軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

246 思惑 後編

「クララが……」

つい今しがた思い浮かべていた彼女の来訪にエルヴァンはわずかに腰を浮かし、その名を小さく呟いた。

彼女とエルヴァンは幼い頃に出会った。

第二王妃の姪であるその少女は、身体の弱い異母妹の遊び相手として登城しており、高位貴族の令嬢である彼女の第一印象は『怖い女の子』だった。

目付きも言動も強く、高位貴族としての教養と誇りを持っていた彼女は、王子であるエルヴァンに礼は尽くしても、どこか上から見られているようで苦手に感じた。

それから数年後に再会したクララはエレーナと心のすれ違いがあったらしく、以前とは違って別人のように陰を帯びていたが、エルヴァンはそんな〝陰〟のある彼女に少しだけ興味を引かれた。

高位貴族の令嬢で歳が近いクララは、当然の如くエルヴァンの婚約者となった。

そんな折、父である国王陛下より大規模ダンジョンの攻略を命じられた。本来なら学園を卒業後に行われることが、今回に限り学園の入学前に行われることで、エルヴァンは不安を紛らわせるように現地までクララと同じ馬車に乗ることになったが、エルヴァンは彼女の年相応の〝弱さ〟を目にして戸惑いを覚えた。

貴族は高い魔力で早く成長し、言動にも相応の振る舞いが求められるため、高位貴族ほど見た目相応の精神を成長させる。

その最たる旧王家の姫が見せた弱さが、エルヴァンを救った。

元子爵令嬢である母から、悪意もなく悪意から隔てられて生きてきたエルヴァンにとって、王太子としての言動を求められるのは苦痛であり、友人であるミハイルやロークウェルとも無理をして話を合わせていた。

クララの弱さは、貴族令嬢と言うよりも平民に近いものであり、そんな弱さに共感して彼女を気に掛けることで、エルヴァンは初めて〝誰かを守る〟自信を持てたのだ。

それがたとえ弱者が傷を舐め合うような関係だったとしても、エルヴァンは救われ、クララとなら生涯を共にしてもよいと考えるようになった。

でも……それが崩れたのはいつからだろうか?

メルシス子爵令嬢、アーリシア。その少女と出会ったのはエルヴァンが学園の二年次の時だった。

天真爛漫な彼女の言動は貴族令嬢とは言いがたく、生粋の貴族ほどその態度に顔を顰め、彼女は周囲から目立つほどに浮いていた。

目立っていた原因は彼女の容姿にもあった。平民のように幼い体つきとは裏腹に、目を引くほど蠱惑的な美しさを持つ彼女は、入学からわずか数ヶ月で複数の男子生徒との間で問題を起こすようになった。

彼女はエルヴァンの前にも姿を見せるようになり、邂逅の大部分はミハイルやロークウェルに阻まれていたが、クララの件でわずかだが自信を付けていたエルヴァンは、彼女のような者でも自分なら導けるのではないかと考えた。

それが間違いだったのか……今でもそれは分からない。

アーリシア・メルシスに対する周囲の評価は完全に二分化していた。

ミハイルやロークウェルのように、王太子に近づく不審者として扱っていた者や、中級貴族以上の令嬢たちには恐ろしく評価は低いが、なんの色眼鏡もなく彼女と接した者の大半が自然と彼女に惹かれていった。

それはエルヴァンも例外ではない。まるで自分の苦悩を〝理解〟しているような甘やかしと、自分を認めてほしいと願うエルヴァンのすべてを肯定する言葉に、わずかな困惑と、それとは違う〝心の揺れ〟を自覚せざるを得なかった。

そんな彼女と自分に苦言を呈す妹エレーナや、ミハイルやロークウェルとも疎遠となり、リシアと呼び始めた彼女やアモルたちと行動を共にするようになって、守りたいと思っていたクララとも距離を置くようになった。

リシアの願いにより王家所有の大規模ダンジョンから加護を得て、さらに蠱惑的になった彼女にアモルやナサニタルが溺れるように傾倒していった。

エルヴァンもリシアの姿を見るたびに、頭に霞が掛かったように彼女を信じる気持ちが湧いてくる。でも、エルヴァンの得た【 加護(ギフト) 】と、クララへの想いが最後の一線で彼を踏みとどまらせた。

「クララ……」

「エル様……」

久しぶりに会ったクララは、辛労を重ねたのか記憶にある彼女よりも痩せて見えた。

それでも彼女は以前よりも美しく見えた。その強い瞳は、エルヴァンが以前に苦手にしていた貴族令嬢としての〝強さ〟ではなく、エルヴァンと共感したあのときの弱さを持ちながら輝きを見せていた。

「私の話を……聞いて戴けますか?」

***

(クララは大丈夫だろうか……)

妹をエルヴァンの所へ送り届けたロークウェルは、元友人であった彼と会うことなく王子宮を後にする。

以前は自分たち家族とまで距離を置いていたクララも、想いが定まったのか落ち着きを取り戻したように見えた。

思えば、自分たち家族はクララに無理を強いてきた。第一妃である正妃の座。本来正妃であった叔母が第二王妃となり、その兄である父も、叔母と友人である母も、娘が正妃となることがクララの幸せになると信じていた。

でもそうではなかった。クララが正妃を望んだのは家族が望んでいたから。

ダンドールがクララに正妃を求めたのは、心を病んだ叔母を救うため……。

それが分かっていたからこそ、優しいクララは正妃となることを望まなくてはいけなかった。

ロークウェルは父母や祖父と話し合い、クララの思いのままにさせることを決めた。

その結果、クララがこの国に居られなくなったとしても、ダンドールは全力を以て彼女 たち(・・) を支える。

もちろんそれは家族としての情だけではない。これまでクララが正妃になることを諦めきれなかったダンドールは、血族である王女エレーナの援助に消極的であったが、これからは彼女を全面的に推すことでダンドールの面目を保つことになっている。

「……はぁ」

ロークウェルの口から思わず溜息が漏れる。

エレーナが女王になるということは、彼女のダンドール家降嫁を願うロークウェルにとっては良い話ではない。

ロークウェルはダンドール家の嫡男だ。いずれ総騎士団長となるために鍛練も積んできた。エレーナが女王となり自分がその王配となるには多くの問題があるはずだ。噂では、カルファーン帝国の第三王子が王配候補であるとも聞く。

親友であり頭の良い〝彼〟なら、何か良い案を出してくるかもしれないが……。

「あっちはあっちで大変だな……。頑張れよ、ミハイル」

***

「あなた、本当にあの子が……」

後処理をする必要があり、第一騎士団の精鋭を護衛にして王城まで戻ったはずのベルトが、すぐさまメルローズの屋敷まで戻り、伝えられたその内容に、ベルトの妻は目を見開いて肩に掛けていたショールを落とした。

「ああ、王女殿下から直接教えていただいた」

そんな妻の肩を抱きながら、ベルトは静かに頷く。

末娘の遺児アーリシア。疑いながらも保護するしかなかったあの聖女とは違い、本当の孫娘が帰ってくるかもしれない。

その事実に宰相であるベルトが大量の後始末を侍従のオズに任せて、まず妻に伝えるべく屋敷まで戻ってしまったのは、表面上は平静を装っていても相当に気が動転していたに違いない。

その話を聞いていた周囲の使用人たちも我が事のように喜び、古参の中には涙ぐんでいる者さえいた。旧王家メルローズ家の正当な姫が帰ってくる。それはメルローズ家ここ十数年の悲願でもあった。

だがその中で、祖父と同じように気が動転して、王女の側近でありながら同じ馬車で屋敷に戻ってしまったミハイルは、広間の隅で呆然と立ち尽くしていた。

「アリアが……」

彼女とは最初に逢った時から何か近しいものを感じていた。アリアが憧れていた叔母の娘と聞いて驚きより納得もした。

この大陸、最大の宗派である聖教会は従兄弟同士の婚姻を推奨していない。だが、あくまで推奨をしていないだけで認めてはいる。

それでも間違いが起こらないように、従兄弟同士でも同家にいる場合は控えるようにと、貴族の間では暗黙の了解となっていた。

同じ従兄弟同士ではあるが、家名の違うロークウェルがエレーナの王配に入るのは問題なく、アリアがアーリシアとしてメルローズ家に入れば、ミハイルと一緒になることは難しくなる。

「それでも……っ」

ミハイルは今、王女の側近であり、エレーナを女王にすることにその策が有効的だと理解していた。それを否定することは彼女たちの覚悟を侮辱することになる。

「それでも……」

ミハイルの先ほどと同じ言葉を違う意味で呟く声がそっと流れ落ちた。

***

「アリアがっ!? どうして!?」

「すでに王女殿下と宰相閣下により承認されています。飲み込みなさい」

「そんなぁ……」

母親であるセラの口から衝撃の事実を聞かされ、セオが情けない声を零した。

セオは、以前は聖女であるあの少女の護衛兼戦闘執事をしていたが、少女の言動がおかしくなり始めた頃から、取り込まれることを恐れたメルローズ家からその任を解かれて、今は完全に裏方に回っていた。

セオの希望としては、アリアと同様に王女殿下の戦闘執事として働きたいと考えていたが、彼の姿が見られるとそれが〝魅了〟に近い能力を持つあの少女が近づく口実となるので、その希望は叶えられなかった。

それでもアリアと同じ場所にいることを夢見て、単独行動を始めたアリアとの連絡員までやっていたが、孤児だと聞いていたアリアの出自を聞かされ、それが本当なら責任を取るどころの話ではないと頭を抱えていた。

「……アリアより強くなるまで、とか言っているからですよ」

「う……」

実の母からの呆れと憐れみの混ざった目差しと言葉に、セオはぐうの音も出ずに沈黙する。

セラから見れば、アリアはどう見てもセオを〝弟〟としか見ていなかったが、それでも早めに告白でもなんでもして意識をさせれば、機会くらいはあったのではないかと考える。

それが同情でも家族愛でも、承諾さえさせてしまえば、アリアが後から主家の姫だと分かっても、アリア本人が望むのならなんとか出来る可能性があったのだ。

そうなればセラとしては、自分の後継者と家を継ぐ人間を同時に得られる機会であったのに、息子のへたれ具合に思わず溜息を吐く。

「まだ何か方法が……」

当の息子は、そんな事をぶつぶつ呟きながらまだ諦めていない様子だったが、アリアが意識もしていない状態で、主家のご令嬢を分家の男爵家に貰い受ける術は皆無と言っていい。息子のその意気込みは買っても良いが、主家の姫におかしなことをしでかす前に釘を刺す。

「セオ。あなたが言う〝責任〟の元になった件が明るみに出れば、暗部から私に粛清依頼があるかもしれませんよ?」

「…………えっ」

***

「いよいよ叶うわ……〝私〟の夢が」

リシアと名乗る少女は、専属侍女が煎れる茶を口に含みながら、夢見るような表情で呟いた。

本当の名は忘れた。それは少女にとってなんの価値もなかったからだ。

母親は娼婦まがいに男を騙して貢がせる、タチの悪い女だった。父と思われる男たちはほとんどが詐欺師か裏社会の人間だった。そんな人たちを親と思ったことはないが、それでも美貌とそれを活かす術をくれたことには感謝してもいい。

そんな人たちが魔物の襲撃で死んだときも心は動かなかった。彼らは少女に愛を与えることなく、金を稼ぐ駒としか見ておらず、少女は誰かを愛することを知らずに育ったからだ。

だから、彼らが死んだときは、これから本当の人生が始まるのだと喜んだ。

少女は、この世界の誰よりも〝幸せ〟になりたかった。

幸せとは何か? 愛することを知らない少女は『誰かに愛される』ことが幸せなのだと考えた。

愛される術は母親だった女から学んでいた。だが、その〝女〟としての言動は同性の反感を買い、同性たちから孤立すると同時に、少女の美貌の虜になる異性を利用することを覚えた。

そんな折、孤児院の管理をしていた老婆が殺され、奉仕活動をさせられていた途中、少女は〝運命〟を手に入れた。

その〝魔石〟にはとある女の情念が込められていた。

この世界を舞台にした物語の軌跡。そこにはリシアが成り上がり、 ヒロイン(幸せ) になるための道順が示してあった。

複数の男性を手玉に取る手順。イベントと称される出来事には、攻略対象とされる男たちの心に抱えた闇までも記されており、答えの分かった試験を受けるように次々と彼らの心を掴んでいった。

リシアを最初から警戒していた相手には〝答え〟が通じないこともあったが、途中から最終的には一番幸せになれる人物のみでいいと考えるようになった。

その魔石は、蓄えられていた〝知識〟をリシアが受け取るとただの脆い石となり、手元には小粒ほどになった魔石しか残っていなかったが……

「コレットさん。必要な知識は取れましたか?」

小さくなった魔石は悪魔の手にあった。最後の知識は、リシアでは理解できない異界の情報らしく、夢魔がその解析を行っていた。

「ええ、お嬢様。あなたが〝幸せ〟になれるための〝証拠〟は得られました」

夢魔の依り代となったコレットが、新たな契約者であるリシアの問いに薄く笑う。

契約の内容は、リシアが幸せになるために協力すること。

契約の対価は、幸せになったリシアの死後の魂。

女の〝知識〟を得たからこそ、リシアも悪魔との契約が危険なものだと知っている。それでもリシアは、一瞬の花火でも最大の〝幸せ〟が欲しかった。

「そのためなら、この国の人たちの魂もあげるわ」

「はい、お嬢様」

永遠の幸せはない。いつか色褪せて平凡な幸せになるくらいなら、この世で最高の幸せを切り取って額縁に飾ろう。

「お嬢様、そろそろお時間です」

「ええ、わかったわ」

これよりナサニタルの葬儀が行われる。神殿長の孫としては小さなものだが、乙女ゲームの彼と違ってこの世界で何も為していない彼には似合いの葬儀であり、葬儀さえされない〝彼〟よりはマシだった。

いまだに神殿の上では凍りついたアモルの死骸が残っていた。それは聖女派閥の汚点でもあるが、彼を病死としておきたい国王にとって、それが残っていることで聖教会に政治的な干渉がしづらい状況になっている。

乙女ゲームの最後の舞台である〝卒業パーティー〟に聖女として祝福するリシアの参加を止めることは出来ないはずだ。

エルヴァンが来ないのは、彼の【 加護(ギフト) 】によるものか。最後まで彼は自分の加護を誰にも明かしはしなかったが、リシアの加護で彼はリシアを嫌うことが出来ない。

「さあ、お祈りをしましょう。愛するアモルとナサニタルのために」

***

「……ごほ」

隠し拠点の一つである暗い森の中で蹲ったカルラが血を吐いた。

全属性を持つカルラの肥大化した魔石は心臓を圧迫し、彼女の生命力を削ってはいたが、それ以上にこれまでの強行軍とも言える無理な行動は、カルラの身体を傷付けていた。

でも、痛みには慣れている。苦しいのもいつものことだ。

あと少しだけ命が持てばいい。そのための準備はもう終えた。

カルラは血塗れの唇を拭うこともなく、夜空に浮かぶ〝月〟に手を伸ばす。

「ああ……とても良い気分……」

そうして最後であり最大の『舞台』が始まる――。