作品タイトル不明
閑話80:皇帝
右翼側の門からの侵入があり、宮殿が内側から占拠された。
宮殿内部で呼応する動きもあったため、私が囚われるのも時間の問題だったが。
「陛下、危難は去りました。お疲れでしたら、少々場を整えますので休まれては?」
「いや、まだだ」
今は皇帝の寝室のバルコニーから室内へ戻ったところ。
中にいるのは皇帝派閥と呼ばれる者たちで、声をかけたのは側近のヴァオラス。
息子であるアーシャもいる。
正直、息子に助けられた。
振り返ったバルコニーから、引きずられるように連行される皇太后。
今回の主犯で、宮殿内部で呼応した貴族たちはこの皇太后に与したのだ。
「自害の可能性は?」
私はアーシャの側にいるヘルコフに聞く。
「どうでしょうな。頭に血が上りすぎて倒れそうではありますが。気位が高くてそこまで恥の上塗りはせんでしょう」
自害による無謬の訴えには作法があり、それをしなければ罪から逃れる恥と取られる。
元がトライアン王国の王女であるため、作法を整えられないこの場で自害はなしないか。
しかしこんな大それたことをした人物でも、いや、だからこそ無駄死にはしないと?
私が考えていると、アーシャの警護をするイクトが私見を伝えてきた。
「死んで終わりにするよりも、今は言葉であっても陛下を害そうと考えているのでは?」
言われて皇太后を見れば、血走った目でこちらを睨んでいる。
なるほど確かに今しも噛みつきそうな雰囲気がある。
ヘルコフに運ばれた時は混乱でおとなしくしていたが、バルコニーに連れ出してこちらが勝利宣言をした頃にはこうだった。
その際に愚かな企みなど、できるだけ皇太后に非があることを並べ立てている。
プライドを傷つけられたことで、敵愾心のほうが強くなったのかもしれない。
「少し話を聞きたい。アーシャはよくやった休んでくれ」
「しかし、陛下」
「アーシャさま、無理を押してここまで走ったのです。休憩は必要でしょう」
アーシャの家庭教師ウェアレルがそう止めて、私に目配せをする。
ここは幼い頃から世話をする三人に任せていいだろう。
アーシャは私を気づかわしげに見つつ、側近たちに囲まれて退室していった。
「陛下、ご報告にお時間は?」
やってきたのはルカイオス公爵の親類である騎士爵を持つ者。
帝国で除した騎士ではなく、教会から騎士に叙されている。
そのため国内はもちろん国外でも教会を足場に自由に動ける者だったか。
いや、称号の騎士ではなく、爵位を持っているので士爵と呼ぶのだったか?
駄目だ、未だに馴染みのない貴族社会の通例には判断が追い付かない。
皇妃であるラミニアなら、考えもせずに出てくるし、他の貴族でもそうだろう。
やはりこの辺り私は未だに皇帝として教育が足りていないな。
「ルカイオス公爵から急ぎのことがあれば聞こう」
「お三方の皇子殿下はすでに人魚宮におられるルカイオス公爵閣下の庇護の下に」
「そうか。そうなるとアーシャがこんなことをしたのは弟たちの安全が確保できたからか」
私が思ったことを言うと、士爵は反応する。
それがどういう感情かはわからないが、その辺りも私は教育が足りないのだろう。
ただ、経験だけならこの十年以上で積んでいる。
その上で反応してしまったという状況。
だったら、アーシャの動きを私が当てたから動揺か?
正直アーシャの考えは、情けないことに一割もわからない。
ただ家族を見捨てるような子ではないと知っているだけだ。
「皇太后、…………の何が気がかりでしょうか?」
士爵は敬称を省いた。
まぁ、ここまでやっては、敬う姿勢は共謀を疑われる。
その上で、私が皇太后を気にするのも今さらということもある。
即位から全く顔を合わせることも、言葉を交わすこともなかった相手。
言われることもだいたい想像がつく。
それでもこれが最後だと思えば、こちらとて言いたいことがあった。
であるなら、一応向こうの言い分も聞こうかというだけのこと。
「皇太后と言葉を交わしたこともない皇帝というのも、恰好がつかないかと思ってな」
適当な言い訳だが、相手は帝室と言う権威の中でも特別な地位にいた。
私の言葉に、周囲も士爵も見守り姿勢に入る。
留まるようだが、ルカイオス公爵の側であるからには、私の味方をしてはくれるだろう。
と言ってもこの場で、敵対するのは縛られた皇太后のみ。
他はバルコニーから下に見る広場に縛られていた。
孤立無援の今、イクトが言うとおり言葉以外に皇太后に武器はない。
「轡を外せ」
私の命令で皇太后はかまされていた布を外され、一度歯を食いしばった。
「不義の子が! 恥をしれ!」
開口一番予想どおりなのは、皇太后からすればそうだろうと思っていたから。
行きずりの女中との間に子を成し、しかも公妾もとっかえひっかえにしていた先帝。
皇太后がルカイオス公爵に幽閉された後はひどかったと聞く。
私という隠し子への反感は、先帝の乱行も要因だ。
公妾を入れ変わり可愛がる割に、皇后となった女性には見向きもしない。
皇女という確かな娘たちを顧みず、皇子がいないからと庶子を皇子に据える。
しかも宮殿へ住まわせたにも拘らず、候補として名高かったのはユーラシオン公爵。
皇子となった者たちへの評価は、あまり芳しくなかったのだろう。
宮殿の風紀を乱したのが先帝であり、風紀の乱れの末に生まれたのが私。
どうしても私の存在を受け入れられない嫌悪を抱く者はいる。
この皇太后はその筆頭だった。
「皇帝などと笑わせる! その身の卑しささえ自覚できずいる愚か者め! 帝国はお前を戴くことで世界から笑われるというのに!」
私の出生が侮られることは、身をもって知っている。
これも今さら皇太后から聞く必要はなく、やはり想像どおりの罵倒。
言われたところで新鮮な驚きもない。
私からすれば今さら文句を言っても遅いというものだ。
先代が生きている内に言えばいいのに、見苦しいとさえ思う。
時機を逸した愚かな行為だが、そこに付随した実行力は侮れない。
「さて、今さらあなたが出たところで同じこと。過去の人となった自覚がないわけではあるまい。だが、私を狙ったのなら応じて立てる者を用意していたはずだ。それは誰だ?」
ここは逆に候補が多すぎるのだ。
皇太后の三人の娘にはそれぞれ息子がおり、中でもジェレミアス公爵などは先帝の弟の子でもある。
そして先帝の弟は三人、その弟の子の一人はユーラシオン公爵だ。
他にもさかのぼれば私よりも血筋正しく継承権を持つ者はいくらでもいる。
そしてそうした者たちは、私の後に継承権を失う。
今なら私の即位をなかったことにして、正しい血筋に戻すという言う者もいる。
その中で誰を選んだのか。
誰であっても興味はないが、皇太后の共犯者の中でも主要人物であることは確かだろう。
「帝国を滅ぼす昏君め! 自ら退くことも考えつかない恥さらし! 降る災厄は全て身の程をわきまえない暗愚のせいであるぞ!」
「答えないか。そうなると、もう聞く必要もないな」
思いつく限りの罵倒を吐く皇太后だが、それで何が変わるわけでもない。
つまりは憂さ晴らしでしかなく、聞くに値しない言葉だ。
聞き出すのは専門の者に任せたほうがいいだろう。
士爵が言うとおり何も聞くことはない。
それでも一つ、私はこの人を評価する点はある。
「かつて先帝が色の溺れた中、宮殿の綱紀を正し、他国にその人ありと恐れられた皇妃が…………。もはや自ら国を乱し、遅きに失した恨み言しか言えなくなるとはな」
皇太后は一時権勢を握っていた。
若かりし頃のルカイオス公爵を、一度は宮殿から追い出すこともできたほどだ。
そしてこの皇太后がいるからこそ、先帝が公務から遠ざかっても帝国は権威を保てた。
私を批判する声の中には、皇太后が政治を握っていた時には、他国から嗤われることはなかったというものがある。
私の血筋の低さ、教養の足りなさを嗤われるそうだ。
ただ皇太后は握った権勢で先帝を追いやる動きを見せた。
それを戻ったルカイオス公爵に逆手に取られ、幽閉されることになったそうなのだが。
権威を保つには優秀であったが、私欲に走ると失敗するのはこの人の性質なのかもしれない。
「あなたのような人がいると、私が皇帝であってもいいのだと思えるな」
つい本音が漏れた。
罵倒しか言わないため、改めて口を塞がれた皇太后は途端に金切り声を上げる。
プライドが高すぎて、私から下に見られるのは我慢ならなかったらしい。
しかしこの期に及んで出てくるのが、国を憂うふりをした罵倒ではな。
「あなたのその罵倒は、いっそ先帝が存命の間にお伝えすべきことだろう」
私の言葉に、皇太后は見える目元を歪める。
そこには自嘲と納得と、憤怒と悲嘆がない交ぜになっているようだった。
言葉のとおり帝国をより良くしたいなら、プライドを横に置いて、手を取り合うこともできたはずだ。
より犠牲が少ない方法を選ぶこともできたはずだ。
しなかった怠慢は、皇太后の罪でしかない。
垣間見た表情は、皇太后自身わかっていると言っているようにも見える。
だからこそ私は、感情に任せて、このように堕してはならないという気持ちにさせられたのだった。