軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

RABUKOME

#10-EX 20XX-07-03 第三迷宮・海鳴り島(篠宮モモ)

松明に火をつけると、潮水に濡れた壁がぬらりと照らされた。

ここは海水に侵食されてできた小さな洞窟だ。満潮時は半ばまで水没するこの洞窟も、潮が引いている今は濡れた地面が露出していた。

「大丈夫。ここは安全そうだ」

洞窟の中を簡単に確かめた少年は、振り向いて少女に呼びかける。

「ほら、モモ。来いよ」

「う、うん……」

モモと呼ばれた少女は、そろそろと洞窟に足を踏み入れた。

迷宮三層・大海迷宮パールブルーにある孤島、海鳴り島。その島にある海蝕洞窟に、少年と少女は身を潜める。

二人揃ってボロボロだ。大きな怪我こそないが、疲労は骨の髄まで溜まっている。手頃な石に座り込むと、それでもう動けなくなってしまった。

「はあ……。くっそ疲れた……」

「危ないとこだったね……」

モモは洞窟の入り口を見る。そこでギクシャクと手足を振り回して暴れているのは、カニ型の魔物だ。

カニと言ってもその大きさは四メートルオーバー。全身は鋼のように硬く、鋏は万力の力がある。海岸に陣取るその魔物に追い回されて、二人はこの洞窟に逃げ込んだところだった。

「……アキくん。どうする?」

「どうするもこうするもねえだろ……」

幸いにも、カニの巨体では洞窟の中にまでは入ってこられない。

疲労した今の二人にあのカニを倒す元気はない。そして、少なくともこの場所は安全そうだ。となると答えなんて決まっていた。

「救助要請出して、助けが来るの待とう」

「誰か対応してくれるかなぁ」

「さあな。近くに他の探索者がいりゃいいけど」

迷宮内で窮地に陥った際は、救助要請を出すのが一般的だ。

探索者協会にて申請が受理されると、近場にいる探索者たちに情報が伝達される。だが、実際に救助に行くかどうかは、情報を受け取った探索者本人の判断に委ねられる。

探索者同士は助け合うのが基本だ。しかし、そもそも救助活動が取れるだけの余力のある探索者が近くにいなければ、放っておかれるのもよくあることだった。

「まあ、誰も来なくたって、そのうちあのカニもどっか行くよ」

「潮が満ちてきたらどうするの?」

「そん時はそん時だ」

「出た。またそれ」

「じゃあ、なんかいい案あんのかよ」

「……ないけど」

「ほらな」

モモにとっては、アキのこんな物言いもいつものことだった。

昔からこの少年は無計画がすぎる。思いついたことはよく考えずに実行するし、それでひどい目に遭うのもしょっちゅうだ。

本人はそんなハプニングも楽しいのかもしれない。だけど、幼馴染だからという理由だけで付き合わされるモモにとっては、たまったものじゃなかった。

「……へくちっ」

その時、モモの口から控えめなくしゃみが出た。

じっとしているにはこの洞窟は肌寒い。モモは寒さを耐えようと体を縮こませた。

「ほれよ」

そんなモモの肩に、アキは着ていたジャケットを雑に放る。

「なにこれ」

「上着。寒いんだろ」

「……ちゃんと洗ってる?」

「お前な。いらないなら返せよ」

肩にかけられた上着を丁寧に羽織り直して、モモはアキの顔を見ずに呟いた。

「……いるけど」

「ん」

本当に、こういうところだと思う。

いつだって適当で、人の都合なんて気にもしなくて、無計画で無鉄砲で無理やりで。だけど、モモが困った時はいつも真っ先に気づいてくれる。

「まったく……」

「なんだよ、何が不満だよ」

「べっつにー」

ふてくされたように呟く。

悪いやつに引っかかったことは、モモ自身よくわかっている。だけどもう、芽生えてしまった気持ちは、自分でもどうにもできないのだ。

「悪いな、モモ」

「何が?」

「巻き込んじまって」

洞窟の静けさに誘われたのか、慎重にアキは切り出した。

「今回だけじゃない。これまでのことも、色々全部」

「どうしたの、急に」

「いや、急にってわけじゃないんだ。いつか、ちゃんと言わなきゃって思ってた」

アキにしては、らしくない態度。こんなアキを見るのは初めてのことだった。

「いつも付き合わせてごめん。なんか、お前の顔見るとつい誘っちまうんだけど、それって全然当たり前のことじゃないよな。こんな危ないところまで連れてきちまって、マジでごめん」

「……いいよ、別に」

何かと思えば、そんなことか。

モモが探索者になったのは、言ってしまえばアキに誘われたからだ。それも結構強引に。モモはよっぽど断ろうと思ったけれど、きらきらと輝くアキの目に負けて、気づけばこんなところまで来てしまった。

だからもう、今さらだ。腹なんてとっくの昔にくくっている。これくらいの迷惑なんて最初から織り込み済みだった。

それに、そもそも。

「付き合ってたつもりはないよ。私も、楽しかったから」

「お、おう? モモも、迷宮に潜るの、好きだったのか?」

「……さあね」

何が楽しかったのかなんて、そこまで説明してやる義理はない。

アキの上着をぎゅっと掴む。今はこれでいい。今はこれがいい。言葉にするにはまだ足りない関係性が、自分たちの在り方だ。

「ま、まあ、安心しろよ。お前のことは絶対に帰してやるからさ」

目を合わせようとしないモモに、アキは焦ったように言葉を重ねる。

「いざとなったら、俺が囮になって――」

「やだ」

最後まで聞かず、モモは口を挟んだ。

「二人で出るの。絶対に」

「あ、ああ……。わかった」

モモにしては珍しい断固とした口調。それに怯んで、アキは口を閉じた。

遠くから聞こえるさざ波が洞窟の中に反響する。しばらくの間、二人は黙ってその音色に耳を澄ました。そんな時間も、モモにとっては居心地のいい沈黙だった。

それからしばらくして。

「べくしっ」

唐突に、アキがくしゃみをした。

「……アキくん?」

「あ、いや、なんでもねえ」

「上着、返そっか?」

「なんでもねえって。平気だ、こんくらい」

長い付き合いだ。それが強がりだってことは知っている。それに、こういう時のアキは意地でも譲らないことも。

こんな時にどうすればいいかも、モモはきちんとわかっていた。

「アキくん」

体をずらし、モモはアキに体を寄せる。

二人の肌が、ぴったりとくっついた。

「え、ちょっと、モモ?」

「こうすれば、寒くないでしょ」

「いや、その、そうだけど……」

アキの体温が急に上がる。途端に挙動不審になるアキだが、かと言って離れようとする素振りはない。

脈はあるらしい。そのこともモモは知っている。こういうことについては、モモは一枚も二枚も上手だ。

かと言って、モモが平常でいられるというわけでもなく。

「え、えっと、アキくん」

肌越しに伝わってくる鼓動に、モモの頬もほのかに朱を帯びる。

高鳴る胸の音を聞かれないよう、モモは口を開いた。

「さっきの話、なんだけど。私もアキくんに付き合うの、嫌じゃないっていうか。こういうの、楽しいから。今後も誘ってくれると嬉しいなって……」

「そ、そうか?」

「うん、そう。……好き、だから」

「そっか、そうだよな。モモも、好きなんだよな」

伝わらないであろう想いを言葉に載せる。こんな簡単なダブルミーニングが伝わるようなら、最初からモモも苦労していない。

だから、これくらいで何かが起きるとは、モモ自身期待していなかったのだけど。

「……何が、とかって。聞いてもいいか?」

やり返されるとは、思っていなかった。

モモの心臓がとくんと跳ねる。

誤魔化す方法ならいくらでもある。適当な答えを用意してしまえばそれで終わりだ。アキが相手ならどんな言い訳でも通用するだろう。

だけど。いつまでもそうやって逃げていたら、きっと何も変わらない。

「あ、ああ。そっか、迷宮のことだよな? いやすまん、なんか変な勘違いしちゃって――」

「アキくん」

アキの顔を間近で覗き込む。

彼の顔は火が出るように赤い。たぶん、モモと同じくらいに。

「目、つぶって?」

アキはびくりと震えて、言われるままにぎゅっと目を閉じる。

モモはそっと顔を近づける。そして、薄暗い洞窟の中、二人の唇が重な――。

「……あの」

寸前。

一陣の風が、洞窟に吹き込んだ。

「助けに、来たんだけど……」

気づけばそこに、風をまとう少女がいた。

着古した白衣を身にまとい、袖に真紅の腕章をくくりつけた少女だ。焦げ茶の髪は潮風に揺れて、紅玉の瞳はあちこちに泳いでいる。

ものすごーく気まずそうに、少女は続けた。

「……もうちょっと、後のほうが、よかった?」

彼女の名前は白石楓。

日療の白石さんという名で知られている、この頃話題の迷宮救命士だ。