【コミカライズ1/20発売】気だるげな公爵令息が変わった理由。
作者: 三月べに
本文
自分が悪役令嬢転生を果たしたと気が付いた朝。
特に、慌てなかった。慌てたところで、乙女ゲームの悪役令嬢に転生した事実は変えようがない。
冷静に、破滅しない道を進めばいいと、考えた。
悪役令嬢、リーンティア・ゴールディ。淡いプラチナブロンドがふんわりと広がり、ルビーの瞳をした強気な顔立ちの美少女で、侯爵令嬢である。
ただ今、10歳。
そろそろ、王子の婚約者となるはず。そう朧気ながら、記憶している。あいにく、事細かに設定を覚えているほどにやり込んだ乙女ゲームではなかった。最後にプレイしていた乙女ゲームというだけ。
婚約者の王子は、確か、清廉潔白な性格だったっけ。正統派王子様キャラで、ヒロインに嫌がらせする悪役令嬢を断罪するんだった。その悪役令嬢は、他の攻略対象キャラが王子の側近だからと、よく出てきた。そして嫌がらせの主犯となって、結局王子が代表して断罪するという流れ。
ぶっちゃければ、王子の婚約者になりさえしなければ、穏便な人生が送れるはず。
……そもそも、どうして王子と婚約したんだっけ?
首を捻って沈黙して、長いこと考え込んだ。
そして、ぽむっと掌に拳を置く。
そうだった。悪役令嬢が王子に一目惚れして、ほぼ強引に婚約したのだった。ゲーム内の設定は覚えてないけれど、現実の知識から考えると、ゴールディ侯爵家の財力と人脈は大きな利益になるから、婚約は成立したのだろう。
……。
ふむ。王子と実際に会ってから、婚約の有無を考えよう。
乙女ゲーでも、私は別に彼のことは嫌いじゃない。顔も性格も。
互いに惹かれ合えたら、話し合って婚約すればいい。現実なんだから、現実的にいこう。
問題は、シナリオ強制力よねぇ……。
まぁ抗えない運命だとしても、何か道があるでしょ。
そこを考え込んでもしょうがないと、キッパリ諦めた。
そうして、まったりと10歳の令嬢生活を満喫していたのだけれど、高位な貴族の子どもは、もうお見合いをする年齢らしく、あちらこちらから声がかかり、順番にお茶会をすることになった。
きっと遅かれ早かれ、王子とも見合いお茶会をするのだろう、と思った。
二回、見合いお茶会をしたが、なんともまぁ……な感想。
初対面の異性にガチガチに固まって黙り込んで泣きべそかいたり、自分と家の自慢話を延々と語ったり、どちらも却下なお相手だった。同じ10歳なら、しょうがないか。これで成人男性なら目も当てられまい。
そして、三回目の見合いお茶会。
相手は、攻略対象キャラの人物だった。
無気力系イケメンの公爵令息だ。やることなすこと気だるげなイケメン。面倒くさがりながらも、ヒロインに付き合ってあげるという、そういうぶっきらぼうな愛情表現をするキャラだった。
悪役令嬢とお見合いしてたんだね。
イサーク・キサラー公爵令息。黄色の猫目で、落ち着いた深い青色の癖っ毛の髪の持ち主。
いざ対面すれば、向かいに座る彼は、すでに気だるげに肩を落としていた。顔からも、“めんどくさい”という文字が読み取れそうだ。
子どもの頃から、もう気だるげだったのか。
そんな彼は、挨拶もそこそこに、潔く言い放ってきた。
「生きる楽しみを教えてくれ」
ドンと、言い放つ少年。
何があったのか、と尋ねたくなった。
別に、暗い過去なかったよね、このキャラ。
どうした、少年。まだ10歳だろ、楽しく生きろよ。
「……あなたのことは知らないので、私が楽しいと思った日々のことを挙げてみますね」
とりあえず、真剣に考えてみて、そう答えた。
私基準の楽しいことを。生きている中で、楽しいことを。
「朝の程よく冷え込んだ空気が、美味しいことはご存じでしょうか? 澄んだ空気が、肺を満たす心地よさはとてもいいですよ。だから、毎朝起きることは楽しいです。晴れた空はお好きでしょうか? 雲一つない青空もいいですよね。それにモクモクの白い雲が悠然と浮いている光景もいいと思います。雲を運ぶ風が身体にぶつかってきて、草原を駆けていく感覚はどうでしょうか? 気持ちいいですよ。だから、散歩に丘に行きます。乗馬も楽しいです。美しい光景を見る散歩も、風の中を突き抜ける乗馬も、私は楽しみです。あとは、読書ですかね。胸を高鳴らせる物語と出会えた時の、早く続きを読みたくてページを捲りたいけれど終わりに近づきたくなくて躊躇してしまう気持ちは、共感してもらえないでしょうか? 文字を追っているはずなのに、私は頭の中ではしっかりそのシーンを想像で思い浮かべているのです。とても楽しい時間ですよ」
楽しみなら、こうして、一つ一つ挙げられる。
こういうことでもいいのかと、彼の反応を確かめてみれば、黄色の猫目を見開いて、輝かせていた。
「……明日の朝、窓を開けて深呼吸してみる。空も見てみる。他には? 他には、あるの? まだあるの?」
大いに食いついてくれたので、これでよかったらしい。
気だるげな態度から一転、積極的な姿勢に変わった。
「私が思う楽しみで大丈夫ですか?」
「うんっ! 君が語る楽しみは、とても魅力的だ。もっと聞かせて」
ぐいぐい来るから、約束の時間まで、思いつく限りの私の楽しみを語る。
好きな食べ物の美味しさや気に入っているところ。好きな花の色や形、匂いの惹かれる理由。
愛馬の可愛さ。愛猫の愛おしさ。もふもふの違い。面白い癖。
そこまで語っていれば、双方の両親が迎えに来た。
離れて見守っていた執事と侍女から話を聞いて、驚いた顔をしたのは公爵夫妻だ。面食らった様子で、我が子を見ている。
気だるげな公子様が、私の話を興味津々に聞いていたから、見守っていた公爵家の執事と侍女も戸惑ったのだろう。
双方の両親に挨拶を済ませるなり、少年が声を上げた。
「父様! 人生の楽しみを見つけました! リーンティア嬢です!」
……!?
めっちゃ語弊がないか、それ。
公爵夫妻が、笑顔で固まってしまったわ。
私の父は絶句して、母はにやけるのを堪えているもよう。
「これからは、リーンティア嬢の楽しみを、一緒に楽しみたいです!」
私の両手を握ってくる彼の目はキラキラと輝く熱を持っていたので、どうやら語弊ではないと知る。
私、熱烈なプロポーズをされているわ……!
「と、我が息子は乗り気ですが、前向きに婚約を検討していただけますでしょうか?」
やっと動き出した公爵様が、キリッと仕事モードに入った。
隣の夫人も逃すものかという意思を、瞳に滾らせているように見える。
ほぼほぼ放心した父とはしゃいだ母は、押されに押される形で、無気力キャラの公爵令息との婚約がトントン拍子で決まってしまった。
そういうわけで見合いお茶会は、終わり。
相手が決まってしまった私は、王子と見合いすることがなくなってしまった。
意図せず、王子の婚約者というポジションは潰してしまったのだった……まぁいいか。権力的には、上の公爵家との縁談。あちらが乗り気で、こちらは別に拒否する理由もないので、断る必要もなかったのだ。
当人も、私に興味も関心も示して、何をするも一緒を望み、濃密な交流をしてくれる。
私が好きなことを好きになってくれて、そして一緒にしてくれるのだ。
この上なく、いい人だと思う。好ましく思うし、いい関係がこの先も築けるなら、伴侶として文句なしだ。
イサーク様が、私と出会って変わったことを、行く先々で泣いて喜ばれた。
公爵夫人の教育のため、公爵邸で学んでいたら、イサーク様も一緒に授業を聞きたいとやってきたので、公爵夫人と教師の夫人に泣かれた。今までどんなことを教えようとも、消極的でダルそうにしていたから、自らやってくることは、初めてで驚きだとか。
なんなら、最近の自宅学習の教師陣も、私に向かって感謝の祈りを捧げているとか。
公爵邸の料理人も、食べる量が増えたし、リクエストもして感想をくれるようになって嬉しいだとか。
メイド達も、世話されるのを面倒がって下がるように言われてしまうけれど、規則正しい生活に変わってくれて大助かりだとか。
馬の世話をし始めるわ、庭園を散策するわ、各公爵邸の使用人一同は、イサーク様の変化に拍手。
さらには、家に呼びつけられる商人も、なんでもかんでもお任せをされていたのに、最近は吟味してくれるようになったと、涙を拭って感謝された。商人まで……。
イサーク様の無気力って、一体何が原因か。
調べてみた。
彼の生きる活力を奪うような悲しい出来事が…………これといって、なかった。
幼いなりに、厳しい挫折が…………ということも、なかった。
本当に、暗い出来事が起こっていたわけではなかったのだ。
つまり。彼の無気力キャラは、生来の性格が大きく問題と化していたというわけ。
そんな無気力キャラは、あいにく、返上だ。
公爵邸の人々だけではなく、イサーク様と交流があった人々も驚くほどに、彼は変わった。
その中に、件の王子もいて「イサークが生き生きするくらいの恋に落ちたって本当だったんだ」と、明るく笑う。
生きる楽しみを見出したイサーク様は、別人のような目をしている。乙女ゲームの中では、眠たそうだったのに、現実ではキラキラさせている猫目。
気だるげな姿勢と声はなく、背筋を伸ばして、しっかりした声で話す。
何に対しても興味を持たなかった無気力公子を劇的に変えた『運命の令嬢』として、社交界で有名となってしまった。
婚約者同士、繋がる家のガーデンパーティーなどに参加しては、注目を浴びた。
変わったイサーク様は、魅力的な少年と変貌を遂げたわけだから、ご令嬢達の人気を集めたけれど、彼の興味は、結局のところ、私が一番だった。
なんせ、彼の口説き文句が『この先の人生の楽しみは、婚約者のリーンティア嬢』だ。
彼自身が周りにも言い放ってしまったものだから、それまで社交界で広まってしまい、親が娘を「あの方は、無理だよ」と宥める光景を見るほどだった。
そういうわけで、私がどれほど魅力的なのか、と周りは気になってしまってしょうがなくなり、接触しようとしてきたのだけれど、それに対してイサーク様が射殺さんばかりの目で見てくるので、すぐに蜘蛛の子を散らすように退散した。
あっれぇー……? 乙女ゲーム内の無気力キャラの公爵令息の嫉妬って、いじけたような言動を見せる程度じゃなかった……? 殺気がすごいね???
「……リーンティアに愛想つかされないようにするには、どうしたらいいの?」
周囲には牽制の睨みはするけれど、束縛とかいう独占欲を出すことなく、捨てられた猫みたいに弱々しく尋ねてくるので、めちゃくちゃ頭を撫で回した。
捨てませんがー? 愛想つかさないですよー?
猫派ですしね! 構って欲しがっている猫を放っておけるわけがないです!
そんなイサーク様も、我が家の愛猫を猫かわいがりする。交代でブラッシングをしては、ボールを転がして遊ぶ。
「イサーク様も猫を飼われたら、どうですか?」
あまりにも頻繁に我が家に来るから、そう提案してみると。
「猫は好きになったけれど、リーンティアと一緒に愛でるから好きなんだ。リーンティアと過ごす口実として飼うのは、違うだろう?」
ケロッと返した。
あ、はい。猫を可愛がるのも、私と過ごすついででしたが。
ヤバいほどに、私中心の人生を始めていらっしゃる……。
これでいいのかと、義理の母となる公爵夫人と交流会のティータイム中に尋ねてみたら。
「いいのよ!? さもないとあの子、へにゃへにゃになってしまうわ!? リーンティア嬢が重いと思わないなら、あの愛を受け止めてあげて!」
思わずといった風に声を上げられた。
いいんだ……。母親としても、彼の無気力さには匙を投げて、私を頼ってらっしゃる……。
今のところ、嫌な感情は持っていないので、大丈夫です。
とは、答えた。
その直後、公爵様から公爵領へ、家族揃って休暇を過ごさないかと招待された。
公爵家、私を繋ぎとめようと必死か……。
馬に乗って、イサーク様に公爵領を軽く案内してもらった。
乗馬を習って、一人乗りが出来るようになって、二人で競争もしたことあるけれど、案内中は二人乗り。なんか、二人乗りの方がいいらしい。
「リーンティアのおかげで、慣れた公爵領が楽しい。自分がこんなところを好きだった、って気付ける。ありがとう」
とても前向きな彼の眩しい笑顔を振り返ってみて、私も嬉しくなった。
イサーク様は、私が思ったことをすぐに聞きたがる。
正しくは、知りたがる、か。
特に私が好きなこと。楽しいと思ったことだ。
全て、私が基準になるかと思ったけれど、そうでもない。自分自身でも好みのものを見付けてきては、私に話してくれる。それに共感すれば、大袈裟なくらい喜んで、嬉しそうに顔を綻ばせる。
だから互いに何かを勧め合うようになっていた。
『あの店のお菓子は、美味しい』『あの作者の本は、素晴らしい』『新作もよかった』『流行りの劇の評判を聞く限り、気に入りそうだ。』『楽しかった』『また行こう』
交換して、共有して、与えて、与えられて、楽しい日々を送った。
本当に、いい関係だと思う。
婚約関係ではあるけれど、もっと別の言い方がありそうだ。でも、なんて名付ければいいか、答えはわからなかった。
とても心地のいい間柄の私と、イサーク様。仲のいい婚約者。
もっと、しっくりくる関係性の名前が、あるような気がする。
あっという間に、乙女ゲームの舞台の学園へ入学。
ゲームシナリオ通り、ヒロインは入学式からずれた時期に、編入してきた。
本来なら、王子の婚約者という名分で引っ付いていた悪役令嬢に、ヒロインがぶつかってしまい、激怒した悪役令嬢を宥めつつ、王子が庇うことがオープニングだったはず。
もちろん、王子に引っ付いていなかったので、そんなオープニングは起きなかった。
まだ公爵位を継ぐまで時間があるイサーク様は、王子の側近のような位置で学園を過ごす。元は王家の血筋の権力者の公爵家だ。王子の周囲を把握して、自分の顔を広めつつも、交流もする目的がある。必然的に、私も王子ともそれなりに交流はしているけれど、今のところ、彼からヒロインがどうのこうのの話も聞いていない。もちろん、彼のそばにいる貴族令息も他の攻略対象ではあるのだけれど、ヒロインの話題は出たことがなかった。
あのオープニングにならなかったので、関わることなく乙女ゲームは、始まらずに終わるのかしらね。
ヒロインは、男爵の血を引いていた平民育ちの男爵令嬢というテンプレ。
かつての恋人が、婚約者が出来てしまったから、別れを告げて身を引いたけれど、ヒロインをすでに身ごもっていた。その母親は病に倒れてしまったから、やむをえず、かつての恋人である男爵に連絡を入れた。男爵夫妻は、ヒロインを責任もって育てると約束して、看取ったという美談が流れているらしい。
うん。乙女ゲームシナリオ通り。
チラッと見かけたけれど、髪もピンク色だった。
どうして、ヒロインはピンク色なのかしらね? 女の子はピンクが好きだろって偏見からきてる?
ピンクは流石に、奇天烈な髪色よね……。ここ、別に魔法が実在する世界じゃないんだけれど。
そんなピンク頭のヒロインが、私の前に立ちはだかったのは、とある放課後だった。
王子に呼ばれたからと言って、すごく嫌そうに、残念そうに『先に帰って?』と言うイサーク様が、言っていることと違い、引き留めて手を握り締めてきたので、それをやんわり解いて、馬車の元へと一人歩いていたところ。
ギッと恨めしそうに睨みつける顔は、乙女ゲームのヒロインのそのものだ。
「アンタも転生者でしょ!」
ビシッと、指差してきた。
なんだ。ヒロインも転生者パターンか。あるあるよねぇ。
でも、本来、ヒロインと悪役令嬢は敵対関係。いきなり自分が転生者だって明かすなんて、アドバンテージをさらす行為。頭が足りないな。何より、『転生者』と大声を上げるのはとてもじゃないが、頭が悪すぎる行為だ。普通に、頭がおかしい人認定されるもの。
「ゲームシナリオを崩壊させてサイテー!! アンタが王子の婚約者じゃないから、フラグも立たないじゃない!!」
知ったこっちゃない。
誰かに泣いて頼まれれば考えなくもないけれど、なんで私がそうしてあげなくちゃいけないのさ。
確かに私がいないからオープニングからおじゃんだろうけれど、だからって悪役令嬢を無償で引き受けるほどお人好しではない。
無言でスルーしたが、横切ろうとしたら、腕を掴まれた。
「無視してんじゃないわよ!」
「頭をおかしくしたように喚く知らない人を、見て見ぬふりしたいのは当然では」
普通の令嬢なら、悲鳴を上げて逃げていると思うわよ。
「なんですって!? 推しだか何だか知らないけど! なんで無気力公爵令息が、あんなに変わっちゃったのよ!! どうでもいいから婚約破棄して、王子の婚約者になりなさい!! 軌道修正して!!」
そんなことで、今更軌道修正出来るわけがなかろう……。頭おかしい人だな、怖い。
悲鳴上げて逃げてもいいかな。
現在、王子の婚約者は、隣国の一つ年下の王女様よ? 現実的に不可能である。
「婚約破棄? ふざけるな。“王子の婚約者になれ”って言うのも不敬罪だ」
ふわっと抱き上げてくれたのは、王子と予定があったはずのイサーク様だ。
少し息が上がっているから、何か気付いて、走ってきてくれたのだろう。
ギッと睨みつける目付きと威圧は、先程のヒロインの比ではない。
イサーク様の地雷は『私』である。『私』を奪おうとする者も、『私』を貶そうとする者も、イサーク様の逆鱗に触れることになる。
つまり、ヒロインは、見事にやらかした。
「そんなに怒るのは、あなたらしくない!! この悪役令嬢のせいよ!」
「僕は、今の自分が好きだ。僕の婚約者を侮辱した罪も加えておこう」
「ひぃっ!!」
地雷をさらに踏み抜くとは、なんと愚かな。
いつぞやの射殺さんとばかりのギンッとした眼差しで見下ろしたイサーク様に、ヒロインはひっくり返るようにしりもちをつく。
「僕は――――僕が愛する 婚約者(リーンティア) がいる以上、この僕であり続ける」
ハッキリと言い放つイサーク様に、ヒロインは真っ赤になって、わなわなと震えた。
「おかしい……! ヒロインのあたしを差し置いて、悪役令嬢が愛されるなんてっ……! ハッ! わかった! アンタが転生者ね!? だから、キャラが違いすぎるのよ!! 悪役令嬢推しの攻略対象者ね!!」
ぶつぶつと言っているヒロインは、ハッとしたかと思えば、立ち去ろうとするイサーク様を指差して叫んだ。
そのパターンも確かにあったような気がする。
でも、イサーク様は違うと思う……。
現に、心底頭がおかしい人を見る目で見下したからだ。
「リーンティア。ここでは、何もなかった。頭がおかしい人とは喋らなかったことにしよう」
接触した事実を消し去ろうとするイサーク様。それが一番だ、と自分に言い聞かせるように頷いた。
「ちょっと! ふざけないで!! ア(・) ン(・) タ(・) と(・) そ(・) い(・) つ(・) は(・) 結(・) ば(・) れ(・) る(・) 運(・) 命(・) じ(・) ゃ(・) な(・) い(・) の(・) よ(・) !!」
性懲りもなく、地雷を踏み抜いた。むしろ、地雷に爆弾を投げつけた。
未だに抱きかかえられている私も、悪寒に襲われて震え上がるほどに、イサーク様は冷たい怒気を放つ。
「リーンティアは、僕の運命だ。それ以上喚くなら、潰すぞ。お前も、家も」
「ひッ……!!」
直球の脅し。頭がおかしいのだ。遠回しでは聞くとも思えないのだから、こうして直球で言うことが正解なのかもしれない。
イサーク様の低い声も、凍てついた眼差しも表情も、本気が伝わっただろう。
腰が抜けた様子のヒロインを置き去りにして、待たせていた馬車に乗り込んだ。
すぐに座席に下ろした私の腕を確認するイサーク様。ヒロインに掴まれた右腕だ。
大丈夫とは言っても、許可を得て袖を捲って痣になっていないことを確認して、やっと安堵してくれた。
「……リーンティア。運命って何」
私の袖のボタンを留め終えたあと、ポツリと零す。答えを必要としない問い。
多分、何を言っても、納得出来ないから、そう独り言のように零したのだろう。
「否定されたくない……」
あらあら……。
しょんぼりした雰囲気のイサーク様は、どうやらかなり傷ついてしまったようだ。
周囲には近寄らせないように、シャーと特大の威嚇をするのに、私の前だけでは弱った姿を見せて甘えてくる猫様。
よしよしと、頭を撫でるしかない。
「頭がおかしい人が言うことよ? その人の考えでは、そう言っているだけの話。現実は、イサーク様は、私を選んで勝ち取った。それが運命だわ。だいたい、運命と言うなら、婚約したての頃は、私がイサーク様の『運命の令嬢』だと言われていたじゃない」
「あ。そうだったね……。人それぞれだ……」
クスクスと笑ってしまう。
イサーク様、もうちょっと、私以外の価値観や考えについても意識しましょうね。
世界は、『私達』と『それ以外』の二種類じゃないので。
多くの人が、イサーク様を変えた運命の愛の相手が私だと言っている。
知らなかったヒロインだけが、例外なのだ。引き取ってもらった男爵家で教えてもらえなかったのは、お気の毒さまである。
「助けてくださり、ありがとうございます。ところで、殿下とお話があったのでは?」
「それが、あの男爵令嬢の話だったんだ。『“リーンティア嬢と婚約する運命だったのに、なんで公爵令息のイサークと婚約関係にあるんだ”って、喚いていたから気を付けた方がいい』って伝えたかったらしい。当然、リーンティアも一緒に来ると思っていたから、すぐに一緒にいた方がいいって言ってくれてね。それでリーンティアを追いかけたら、案の定」
「まぁ……殿下にまで、言って……」
本当に現実が見えないヒロインだ。王族相手に、そんな狼藉。
彼にはもう、隣国の王女と言う婚約者がいるのだ。隣国同士の諍いの火種になりかねない。早急に手を打った方がいいだろう。
「殿下には感謝しないといけませんわね。意味のわからないご令嬢ですが、手を打ちましょう」
「そうだな。殿下も、貴族の家に引き取られたばかりだからって多少は目を瞑ると言ってたから、こっちで対処しよう。攻撃を受けたのは、僕達だ」
あら。殿下は、まだ温情をかけてやるのね。まぁ、彼には、その余地はあるだろうけれど。
何かあってからでは、遅い。
主に、イサーク様が大ダメージを受けたのだ。精神的苦痛を与えた相手に、私達が温情を与える余地はない。
静かに怒りに燃えるイサーク様の左腕に、自分の腕を絡ませて、ギュッと抱き締めた。
そうすれば、面食らった顔をして、ぴたりと固まるイサーク様。
「私に任せて、イサーク様。私は彼女に言わせれば、悪役だとか。ならば、 お(・) 望(・) み(・) 通(・) り(・) 、 彼(・) 女(・) の(・) 悪(・) 役(・) に(・) な(・) っ(・) て(・) 見(・) せ(・) ま(・) し(・) ょ(・) う(・) 」
フッと微笑んで見せると、ゴクリと唾を飲んで頬を赤らめるイサーク様は、恐る恐ると言った風に「どうするの?」と尋ねた。
「彼女を引き取ったという男爵様に苦情を伝えるだけよ。こちらの被害を伝えて、改善しないと言うなら、どんなことが起きるかを伝えるだけ」
手持ち無沙汰に、イサーク様のネクタイを正して、胸の上を撫でると、ドクドクと高鳴る心音が掌に伝わる。
イサーク様。ちゃんと聞いているだろうか。
流石に男爵夫妻も、私とイサーク様の仲は聞いているはず。それに対して、娘が『結ばれる運命じゃない』と叫んだ挙句、『王子の婚約者になりなさい』と、わけがわからないが不敬罪ものの発言をしたことを話せば、十分なはず。
念には念を入れて、男爵家と取り引きのある事業を調べて、チラつかせておくこともする。大抵の事業では、我が侯爵家が出資している。出資をやめるような危険があれば、男爵家の取り引きがどうなることやら。
ヒロイン同様に話が通じないような相手なら、直球で『潰すぞ』と言うしかない。
「それでも改善しなかった場合は、有言実行で潰しましょう。ね? 一緒に」
「う、うん……」
男爵家みんな、話が通じないというなら、実力行使。ヒロインも男爵家も潰すまで。
サクッとやるためには、イサーク様の力が必要だ。その時、一緒に手を下せばいい。
ニッコリと笑いかけた相手、イサーク様は、熱に浮かされたようにポケーとしていて、やはり聞いているかどうか、怪しい。
イサーク様。密着に弱いのよね。好きなんだけど、弱い。
乗馬で二人乗りを好んだのも、ダンスでなかなか私を放したがらないのも、私との密着が堪らなく好きだかららしい。しかし、思春期なので、私は必要以上の密着にストップをかけている。
なので、こうやって腕に抱き着くのは、慣れなくて、意識が完全に向いてしまっている状態。
私としては、傷ついた分、慰めているつもりでやっている。密着が、お好きだから。
「では、最初は私にお任せくださいね」
「あっ……う、ん……」
私が腕を放せば、露骨にショックを受けて落ち込むイサーク様。
ちゃんと話を聞いてくれただろうか。いや、なんだかんだで私の話を聞き漏らすことはないはず……多分。
うるうると見てくるイサーク様の表情は、見覚えがある。これから言い出すことも、予想が出来た。
「リーンティア。キス」
「だめですね」
即座に却下をすれば、ガーンという効果音がぴったりな表情になるイサーク様。
実は、入学前に、また公爵領へ遊びに行って、お気に入りの景色の前に連れて行ってもらったかと思えば、不意打ちにキスをされたのだ。
私は思わず、ぺしりと頬に軽い平手打ちをしてしまった。
威力は猫パンチ並みだったはずだけれど、拒絶の意思と受け取ったイサーク様は、絶望に突き落とされたかのように崩れ落ちてしまったのである。
ごめんなさい。思わず……。びっくりして。
なんとか、うるうると泣きかけた彼に、これからキスは許可を得てくれと約束することで、許した。
現状、頬へのキスすらも許可制である。
思春期のイサーク様は、私に一途すぎるから、そこのところの制御をしてあげないと勢い余りそうという心配がある。私への密着好きも、節度あるものにしてもらっているしね。
「今! とても! したい! リーンティアとキスしたい!」
無気力キャラが見る影もない、がっつく公爵令息が、隣にいた。
「だめですね。頬になら、どうぞ?」
「頬もするけど、唇にもしたい!」
欲張りさんかな?
「最初にした時は、叩かれたことが衝撃的で覚えてないんだ……そ、その、感触とか」
しょぼん、と俯くけれど、感触を確かめたくてまたキスをしたいと白状することに顔を赤らめるイサーク様。
……叩いたことを持ち出されると、弱る……う、うーん。
「今したいっ! どうしても今、感触を確かめたいんだっ。一回だけ……頼むよ」
うるうると泣きつくように頼み込むイサーク様に、私は仕方なく折れることにした。
「では、一回だけね」
「ありがとう! リーンティア、大好きっ!」
イサーク様の両手が、私の肩を掴み、ずいっと顔を近付けてきたので、両手でそれを包んで止める。
「……リーンティア?」
なんで? とキョトンとするイサーク様に、尋ねた。
「今まで読んだ小説の中で、どのキスシーンに憧れた?」
「え? キスシーン……? 小説と言われても……」
私に顔を押さえつけられても、ぐいぐい顔を寄せようとしたけれど、考え込むとその力も抜ける。
「観劇でもいいけど」
「んー……。よくある表現の『甘い口付けをした』っていうのは、気になる。うっとりするくらいのキスってなんだろうって思うかな。観劇ではやっぱり、ハッピーエンドで祝福される中で、口付けを交わすところが、いいなとは思う」
「なるほど」
「リーンティアは? ……え? 理想のキスがあるの?」
雰囲気が変わったかと思えば、イサーク様はスッと背筋を伸ばした。
「ごめん。考えてもみなかった……だから叩いたんだね」
「違いますよ? 誤解だからね」
深刻そうに強張って反省するから、否定しておく。
だから、びっくりしただけだってば。叩いたことは、もう持ち出さないで。
「じゃあ、うっとりするくらいのキスをしてみましょう」
「え? どうやるのっ?」
あの不意打ちのファーストキスを帳消しにするためには、『甘い口付け』をするしかない。
完璧に出来るとは思えないので自信はないけれども、私が大好きなイサーク様なら、うっとりしてくれそう。
まだイサーク様の顔を両手で包み込んでいたので、少し私の方に引き寄せる。
されるがままに、近付くイサーク様。
「実はここしばらく、私とイサーク様は『婚約者同士』では言い足りない関係だと思っていたの。でも相応しい関係の名前がわからなかった。でも、これはどうでしょうか? ――――『 最(・) 愛(・) の(・) 恋(・) 人(・) 』」
「! リーンティア……」
「愛してますよ、イサーク様」
ただただ。
最愛の恋人同士。
そう呼べる関係でいいと思えた。
笑みを深めると、頬を真っ赤にしたイサーク様が、嬉しそうに目を細める。
だから、目を瞑って、そっと彼と唇を重ねた。
最初はただ重ねるようにしたけれど、唇を軽く開いて、彼の唇をついばむ。
イサーク様はびく、と僅かに強張った。
一回、二回、とついばむ動作をゆっくりとしていけば、イサーク様の強張りも解けて、止まっていた呼吸も小さく再開する。
れろっと、舌先でイサーク様の唇の間をなぞれば「んっ」と息を零して、唇を開いた。
その開いた隙間に、ねじ込むように自分の唇を押し付けてから、ちゅっと離れる。
「――――――」
名残惜しそうに離れる私を見るけれど、ぽけーっとした真っ赤な顔のイサーク様は浅く呼吸するだけで呆けていた。
小説の『甘い口付け』を再現してみたけれど、上手くいっただろうか。
「イサーク様。『甘い口付け』でした?」
「――――」
かろうじて、ハク、と口を動かすけれど、声すら発せずにいるイサーク様は、コクリと頷く。
ほぅ、と感嘆の息を零しては、座席の背もたれに縋りつくイサーク様は、ずっと私をぼんやり熱く見つめてきた。
「イサーク様、大丈夫?」
「……リーン……」
「はい?」
「すきぃ……」
……うん。知っている。
それから声をかけても、うわごとのように私が好きとしか言わないで、私をぽけーと見つめ続けた。
たまに廊下で、愛猫がぐてんと溶けていることがあるけれど……今のイサーク様も 溶(・) け(・) て(・) い(・) る(・) わ!
『甘い口付け』で、うっとりしすぎて、座席で 溶(・) け(・) て(・) い(・) る(・) !
先に私の家に着いてしまったけれど、イサーク様が正気に戻ってくれそうにないので、仕方なく公爵邸まで 溶(・) け(・) た(・) 公(・) 爵(・) 令(・) 息(・) をお届けすることになった。
回収していく公爵邸の方々に、生温かい目を向けられたわ……。
家に帰ってから、父にヒロインの男爵家の付近で出資していないかと尋ねた。知りたい理由を問われたから、率直に「私とイサーク様に、よくわからない因縁をつけたから」と答えておく。
母が「あらあら。イサーク様にちょっかいをかけるなら、容赦する必要はないわね」とウフフと楽しげな笑いを零すので、残念なことに狙いはイサーク様ではないことを話す。当然、部屋にはクエスチョンマークで埋め尽くされた。
私が、王子の婚約者じゃないのはありえない、と喚く頭のおかしな人だと話しつつ、結局誰と結ばれたいんだろうか、あのヒロイン、とちょっと疑問には思ったが、気にしないことにする。
父が「潰そう?」と一直線に取り潰しを言い出すので、ここは未来の公爵夫人の手腕を発揮させてほしい! という建前で、イサーク様を傷つけた報復をさせてもらうことになった。
翌日も、王子へ私が対処するという旨を伝えたのだけれど、その時、何故か、生温かい目で見られた。
……イサーク様は、いつも彼らに何を話しているんだろうか。
結果として、男爵夫妻の元へ訪問した私の脅しは、通用した。
しかし、肝心のヒロインが言うことを聞かなかったらしく、仕方なく転校させて、物理的に引き離すという手段に出たらしい。ヒロインも現実を見て、生きていってほしいわね。
イサーク様は、あれ以来、これまで以上に、キスを求めるようになった。
毎日最低一回は、許可を求めてくる。その都度、却下している。
「どうして!? 『最愛の恋人』なら、愛情表現していいよね!?」
帰りの馬車の中で、イサーク様はしびれを切らした様子で問い詰めてきた。
「だから、もう少し経ってからにしましょう? 私達はまだ14歳ですし、口付けという愛情表現は、まだ先でもいいと思うのです」
「そんな先まで……!?」
……ショック受けすぎでは?
ガーンと、口をあんぐり開いて、青ざめるイサーク様を見て、少々呆れた。
「どうしてそんなにお預けするの? ……僕が下手だから? 上手になるから! 僕だって、リーンティアがうっとりするくらいの甘い口付けをしてあげたいんだ!」
私の左手を両手で包み込んで握り締めるイサーク様に気圧される。
健気な願いだけれど、 そ(・) れ(・) を(・) 危(・) 惧(・) し(・) て(・) い(・) る(・) の(・) だ(・) 。
イサーク様は私が“ い(・) い(・) ”と思ったことを学習するのがピカイチ。ただでさえ物覚えがいいというのに、溶けるほどのキスのテクを覚えられてしまっては、腰が砕ける。
その私の“ い(・) い(・) ”を常日頃したがるのだから、毎日腰が砕ける羽目になるのだろう。避けたい。
「お願いだ、リーンティア。もっと君の唇に触れたい」
うるうるとする猫目は、熱に浮かされたギラつきもあるように見えるけれど……。
どうにも、私は彼の目に弱いようだ。
何かに喜び、楽しげに輝く瞳も。私を求めて熱を灯る瞳も。
私は好きでしょうがなくて、弱いのだ。
「わかりました……。では、一回だけですよ?」
「やった! 大好きっ!」
がっつくような勢いだったけれど、私の顔を持ち上げる両手は優しく包み込んできた。
「リーンティアは、僕の全てだよ」
「んっ」
甘く囁いては、唇を重ねてきた――――。