軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

188 願いの果てに 1

(……ここはどこだ?)

戦いの最中、突然足下に浮かんだ転移魔法陣で飛ばされた私は、気づけば薄暗い建物の中にいた。

その場所は明らかにダンジョンではなかった。石の床に石の壁……でも、材質自体が仄かな光を放つダンジョンは完全な闇にはならないが、ここには自然な暗闇が広がっていた。

どこかの城か砦だろうか。魔物の気配はなく人の気配すら感じない。……いや、強い魔力を一つだけ感じる。でも、高位の魔物のような魔力の強さに反して、その生命力は驚くほど希薄だった。

以前戦った水精霊のような弱った精神生命体だろうか……。この場所で感じられる気配はその一つだけ。私はそっとナイフから血糊を拭い、【 浄化(クリーン) 】で返り血の臭いを消してから、隠密を使ってその気配に近づいていった。

本当なら自分から危険に近づくべきではない。でも、私を転移魔法陣で飛ばした者――その時に聞こえた〝声〟がダンジョンの精霊であるのなら、この気配の主に会うことは意味のあることなのだと思えた。

建物の中には、明らかに人が生きている生活臭は残っていた。でも私は、それを上回る〝死臭〟を感じて警戒を強くする。

そして……

「……こんな夜に何者だ?」

その〝人物〟はひときわ広い部屋の中、大きく開け放たれたテラスで、月の光に照らされながら一人佇んでいた。

銀色の長い髪を夜風に靡かせたその闇エルフの美丈夫は、恐ろしく強大な魔力を持ちながら、恐ろしく儚げな……覇気のない暗い瞳を闇に隠れた私へ向けた。

「……お前こそここで何をしている?」

私がそう問い返すと、彼は少しだけ驚いたように目を見開いた。

「まるで迷い人のようなことを言う……。どうやら、私の命を取りに来た輩ではなさそうだな」

「死にかけを殺しに来るほど暇じゃない」

「そうか……」

彼は私の言葉に自嘲気味に薄く笑うと、テラスの椅子に崩れ落ちるように腰を下ろして、溜息のように言葉を零す。

「盗人なら勝手に持っていけ。最低限の者しか残していないが、見つかると面倒なことになるぞ……ごふ」

彼はテーブルにあった酒のような杯を呷ると、血を吐くようにむせた。

彼は何者なのか? ある程度の察しはつくけど、ダンジョンの精霊がどうしてその人物の所へ私を飛ばしたのか?

「死にたいの?」

彼からは生きる意志のようなものが感じられなかった。孤独……絶望……負の感情が彼の心を絡め取り、自ら死を望んでいるように見える。

まるですべてを諦めた世捨て人のような印象の彼だが、なんの気まぐれか私の問いに返してくれた。

「死にたい……か。確かにそうかもしれない。妻が……愛した 女性(ひと) が死んだとき、私の心もおそらくは死んだのだ」

カラン……。

また杯を呷ろうとして手を滑らし、転がる杯を見ながら、彼は諦めたように深く背中を椅子に預ける。

「彼女だけが私のすべてだった。最初はただの執着だった。だが、彼女はそんな愚かな私の心を救い、希望を与え、愛してくれた」

「……ならば、その人の思いはすべて無駄だったわけだ」

「なに……?」

生命力が消えそうな彼から、私の言葉にわずかな殺気が迸る。

でも、怒りを感じているのは私のほうだ。私のお父さんもお母さんも、私を護るために死んでいった。幼い頃はただ悲しいだけだった。どうして私一人を置いていったのかと泣いたこともあった。でも……今はその思いも理解できる。

「死にたいと願うのは、お前の中に何も残らなかったからだろう?」

「何を知ったようなことを……ッ!」

怒気が溢れ、一般人ならそれだけで気死するような殺気が私へ吹きつける。

私も自分の中に生まれた彼への怒りでそれを受けとめ、暗闇から彼を睨みながら一歩前に出た。

「お前の事情など知らない。でもその人はお前を恨んで死んだの? その人はお前に何も残してはくれなかったの?」

「それは……」

私の言葉に彼の怒りがわずかに揺れる。私のような子どもに、お前の悲しみを理解することはできないだろう。でも、残された者が、救われた命を捨てようとしていることが許せなかった。

「私がこの地へ連れてこなければ、彼女が死ぬことはなかったっ! 皆にもいずれ分かってもらえると思っていた……。私のように、人族とも手を取り合えると知ってほしかった! だが、彼女は人族を良く思わない者たちの手にかかって死んでしまった。私は護れなかった……っ」

「……彼女の覚悟を馬鹿にするの?」

「なんだと……」

人族と争う魔族に嫁いでいった人族の女性……。そんな人がお花畑にいるような気持ちで敵地に来るものか。

会ったことのない人だけど、何故かその気持ちが少しだけ分かった。

命を懸けるのに理屈はいらない。彼女はすべてを理解した上で、大切な人の心に寄り添うためにこの地へ来たのだと、私にはそう思えた。

「お前が死にたいのなら勝手にしろ。だが、自殺の理由に他人を使うな。私は、私を生かしてくれた人たちの思いに応えるため、死ぬまで抗い続ける道を選ぶ」

「お前は……」

闇の中から姿を見せた私に彼が目を見張る。

「その髪は……そうか」

彼は月の光に照らされた私の髪を見て、顔を手で覆うように黙り込む。そして夜空に浮かぶ月がわずかに傾くほどの時間をかけて、再び口を開いた。

「……彼女が……お前を寄越してくれたのか?」

「なんの話?」

「……いや、忘れてくれ。彼女もそうやって叱ってくれたのを思い出しただけだ……」

「そうか」

彼の中に、私の言葉が本当に届いたのか分からない。それで彼がどのような答えを見つけたのか知るよしもないが、それでも顔を上げた彼の瞳には、わずかだけど意志の光が戻っていた。

彼は泣きそうな瞳で月を見上げる。微かな月の光が、一瞬、赤みがかった桃色の髪を靡かせた女性の微笑みに見えたのは気のせいだろうか……。

独りよがりな私見だが、言いたいことだけは伝えた。ダンジョンの精霊が私をここへ飛ばして、何をさせたかったのか分からないけど……

「っ!?」

「なんだっ」

突然転移魔法陣が私の足下だけでなく彼の足下にも浮かび、私は無駄だと思いながらも、いいように弄ばれる憤りを込めて、咄嗟に引き抜いたナイフを空間そのものに投げつけた。

キィイイイイイインッ!!

耳鳴りのような音が響いて、真っ白な空間にナイフが弾かれる。

「……またか」

気づけば今度は何もない真っ白な霧の中にいた。

私をあの男の所へ飛ばし、再び転移陣を用いてまで呼び寄せた理由はなんなのか?

『――それは〝願い〟があるからだ――』

ナイフが弾かれた辺りから聞こえてきた、男とも女とも分からないその〝声〟に私は再びナイフを投げつけようとして途中で止める。

どうせ無駄か……。私は、心の声さえ読んだこの〝気配〟を知っている。

「…… 迷宮(ダンジョン) の精霊か」

『――お前たち人の子は、そう呼んでいる――』

前に会ったときは曖昧だったが、今ならその力の差を理解できる。この声がダンジョンの精霊なら、私たちを呼んだ意味もある程度は察しがつく……が。

「私に叶えてもらう願いはない」

ダンジョンの精霊に願いはない。そう言葉にすると精霊から頷くような気配……いやイメージが伝わってきた。

『――お前はそうだろう。我らが愛した『 月の薔薇(メルローズ) 』……それと同じ色の髪を持つ人の子よ。お前は、強き願いはあっても他者の力には頼るまい。最下層へ到着した、あの黒髪の娘のようにな――』

「…………」

最下層へ辿り着いたのはあいつか……。

「なら、どうして私を呼んだ? 私を彼……『魔族王』の所へ飛ばして、何をさせようとした?」

おそらくあの人物こそが、カミールの父であり死の淵にいるという魔族王その人なのだろう。だが、そもそも最下層にさえ辿り着いていない私は、呼ばれる理由がないはずだ。精霊に私の心が読めるのなら、私に願いはないと分かるはず。でもこの精霊は直接ここへ私を呼ぶことすらせずに、魔族王のいる場所へ飛ばした。

『――人の子よ。お前の疑問に答えるには、まず闇妖精たちのことを知らなくてはいけない――』

「闇妖精…… 闇(ダーク) エルフのことか」

『――左様。彼らの今の苦悩は、数千年前、一人の王が願ったことから始まった――』

精霊は人である私でも分かるように話し始めた。

元々この世界に『闇エルフ』と呼ばれる存在はいなかった。存在していたのは森林に住む白い肌を持つ〝森エルフ〟と、山奥に住み赤銅色の肌を持つ〝鉄エルフ〟だった。

森エルフが森林を住処とすることで火を厭い、人族が住む場所から離れていったのとは対照的に、山で鉱山から鉄を得ていた鉄エルフたちは火を得意とし、岩ドワーフにも劣らない技術を持って魔鉄の武器を作り、積極的に人族と交流していた。

だが、鉱物は鉄エルフだけでなく人族やドワーフも必要としており、鉄エルフの強さからそれらの独占を恐れた人族とドワーフは、安価な鉄製品を求める獣人族をも巻き込み、鉄エルフと対立することになった。

多種族と争うことになった鉄エルフは次第に追い詰められ、当時の王は高位の精霊に救いを願った。

『――それが本当に精霊かどうかは我は知らぬ。どのような契約が行われたのかも知らぬ。だが、その結果、鉄妖精たちの滅びは免れたが、その対価として肌の色を闇の如く〝黒〟に変えることになった――』

高位の存在に救いを求めた結果、鉄エルフは赤銅色の肌を黒く変えられた。

けれど悪意で変えられたのでも騙されたのでもない。精霊は私たちとは違う価値観を持った存在だ。おそらくその対価は、精霊にとって事前に伝えておくほどの重要なことではなかったのだ。

結果的に鉄エルフは救われたが、どれほどの契約がされたらそうなるのか、世界中の鉄エルフは、その日を境に全員が『闇エルフ』となり、そのせいでこのサース大陸の闇エルフたちも、他大陸からやってきた聖教会によって〝邪〟と断じられたのだ。

聖教会の教えでは、闇エルフは邪神に魂を売ったから肌が黒くなったとされていて、当たらずといえども遠からずだが、闇エルフを邪と定めたのは人族の政治的な思惑があったのだろう。

『――我がこのダンジョンの精霊として、最初に出会ったのが、人に逐われてこの地まで流れてきた闇妖精の、最初の王となった者だった。だがその者は、我に【加護】を願うのではなく、種族の存続を願った――』

私の髪と同じか……。と思い出して桃色がかった金髪に指で触れると、また頷くような気配が伝わった。

『――左様、だが、その願いは曖昧なもので、お前のような一族の恩恵を与えることはできぬ。故に我は、闇エルフとそれに関わる者が最下層へ辿り着いたとき、その願いを叶えてきた。だが、此度の到達者に〝願い〟はなく、我は契約を果たすため、願いの強き者を呼び寄せた――』

初代の魔族王以外にも人知れず辿り着いた者はいたのだろう。でも、あいつに願いがなかったせいで、代わりに私たちが呼ばれることになったのか……。

曖昧な選別だが、精霊はそれで初代魔族王との〝約束〟を果たしたと考えているらしい。ダウヒールとシャルルシャンが呼ばれたのもそれだろう。彼らは氏族の長であり、民の存続のために願う理由がある。

その配下たちが呼ばれなかったのは、願う意志の差か、勝つことに重きを置いていたせいだろうか? だがそれでも、願いのない私が呼ばれた理由にはならない。

『――闇妖精たちはあれほど争っていたにも拘わらず、同じ願いを持つ者が複数存在した。その願いのために人の子よ、〝お前〟の存在が必要だった――』

「……なに?」

魔族王に何かをすることが〝誰か〟の願いだった?

『――あの者が〝生きる〟ことで、いくつかの〝願い〟が叶えられた。だが、その願いが叶えられることで、一人の願いが消えて、小さな願いが強くなった。その闇妖精は、お前の存在そのものを求めている――』

〝私〟を求める? 私と決着を付けたい者がいるというのか?

それは誰か? 師匠の影を追っていたエルグリムか? それともアイシェか?

「――っ」

突然、背後に空間の歪みを察して、私はナイフを構えて振り返る。

何者かがこの場に召喚されようとしている。すぐに攻撃できるように身構え、待ち構えた私の前に現れたその人物は――

「……あ、アリア?」

混乱したように辺りを見回し、私を見つけて名を呼んだのは、ダンジョンの上層で分かれ、最下層を目指していたはずのカミールだった。