し出した。

沈黙の中大人しく着替える。俺が着替える音しかしない空間、気まずい。服の丈はほぼぴったりだったが全体的に少し余裕がある気がする。筋肉の違いだろうか。

俺はふと上着の内ポケットからハンカチを取り出して確認した。ジュリ様から貰った物だ。濡れていない。よかった。

「それは……」

「ああ、ジュリ様から頂いたものです」

自慢みたいになったが今は許されるだろ。シレンツィオの紋章をじっと見た先生は複雑そうに目を細めた。

「その……断じてわざとではない。悪かった」

先生は目を泳がせながらぼそりと言った。ぶすくれてたというか面目なかっただけのようだ。

「わかってますよ。令嬢達から水を退けてくださって感謝しています。着替えを貸して下さったことも」

「……君は何故私を疑わん」

「え? えーと……そういうことしなさそうなので……?」

偶然を装い俺に水を被せる、みたいな小賢しい立ち回りが出来るイメージがない。それだけである。

先生は納得いかなそうな顔を作りつつ更衣室の端っこにある椅子に腰を下ろした。

「君は、信頼できるできないというより『警戒しても無駄』という感じの男だな……」

それは……つまりどういう感じだ……? 警戒しないでもらえるならそれでいいけども。

「はぁ」

「……アマデウス君。ソヴァール嬢の味方であることがはっきりしている君には話しておく。今回の出来事が学院で起きるのは二度目だ。一度目に狙われたのはソヴァール嬢だった」

訊こうとは思っていたが話し始めてくれた。つまりあの日、コンスタンツェ嬢の代わりに水を被ったのが先生だったということか。

そんなことがあったなら俺にも連絡が来ていそうなものだが、その時はコンスタンツェ嬢を庇って先生が水を被り、『上の者が花にやる水をうっかり溢したようだ』と誤魔化したらしい。そのためコンスタンツェ嬢はただの事故だと思っている。

「同じ嫌がらせが二回目、ですか」

「実行犯は前回も確保した。現在謹慎中なので今回の犯人とは違う人間だ。だが、二人とも水魔法で水を出した後気絶している」

「はい? 気絶?」

「気絶は魔力枯渇によるものだ。その生徒が魔法を使ったのは確かなのだが、本当にやっていない、何かの間違いだと本人は頑なに主張している……」

言われてみればあんな量の水を出すのは結構魔力を使う。限界になってもおかしくない。自分の命を危険に晒してまで嫌がらせをするだろうか。

魔力をギリギリまで使う気絶チキンレースをするのが好きなイカれたヤンキーだろうか。度胸試しにもならないし多分いねえだろそんなのは。

「被害が大したものではなく、犯人が魔法を使った瞬間を目撃していた者がいないので、自白薬を使う条件を満たせない。しかし自白薬を使われてもおかしくはない状況であそこまで否認するからには、本当にやっていないのではないかと私は考えている」

本当にやっていない……じゃあ、誰がどうやって?

そういえば、結局レドニェツの報告書を握り潰した犯人も見つかっていないとネレウス様から聞いた。明らかにこいつがそうだろうと思われる役人に自白薬を使ったが空振りだったというのだ。

……やったのに、やった自覚が、記憶がないのだとしたら?

「魔法で操られている……とか?」

「その可能性も考えられる。行動を操って記憶まで消すなんて都合がいい魔法、あるとは思えんが……」

そうでもない気がする。王立研究所で外には洩らせない研究が今も続いているように、弱毒の毒性を著しく高める術が存在したように、王家がまだ把握できていない新しい薬が、技術が、何処かで生まれていてもおかしくはない。

確か……ヤークート様がリーマス・レナールを俺に嗾けた時も、意識を混濁させて催眠にかけるタイプの違法薬物を使ったと聞いた。それをブラッシュアップすれば不可能じゃなさそうじゃないか?

いやあ…………ずっっっっっるい!!! そんなチートな魔法を隠し持ってるとか!!

――――まあ、俺が前世知識で色々売り出してるのも人生一周目の人からしたらずるいんだろうけど……。

「何者かがそんな術を編み出して暗躍しているとしたら、秩序の脅威だ。早々に取り締まらねばならない。……ここだけの話、私はソヴァール嬢を守るために学院に残った。ユリウス殿下がそうしてほしいと私に仰ったのだ。不穏なものを感じていらっしゃったのだろう」

「そうだったんですか……」

ネレウス様が助言したか、単にコンスタンツェ嬢が心配だったのか。性格はともかくニフリート先生の実力と忠誠心は信頼できるとユリウス殿下も思っているんだろう。

「先ほどのはおそらくジュリエッタ嬢を狙ったものだ。今回は学院内を見回っていた私が気付けたが、ソヴァール嬢だけでなくシレンツィオ派が不気味な勢力に敵視されていることを心に留めておいた方が良い。次は水では済まないかもしれん」

本やら植木鉢やらが頭に落ちてくるかもしれんからね。今は学院の騎士団がちゃんとしてるから犯人は捕まりそうだけど。

しかしそういうのではなく水を落とすというところが妙に中途半端だ。大事にはしたくなかった?

それとも他に何か意味があった……?

「先生、コンスタンツェ嬢を……、よろしくお願いします」

別の派閥なのに頼んじゃっていいのかな、と一瞬言い淀んでしまった。それに感付いたらしい彼は眉を寄せてふう、と溜息を吐いた。

「心して臨むので安心したまえ。私は卒業パーティーでユリウス殿下のご対応と妹への態度を目の当たりにした。殿下のお気持ちがもうニネミアに向くことがないということくらいは察せる……我が派閥の信用をこれ以上損なわないためにも尽力するつもりだ」

ああ、ニネミア嬢のエスコートでその場にいたんだもんな……。

「……『信奉する会』に先ほどのお話を回覧しても大丈夫ですか?」

更衣室を出てから、エンリークが真剣な顔でそう聞いた。俺は頷く。広まって困る話なら先生もエンリークを退室させたり口止めしたりしただろう。

結局、二人目の実行犯もやってないと主張したらしい。しかもシレンツィオ派の生徒だった。

話し合った結果、俺達はその生徒を咎めないことに決めた。宮廷の役人と同じで自白薬を使ってもやった記憶が出てこない可能性があり、その場合のリスクが少々高いからだ。自白薬を使われるというのは罪人と判断されたことと同義なので、その生徒の家の評判にも傷がつく。トップが下の者に冤罪を被せたとなってしまうと派閥の結束を大きく乱す。それを狙っていたとしたらまあまあ良い嫌がらせだ。

早く自白薬の使用条件が緩和されればいいのだが。

※※※

家の音楽室で記憶を掘り返しながら楽譜を書き、ピアノを弾いた。

音楽の父ことバッハの教会カンタータより『主よ、人の望みの喜びよ』。ピアノソロ上級、ヘス編曲。

ド有名な名曲でアレンジも多く、原曲の音をピアノでしっかり拾おうとするとより難しくなる。久々だと指が追い付かん。しかし音は減らさずに何度も練習しつつ弾き続けた。

俺にとって信仰、礼拝といえばこの曲が一番しっくりくる。

脅威がすぐ後ろまで迫っているかもしれないのに、今は無事を祈ることしか出来ない。

さながら青髭の七人目の妻のように、仲間の助力が間に合うように祈る。しかしわずかな時間青髭の手を止める力があったように、祈りが無力とは限らない。予言者と聖女が存在するように、神の啓示というものはこの世界に確かにあるのだから。

その後、ネレウス様達との面会後に「この曲を捧げさせてほしい」と言って中央神殿礼拝堂のクラブロでこの曲を弾いた。

ただ祈るよりも音楽にのせた方が届きやすそうだから、願掛けみたいなものである。

上等な紙に手書きの楽譜も寄付した。タイトルの『主よ』は『神よ』に変えさせてもらった。

この国の教会音楽とも親和性があるので「素晴らしい……」「お見事でした、神のご加護があることでしょう」「もう一度弾いてくださいませんか?!」と顔見知りになった修道士さん達がキャッキャと喜んでくれた。後日ペティロ大司祭から「美しい曲をご紹介いただき誠にありがとうごさいます」とお礼状まで届いた。

原曲はオーケストラと合唱でまた迫力あるんすよと教えたい気持ちもあるが、そっちの楽譜までは詳しくないので言えない。バッハに少し申し訳ない気持ち。

どうか、貴方の愛し子、聖女とシレンツィオ派……いや、悪事を働いていないこの国の人間全てをお守りください、神様。

注意喚起と学院の騎士団が警戒態勢をとっていたのもあり、その後の被害はなかった。違う派閥の生徒同士は地味にピリピリしていて学院の雰囲気はちょっと悪かったけど。

不気味な勢力の正体がはっきりしないまま、黒い箱の封印の日が来た。