軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

貴族派と新学年【一】

三月三十一日、朝。

ポーラさんの寮を 発(た) った俺・リア・ローズの三人は、寄り道をすることもなく、ただただ真っ直ぐ帰り道を進んでいく。

鬱蒼(うっそう) とした森を踏み分け、未開の山々を越え、無人の野を抜けた先――オーレストの街が見えてきた。

「よし、着いたぞ。……って、大丈夫か?」

「ふぅふぅ……相変わらず過酷な道ね……っ」

「……あぁ、これだけで一つの修業メニューになる、な……ッ」

リアとローズは額の汗を拭いながら、なんとか呼吸を整えている。

「あはは。ああいう道は、慣れが必要だからな」

落ち葉と枯れ枝の散乱した森や曲がりくねった山道やデコボコの野原、人の手が入っていない悪路を歩くには、ちょっとしたコツのようなものがあるのだ。

その後、千刃学院の寮に向かっていると、とある交差点でローズが足を止める。

「さて、私はこの辺りで失礼しよう」

「どうしたんだ?」

「何か用事?」

俺とリアがそう問い掛けると、彼女は腰に差した剣に左手を添えた。

「明日からは新学年だからな。気持ちのいいスタートを切るため、馴染みの武器屋で剣の調整をしてもらおうと思う」

「そうか、それじゃまた明日な」

「ちゃんと目覚ましをセットするのよ。寝坊しちゃ駄目だからね?」

ローズと別れた後は、二人で千刃学院の寮へ向かう。

「ねぇアレン、今度はいつ里帰りする予定なの?」

「うーん、特に決めてはないけど……。次の夏休みとか、かなぁ」

そんな他愛もない雑談を交わしていると、あっという間に寮へ到着した。

しかしそこで、ちょっとした問題が発生する。

「……ん?」

「……あれ?」

俺たちの部屋の扉の前に、見知らぬお婆さんが立っているのだ。

おそらく八十歳は過ぎているだろうか。

くすんだ長い白髪・ダラリと垂れた鼻・深く折れ曲がった腰、まるで童話の中の魔女みたいな人だ。

「あのお婆さん、リアの知り合いか?」

「いいえ、違うわよ」

俺かリアに用事があるのか、はたまた、他の誰かの部屋と間違えているのか。

なんにせよ、ここでボーッと突っ立っていても 埒(らち) が明かない。

「とりあえず、声を掛けてみるか」

「そうね」

俺とリアが歩き出したそのとき、お婆さんがゆっくりとこちらを向いた。

「――アレン=ロードル様でございますね?」

「あ、はい」

どうやら彼女は、俺に用があるらしい。

「初めまして、私めはヒヨバア。パトリオット=ボルナード様より 遣(つか) わされた、しがない家政婦でございます」

「えーっと……初めまして、アレン=ロードルです」

まったく心当たりがない名前が飛び出したので、一瞬ちょっと固まってしまった。

(パトリオット=ボルナード……、って誰だろう?)

俺が記憶の川を辿っていると、

「い゛っ!?」

横合いから、蛙の断末魔のような声が聞こえた。

そちらへ目を向ければ、リアがとんでもない表情で固まっているではないか。

「リア? どうしたん――」

俺が呼び掛けると同時、彼女は 外行(そといき) の清楚な表情に戻り、ヒヨバアさんに声を掛ける。

「――すみません。アレンと相談したいことがありますので、少し失礼してもよろしいでしょうか?」

「えぇえぇ、どうぞどうぞ」

ヒヨバアさんは優し気に微笑み、コクコクと何度も頷く。

その後、リアは俺の服の袖を引っ張って、少し離れたところまで移動した。

「リア、いったいどうし――」

「アレン、あなたまた何をしたの!?」

「いや、別に何もしてない……と思う」

特に問題となるようなことは何もしていない……はずだ。

「ボルナード家はリーンガード皇国で一・二を争う大貴族、パトリオットはそこの当主よ」

「……なる、ほど……。ということは、貴族派からの勧誘っぽいな」

会長と天子様から、何度も警告を受けていたやつだ。

「それで、どうするつもりなの?」

「うーん……とりあえず、話ぐらいは聞いておこうかな」

俺はまだ皇族派の言い分しか聞いていない。

こういうのは片方の意見だけを鵜呑みにするのではなく、きちんと双方の主張を聞くことが大切だ。

(そもそもこれは、皇国でトップクラスの大貴族様からのお誘いみたいだしな……)

俺のような一般庶民が、大貴族のお誘いを無下に断ったとなれば、角が立ってしまうだろう。

「そう。まぁ……アレンなら大丈夫だとは思うけれど、一応気を付けてね?」

「あぁ、ありがとう」

俺とリアはお婆さんのもとへ戻り、中断していた話を再開させる。

「――失礼しました。それで今日は、自分になんの用事でしょうか?」

「我が主パトリオット様が、ぜひアレン様とご歓談したいと申しております」

やはりというかなんというか、予想通りの返答だ。

「そうでしたか。自分なんかでよろしければ、ぜひ」

「おぉ、ありがとうございます。主人もお喜びになることでしょう」

ヒヨバアさんは手を擦り合わせ、深々と頭を下げた。

「それでパトリオットさんは、いつ頃の歓談を希望されているのですか?」

「いつでも構いません。アレン様のお好きなお日にち、お時間を仰ってください。全て貴方様のご都合に合わせるようにと言い付けられております」

「そうですか、お心遣いありがとうございます」

さて、どうしようか。

(明日からは新学年が始まって、否が応でも忙しくなる……)

それに何より、こういう面倒事は後回しにしたくない。

「あの、もしできればなんですけど……」

「はい」

「今日というのは、やっぱり難しいですよね?」

貴族との歓談という超絶面倒な予定は、可及的速やかに済ませたい。

なんなら今この場で、すぐに終わらせてしまいたいぐらいの勢いだ。

(いやでもさすがに、今日の今日というのは無茶だったかな?)

そんな俺の予想とは裏腹に、ヒヨバアさんは柔らかく微笑む。

「もちろん、問題ありません。アレン様さえよろしければ、この後すぐにでもご案内いたします」

「えっ、いいんですか?」

「はい。我が主人は、アレン様に対して格別の敬意を払っておられますから」

「そうですか、では――」

俺がそのまま行こうとしたところで、横合いから「待った」の声が掛かる。

「ちょっと待ってアレン、あなた服装は大丈夫?」

「……あっ」

リアに言われて、ハッと気付いた。

俺が今着ているのは千刃学院の制服、それも大自然の悪路を通ってきたばかりのため、泥や葉っぱで各所が汚れてしまっている。

(服は着替えたらいいとしても、大貴族と会うのに制服のまま、ってわけにはいかないよな)

世の中には、時と場所に合わせた衣装――所謂『 服装規定(ドレスコード) 』というものがあるのだ。

(貴族と歓談するときの服か……)

礼儀作法にはあまり詳しくないけど、地味な色のスーツを着て行けば、なんとなく丸く収まるような気がする。

(慶新会のときに用意したスーツじゃ駄目なのかな?)

いやでも、おめでたい行事に出席するための衣装と貴族の屋敷に行くための衣装は、違うのかもしれない。

(……やっぱりここは、日を改めるのがベストか)

決断を下そうとしたそのとき、ヒヨバアさんが小さく首を横へ振った。

「いえいえ。衣服のような些事は、どうかお気になさらないでください。我が主は、そんな 狭量(きょうりょう) な御方ではございません」

それを受けた俺は、リアと小声で相談する。

「本当にいいのかな?」

「普通はあまりないことだけれど……。ホスト側がこう言っているんだし、いいんじゃないのかしら?」

「そういうものか、それじゃサクッと済ませて来るよ」

服装規定の問題は解決した。これでもう障壁となるものは何もない。

「ではヒヨバアさん、今日この後パトリオットさんとの歓談をお願いできますか?」

「ありがとうございます。こちらで馬車を用意してありますので、アレン様のご準備がお済みになられましたら、再び私めにお声掛けくださいませ」

「わかりました。すぐに準備しますので、少々お待ちください」

「ごゆっくりどうぞ」

その後、自分の部屋に戻った俺は、手早く身だしなみを整えていく。

(あまり待たせちゃ悪いし、パパッと済ませてしまおう)

濡れたタオルでサッと体を拭き、替えの制服に着替えれば――準備完了だ。

「よし、まぁこんな感じかな?」

洗面台の鏡で身だしなみのチェックを済ませたところで、リアがひょっこりと顔を出した。

「アレン、準備できた?」

「あぁ、もう出られそうだ」

「そっか、それじゃ最終チェック」

彼女は右手を顎に添えながら、俺の頭の天辺から爪先までジーッと確認していく。

「ふむふむ……あっ、ここほつれちゃってる。襟元にも少しシワがあるわね。後は――」

ちょっとした髪のほつれと服のシワを伸ばし、最後に胸元のネクタイをキュッと締めてくれた。

「うん、これでばっちりね」

「ありがとう、助かるよ」

「ふふっ、どういたしまして」

準備も終わり、寮の外で待つヒヨバアさんのもとへ向かう。

「――すみません、お待たせしました」

「いえいえ、瞬きの合間に終わってしまいました」

ヒヨバアさんは冗談っぽくそう言うと、自身のローブをガサゴソとまさぐり、脇差のような短刀を取り出した。

「それではアレン様、今から馬車を出しますので、少々お下がりください」

「馬車を出す……?」

「はい、恐れながら、 こちら(・・・) に用意しております」

彼女は短剣をポイと放り投げ、静かに両手を合わせる。

「 遊興(ゆうきょう) に 謡(うた) え――< 童詩(わらべうた) >」

次の瞬間、空中をクルクルと舞う短剣は、瞬きのうちに小さなカボチャの馬車に変化した。

「魂装使いだったんですか。剣が馬車に変わるなんて、珍しい能力ですね」

「ほほっ、所詮は 児戯(じぎ) のようなものでございますよ」

ヒヨバアさんは柔らかく微笑み、謙遜の言葉を口にした。

(それにしても、本当に変わった能力だな)

荷馬車だけじゃなく、それを引く馬まで実体化している。

おそらくこれは、『馬車』という概念をそのまま再現しているのだろう。

(<童詩>という名前から判断して、童話の中に出て来るものを自由に再現できる能力、かな?)

童話をどれぐらい正確に再現できるのかはわからないけれど、かなり汎用性の高い魂装であることは間違いない。

「さぁさぁアレン様、どうぞお乗りくださいませ」

「はい、失礼します」

促されるまま、カボチャの馬車に乗り込む。

(へぇ……思ったより、けっこう広いな)

中は 外見(そとみ) よりも遥かに広く、足元に大きな空間が取られているため、とても快適だった。

「それじゃリア、ちょっと行って来るよ」

「うん、気を付けてね」

俺とリアが馬車の窓越しに挨拶を交わしていると、ヒヨバアさんが「よっこらせっと」と言って、 御者台(ぎょしゃだい) にドスンと座った。

「アレン様、出発してもよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします」

「かしこまりました」

彼女が革製の鞭を軽く振るうと、馬車はゆっくりと前に進み出す。

こうして俺は、大貴族パトリオット=ボルナードの屋敷へ向かうのだった。

カボチャの馬車に揺られ始めて、どれくらいの時間が経っただろうか。

(ふわぁ……っと駄目だ駄目だ、寝落ちするところだった)

ガラガラパカラパカラという車輪と 蹄(ひづめ) の規則的な音色が心地よく、座席から伝わってくる上下の小さな振動が、なんとも言えず眠気を誘ってくる。

「ん、んー……っ」

時たま体をグーッと伸ばしながら、ジワリジワリとにじみ寄る睡魔と戦っていると――馬車の速度が緩やかに低下し、やがて完全に停車した。

どうやら目的地に到着したみたいだ。

荷馬車の扉がキィと開き、ヒヨバアさんが顔を覗かせる。

「アレン様、パトリオット様のお屋敷に到着いたしました。こちら、足元にご注意くださいませ」

「ありがとうございます」

カボチャの馬車から降りるとそこには、見上げるほどに大きな屋敷があった。

(お、おぉ……なんというかまた、凄い建築だなぁ)

パトリオットさんのお屋敷は、個性溢れるというか、非常に独特な造りをしていた。

『全三部構成』とでも言えばいいのだろうか?

お屋敷の左側は大木で組まれた木造建築、真ん中は見るからにコンクリート造、右側は味わい深い煉瓦造りとなっていた。

しかもそれだけじゃない。

屋敷の周囲には、色鮮やかな花々が咲き誇る庭園・力強さを感じさせる巨大な石像・独特な紋様の彫られた巨大な噴水が並び、この家の主がどれほど裕福であるのかを雄弁に物語っていた。

ドレスティアにあるリゼさんの屋敷も凄かったけれど、それに勝るとも劣らない壮大さだ。

「ささっ、どうぞこちらへ」

ヒヨバアさんの視線の先には、重厚感のある観音開きの扉があり、その両サイドには私兵らしき二人の剣士が立っていた。

彼らはこちらを 一瞥(いちべつ) するなり、すぐさま機敏な動きで敬礼のポーズを取る。

「「――いらっしゃいませ、アレン=ロードル様!」」

俺が返事を返す間もなく、二人は流れるような動きで屋敷の扉に手を掛け、見るからに重そうなそれをグッと押し開けた。

するとその直後、

「「「――アレン様、パトリオット邸へようこそ」」」

玄関ホールにずらりと並んだメイドさんたちが、一糸乱れぬ統率の取れた動きで頭を下げる。

「ど、どうも……っ」

あまりにも異様な光景に気圧された俺は、ペコペコと何度もお辞儀を返す。

「アレン様、どうぞあちらの階段へお進みください。我が主は、最上階『鳳凰の間』にてお待ちです」

ヒヨバアさんに案内され、螺旋階段を登って二階へ。

今度は廊下を真っ直ぐ進み、地下まで続くスロープを下っていく。

パトリオットさんのお屋敷は、まるで迷路のように複雑な造りとなっていた。

「先ほどから右へ左へ上へ下へと、ご不便をお掛けして申し訳ございません」

「いえ、もしものときの備えは必要ですからね」

ヒヨバアさんの謝罪に対し、問題ないと軽く応じる。

社会的身分の高い人の自宅は、外敵が入りにくいようにわざと複雑な構造にしている。

これはいろいろな屋敷や邸宅にお邪魔したことで、最近新しく学んだことだ。

その後もあちらこちらへ歩き続け、ようやく最上階――鳳凰の間に到着した。

「それではアレン様、私めはこの辺りで失礼させていただきます」

「はい、ありがとうございました」

深々と頭を下げるヒヨバアさんにお礼を告げ、正面の扉に向き直る。

(この先にパトリオット=ボルナードがいるのか……)

薄く長く息を吐き、心を落ち着かせる。

(――よし、行こう)

コンコンコンとノックをすれば、「どうぞ」と優しげな声が返ってきた。

「失礼します」

扉を開けるとそこには――まさに 豪華絢爛(ごうかけんらん) 、この世の贅を尽くした、特別な空間が広がっていた。

金の装飾が随所に施された真紅の絨毯・天井から吊るされた豪奢なシャンデリア・厳めしい雰囲気を放つ塑像・独特な紋様の彫られた奇妙な壺・名画めいたオーラを醸す風景画。

統一感や風情のようなものは一切なく、ただただ価値のあるものを詰め込んだだけの空間。

そんな部屋の最奥――オーレストの街を一望できる大窓の前に、いかにも貴族という派手な 風体(ふうてい) の男が立っており、その両隣には執事と思われる二人の男が控えていた。

「おぉアレン殿、お初にお目に掛かります」

こちらに気付いた貴族らしき男は、柔らかい微笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

「私はパトリオット=ボルナード、お気軽にパトリオットと呼んでください」

パトリオット=ボルナード。

身長は175センチほど、体付きは中肉中背。

濃いミルク色の長髪は、両サイドでクルクルと巻かれている、確か縦ロールという髪型だ。

だいたい五十歳ぐらいだろうか、トロンと垂れた目と立派な白い顎鬚が特徴的で、金の刺繍が施された 臙脂(えんじ) の貴族服がよく目立つ。

「初めまして、自分はアレン=ロードルと申します」

お互いに自己紹介を済ませ、簡単に友好の握手を交わす。

「本来ならば私の方からお伺いすべきところ、わざわざこうして足を運んでいただき、感謝いたします」

「こちらこそ急な日時にもかかわらず、快くご対応いただき、ありがとうございます」

「いえいえ、最初にご無理をお願いしたのはこちらですから、そんな些事はお気になさらず……っとそれより、立ち話もなんですから、どうぞお掛けください」

「はい、ありがとうございます」

パトリオットさんの視線の先、来客用のソファにゆっくりと腰を下ろす。

(うわっ、凄いなこのソファ。どんな素材で作られているんだ?)

この世のものとは思えないほどにフカフカ、それでいてしっかりと体を支えてくれる。

座り心地と安定感を兼ね備えた、至極の一品。きっとどこそこの最高級ソファなんだろう。

「よっこらしょっと」

俺の対面――テーブルを挟んだ先にあるソファへ腰を下ろしたパトリオットさんは、背後に控える執事の男性に声を掛ける。

「すまない、飲み物を頼めるかな?」

「かしこまりました」

執事は優雅な所作で頭を下げると、どこからともかく長方形のメニュー表を取り出した。

「アレン様、どうぞお好みのものをお選びください」

「ありがとうございます」

ティー・ファストフラッシュ・オルタグレイム

ルミナスティー(インザス地方産F.D.P)

アルフレッドパティ・ディンブランゴールド

ラコット・デルモーニュ

ドルテアーノ・ポッソビータ(ボルナードスペシャル)

(……何語だ?)

メニュー表にズラリと並ぶのは、まるで呪文のような謎の文字列。

おそらく飲み物の名前だとは思うけれど、あまりにもお洒落過ぎて、どれが何を指しているのか全然わからない。

「えっと……水でお願いします」

「かしこまりました。――パトリオット様は?」

「私はいつものを頼むよ」

「承知しました」

執事は 恭(うやうや) しく頭を下げ、優雅に素早く退出した。

「ときにアレン殿、わざわざ水を注文されたというのは……やはりカロリーを 栄養制限のようなものがおありで?」

「ま、まぁ、そんな感じですね」

さすがに「メニューが読めませんでした」とは言えなかったので、適当に誤魔化すことにした。

「日常からの徹底した栄養管理……素晴らしい! 一流の剣士ともなると、そういう細かなところにも気を遣うものなのですな!」

「いえ、自分はそんな一流の剣士などでは――」

「――はっはっはっ、 謙遜(けんそん) はおよしください。貴殿ほどの剣士を一流と呼ばず、いったい誰を一流と呼べばよいのですか。なぁ、そうは思わんかね?」

パトリオットさんが背後にそう問い掛ければ、

「はっ、まさしくその通りかと」

執事は小さくお辞儀をし、目線を伏せたまま、同意の言葉を述べた。

「これはちょっとした 四方山話(よもやまばなし) なのですが……。実はこのボルナード、かつて最強の剣士を目指していた時期があるのですよ」

「へぇ、そうなんですか」

「えぇ。ただ……お恥ずかしながら、まるで剣才に恵まれませんでしてな。今ではこのように醜い腹を抱えております」

パトリオットさんは冗談めいた口調で、自らの脇腹を摘まんで見せた。

そんな軽い雑談を交わしていると、部屋の扉がコンコンコンと叩かれる。

「――パトリオット様、お飲み物をお持ちしました」

「おぉ、入ってくれ」

「失礼します」

執事は音もなく入室すると、二人の分のグラスを素早く机の上に並べた。

「水とアルフレッドパティ・ディンブランゴールドでございます」

「ありがとうございます」

「うむ、ありがとう」

執事は無言のままお辞儀をすると、再びパトリオットさんの背後に戻る。

そして水を用意してもらった俺は――せっかく入れてくれたにもかかわらず、手を伸ばすことができなかった。

それというのも……。

(…… これ(・・) 、いくらぐらいするんだ……?)

目の前のグラスは、ただのグラスではない。

中央部にはルビーのような宝石が埋め込まれ、取っ手の部分には繊細な意匠が凝らされている。

見るからに高そうな……否、絶対に高いであろう高級品を前にして、俺の貧乏人センサーが、けたたましい警告音を鳴らしていた。

「あの、つかぬことをお伺いするのですが……」

「なんでしょう?」

「このグラスって、おいくらぐらいするのでしょうか?」

俺の問い掛けに対し、パトリオットさんは虚を突かれたように固まった。

「え……っと、このグラスのお値段ですか?」

「はい」

「なる、ほど……グラスの値段……うぅむ……」

まったく予想だにしない質問だったのか、とても不思議そうな表情をしている。

彼にとっては些末なことかもしれないけれど、俺にとっては非常に重要な問題なのだ。

「確か……五千万ゴルド? 六千万ゴルドだったか? ――いや、申し訳ない。お恥ずかしながら、生活備品の値段までは把握しておりません」

パトリオットさんは鬚を揉みながら、とんでもない額をサラリと口にした。

「は、はは……っ。そうですか、五・六千万ゴルドですか。は、はははは……ッ」

決めた。

このグラスには、絶対に触らないでおこう。

「さて、と……お互いに忙しい身ですし、そろそろ本題へ移りましょうか」

そろそろ場の空気が温まってきたと判断したのか、パトリオットさんがゆっくりと話を始めた。

「アレン殿は、この国の政界が皇族派と貴族派に分かれていることをご存じですか?」

「はい」

「おぉ、さすがでございます。剣士として身を立てながら、 政(まつりごと) にもお詳しいとは、このパトリオット恐れ入りました」

彼はペシンと額を叩き、 朗(ほが) らかに笑う。

「聡明な貴殿のこと、既に知っていることかもしれませんが……。お互いの認識に 齟齬(そご) があってはなりません。皇族派と貴族派の定義付けをサラリと済ませてもよろしいですかな?」

「ぜひお願いします」

「はい。ではまず皇族派とは、天子様とアークストリア家を中心とした皇国中心主義。一方の我ら貴族派は、貴族と民衆を中心とした世界平和主義。この二大勢力が、リーンガード皇国を二分しております」

「なるほど、大まかな認識は同じですね」

一点、貴族派が貴族と民衆を中心とした勢力だという話は初耳だけど……。

(パトリオットさんがこう言っているんだから、貴族派のスタンスとしては貴族+民衆の集団ということなんだろう)

そのあたりについては、今度また自分で調べてみるとしよう。

(そう言えば…… あの人(・・・) は、どの立ち位置なんだろうか?)

せっかくの機会なので、前々から気になっていたことを聞いてみることにした。

「すみません、一つ気になっていることがあるんですけれど……」

「はい、なんなりとお聞きください」

「 五豪商(ごごうしょう) のリゼさんは、やはり貴族派なんでしょうか?」

リゼ=ドーラハインは、五豪商の一角であり、貴族ドーラハイン家の当主。

彼女もやはり、貴族派の一員なのだろうか?

「……ドーラハイン家ですか」

パトリオットさんの表情が、初めて厳しいものに変わった。

「率直に申し上げますと、リゼ殿は貴族でありながら、貴族派閥に属しておりません」

「そうなんですか?」

「えぇ、貴族派と言っても、一枚岩ではありませんからね」

彼はポリポリと頬を掻いた後、スッと目を細めた。

「アレン殿、ちょっとした昔話にお付き合い願えますかな」

「はい」

「ドーラハイン家は元々、片田舎の弱小貴族。農耕・牧畜・ 養蚕(ようさん) 業などを営み、領主と領民の関係も良好で、ゆったりと静かに穏やかに暮らしておりました」

「へぇ、そうだったんですか」

リゼさんとフェリスさんの姉妹は、見るからに『貴族』という感じだったので、これはけっこう意外だった。

「……そう、あの頃はよかった。我らの思うがまま、全て手中に収まるはずだった。計画に 綻(ほころ) びはなく、順風満帆に進んでいた。それを……あの憎き『 血狐(ちぎつね) 』めが……ッ」

パトリオットさんの口から、尖った犬歯が零れたそのとき――。

「「パトリオット様ッ!」」

背後で控える二人の執事が、突然大きな声を張り上げた。

「恐れながら、少々踏み込み過ぎかと」

「奴の能力が不明な現状、不用意な発言はお控えください。……消されてしまいます」

淡々と 窘(たしな) められたパトリオットさんは、ハッとした表情で口を閉ざす。

「おっと……これはすまない。つい熱くなってしまったようだ」

彼は謝罪の言葉を述べた後、どこか薄っぺらい微笑みを張り付けた。

「アレン殿、リゼ殿の話は打ち止めにしましょう」

「えっ?」

「触らぬ神に祟りなし。我ら貴族派も、リゼ=ドーラハインとは関わりを持たないようにしております。彼女の場合は、どこに耳があるやもわかりませんから」

「なる、ほど……」

どうやらリゼさんは、貴族派にも恐れられる存在らしい。

「さて、軌道修正を測りましょう」

両手をパンと打ち鳴らし、ズイと体をこちらに寄せてきた。

「実際のところ、アレン殿は今どのような立場におられるのでしょうか?」

「立場と、言いますと?」

「貴殿は天子様をはじめとした皇族派勢力、特にアークストリア家の御息女シィ=アークストリア殿と 懇意(こんい) にしておられる……ですよね?」

「まぁ、はい」

正直、天子様とはまったく懇意にしていないけれど、わざわざそこを訂正する必要もないだろう。

「我ら貴族派の面々は、この事態を非常に憂慮しております。アレン殿が皇族派に取り入られてしまうのではないか、と」

「いえ、その心配は無用です。自分は今のところ中道なので、どちらに肩入れをしているとか、そういう

ものはありません」

「おぉ、それはよかった」

パトリオットさんはホッと安堵の息を漏らし、

「あちらは間もなく沈む『 泥舟(どろぶね) 』ですから、間違っても乗ってはいけませんよ?」

柔らかい笑顔のまま、ドギツイ言葉を口にした。