軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37.金色

木々の緑に深みが増し、秋に向けて落ち着きを感じる季節だ。

だが、庭は夏の暑さを色で物語るように鮮やかな花々が咲き誇っている。

円形の花壇の、外周に色も花形も様々なトルコ桔梗、間に黄色い 蓬菊(よもぎぎく) 、中央には背が高く鮮やかな 梅雨葵(つゆあおい) が咲き、花の塔を作っていた。

「蓬菊は虫除けも兼ねているそうですわ。ザクの家でも窓などに吊るしているそうです」

「それで、落ち着いて花が眺められるのか」

花の塔を硝子戸越しに眺めつつ、リュディアとロイが和やかに話す。てっきりトルコ桔梗と梅雨葵を映えさせるための可愛らしい花だとばかり思っていた、というリュディアの感想にロイは微笑ましさを覚える。

どうやら美術的観点しか持てないことが悔しいらしい。彼女の説明の発端が、虫の多い季節にしては穏やかだ、とロイが疑問を零したからだろう。

リュディアから聞く話で、ロイも庭師というものが視覚的だけではなく機能面も考慮して植物を配置する職業なのだと知った。実用的な内容はロイも興味深いため、彼女の話を聞くのは楽しい。また、城の庭も見る眼が変わっていい。

「そういったことを気にせずに楽しんでもらう方が本望だろう」

「そうかもしれませんが……」

自身の視野を広げたいリュディアには、ロイの持つ観点が羨ましいようだ。異性にそういった点を悔しがられることが珍しいので、ロイとしては嬉しい。彼女のこうした反応を見る度に、 得難(えがた) い友人を得たとロイは感じる。

「そういえば、婚約してからも訪ねる頻度を変えていないが問題ないだろうか?」

「何か問題がありますか? お茶会などでも会っていますでしょう」

「うん。それでこそ、リュディア嬢だ」

二週間に一度の来訪と婚約者として同伴するお茶会で充分だ、とのリュディアの答えに、ロイは満足げに微笑む。

婚約者候補の段階でも会う頻度を増やしてほしいと要望してきた他の令嬢との違いにロイは喜んでいるのだが、リュディアからすれば彼が王子としてすでに忙しい身であると知っているため回数を増やす必要性を感じず、彼の笑顔の意味を測りかねた。

リュディアは首を傾げたが、ロイが何だか嬉しそうなので言及はせずに他の話題へ変えた。

「近頃、イェルクの態度が軟化してきましたの」

「それはよかった。残すは扉の向こうの彼女だけか」

「はい……」

二人きりがいいとロイが言ったので、護衛のエミーリアは部屋の外でマテウスと共に控えている。彼女がいるであろう方向に蜂蜜色の瞳を向けると、リュディアが拳を小さく握り込んだ。最終関門が難航しているらしい。

硬質な鉱石のような眼をする少女、というのがロイの彼女の護衛の一人に対する印象だ。自分の護衛のマテウスが彼女と一緒のときは苦笑するので、随分と高潔で真面目なのだろう。懐柔するには難航する相手だ。

「イェルクのときのようにきちんと話し合いたいと思うのですが、取り付く島もなくて……」

本当に何度も彼女との対話に挑戦したのだろう、リュディアはとても悔しそうだ。エミーリアは業務外の私語を嫌うタイプだ。話す隙がないに違いない。

「……取り付く島がないのは、僕も同じだな」

ふと思い出したように苦笑するロイを、リュディアは心配する。彼が苦い表情を見せるのはかなり珍しい。

「ロイ様も、誰かに苦戦されていますの?」

「恥ずかしながら、弟にな」

「クラウス殿下ですか?」

婚約者となって何度か挨拶をしたことがあるロイの弟、クラウスを思い出す。リュディアは彼と挨拶しかしたことがないので、人となりをよく知らない。

「気難しそうな方ですわね」

会うときはいつも表情が固いので、リュディアの印象はそうだった。だが、ロイはゆるく首を横に振る。

「いや、クラウスのあの態度は麗しいリュディア嬢に緊張しているのが半分、後の半分は僕のせいだな」

すまない、と弱り気味にロイは微笑むが、前半の説明にリュディアは思わず頬を染めた。その説明は必要ないとリュディアは思うも、普段もだがお茶会の際は更に麗しいから緊張しても仕方がない、と尚もロイが褒めてくるから、大変居たたまれない。

「僕の前だと笑わなくなるんだ。だから、リュディア嬢にまで態度が悪くなって本当にすまない」

申し訳なさそうなロイの様子に、照れている場合ではない、とリュディアは気持ちを切り替える。

「それは、やはり王位継承権で……?」

「そのようだ。現に、フィルとは気負わずに接している。本当は優しく笑う子なんだ」

リュディアは王妃教育の一環で、第一王妃から話を聞く機会を設けられている。その際、第三王女のフィリーネとも会うが、彼女は嬉々として兄たちの話をする。ロイもクラウスも分け隔てなく。女子の継承権が低く彼女にもその意志がないので、親しくしても周囲から何も言われないのだろう。

だが、第一王子のロイと第二王子のクラウスは、歳も近く母親が異なるためそうもいかない。自身の家たる城内だろうと周囲の眼があり、お互いだけで話し合うことも困難だろう。

特に、クラウスの母である第二王妃の眼の届く範囲では。第一王子の婚約者であるリュディアは彼女からはいつも 牽制(けんせい) するような眼差しを向けられる。

「声をかけるようにしているんだが、どうにも毛嫌いされているようだ。兄と思われているかも怪しい」

「そうでしょうか……」

少し寂しげに微笑むロイに、リュディアは疑問を零す。

「先程から、クラウス殿下を擁護するお言葉ばかりですし、ロイ様はフィル様と同様にクラウス殿下を気にかけているように見えます。とても兄らしいと思いますが」

感じたままにリュディアが感想を伝えると、ロイは蜂蜜色の瞳を一度丸くして、ふわりと相好を崩した。

「そうだと嬉しいな」

「意外とできているものですよ。わたくしもそうですから」

リュディアも微笑み返す。リュディア自身、妹のフローラに姉らしいことができていないと悩んだ時期があったが、 端(はた) から見ているとできている、と庭師見習いの少年が教えてくれた。

自身のときはあげられた例を聞いてそんなことで、と思ったが、成程、第三者の視点からだとよく判る。言葉の端々に弟への気遣いが窺え、リュディアには、ロイが充分兄らしく映る。避けられがちにもかかわらず、何度も話しかけるなど家族でなければできないことだとリュディアは感じる。

もし、自分が妹のフローラにそんな態度を取られてしまったら、 挫(くじ) けそうになりながらも、声をかけ続けるかもしれない。想像しただけで悲しくてリュディアは涙が 滲(にじ) みそうになった。

「ロイ様の心中お察ししますわ……っ」

「リュディア嬢……、僕のことで君が悲しむ必要はない。それに、フローラ嬢が君を嫌うことなど、あり得ないから安心してくれ」

自身に置き換えたことを察し、そっとハンカチを差し出すロイ。リュディアは多少潤んだだけなので拭う必要はなかったが、ロイの弱ったような表情を見て素直に受け取り、はい、と首を縦に頷いた。

「いずれにせよ、お互い、どうにか話す場を設ける必要がありますわね」

王家の兄弟の確執と自身の主従問題を同列にするのは 奇怪(おか) しいかもしれないが、それぐらいの軽さで話した方がよいと、リュディアは思った。リュディアの言葉に頷き、ロイはそうだな、と呟いて思案する素振りを見せる。

そうして、何かを思いついたらしいロイは 煌々(きらきら) しい微笑みをリュディアに向けた。

「リュディア嬢、我儘を言って僕を困らせてくれ」

「え……?」

唐突な依頼にリュディアの思考は一瞬停止する。困らせるほどの我儘とはどれほどなのか。相手の都合を考慮せずに自身の要望を振りかざす行為は、もう恥ずかしくてリュディアにはできそうもない。二年前の自身の行いを今思い返すと 愧死(きし) してしまいそうになる。

難易度が高すぎる要望にリュディアが弱ると、ロイは安心させるように微笑んだ。

「と、いうことにしてくれないか?」

「わかり、ましたわ」

ロイが何をするつもりなのかは判らないが、そういう前提にした方がよいようなので、少しでも和解に協力したいリュディアは頷いた。

リュディアの了承を得て、ロイはありがとうと礼を言ったあと、まだ潤んで普段より煌めくニゲラの花のような瞳を見て苦笑した。

「しかし、君を泣かせたと知れたら、イザークが黙っていなさそうだな」

「どうしてザクですの?」

リュディアは首を傾げる。自惚れではなく、自身を心配してくれる人間はこの家にはたくさんいる。エルンスト家の使用人だけでも、メイドのカトリンや護衛たちは些細な機微でも反応しそうだ。なのに、何故ロイは庭師見習いの少年の名を最初にあげたのだろう。

ロイはただ微笑んで答えることはなかった。代わりに、後ろに振り返る。

「失礼。忘れてはならない人物がいたな」

ロイの視線の先をリュディアも追うと、部屋の扉を開けたところらしいゆるやかな濃い金糸の髪をした青年がいた。リュディアと同じ色の瞳が驚愕に見開いている。

「お父様?」

父のジェラルドが何を驚いているのかリュディアは不思議に思ったが、ロイに差しだされたハンカチを手にしていることに気付き、与えた誤解を理解して焦る。

「ちっ、違うんです……!」

「リュディア嬢、恐らくそれは逆効果だと思うぞ」

「殿下、ゆっくりとお話を伺えますか?」

笑みを湛えているのに有無を言わせない空気を纏う父から、誤解を解くのは相当の苦労をした。お門違いな誤解を受けた本人であるロイが心なしかずっと可笑しそうに微笑んでいたので、リュディアだけが心労を受けたようで不公平を感じた。

曰(いわ) く、自分の言葉にまったく耳を貸さない父の娘への愛が興味深かったそうだ。凄いな、だけであの父の剣幕を済ませるロイも充分に凄いとリュディアは思った。

幾日かして、アーベントロート王国の城内で兄弟二人が廊下でばったりと顔を合わせる。

「クラウス、元気か」

にこりと微笑んでロイが弟に挨拶をすると、弟のクラウスはすっと目線を逸らしぶっきらぼうに返す。

「昨日も稽古で会ったのに、そう変わる訳がないでしょう」

「それもそうだな」

にこにこと頷くロイに対して、クラウスは眉を 顰(ひそ) める。二人とも金属の色の髪をしているが、癖のないまっすぐな髪質のロイと違い、クラウスは外に毛先がハネている。表情だけではなく髪質も対照的であった。二人の従者も、少し気弱そうに苦笑するロイ側と険のある眼差しをするクラウス側とで持つ雰囲気が違った。

一刻も早く去りたいクラウスはそれでは、と軽い会釈だけをして通りすぎようとする。が、一歩踏み出すより先に、ロイが更に声をかけた。

「そうだ。これから婚約者の元を訪ねるんだが、クラウスも来ないか」

「は?」

突拍子もない誘いの内容に、クラウスは思わず怪訝さを隠さず聞き返した。驚きの余りに兄の顔を見るも、煌々しい笑顔がそこにあるだけだ。

「何故、オ……私が?」

「リュディア嬢が、クラウスと話してみたいと言うんだ。少し顔を見せるだけで構わないから、兄を助けると思って付き合ってくれないか?」

弱ったように肩を竦めてみせるロイ。ロイがそこまで婚約者に入れ込んでいるのか、婚約者が王子のロイに対して厚かましい態度を取っているのか判り兼ねるが、クラウスにとって面倒なことには変わりない。

「申し訳ありませんが、今日は立て込んでいるので……」

「おや。今日はいずれの家庭教師も来ないはずだろう?」

こちらの予定を把握した言葉にクラウスは苦い表情になる。

「母上に、呼ばれていまして」

「ジモーネ様はライムバッハー侯爵夫人の茶会に向かわれたはずだが」

「妹、に……」

「フィルは今頃マナーの師に絞られているだろう」

ロイに口実のすべてを封殺されてしまい、ぐぅ、とクラウスは唸るしかなくなった。予定がないことを知った上でロイが誘ったのだと、ようやく気付く。

「わかり、ました……」

「助かる」

渋々了承したクラウスに、ロイは笑顔で礼を言った。

傍にいたクラウスの従者が同伴を申し出たが、こちらの従者であるマテウスがいれば事足りる、とロイは断った。

マテウスは、王子のロイが直々に指名した近衛騎士であり、その異例を認めさせるために既存の近衛騎士と十番勝負をし、そのすべてに勝利した実績がある。クラウスの従者である近衛騎士も敗者の一人であるため、それ以上の追及はできなかった。

孤立無援の状態でクラウスはロイと馬車に乗ることになる。

クラウスは警戒するように兄を見るが、絶えずにこやかで真意が読めない。何か裏があると感じる。王位継承争いをしている相手を自分の婚約者に会わせようとするなんて、自分は嘗められているのか。兄に婚約者ができた歳になっても自分にはまだ婚約者はいないが、それは単に母である第二王妃が兄の婚約者より優位な者を、と探しているからだ。

揺れる馬車の中で、自分が侮られている可能性がもたげ、クラウスは膝の上で拳を固く握った。

エルンスト公爵邸に着くと、ロイの婚約者であるリュディアが、一分の隙もないカーテシーで出迎える。挨拶を済ませると、庭先にお茶の用意がしてあるとそちらに案内された。

「それにしても、本日はお会いできて嬉しいですわ」

言葉通りに微笑むリュディアに 見惚(みと) れかけ、我に返ったクラウスは咳払いをして直視しないように視線を庭へ逸らした。

「こちらこそ、お茶に誘っていただき光栄です」

「わたくし、クラウス殿下ともっと話してみたかったんです。それで、ロイ様に我儘を言ってしまいました」

ふふ、と笑みを零すリュディアの可憐さに、兄が彼女の要望を聞いてしまう理由を納得してしまった。

王族に連なる血を持つ公爵家の者とはいえ、簡単に王族に会いたいというのは我儘と言えるかもしれない。だが、王子のロイの婚約者なので、そこまで大層な我儘でもない気もする。彼女の我儘は、自分がこれまで最低限の挨拶だけしかしなかったことが要因に思えて、クラウスは負い目を感じた。

「リュディア嬢は麗しいから、弟とはいえ他の男を紹介するのは気が引けたんだがな」

「ロイ様ったら、ご冗談ばっかり」

惚気(のろけ) のようなやり取りに、クラウスの感じていた負い目が薄らいだ。自然と、元々つり気味の眼が据わる。仲睦まじい様子を見せつけられ、何故自分がこの場にいる必要があるのか解らなくなった。

若干の苛立ちを感じつつも、なるべくそれが声に出ないように気をつけクラウスは一気に紅茶を 呷(あお) り、席を立った。

「兄上は婚約者殿と積もる話があるでしょう。私は庭を少し見てきます」

「あ……っ」

呼び止めようとするリュディアの声に構わず、クラウスは遊歩道の方へと去っていった。

伸ばしかけた手を下ろして、リュディアは眉を下げる。

「茶菓子を用意する口実で、わたくしの方が席を外す予定でしたのに……」

「いささか婚約者らしく振舞いすぎたかな?」

計画が失敗したことに落ち込むリュディアと違い、ロイは困ったというよりは楽しげに肩を竦めた。ロイの様子に、リュディアが半眼になる。

「ロイ様……、どうしてそんなに楽しそうなんですの?」

「いや、クラウスが意外と反応を返すのが嬉しくてな」

「そう、ですか……?」

「ああ」

クラウスの険のある態度は、リュディアには到底そうは思えなかったが、ロイには確かな手応えを感じるものがあったようで嬉しげに微笑んでいる。

「逃げられるでもないし、落ち着いたら戻ってくるだろう」

「そんな呑気な……」

ゆったりと紅茶を口にするロイに、リュディアは呆れる。自身の計画がすでに 頓挫(とんざ) してしまっているというのに、残念がるでもなく落ち着いているロイは 鷹揚(おうよう) にもほどがある。リュディアの方が現状を心配してしまっていた。

「追えば逃げる。向こうから近付くのを待とう」

「……クラウス殿下は野生の動物ではありませんが」

リュディアの指摘に、内心言い得て妙だとロイは笑みを零す。

ロイにとっては、第二王妃などの介入のない状況で、弟とこれだけ長く共にいられるだけで充分だった。クラウスの警戒がそう容易く解けるものでもないと理解しているので、一度で一気に距離を詰められるとは思っていない。元々、長期戦のつもりだった。

折角の紅茶が冷めてしまう、とロイが促すと、リュディアも仕方なく席に戻った。カトリンの淹れた紅茶だ、ちゃんと美味しい状態で飲んであげたい。

「馬鹿にしてるのか!」

ざかざかと苛立ち混じりにクラウスは庭内を歩いていた。周囲に 人気(ひとけ) がないので、悪態を 吐(つ) いても平気だった。

普段から笑みを湛えた第一王子のロイは、優秀で隙のない人間だ。人が努力してる横で余裕で上を行く。

日頃より、母である第二王妃のジモーネにロイを越えるように言われ、周囲は事あるごとに兄と比較する言葉ばかりをクラウスに投げかける。それらによって根付いた劣等感で、ロイに対して卑屈になっていた。

今日のことも、もっと早くに気付くべきだった。帝王学を学ぶ中で、行動に移す前の情報収集や根回しの重要性を家庭教師が論じたが、戦時にも活用できると聞いたそれを日常に活用してくるとは思わなかった。着眼点の違いを見せつけて、資質の差を自覚しろとでも言われているようだ。

クラウスにとって兄の婚約者の邸など敵陣でしかない。そんな場所にいる状況も苛立ちを助長させた。

ふと、クラウスは足を止めた。

「……どこだ?」

苛立ちのままに足を進めていたせいか、森のように木々が生え、道らしい道がない場所にいた。陽射しが和らいだので曇ったのかと見上げたら、頭上が木陰に覆われていた。遊歩道ならば辿れば戻りようもあるが、同じような樹木ばかりが囲むこの場では方向も怪しい。

周囲を見回してみるも、自分がどちらの方向から来たのかも定かではないため、邸の方向が判らない。

逡巡(しゅんじゅん) した末、クラウスは戻る道を探そうと一歩踏み出した。

その直後、近くにあった低木の 叢(くさむら) から、ずぼっと人の頭がクラウスの目の前に現れた。

「うわぁ!?」

突然、木々の中から人影が飛び出し、クラウスは驚きで心臓が飛び出るかと思った。

「あれ? 誰だお前」

「おっ、お前こそ誰だ!!」

きょとんと 銅(あかがね) 色の双眸がクラウスを映して不思議そうに訊ねる。人影の正体が歳の近そうな少年と判り、クラウスは一瞬の安堵のあと驚かされた怒りが湧いた。

「この家の庭師見習いだけど」

「庭師が客を驚かしていいと思っているのか!」

「え、こんなトコまで滅多に人来ねぇもん」

来客用の区域はずっと向こうだと庭師見習いらしい少年は言う。彼はエルンスト家の庭内の位置を把握しているようだ。

「言い訳をするなっ、非礼を詫びるだけでは足りない! オレを邸まで案内しろ!」

「何だ。迷子か」

「違う!!」

迷子扱いされ即座に否を唱えてから、クラウスは言い訳を何も考えていなかったことに気付いた。気まずくなり、視線を逸らす。

「……ちょっと、周りを見ていなかったから、方向が分かりにくいだけだ」

「そうか」

何の言い訳にもなっていないと気付いていないクラウスの様子に、庭師見習いの少年は出かかった言葉を飲み込んで、ただ頷いた。

クラウスは話を逸らすように、庭師見習いの少年へ立てた人差し指を向け、咎める。

「だ、大体、お前は立場を弁えろ! オレはこの国の第二王子、クラウス・ヴォルフガング・フォン・ローゼンハインだぞっ」

「レオ、弟もいたのか」

すぐさま 平伏(ひれふ) すかと思ったら、意外そうに眼を丸くするだけで、クラウスは動揺する。彼の反応が想定外で、何と言ったかうまく聞き取れなかった。

「オレの顔を見て分からないのか!?」

「庶民は王族の顔なんて知らねぇよ」

「絵姿、とか……」

「そんな高価なもん、近所の教会にも飾られてねぇし」

これまで名乗らずとも顔を知られているのが当たり前で、国民すべてが王族の姿を知っているとばかり思っていた。王家の威光は平民にまで知れ渡っているものだと信じていた。自分を王族と判らない者がいる事実に驚愕する。

「……っとにかく、オレが王子と分かったからには態度を改めろ!」

「誠に申し訳ございませんでした。これまでの無礼、お許しいただけますよう、何卒お願いいたします」

「お……、わ、分かればいいんだ」

クラウスの言葉を聞いた途端、庭師見習いの少年は人が変わったように静かな表情になったかと思うと丁寧な礼を執られ、クラウスは面を食らう。

庭作業向きの服装に不釣り合いな所作で、違和感を感じるほどの丁寧さだった。王城にも庭師はいるが、作業しているのを遠目に見かけただけなので、彼の礼儀正しさが通常なのか判断が付かなかった。

邸へ案内いたします、と数歩先へ行き、クラウスが後について来るのを確認したあとは、クラウスの歩調に合わせて先導する。

無駄口を叩かず、静かに先を行く背中を見て、クラウスは彼の存在感が薄くなったように感じた。城内で視界に入るだけの使用人たちとまるで変わらない。出会い頭の彼の印象と違いすぎて、何だかつまらない。

「おい」

「はい」

「黙ってないで何か話せ」

「そうは申されましても、庭師風情の泥臭い話などお耳汚しでしょう」

すらすらと返る言葉が典型的すぎて、クラウスは眉を顰めた。

「まず、その話し方を止めろ。気持ち悪い」

そう、気持ち悪い。わずかの間とはいえ、本来の彼の話し方を知ったあとでは違和感しか感じない。今の状態の彼との会話は、誰とも話していないようだ。上辺だけの言葉と明らかだと、ここまで白々しいものになるのか。

先程の発言を前言撤回する指示に、庭師見習いの少年はすぐには首肯しなかった。

「しかし……」

「いいから、戻せ」

「……この庭内だけのこと、と眼を瞑っていただけるのでしたら」

「わかった。許す」

クラウスが条件を飲むと、庭師見習いの少年が一度足を止め、振り返ってにかりと笑った。

「堅苦しいの苦手だから助かる。俺はイザークだ」

意外と話が解る奴だな、と彼はクラウスを褒めた。王子としての称賛ではないそれは、クラウスの胸をくすぐった。本来の話し方に戻った彼の言葉は、真っ直ぐ自分に向くから悪い心地はしなかった。

最初は不敬だと 憤(いきどお) りを感じたが、この場限りだと思えば、気安く話し易い。庭師見習いの少年の先導について行きながら、クラウスは疑問を投げかける。

「苦手にしては、随分口が達者だったな」

「短期だけど代打で練習したんだよ」

「代打?」

「お前の兄貴、婚約者決めるまで候補とのダンス断ってただろ」

そういえば、公平さを保つため、と兄は正式な婚約者決定まではどの婚約者候補ともダンスをしていなかった。選べる立場である 傲慢(ごうまん) さの表れだ、と母が非難を零していたが、令嬢側がパートナーに困る可能性までクラウスは考慮していなかった。

「庭師の仕事にはダンスの相手も含まれているのか?」

「レオみたいなこと言うな」

そんな訳ないだろう、と庭師見習いの少年は微妙な声を返すが、ダンスパートナーの代役をしたと言ったのは彼だ。庭師の業務内容を知らないのだから誤解をさせた方に非があるだろう、と思いクラウスは彼の背中を睨んだ。

「イザークとか言ったか、名乗った相手をお前呼ばわりするのは不敬以前に失礼だぞ」

先程から気になっていた点を指摘すると、庭師見習いの少年はすんなりと謝罪を返した。

「悪い。えぇーっと、クラ…………、何だっけ?」

だが、ちゃんと名前を覚えていなかった。クラウスは思わずムキになる。

「クラウス・ヴォルフガング・フォン・ローゼンハインだっ」

「クラ……ヴォ?? 貴族や王族って、なんでそんなに名前が長いんだ?」

「お前は頭が悪いのか!?」

「うん」

記憶力のなさを素直に認める庭師見習いの少年に、クラウスは脱力する。歳だけならばクラウスより上だろうに、彼は馬鹿にされて悔しくないのだろうか。それとも、貴族ほど教養がない平民はこういうものなのだろうか。いや、彼に矜持というものが欠如しているだけの可能性が高い気がする。

「……なら、もうヴォルフだけでいい」

どうせこの場限りの話し相手だ。名前を呼ばせた場合、後々、この頭の悪い男が不用意に呼び捨てにするようなことがあっては、不敬を 咎(とが) められ面倒になりそうだ。そう思い、クラウスは誤魔化しの 利(き) くミドルネームの略称を教えた。

頭の悪さを心配されていると気付いていない庭師見習いの少年は、それなら覚えられる、と笑みを含んだ声を返した。

「そういや、あんなところまで来るなんて、ヴォルフは体力があるんだな。鍛えてるのか?」

「剣術を習っている。素振りもよくしているから、これぐらい何ともない」

「凄いな」

言葉通りの感心した声が返る。彼は王族を知らないから当然だが、兄のロイと比較されていない称賛がクラウスには珍しく、また嬉しいものだった。

剣術の件を口にし、昨日のことを思い出したクラウスは眉を寄せた。

「でも、まだ兄上には勝てないんだ」

簡単な打ち合いをしただけだが、すべて払われ、流されてしまった。一撃も入らなかったことが悔しい。

「兄貴と幾つ違うんだ?」

「半年しか違わない。学園に入れば同学年になる」

何年も先だが、学園に入れば同学年となり更に比較されることだろう。苦々しい想いが込み上げる。

何故か、庭師見習いの少年が立ち止まって振り返った。

「なぁ、手だしてみ」

彼が右手を広げてみせるので、何だ、と思いながらもクラウスは反射的に自分の左手を広げてそこに近付けた。

「ほら、俺の方が大きいだろ?」

「だから、どうした」

手首辺りの高さを揃えると、彼の手はクラウスより一回りは大きかった。何を当たり前のことを言っているんだ、とクラウスは怪訝になる。

「背はヴォルフの兄貴より高くないか?」

「そうだな」

兄よりも高い位置に視点があるから、彼の方が高いだろう。だから、クラウスは肯定した。

「でも、それは俺がヴォルフの兄貴より歳が上だからだ。今の半年はデカいけど、あと数年すりゃ素振りしてるヴォルフの方が強くなるかもな」

子供の時分での一歳差は大きい。体格の優位性があるから気にするなということだろうか。

今後も差が開くばかりだと思っていたが、半年の差が縮まる可能性があるなんて思っていなかった。クラウスは思ってもみないことに眼を丸くする。

「まぁ、俺は剣なんて習ってないから今のヴォルフにも負けるだろうな」

へらりと笑う様は、確かに頼りなさそうだ。

「イザークと打ち合うときは手加減してやる」

「そりゃ、ありがたい」

わざと尊大に言ってみせると、庭師見習いの少年は可笑しそうに笑った。

クラウスは、自分が軽口を言うことができると初めて知った。これまでそんなやり取りをする相手がいなかったから知らなかった。あり得ない前提の話をするなんて、この場限りだからできるのだろう。

「イザークは変な奴だな」

「そうか?」

心外そうに首を傾げるが、クラウスが王子と知ったあとも、言わなければ王子として扱わない者はこれまでいなかった。

「エルンスト家の者なのに、兄上のことを聞いてこないじゃないか」

「なんで、そんなコト聞かなきゃいけないんだ?」

心底興味がなさそうな答えが返った。

自分の仕える家の令嬢の婚約者だというのに、興味はないんだろうか。相手の家格などでも家に影響があるものだから、使用人は少なからず関心を持つと思うのだが。

あまりの関心のなさに可笑しくなり、クラウスは少し笑った。

「構えていたオレが馬鹿みたいだ」

兄のロイの婚約者の邸ということは、兄を是とする集団の中にいるようなものだと思っていた。

「よく分かんねぇけど、聞かれたらどうするつもりだったんだ?」

「本性をバラすつもりだった」

兄は外面がいいから信じないかもしれないが、聞きたいだろう兄への称賛など言ってやるものかとクラウスは決めていた。

庭師見習いの少年は不思議そうに首を傾げる。

「本性?」

「そうだ。兄上は傲慢で意地が悪いんだ」

「まぁ……、いい性格はしてるわな」

庭師見習いの少年の呟きを同意と受け取ったクラウスは気を良くし、 饒舌(じょうぜつ) になる。

「だろう。狡猾で人を蹴落としても平然としているような人間なんだ!」

「へー」

クラウスが力説しても、興味の薄い相槌しか庭師らしい少年は返さなかった。

「なのに、それを知らない奴らが兄上を次期国王にって言うんだ、オレの方が王に相応しいのに!」

「ヴォルフ、王様になんの?」

「当たり前だっ」

「なんで王様になりたいんだ?」

「母上がオレが王になるのを望んでいるからだ」

貴方が王になるのだと、兄に負けてはならないと、何度も母に言い聞かされた。母の望むようにならなければならない。

庭師見習いの少年は、きょとんとした眼になり、クラウスを見つめる。

「俺、お前がなりたいか聞いたのに、なんで母親の話になるんだ??」

「なんでって……」

その先の言葉が続かなかった。

今まで何ら疑問を持たずにいた根底に触れた。考えてはいけない、と頭の片隅で警鐘が鳴っている。だが、自分の言葉を待つ 銅(あかがね) 色の瞳が、目の前にあるから思考を止めていられない。

「オレ、は……」

どうして王になりたいのか。

自分は本当に王になりたいのか。

疑問が混乱を呼び、解らなくなる。疑問の渦に耐えるように、クラウスは拳を握った。

「……お、お前だって、家業だから庭師に就いているんじゃないのか!?」

「いや? 俺がなりたいからだ。親父にも母さんにも、庭師になってほしいなんて言われたことねぇもん」

苦し紛れに同様の問いを返したら、あっさりと即答された。それもクラウスが答えられない何になりたいか、を明確に持っていた。

それを羨ましい、と思った。

クラウスはぐっと唇を噛む。その様子を見て、庭師見習いの少年は不可解そうに問う。

「なんか、兄貴の文句の辺りからふわっとしてんな。ヴォルフが思って言ってんの?」

「だが、母上が……」

また母の言葉が口に出そうになったのに気付いて、クラウスは言い 澱(よど) む。ちゃんと自分の名前も覚えられないような奴だが、自分の意見を聞こうとする。だから、誤魔化しが利かない。

彼が自分の、クラウス自身が思った言葉を待っているのは解る。だが、自分の言葉を紡ごうとすると、途端に 縺(もつ) れてしまう。

母や周囲の言葉を借りずに話そうとすると、こんなにも心許なくなるのか。

「ヴォルフ」

教えた名前を呼ばれ、顔をあげるとぽんと頭を撫でられた。

「俺の母さんが言ってた。お腹を痛めて産んだから自分の一部みたいに愛せるけど、別の人間だって忘れたら駄目だって」

母親の考えを読めたことがないから同意見だと目の前の少年はあっけらかんと言う。クラウスと同様に母親の意見を言ったはずなのに、彼の言葉だった。

クラウスは眼を見開いて固まる。

母と別の意見を持っていいと言われたのは初めてだった。それ故に、衝撃だった。

周囲の者は母の言葉に頷き、同様のことを求める。だから、母の思う通りに行動をしなければならないと思っていた。血の繋がりを意識しすぎて、別の人間だという当たり前のことを失念していた。

自覚すると、 縺(もつ) れていた言葉が少しずつ 解(ほど) け始める。

「……オレは、帝王学の授業は難しくて好きじゃない。兄上に勝てないのは悔しいが、剣術の稽古の方が楽しい。フィル……、妹が喜んでくれるから、ヴァイオリンを弾くのが好きだ」

自分の心を探りながら話しているので、独り言のようだが、庭師見習いの少年は確かにクラウスの言葉を聞いていた。

好きなもの、嫌いなもの、それらをあげてゆくと定まっていなかった想いが形になる。母に褒められたいと頑張ってきたが、これまでで一番嬉しかったのは、覚えたばかりの拙い一節を披露したときに見た無邪気な妹の笑顔だ。

「父上は、オレの前でも国王らしいから、……少し怖い」

父は子供の前でも王のままだ。為政者の顔に思わず緊張するが、それが尊敬なのか解らない。むしろ、あの父相手に家族全員で食事をしたい、と抗議した妹の勇敢さを尊敬した。

「だから、王になりたいかは、分からない」

父のようになりたい、と憧れる気持ちがない。もし、王になることが公平さ故に家族にも感情を見せないことなら、そうはなりたくない。

やっと見つけた気持ちを口にしてから、クラウスは気付く。目の前の相手はすでになりたいものを見つけている。その相手に、なりたいものが判らないというのは滑稽ではないか。

「いいんじゃね?」

「え」

羞恥で顔を赤らめかけていたクラウスは、否定されずに頷かれたことに拍子抜けする。

「俺らの歳で夢が見つかってるヤツの方が少ないだろ。俺は、たまたま運がよかっただけだ」

クラウスの方が普通だと肯定され、どう反応を返せばいいのか解らない。

自分の言葉を伝えること自体久々だ。自分は、いつから自分の気持ちを口にするのを諦めてしまっていたのだろう。最初は、ただ母に喜んでほしかっただけだったのに。

久しぶりに自分の気持ちを口にするのは怖かったが、受け止めてもらえてなんだか泣きそうに嬉しかった。だが、それをぐっと堪える。男が泣いては格好悪い。

「そうか」

クラウスは、ただ頷いた。気付くと自然と口元が笑んでいた。

「あ、もうちょいで遊歩道の辺りに出るぞ」

庭師見習いの少年が指す方向を見ると、木陰の途切れる向こうに見覚えのある花壇が見えた。

彼に続いて木々の間から遊歩道へ出ると、陽の光を強く感じて、クラウスは思わず眼を瞑った。

瞼の裏で光に慣れるのを待って眼を開くと、遊歩道の脇を彩る花壇の花が鮮やかに見えた。先程はここまで色鮮やかに見えなかった気がする。

綺麗だ、と音もなくクラウスは呟いた。

ふと隣が沈黙していることに気付いて庭師見習いの方を見遣ると、呆けた顔をした彼が自分を見ていた。

「……何だ?」

怪訝に問うと、銅色の瞳が陽光に輝いた。

「ヴォルフの眼、金色に光ってすっげーな! 髪も白金だし」

「金……? 銀じゃ……」

意外な言葉に、クラウスは虚を突かれる。

よく、兄のロイは金の王子、クラウスは銀の王子と呼ばれている。

金髪の兄と銀髪の自分の容姿からだが、暗に兄に劣ると 隠喩(いんゆ) され 蔑称(べっしょう) にも使われる。クラウスは瞳も緑で、王族の代名詞の 金色(こんじき) をどこにも持っていなかった。

王族が必ず金色を持つとは限らない、と頭で解っていても、自分が劣化品ではないかと不安が付いて回っていた。

なのに、庭師見習いの少年は自分が 金色(こんじき) を持っているという。髪を白銀と言われることはあっても、白金と例えられたのは初めてだ。

クラウスの問いに、庭師見習いの少年は不思議そうに首を傾げる。

「銀なら、もっと鏡みたいに反射するじゃん。そんな柔らかく光るのは白金だろ」

平民の彼が稀少な白金を見たことがあるというのは不思議だったが、確かに金属の区別はついているようだ。

「ヴォルフの金は優しい色でいいな」

何故か庭師見習いの少年は嬉しそうに笑う。

「……っな、何なんだ、お前は!!」

「ちょっ、いきなり何だよ」

せり上がってくる感情を持て余し、クラウスは庭師見習いの少年を小突いた。痛みを感じない程度に加減された拳を受けて、庭師見習いの少年は意図が判らず言葉だけで抗議する。クラウスは拳で八つ当たりしないと、表情が緩みそうだった。

「案内、御苦労」

「おう」

一頻(ひとしき) り八つ当たりをして落ち着いたクラウスは大仰に礼を言うと、庭師見習いの少年は頷いて作業に戻ろうと踵を返す。

クラウスも遊歩道の来た道を戻ろうと踏み出したが、一度振り向き、木陰に戻ろうとする背中に声をかけた。

「イザーク、またな」

「次は迷うなよー」

顔だけ振り返った庭師見習いの少年は、小さく笑みを零し、ひらひらと後ろ手に手を振った。彼の背中が木陰に埋まったのを確認して、クラウスも前に向き直り歩き出す。また、と言ったのは何となくだった。

遊歩道は 花魁草(おいらんそう) や 庭薺(にわなずな) が色鮮やかに咲いている。可愛らしいと感じる咲きぶりで妹が見たら喜びそうだ、とクラウスは思った。 往(い) きと違い、花を眺める余裕が生まれていることに気付き、クラウスは可笑しくなる。

しばらく歩くと、向こう側から兄のロイと婚約者のリュディアがこちらに向かってきた。リュディアは、クラウスの姿を認めると、安堵したように微笑み足を速めてクラウスの元に来た。

「クラウス殿下、よかったですわ。なかなかお戻りにならないので、心配いたしました」

「ほら、大丈夫だと言っただろう」

存外心配性だ、とロイが朗らかに指摘すると、リュディアはロイが呑気すぎるだけだ、と言い返していた。先程は苛立ちを感じたやり取りも、ただ仲が良いだけと受け止められる。

自身の心境の変化に、クラウスは苦笑する。現金なものだ。

「申し訳ない。歩くごとに色が移り変わるので、つい奥まで歩いてしまいました。良い庭ですね、妹にも見せてやりたいです」

「はいっ、可愛らしいでしょう。自慢の庭なので、気に入っていただけて嬉しいですわ」

嬉しげに表情を綻ばせるリュディアに、クラウスは少しだが笑んで返した。彼女の可愛らしい反応に、つられて笑みが零れる。

ふと視線を感じて見ると、兄のロイが不思議そうに蜂蜜色の瞳を向けていた。こういう表情もするのだと、クラウスには意外だった。

「何か?」

「いや……、一年はかかるだろうと思ったものが見られたのでな」

驚いただけだ、とロイは嬉しげにはにかむ。普段の読めない笑顔ではなく、感情の判りやすい兄の笑顔にクラウスの方が驚いた。そして、兄の笑みの原因に気付き、むっとなる。

「失礼な。オレだって笑います」

「知ってるさ」

兄の前で睨みこそすれ笑った記憶のないクラウスは、何故知っているのか首を傾げる。

気を許して笑うなど妹の前でぐらいだ。となると、その時でしかあり得ない。兄の言葉から、知らないところで見られていた事実を知り、クラウスは気恥しくなる。自分が妬ましく思っているだけで、兄は自分など気にも留めていないとばかり思っていた。

クラウスは言葉に詰まり、兄から顔を背けた。

視界から逸らしても兄の嬉しげな気配が伝わり、何か文句を言いたい気分だったが浮かばなかったので、クラウスは咳払いをし訊いた。

「兄上は、王になりたいのですか?」

唐突だとは思ったが、この機会に確認しておきたかった。城に戻れば母がいる。そのときに自分の言葉が出せるか、クラウスにはまだ自信がなかった。

ロイは一瞬瞠目して、クラウスの眼を見返しふわりと微笑む。

「ああ。この国が好きだからな」

兄が望んで王になろうとしていると聞き、やっぱりとクラウスは思った。才能云々より、自分と勉学に 臨(のぞ) む姿勢が違うと薄々感じていた。

「では、兄上も運がよかったんですね」

「そうだな。僕は運がいい」

クラウスの言い方に、リュディアは引っかかりを覚えたが、ロイはただ笑みを深くするばかりだった。

「オレは……、とりあえず、兄上に負けるのが悔しいので剣術を頑張ります」

王位を目指すかは置いておいて、受ける教養で頑張れるところから頑張ってみよう。

「なら、僕も頑張らないとな。弟に格好の悪いところは見せられない」

「そんなこと気にするんですか……?」

「そんなこととは何だ」

真剣に真顔で返すロイに、クラウスは呆気に取られる。兄は、何でも余裕でこなしているとばかり思っていた。

「努力しないと勝てないとバラしたら、格好つかねぇよ」

可笑しくなり、クラウスは思わず喉を鳴らす。兄が完璧な訳ではないと知ったためか、無意識に口調が砕けていた。

「リュディア嬢、やったぞ! クラウスの警戒が解けた!」

「な……っ!?」

「よかったですわね、ロイ様」

余程嬉しかったのだろう、今日一番の眩しい笑顔を見せるロイに、水を差さないようリュディアはまた野生動物扱いになっていることを指摘せずに黙した。ロイの予想していた今回の目標値が、随分と低かったことにリュディアは気付く。避けられ続けていたのだから、それも仕方ないことだ。

クラウスの方は、些細な一挙一動にいちいち反応されて恥ずかしい。それをわざわざ婚約者に報告するから余計だ。

「大袈裟だっ」

「僕には一大事だ」

今更言葉遣いを改める訳にもいかず、素の口調でクラウスが抗議するが、ロイは嬉しそうな表情を抑える様子がない。

「クラウス殿下、よろしければ今度はフィル様といらしてください」

「殿下はいい。いずれ 義姉上(あねうえ) になるんだし」

クラウスの言葉に、リュディアだけではなくロイまでが眼を丸くした。そして、何かを思い出したように互いに目配せし合う。

二人の様子に、クラウスは首を傾げる。自分は何も 奇怪(おか) しいことは言っていないはずだ。

「では、クラウス様、でよろしいでしょうか?」

「ああ」

少しだけ 躊躇(ためら) って呼ばれた名前にクラウスが頷くと、リュディアはほっと安堵の笑顔を見せた。

ロイは嬉々として、クラウスに話しかける。

「この花魁草たちや花の塔が咲いているうちに、また三人で来よう」

「花の塔?」

「次来たときに教えるさ」

「別に、オレはフィルと二人でも……」

「僕の婚約者の家なのに、僕を 除(の) け者にするなんて酷いな」

「……考えておく」

打ち解けた兄弟のやり取りを、リュディアは微笑ましく眺める。最初はどうなることかと思ったが、クラウスが話を聞いてくれるようになってよかった。

しかし、 頑(かたく) なな態度だったクラウスが遊歩道を一周して戻ってきただけで角が取れたようになったのは不思議だ。庭の花を見て和んだのだろうか。それなら素敵な庭を造ってくれた庭師のデニスに礼を言わなければ。

わたくしも、エミーリアと花を眺められるようになりたいですわ。

カトリンやペトラと皆で、穏やかに庭で過ごせたらどれだけいいだろう。ロイたち兄弟を見る眼差しに、羨望が混ざる。

ロイを見習って、自分も頑張ろうとリュディアは心のうちで自身を鼓舞したのだった。