軽量なろうリーダー

聖女と呼ばないで

作者: 作者不明

本文

雨は鉄砲のように地面を叩き視界は水のカーテンに覆われていた。

傘など意味をなさないどころか時折吹き付ける強風で自分ごと飛ばされそうでさすのを諦めた。

私はただ早く家に帰りたい一心でどこかの下水が氾濫したのか水が溢れて脛まで浸かる道路を必死に歩いていた。

通い慣れた道なのに今日は一面水に浸ってヴェネツィアの様相だ。

なんて事を考えていたからだろうか

次の一歩を踏み出した時足の下に地面がないことに気付いた…時にはもう遅かった。

「え――」

理解する間もなく冷たい水が私を飲み込んだ。

口や鼻から水が流れ込み肺が焼けるように痛む。

土管……蓋が外れていたんだ。雨水で見えなかった。

フチに手がかけられれば…なんて冷静に考えられる状態では無かった。

けれど必死でもがいた両手にも両足にも、不思議と土管の壁すら当たらない。

苦しさのあまり意識が遠のきかけたそのとき、突然、光が差した。

「ゲホッ!」

私は盛大に咳き込みながらなんとか水から這い上がった。

足が…着いている?不思議に思いつつ顔を上げるとそこは見知らぬ場所だった。

大理石の床、高い天井、部屋を照らす無数の…蝋燭?それから豪華な衣装をまとった人々が私を囲むように立っている。

「聖女召喚に成功いたしました!」

一人の白髪の老人が声高に宣言する様に発言すると周囲から歓声と拍手が起こった。

私は何が起きているのかも分からず呆然とその場に座り込み、びしょ濡れの制服から水が滴るのを感じながら周囲を見回した。

王冠の様なものを被った老人や剣の様なものを下げた青年全てがネットでしか見た事の無い中世のヨーロッパの様な、まるで絵本から飛び出してきたような恰好だ。

そして何よりも違和感を覚えたのは、自分の内側から湧き上がる温かくて強い「何か」だった。

今までの自分にはなかった力のようなものが確かに宿っている感覚。

何が起こっているのか…脳が拒否したいと思考を止めそうになる。

「聖女様! どうかこの世界をお救いください!」

「ご安心を。あなたの待遇は保証いたしましょう」

「我が国にとって、この上ない栄光です」

言葉は理解できる。異世界特典かあるいは魔法か…

だが、彼らの言葉の内容に私は心底ぞっとした。聖女? 救う? 待遇?

ネット小説や漫画で読んだことがある。

こういうの…異世界誘拐だ。

しかも、記憶にある異世界誘拐ものは地面が光って飛ばされていたが、あの雨の中そんなものが見えた記憶は無い。

ということはあの時足の下に地面が無かったのは…あの死ぬかと思う目に遭わせたのは…もしかして土管などでは無く…彼ら?

恐怖と怒りがこみ上げてきた。

私は黙ったまま彼らの顔を一人一人見つめた。

私が何も言葉を返さないからか、その場に騒めきが広がる。

「聖女様はお話ができないのか?」

「驚かれておられるのだろう」

そうだ黙っていよう。

この状況ではそれが得策な気がした。この世界がどういう仕組みかは分からないが、異世界誘拐ものによっては名前を名乗ると名前で縛られたり、知らないで答えただけで従属契約が結ばれたりするものもあった。

異世界転生だとか転移だとかがだいっすきな日本人女子を舐めてもらっては困る。

こういうのだと大概常識的な人物が一人はいるものだ。特に…王子の婚約者あたりに。

私は震える声を叱咤してできるだけ強い口調を心がけて言った。

「…男性は怖いので会話をしたくありません。年が近い女性の方と他の人に会話の内容を聞かれない場所で、二人きりで話をさせてください」

私の発言に再びその場に騒めきが広がってからしばしの議論の末私は中年の女性に客室らしき部屋に案内された。

ドレスが用意されていたが信用ならないので、私はびしょ濡れの制服のまま椅子に座って待った。

やがてドアが静かに開き一人の少女が入ってきた。

淡い金髪を編み上げ水色のドレスを着た私とそう年齢の変わらない少女だ。

彼女の目はこの状況になってから会った誰よりも澄んでいる気がした。

「初めまして。私は第一王子の婚約者エリシアと申します」

彼女は丁寧にお辞儀をするとすぐに頭を深く下げた。

「この度は…本当に申し訳ございません。あなたをこのような形でお招きしてしまって」

私の予想は当たっていた。

彼女は常識人だ。目を見た時から思ってはいたが、まだ一応警戒はしておこうと気を引き締める。

「あの……『お招き』って、どういうことですか? 私は雨の中水に落ちて溺れかけたんです」

エリシアの顔に苦悶の色が走った。

彼女はそっとドアに鍵をかけ窓の外を確認してから、私の前に跪いた。

「…お話ししなければならない、恐ろしいことがあります」

跪いた姿勢のまま顔を上げずに話す彼女の声は震えていた。

「この世界では『聖女』として適性を持つ女性を異世界からお呼びする際、その方の魂をこの世界に適合させる必要がある…と、古い魔導書に記されています。そのための儀式が…」

そこまで言って彼女は言葉を詰まらせた。

「…『水による死と再生』なのです。儀式の対象となる異世界の方が元の世界で溺死される瞬間に、こちらの世界の『呼び水』となる場所に魂が召喚され新しい身体を得る…あなた様が溺れたとお感じになったのはそのためです。そして先程の場所は、宮殿内の『聖なる泉の間』でした」

一瞬頭が真っ白になった。

溺死? 儀式? つまり…彼らは私を溺死させた?

「…死と?」

声にならない声が、私の唇から零れた。

その声に頭を上げて私を見上げたエリシアは目に涙を浮かべて、頷いた。

「私の…力不足であなた様をこんな目に遭わせてしまい、本当に申し訳ございません。反対は…したのです。異世界の方の命を奪ってまで聖女を呼ぶべきではない、私達の怠慢であり傲慢だと。でも…私の意見など誰も聞き入れてはくれませんでした。民衆の声を、と考えても民衆も「聖女を呼べば済むならさっさと呼べ」という声ばかりで…」

彼女の拳が膝の上で震えている。

その無力さと悔しさがひしひしと伝わってきた。

「どうして聖女を召喚する事になったの? 」

エリシアは疲れ切った目で、それでも視線を逸らす事なく私を見た。

「この世界には『瘴気』と呼ばれる人間の悪意や負の感情から生まれる霧のようなものがあります。動物がそれに呑まれると狂暴化し、人を襲うようになるのです。最近までは、それでも被害は郊外の森などに限定されていたのですが、溜まり続ける瘴気が溢れついに村が襲われ多くの犠牲者が出ました。王や魔導師たちは『聖女』の力で瘴気そのものを浄化できると考え古い儀式を実行したのです」

なんてことだ。自分達が原因で発生している問題解決の道具を異世界人を殺して呼び寄せる?

そんなの間違っている。

「昨日今日発生したものでも無いんでしょう?原因が自分達自身の悪意や負の感情だと分かっているんだから 自分たちでなんとかする方法を誰も模索しなかったんですか?」

「…おっしゃる通りです」

エリシアの声は掠れていた。

彼女を責めても何も始まらないし、彼女に全責任があるとも思っていない。

けど、彼女以外のあの場に居た面々の顔を思い出しても、彼女以外に話が通じる人間が居る気がしなかった。

「でも、彼らは『確実で手っ取り早い方法』を選びました。私は王族の婚約者という立場でありながら、意見を聞いてももらえず…止められませんでした。本当に…ごめんなさい」

彼女は再び深々と頭を下げた。

その仕草には、長い間自分の無力さに苛まれてきた者の諦観があった。

私はこの少女を見つめながら考えた。

彼女は良い人だ。良心がある。

それなのに何故こんな殺人犯たちの中にいる? 自分の記憶をひっくり返すと各物語の常識人は大概常識人であるが故に苦労人で不遇の環境に置かれていた。

そう考えているとふと、彼女の目の下に隠しきれないクマ、そして華やかではあるが微妙にサイズが合わず肩がずれ落ちそうなドレスが目に留まった。

彼女もただ王子の婚約者という道具として扱われ、その意見も意志も無視され続けてきたのではないか。もしかしたら、王子の政務や王族の仕事まで押しつけられ疲弊しているのでは?

「エリシアさん」

私は跪いたままの彼女の前にしゃがみ込み、彼女の手を握った。

濡れたままで着替えもせずに体が冷えている自覚のある私でも感じる手の冷たさに驚く。

「あなたはここで幸せですか?」

彼女の目が大きく見開かれた。そして、ゆっくりと涙が一筋頬を伝った。

「私は…もう、限界です。王子様の代理としての政務、王族の社交、そして…今回のような非人道的な決定を目の当たりにすること。全てが、重すぎます」

「逃げよう」

私は彼女の手を握る手に力を籠めそう言った。

顔を下げてしまっていたエリシアが驚いて顔を上げる。

「私と一緒に、私の世界に逃げよう。でも、逃げる前に二度とこんな殺人儀式が行われない様に関係する資料を全部消してから。あなたの様な人がこんな場所に縛られていていいわけがない」

「で…でも、どうやって? 警備も厳しいし、異世界への扉を開く術も…わた…私は今回の事も防げぬ程に無力で…」

「私の内側に力があるのを感じるの。聖女の力か何かはわからないけど。きっと何かできる。あなたがこの世界のことを詳しく知っている。二人で協力すればできるはず」

エリシアが意を決した様に私の手を握り返す。その手は微かに震えていた。

けれども彼女の目の中に、長い間消えていたはずの光が微かに灯ったのを感じた。

「…はい。お願いします。私も…一緒に逃げたい」

それからが私たち二人の戦いだった。

エリシアは宮殿の図書室から聖女召喚に関する古い魔導書や儀式の記録を少しずつ持ち出した。

私は私を召喚した連中の言う事を聞くフリをして彼らが『聖女の力』と呼ぶものの操作を練習した。

「聖女様。まずは魔力を感じ操る練習から始めましょう」

最初は小さな光を灯すことしかできなかったが、次第に物を軽く動かしたり、簡単な「浄化」と呼ばれる現象を起こせるようになった。それは瘴気を消す力そのものの原型らしかった。

そんな生活の間ハニートラップのつもりなのか、王子や見目麗しい男共が入れ代わり立ち代わり甘い言葉を囁きに来る事だけが、本当に鬱陶しかった。

エリシアの情報によれば、次元の扉を開くには宮殿地下の「聖なる泉の間」にある巨大な水晶に強力な魔力を注ぎ込む必要があるという。しかしそれは王と最高位の魔導師しか許可されていない。

ただ、基本水晶は持ち出せない様になってはいるしこの世界の人間で現在1人で起動できる魔力のある人間は居ない。今回の起動も王と最高位の魔導師がほぼ全ての力を使いきってなんとかなった程度だそうだ。

それゆえ、そこまで警備に力を入れているわけでもないらしく形だけの様だ。

「三日後、王と魔導師長が領地巡察に出かけます。その間の星見の間の警備がこちらです。夜間は警戒が強まりますが午前中の騎士団の訓練の時間帯だけ通常の半分になります。そしてその際の夜間組との交代の際に5分だけ、1人きりになります」

エリシアは密かに入手した勤務表を広げて囁いた。

「その隙に私たちは図書室の記録を全て処分し、聖なる泉の間へ向かいます。由加里様の力で水晶を起動させ扉を開くのです」

計画は危険だった。正規の騎士相手に、女2人ではひとたまりもない。

でも、他に選択肢はなかった。

三日後の明け方、私たちは行動を開始した。

エリシアは王族の婚約者としての権限を巧みに使い、図書室への侵入と記録の搬出を『許可された学術研究』に偽装した。

私は私の中の力で羊皮紙や魔導書を一瞬で灰の様なものへと変える。「浄化」を応用した炎ではなく物質をその構成要素にまで優しく分解する様な感覚の光。何百年も守られてきた禁忌の知識が静かに消えていった。

次は聖なる泉の間だ。

エリシアが警備兵を「王子からの伝言」で引きつけている隙に、私は地下へと潜った。

巨大な水晶は暗闇の中で微かに青白く光っていた。

こちらへ来た時はこんなものがある事にすら気付かなかったな、などと思いながら急いでそれに触れる。内側の力が呼応するように脈動する。

「開いて…私の世界へ通じる扉を開いて!」

私の言葉に連動する様に私の中から力が迸る。

水晶は眩い光に包まれ、その中心にゆらゆらと渦を巻く「何か」が現れた。

扉だ。

「由加里様!」

聖なる泉の間の扉を開いてエリシアが駆け寄ってきた。

彼女の後ろから警備兵の怒号が聞こえる。

ばれた!

「行くよ!」

私はエリシアの手を握り、渦の中へと飛び込んだ。

光と風と引き裂かれるような感覚。

そして――

「はあ……はあ……」

冷たいコンクリートの感触。雨の匂い。私は元の世界の路地裏で、膝をついていた。

隣ではエリシアが驚いたように周囲を見回している。

コンクリートの路地裏に降り立つドレスの令嬢の違和感よ…

「成功……した?」

「……うん。多分」

私たちはお互いを見つめそしてほっとしたように笑った。

雨はもう小降りになっていた。異世界の豪華な宮殿も、重苦しい空気も、もうない。

その後、私たちは私の家に辿り着きエリシアに現代の服(私の予備のジャージとフード)に着替えてもらい、私も着替えた後で全てを母に打ち明けた。

驚きながらも、母は温かくエリシアを受け入れてくれた。

戸籍や身分証明など、解決すべき問題は山積みだったが、二人でそして家族の助けを借りて少しずつこの世界での生活を築いていった。

エリシアは驚異的な順応性を見せ、日本語もあっという間に覚えて高校に編入して私と一緒に通い始めた。

彼女の明晰な頭脳はこの世界の勉強でも大いに役立った。

時折、二人で夜の窓辺に立つとエリシアが遠い目をして呟くことがあった。

「あの世界は…今、どうなっているのでしょう。瘴気は…王や王子たちは…」

私は彼女の肩に手を置く。

「彼らが自分たちで選んだ道だよ。聖女という便利な道具も良く働く婚約者も居なくなったんだから、そろそろ本当の意味で『自分たちでなんとかする方法』を探し始めるんじゃないかな」

「...そうね。あのね、由加里、あの日あなたが私の手を握って『逃げよう』と言ってくれたあの時、私あなたが私を救いに来た王子様の様に見えたわ。この世界で知ったんだけど、そういうの白馬の王子様って言うんでしょ?由加里は私の白馬の王子様なのよ」

エリシアはいたずらっぽく笑って言った。その笑顔にはもうかつての深い悲しみはなかった。

そして、私たちが去ったあの世界では確かに「阿鼻叫喚」が起こっていた。

聖女召喚の全記録が不可解な消失を遂げ、儀式を再現することは不可能になった。

加えて王子政務を一手に引き受け、さらに王や王妃の政務の一部や外交まで担って裏方として王国を支えていた王子の婚約者エリシアまでもが行方知れずとなったのだ。

王子はこれまでエリシアに依存しきっていた膨大な仕事の山に直面しお手上げ状態だった。

瘴気の問題は悪化の一途を辿り各地で被害の報告が相次いだ。

王は有能な魔導師たちに失われた儀式の代わりとなる召喚魔法や新たな浄化術の開発を指示するが、簡単にいくはずもなく、召喚については魔力の問題も相まって恐らく100年単位で先になるだろう見通しだ。

宮殿内では責任のなすり合いと混乱が続き、王の威信は地に落ちた。

彼らが「道具」として軽んじ、あるいは利用してきた存在たちが消えた今、初めてその重みと必要性に気付き慌てふためくもぬるま湯に慣れた彼らになんとか出来るはずも無い。

しかし、それはもう私たちの知るところではない。

私は隣で珈琲をすすりながら数学の宿題に頭を抱える、元・王子の婚約者を見てほくそ笑む。

彼女はもう誰かの道具でも飾りでもない。ただの少し不思議な過去を持つ私の親友だ。

窓の外では新たな朝の光が静かに降り注いでいる。

この世界には瘴気もなければ人を溺死させる儀式もない。

あるのは、自由で、どこか騒がしくて、それでいてかけがえのない日常だけ。

「ねえ、由加里。この二次関数、もう少し詳しく教えてくれない?」

「いいよ。でも教えたらお返しにあなたが作るあの異世界のクッキーまた作ってね」

「約束よ」

二人の笑い声が小さな部屋に響く。

私たちはあの世界での聖女や王族の婚約者という立場を捨てて、この平凡な幸せを選んだ。

それで十分だ。

もう二度と

聖女と呼ばないで。