作品タイトル不明
05.向けられる悪意はお互い様_後編【商会子息フェラートの場合】
出迎えた時に言われていた通り、夕食はご馳走だった。
新鮮な野菜で作られたスープは具沢山で、次いで置かれた皿の上には、川魚のフリットにトマト味の野菜煮込みが添えられて鎮座する。
手近に置かれたそのパンの生地の白さに、黒パンのような酸味などないのだろうなと思いながら、遠慮なく手を伸ばす。
次は小ぶりな白ソーセージが濃厚なコンソメスープと白い皿を飾る。
粒マスタードが僅かな辛味を伝えていた。
メインは豚肉で、香辛料に長時間漬け込まれてからローストされ、爽やかなリンゴンベリーのソースをかけられての登場だ。
カボチャのクロケットが彩りを添えてくれ、大きなハムの薄切りが食欲をそそる。
ただ、カレンとフェラートそれぞれに給仕が付き、マナーの一つ一つが試されるかのよう。
家族で大皿の料理を分け合ったり、熱々のシチューが入った椀に口を付けてすすったりなんてしない。
スープを頂くときは、スプーンを手前から奥へ。
一つの料理を食べるためにある、いくつものマナー。
辟易する。
ただ、料理人が腕を振るったという料理は確かに美味しく、これがカレンの最後の晩餐になるのだろうと思えば、それだけで優しくなれる気がした。
王都のタウンハウスと違ってサロンは無かったが、小さなサロンの代わりに広々とした居間が二人を迎えてくれる。
まだ夜は寒いことから暖炉は煌々とした火を揺らめかせ、使用人達はテキパキと珈琲と酒の用意をしていく。
小さく摘める菓子と、チーズやオリーブも並べられた。
カレンとフェラートそれぞれの前に、珈琲のカップが置かれる。
給仕からはカレンの疲れが取れるようにと、焦がし砂糖とミルクをたっぷり淹れたと伝えている。
おそらく薬を混入させたことによる、味を誤魔化す為だろうか。
吊り上げる唇を隠そうと、フェラートの片手が口元を覆う。
「フェラート、どうかしたの?」
「いえ、何も」
お前が間もなく死ぬからだよ、とは口が裂けても言えず、けれど間もなく死ぬ人間のご機嫌取りなど必要ないだろうと短く返す。
「こちらの家にいるとホッとするわ」
言いながらカレンが躊躇いなく珈琲を口にする。
「フェラートも疲れたでしょう?
今日は早めに就寝しましょう」
余程早く寝たいのか、カレンが珈琲を口にするペースは早い。
とりとめなく喋るカレンの呂律が、徐々に怪しくなってくる。
適当な相槌を打ちながら、フェラートも熱い珈琲を口にした。
酸味よりも苦みの勝る味が、ゆっくりと喉を通り過ぎる。
あの薬が入った珈琲の味はどうだったのだろうか。
既にカレンの意識は朦朧としているらしく、目は開いているものの焦点は合っておらず、ソファーに深々と沈んでいた。
もういいだろう。
死ぬ前に種明かしをしてやろうじゃないか。
「笑える姿だな、カレン・ネッカー」
言葉と共に笑いも零れる。
「フェ、ラート?」
声に苛立ちが含まれている気もしたが、今となってはどうでもいいことだ。
「お高くとまっているお前が、今日に限って眠気に抗えずに行儀が悪いのは、一体どんな気分だ?」
カレンの口が僅かに開くも、声が発されることはなかった。
「いいことを教えてやるよ。お前は今から永遠に眠ることになる。
良かったな、苦しまずに死ねて」
驚きに目が見開かれることもない。
ここまでくれば、後は眠るように死ぬだけだ。
「お前にヘコヘコと頭を下げていた奴らから、手の平を返したかのように裏切られる。
この上なく滑稽な姿だ」
口から滑るように言葉が溢れ、いつになくフェラートは饒舌だ。
「心配しなくても、娘の死を知る前に子爵夫妻も賊に襲われて死亡する。
死後の世界に行っても、寂しい思いはしないだろうさ」
酒を飲んでいないのに高揚とした気持ちが、口の滑りを良くしている。
「ああ、乗っ取りだと思われないように、お前は死んでいないことになる。
子爵令嬢という立場と、お前の戸籍を貰うためにな」
既にカレンの目は閉じられようとしていた。
「そして、カレン・ネッカーとして、あの乙女が俺のものになるんだ!」
それはオーケストラの山場のようであった。
興奮からフェラートは立ち上がり、目は狂気で爛々と輝いている。
無意識に上げられた両腕は、何かを掲げるようでも、何かを受け取るようにも見えた。
いや、彼にとっては今こそ、自身の欲しかったものを得たはずなのだ。
「これでネッカー子爵家は俺のものだ!」
一度立ち上がった体が、勢いをつけてソファーへと沈む。
喋り疲れたのか、それとも旅の疲れか、フェラートにも睡魔が優しく手を差し伸べていた。
それに抗おうと、ふわふわとしていく思考の中で体を起こそうとする。
だが、今日に限って体が言うことをきいてくれない。
──何かがおかしい。
陰りを見せた視界に男物のスラックスが見えた。
「笑える姿ですね、フェラート・ルーファー」
つい数分前にフェラートが言った台詞が、頭上から浴びせられる。
増々重くなる体と、定まらない思考の中で浮かぶ不安。
「欲しいものを手に入れたはずのお前が、ここにきて眠気に抗えないのは、一体どんな気分でしょうか?」
黙れ。
聞きたくないことが耳に入ってきそうで、それが理解できないまま眠ってしまいそうで怖い。
それなのに、男の楽し気な声が耳朶を跳ね、フェラートの耳から脳へと伝わってくる。
「土産話に教えて差し上げましょう。ここの使用人は誰一人としてお嬢様を裏切っていないし、あなたはこれから死にます」
ゴロリと横に転がった体。
視界は移り変わり、眠りに導かれたカレンが見えた。
だって、なぜ。彼女は。
「いつでも切り捨てるつもりだった商会の従業員を、ネッカー子爵家の使用人として潜り込ませていたでしょう?
残念ですが、あれは最初から子爵家の使用人ですよ」
ぼんやりとした頭に浮かぶのは、働き始めて間もない、仕事真面目で素直な少年の姿。
いざとなれば切り捨てられるから都合が良いし、そのくせ年上に可愛がられやすいのか、ネッカー子爵家の使用人を引き入れてきた。
「そんな都合の良い人間がいるわけがないでしょうに。
簡単に騙されるなんて、ご家族揃って本当に商売人なのですか?」
途端に周囲で抑えきれない笑いが広がっていく。
だがもうフェラートには、それを屈辱と怒る余裕などなかった。
「当主様も奥様も、勿論お嬢様だって、ルーファーという鼠がコソコソと動き回っているのは把握されていた。
上手に隠していたつもりでしょうが、舞台の中央を見続ける端役なんて気づかれるものですし、煩わしいと思われても当然のこと」
声は頭の中で反響し、意味を理解する前にぼやけていく。
「心配しなくても、ルーファー家の皆さまをすぐに殺したりはしません。
フェラート・ルーファーの身代わりになる者が、あの大商会を譲り受けるまでは、まだ利用価値があるそうですから」
もはやフェラートにとっては、聞こえるもの全てがただ音でしかない。
話の内容など理解できなくなっていた。
声が耳元まで近くなる。
瞼が重い。眠りたくない。眠りたい。
「一つだけ感謝しますよ、フェラート・ルーファー。
あなたのお陰で、私はお嬢様への気持ちを隠す必要がなくなったのだから」
その言葉を最後に、フェラートの意識は泥沼にはまったように沈んでいった。