軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

29.音色

リュディアは後悔をしていた。

どうしてあんなことを、と思い返すと自身の幼稚さに顔から火が噴き出そうになる。

ニコラウス様を邪険に扱うようなことを……っ!

嫌っている訳ではないのに失礼な考えをしてしまい、ニコラウスに謝罪したい気持ちになる。だが、それをすると彼に理由を追及されて 揶揄(からか) われる気がするのでできない。

ここ数日、夜になると庭師見習いの少年にしてしまった失言に後悔の念が押し寄せては苦悶する、ということを繰り返していた。

ザクも友人を邪険に扱ったのに、どうして怒らなかったんですの!?

庭師見習いの少年が指摘せずに受け止め、リュディアが喜ぶことで上書きしたせいだ。半ば八つ当たり気味に心中で憤る。指摘されたらされたで困るのはリュディア自身だが、ここまで引きずらなかっただろう。

そうすれば、

いちいち思い出さなくていいことまで、思い出さなくて済みましたのに……!

芋づる式に思い出されるあの後の笑顔。あまりにも嬉しそうな表情を思い出すと、寒い時期にもかかわらず頬が熱くなる。

誰に見られるでもないのに、隠したくて枕に顔を埋めた。知られたくはないが、自分が悩んでるときに庭師見習いの少年は何も知らずに寝ているだろうと思うと、羞恥を上回って腹が立ってくる。

そうして湧く感情に疲れて眠ってしまう日々が続いていた。

翌日、そんな気疲れから母とのお茶のときに、思わずため息が零れた。

「あら、私が相手じゃ退屈かしら」

「そんなことは……っ」

「そうよね、イザーク君の方がいいわよね」

「ざーく?」

「なっ!?」

慌てて否の声をあげようとしたリュディアが言い切るより先に、オクタヴィアはわざと淋しげに庭師見習いの少年の名をあげた。母の膝の上に座るリュディアの妹は、その名前に反応し、彼が来たのかと辺りをきょろきょろと見回した。

リュディアは更に否定をしたかったが、気疲れの原因を当てられてしまい、二の句が継げなくなる。ただわなわなとティーカップを持ったまま震えるしかできなかった。

その様子を見て、オクタヴィアはころころと笑う。目的の少年を見つけられずに落ち込むフローラを撫でて慰めるのも忘れない。

「ディアは分かりやすいわねぇ」

「……それは、わたくしの世界が狭いからですか?」

一瞬、どうして判るのか、と問い質したい衝動に駆られたが、よくよく考えれば自分の行動範囲が狭いのだからバレて当然だとリュディアは気付いた。

他家のお茶会に参加する機会が増えたとはいえ、挨拶以外は友人と話しているし、それ以外はすべて 邸(いえ) の中だ。王子のロイも、未だ婚約者候補の段階でいずれかを城に招待することなく、彼自身がリュディアを含めた候補の邸へ訪ねている。

その狭いリュディアの交友関係で、悩むことなど限られている。友人やロイとは関係が良好だから、余計だ。

リュディアが拗ねたように問うと、オクタヴィアは面白そうに眼を細めた。

「あら、広い方よ? 知らない内にルードルシュタット伯爵の令息とお友達になっていたじゃない」

「それは、ニコラウス様が迷われて、偶然我が家の前にいらっしゃったからですわ」

そういうことにしている。庭師見習いの少年が伯爵令息を使用人口から招き入れたと知れては事だ。

ニコラウスと口裏を合わせ矛盾がないようにしているが、母のオクタヴィアがどこまで信じているかは判らない。オクタヴィアはただ微笑むだけで、リュディアには母の考えが読めない。

「偶然も 縁(えん) の一つよ。得た縁をきちんと繋いだのだから、ディアの世界はその分拡がっているわ」

そうだろうか。リュディアは自身の見識が狭いと感じているので、母の言を素直に受け止められない。

ロイから外の話を色々と聞いているから、アーベントロート国内だけでも、世界が広いと知っている。 人伝(ひとづて) にしか邸の外をほとんど知らない自分は狭い世界にいるのではないか。そんな焦燥を覚える。

「ディアは少し潔癖すぎよ。貴方の独占欲なんて可愛らしいものなのだから、もう少しうまく付き合いなさい」

視野や知識以前に心の持ち様を改めるように、との母の助言は的を射すぎてリュディアは瞠目し、顔を紅潮させた。

「な……なん……っ」

「うふふ、イザーク君とニコラウス君ってお互い愛称で呼び合っているんでしょう? 歳も同じだし、男の子の遊びにディアは混じれないから、とても面白くないわよね」

まるで見てきたかのように言い当てるオクタヴィアに、リュディアは口をはくはくさせる。妹のフローラは、それを遊びだと思ったのか同じように口を開けたり閉めたりを繰り返した。

確かにニコラウスは彼と距離が近いと感じる、年齢的にも物理的にも。同性だから仕方ないと頭で理解していても、肩を抱いたりと接触が多い。彼が気にも留めていないので気にしないようにしようと思ったが、ニコラウスが時折可笑しそうにこちらを見るので何だか悔しくなる。

ロイのときは彼が自分を盾にするほど距離を取るので、ここまで気にならなかった。ニコラウスの性格のせいかもしれないと、また非難めいた感情が湧きそうになり頭を横に振って、それを振り払う。その様子を妹が真似ていると、リュディアは気付いていない。

「ディア。貴女のは、可愛らしいものだといったでしょう? 私なんて学生時代、ハインツにやきもちを妬いていたわよ」

「え……」

「何をおっしゃっているのですか」

リュディアが虚を 衝(つ) かれるのと、ノックの後に執事のハインツが部屋に入ってくるのはほぼ同時だった。リュディアが、ハインツの方を見遣ると、普段の水面のような静かさはなく心底嫌だと判る表情を浮かべていた。

表情に出すほどハインツが嫌がるのを初めて見たリュディアは、それにもまた驚く。

オクタヴィアの方は、ハインツの変化を気にした素振りもなくゆったりと微笑み返す。

「あら、ごめんなさい。今も妬くことがある、というのが正しいわ」

ハインツが望むのとは真逆の訂正をして謝罪するオクタヴィア。ハインツは更に眉を 顰(ひそ) めたが、一つため息を 吐(つ) くと、平素の静かな表情に戻った。

「ジェラルド様より、本日は予定より遅くなる、と 託(ことづ) かりました」

ハインツから、洋菊や 管丁字(かんちょうじ) の花束を受け取り、オクタヴィアは添えられたメッセージカードに微笑む。

少し帰りが遅くなるだけでも詫びに花束を贈るような夫を持っていながら、何故先程の発言が出るのか娘のリュディアも仕えるハインツも不思議でならない。

「ジェラルド様にはオクタヴィア様だけでしょう。語弊のある言葉をお嬢様方に聞かせるものではありません」

「それとこれとは別よ。会うたびに、面白い後輩がいると嬉しそうに話されて、私が面白い訳がないでしょう。今だってとても信頼されているじゃない」

羨ましいわ、と拗ねたように言うオクタヴィアに、ハインツはどう返したものか困る。受ける愛情を疑っているのではなく、少なからずある自分には向かないものを羨むと主張されても、どうしようもない。せめてその理不尽な不満は本人に言ってもらいたい。

答えあぐねるハインツを確認して、オクタヴィアはリュディアの方へ向き、微笑んだ。

「ね? ディアのは可愛らしい方でしょう?」

「えっと……」

今度はリュディアが答えあぐねてしまう。母の見せた独占欲の強さが意外だったのは事実だが、頷いてよいものか迷う。

ダシに使われたと理解したハインツは、自分を例示に使う必要性に疑問を感じたが、黙して控える。そして、オクタヴィアから視線で下がる許可を得たので、静かに一礼をし部屋を辞した。

用が済んだから去っただけと解っていても、答えに困窮するリュディアにはハインツが逃げたように見え、この場を逃れたことを羨んでしまう。

言葉が出ず困る娘を見て、オクタヴィアは可笑しくなる。人を悪し様に言うことに慣れていないからもあるだろうが、それよりも憧れている親に対して、欠点とも言える面を知り戸惑っているようだ。こんな面を見せても幻滅しないなんて、なんと愛しい存在だろう。

「……っふふ」

「お母様?」

小刻みに震えて笑い出すオクタヴィアに、理由の判らないリュディアは首を傾げる。

「ディアは本当に、可愛らしいわね……っ」

笑う合間に零された言葉の内容をリュディアは吟味する。そして、おおよその理解をして剥れた。

「……からかいましたのね」

「やっと気付いたの?」

今更だと可笑しげにするオクタヴィアに、リュディアは更に剥れ、その様子にすらまた笑われ釈然としないままその日のお茶会は終わった。

それから、庭師見習いの少年と会う機会のないまま、リュディアは自身の誕生日を迎えた。

母とともに招待客へ挨拶をしてゆく。父のジェラルドは仕事のため、夕食時に家族だけで改めて祝う予定だ。

一通りの挨拶を終え、リュディアは友人たちの元に行き合流した。母のオクタヴィアは友人たちに挨拶だけすると、ゆっくりしてゆくように、と残して他の客の対応に戻っていった。そうして、ようやくリュディアは人心地が付いた。

「ディア様、本当に今日はおめでとうございます」

「誕生日プレゼントもありますから、後でお渡ししますね」

「気に入っていただけるといいんですが……」

「トルデ様、ファニー様、キア様、ありがとうございます。今日は来てくださって嬉しいですわ」

「来るに決まっています!」

断言するトルデリーゼに、シュテファーニエとザスキアはしかと頷く。三人の答えに、リュディアは頬を染め改めて礼を呟いた。

友人三人と話していると、一人の令息がリュディアに声をかけてきた。

「ご歓談中失礼。リュディア嬢、お招きいただきありがとうございます。一つ歳を重ねて更に美しくなりましたね」

「ニコラウス様」

流れるように礼をし、少し首を傾げてニコラウスは微笑む。動きに合わせて、風に揺れる 花弁(はなびら) のようにふわりとした薄紫の髪が揺れた。

少年が持つには過ぎた色香を美貌に乗せて漂わせるニコラウスを前にして、リュディア以外の三人は顔を赤くして閉口する。

リュディアが 言祝(ことほぎ) に対して、礼を返そうとするより先にニコラウスが口を開いた。

「って言っても、アタシには敵わないけど」

「ニコラウス様……」

ニコラウスは、耳元にかかる横髪を払って言い放つ。リュディアは若干呆れ気味に、彼の名前を繰り返した。他の三人は掌を反したような豹変ぶりに呆気に取られ、また言葉を失くす。

「せめて、紹介してから戻っていただけません?」

「どうせ、 仔兎(こうさぎ) ちゃんたちは驚くんだから一緒でしょ」

彼の意見に否定はしないが、少しぐらい彼女たちに心の準備をする時間くらいはあげてもよかったのではないか、とリュディアは思う。

気を取り直して、リュディアは三人にニコラウスを紹介する。

「彼はルードルシュタット伯爵の令息ですわ」

「ニコラウスよ。気軽にニコちゃんって呼んでね」

「「「ニコ、ちゃん……」」」

片目を瞑って握手を求めるニコラウスに、驚きのままに三人は乞われた呼称を口にする。握手の際に、彼女たちは自己紹介をした。

ニコラウスは、リュディア同様に略称で名前を復唱確認をしたが誰も指摘する気が起きなかった。彼相手だと、何故か略称で呼ばれるのが当然と感じてしまう。

「そういえば、さっき新しいケーキが追加されてたわよ。行ってきたら?」

ニコラウスが視線を投げた先を追うと、ベリーのタルトや金箔で飾られたオペラがデザートのテーブルに置かれていた。トルデリーゼたちは遠目にも判る宝石のように整えられたケーキに眼を輝かせる。

「えっと、ニコ……ちゃん、様は……」

「アタシ、甘い物ダメなのよ。遠慮するわ」

戸惑いながらもシュテファーニエがケーキ選びに同伴するか、ニコラウスに確認すると彼はさらりと断った。そうですか、とシュテファーニエは頷く。

「ディア様はいかがですか?」

「わたくしは食事の方を食べ過ぎてしまったので、遠慮しますわ」

トルデリーゼに誘われ、リュディアは申し訳なく思いながら断った。家族との夕食でも料理人が腕を 揮(ふる) ってくれるだろうから、今デザートまで食べては夜にあまり入らなくなってしまう。

理由を詳しく説明はしなくとも察してくれ、了承したトルデリーゼは他の二人とケーキ選びに向かった。残ったリュディアとニコラウスは先にテーブルに着き、メイドが紅茶を淹れるのを待つ。

紅茶を一口飲んだ後、ニコラウスは喉をくつくつと鳴らしだす。何か可笑しいことでもあったかと、リュディアは首を傾げた。

「ニコラウス様?」

唐突だったと解っているニコラウスは、リュディアに理由を教える。

「アタシ、前まで苦手なもの言えなかったのよ。この見た目でしょう? 甘い物や可愛いものを宛がわれて、結構我慢してたわ。それが嘘を一つ 吐(つ) くだけで、逆に嘘を吐かなくてよくなったんだもの」

それが何だか可笑しくて、とニコラウスはくすぐったそうに笑う。

「……少し、分かる気がしますわ」

リュディアの場合は、一つ嘘を 吐(つ) くのを止めた。

初めて好きな色合いのドレスを着たとき、ただそれだけで随分心が軽くなって不思議だった。ニコラウスも同じような心地なのかもしれない。

「ディア嬢もザクが原因?」

「ザクには身に覚えがないでしょうけど」

「ザクだものねぇ」

お互い紅茶を口にしながら、この場にいない庭師見習いの少年を話題にする。エルンスト家の者以外で、彼のことを共通の話題として話すのは珍しい。

王子のロイも共通の知り合いだが、三人で過ごすことは稀かつ僅かなため話題に上がりにくい。トルデリーゼたちは従者として振る舞っている姿しか知らず、平素の彼を知らないから話題にしようがない。

庭師見習いの少年がいないところで彼の話題で話せる相手が存外少ない、とリュディアは今更ながら気付いた。

「……ニコラウス様」

「何?」

ふと訊いてみようと思い、リュディアは気になっていたことを問う。

「その、何となく……変わったと思いません?」

「どんな風に?」

誰がとは訊かず、ニコラウスは詳細を聞く。

「少し、大人びた、というか……」

リュディアは思案しながら言葉を探す。どこがどうとは上手く言えないが、雰囲気というかたまに見せる表情が変わったように感じる。

些細な変化なので、どう表現するのが適当なのか判らない。

「いつからよ」

「ニコラウス様に会うより以前から、ですわ……」

「それ、アタシに分かると思う?」

「そうですわね……」

比較前を知らないニコラウスに意見を求めるのは 奇怪(おか) しいとリュディアも解っているので、ぐうの音も出ない。彼と親しいニコラウスなら判るような気がしただけだったので、無茶振りだったと申し訳なくなった。

リュディアが俯くのを見て、ニコラウスは嘆息し、ティーカップを一度ソーサーに置いた。

「アタシがザクを信用したのはね、本気で同情してくれたからよ」

唐突な告白にリュディアは顔をあげた。意図を 測(はか) りかね、続きを待つ。

「のほほんとした人生送ってそうなのに、アタシの 感情(コト) を分かってくれたわ。きっと似た経験をしているのよ」

腕を掴まれ振り返った先にあった真剣な 銅(あかがね) 色の眼は、確かに自分の感じる恐怖か、それに似た 感情(もの) を知っていた。だから、初対面だったのに彼について行こうと思えた。

性的な眼で見られるという、存在を否定されるどころか、相手の都合のよいものと上書きされる感覚。それは今思い出しても 怖気(おぞけ) 立つ。能天気そうな彼が何故それを知っているのか。ニコラウスはそれを追及する気はない。

「それが変だと思うわ。ディア嬢の感じているのは、もしかしたらそれかもね」

考えを言い終えたニコラウスは、また紅茶を一口飲んだ。

リュディアは、無意識に膝の上で拳を作っていた。

リュディアにとって、彼は陽溜まりのような存在で、ニコラウスの言う通りだとするとその 陰(かげ) りは不似合いに感じた。陰を落とすような出来事があったとして、自分に打ち明けるには力不足だから何も言わないのか。そう思うとふつふつと口惜しい想いが湧く。

「単に、ザクがカッコよくなって焦っているだけなら、お互い様だから気にするだけ無駄よ」

「な……っ!?」

極端な表現でしれっと片付けるニコラウスに、リュディアは頬を紅潮させ言葉を詰まらせる。反射的に顔をあげると、人差し指で軽く額を突かれた。

「誕生日に陰気な顔しないの。アンタは笑ってなさい。ザクはそれだけでいいんだから」

そう言って、ニコラウスは艶然と微笑む。突かれた額を押さえ、それだけで解決すると思えない解決法を提示されたリュディアは眼を丸くした。

ちょうどトルデリーゼたちがケーキを選んで戻ってきたので、会話はそれきりとなった。給仕が彼女たちの選んだケーキをテーブルに置いてからは、ニコラウスを交えて友人との歓談を楽しんだ。

誕生日祝いを兼ねたお茶会が終わり、招待客の見送りを終えたリュディアは一目散に西の東屋に向かう。走らないように気を付けていたつもりだったが、知らず小走りになり僅かに息があがった。

離れに繋がる渡り廊下に出ると、池の向こうにある東屋に目的の人物を見つけた。

「ザクっ」

渡り廊下の中程にある東屋への分岐を曲がったところで呼びかけると、庭師見習いの少年は振り返り苦笑した。

「お嬢、ゆっくりでよかったのに」

しょうがないとでも言うように、駆け寄るリュディアに笑いかける。夕陽の 橙(だいだい) を受けて、その笑顔はより温かみを帯びる。

「けれど、待たせる、わけには……」

東屋の中に入り肩で息をするリュディアを気遣って、庭師見習いの少年はベンチに座るように促した。円形の東屋には、内側にぐるりと囲うベンチが設けられ、小休止がしやすくなっている。

リュディアの息が整うのを待って、庭師見習いの少年が 訊(たず) ねた。

「兎の 娘(コ) たちとゆっくりしたかったんじゃないか?」

「お茶会の間はほとんどトルデ様たちと一緒だから充分ですわ。また会えますし。けど、陽が落ちては虹が見られないでしょう」

友人たちに祝ってもらえたのはもちろん嬉しい。だが、約束の虹を見るのを楽しみにしていたのも事実だ。

「別に夜でも虹は架けれるけどな」

「え!?」

彼が遅くなっても気にしない理由を聞いて、リュディアは驚く。暗い夜にどうやって虹が見られるのだろう。

夜の虹に興味を惹かれたのが判ったのか、庭師見習いの少年は可笑しげにリュディアの頭を撫でた。

「まぁ、夜は冷えるし危ないから、お嬢がもうちょっと大きくなってからな」

宥められ、 我儘(わがまま) を言うつもりもないので、リュディアは了承し数年後に期待することにした。

リュディアが冬の外気に長くいるのを心配した庭師見習いの少年は、早速約束の虹を作ることにする。

「ココだと楽だな」

そう呟いて、池に向かって手を掲げる。すると、霧のように池の水が細かな粒となり空中に浮いた。

離れ側にある陽光を受けて、リュディアたちから左手に七色の橋が架かる。睡蓮の葉もなく、ミニバラの花壇も眠り、寒々しい風景が一瞬で彩られた。

「わぁ……」

その変容も含めてリュディアは感嘆を零す。昨年より大きな虹に心が踊った。

「お嬢、誕生日おめでとう」

言祝(ことほぎ) とともに、彼はズボンのポケットから木綿のハンカチに包まれたものを差し出した。

ハンカチが取り出されるのに合わせて 解(ほど) け、中から卵形の硝子細工が現れる。

「え……」

事態がのみ込めず固まるリュディアの様子を誤解したのか、庭師見習いの少年は申し訳なさげに眉を下げた。

「ごめん。俺で買えるぐらいのだから、メッキかもしれないけど……」

メッキかどうかはリュディアにも判断がつかないが、卵形の硝子細工は上三分の二がステンドグラスのように青い硝子が嵌め込まれており、下部分の金属の土台は磨かれた銅の色をしていた。硝子部との境目は、花の細工が一周して 縁(ふち) を飾っている。置けるように 脚(あし) が三ヶ所設けられていた。

宝石箱の類いかと思ったが、よく見ると青い硝子の中に何かがある。

「これは……?」

「オルゴールなんだ。上のトコを回すと鳴る」

リュディアが手に取り正体を見定め兼ねていると、庭師見習いの少年が上部の硝子部分を時計回りに捻った。すると、反時計回りに戻るのに合わせてオルゴールの音が鳴る。

「この曲……」

「知ってる 曲(ヤツ) の方がいいかと思って。こないだ聴こえたから」

流れた曲はリュディアが今、ピアノで練習している曲だった。どうやらピアノの稽古を受けているとき、彼は近くで庭作業をしていたらしい。

元は隣国のシャンソンを元にこの国の作曲家が十二の変奏を作ったものだと、音楽の師から由来を教わった。そのため、課題曲が十三通りありリュディアは最近この曲ばかりを練習している。

平民にも広く知られている曲だと聞いていたが、オルゴールまであるとは知らなかった。基本となる原曲らしいそのメロディは、軽やかな金属音で奏でられ愛らしく響く。

「可愛いですわ」

音色も含めての可愛らしさに、リュディアは表情を綻ばせる。虹を見せてもらうだけでも感動したというのに、更に嬉しくなるようなことが用意されているなんて 露(つゆ) ほども思わなかった。

「ありがとう。大事にしますわ」

嬉しさを湛えて礼を言うと、不安そうにしていた庭師見習いの少年は安堵いっぱいに笑った。

「よかった……」

冷えた冬の空気を忘れそうな陽溜まりのような笑顔を真っ向から眼にして、リュディアは今日のニコラウスの言葉を唐突に思い出す。

自分が笑うだけで済むことなどないとリュディアは思っていた。が、自分が喜ばされたのに、むしろプレゼントをもらったのが彼かと錯覚する表情を見せつけられ、ニコラウスが正しかったと知る。

なんとも安上がりすぎないか。あまりにも安易な彼が心配になる。

同時に事実を認識して、急激に身体の温度があがるのを感じた。

「悪い。長居しすぎたか」

顔が真っ赤になったのを、寒空に居たせいだと勘違いした庭師見習いの少年は熱を測ろうと、リュディアの額に手を伸ばす。

「だ……大丈夫ですわ!」

触れられそうになったリュディアは反射的にそれを避け、立ち上がる。

「でも、風邪引いたんじゃ……」

後を追うように立ち上がった庭師見習いの少年は、心配げにもう一度熱を測ろうとする。

「平気ですっ」

リュディアは慌てて 後退(あとずさ) り、庭師見習いの少年から距離を取った。何故か、今触れられては不味いと心臓が警鐘を鳴らしていた。

勢いをつけすぎたのか、東屋の入り口まで下がってしまい、リュディアは入り口の段差に 踵(かかと) を取られる。

「ひゃ……!?」

「お嬢!」

プレゼントのオルゴールを守ろうと、リュディアは胸に抱え込んで思わず眼を瞑った。だが、倒れる方向とは逆に腕を引かれリュディアは東屋の入り口に膝を突くだけで済む。

「おわっ、……っと!?」

庭師見習いの少年が戸惑った声を上げたかと思うと、直後に激しい水音がした。

リュディアは驚いて眼を開ける。音のした方に振り返るも、池の波打つ水面があるだけで彼の姿が見えない。

「ザク……!?」

「っぷは!」

姿が見えないことに焦り、リュディアが池の波立つ部分を覗き込もうとすると、そこから庭師見習いの少年が顔を出した。

「うはー、ドジった。はははっ」

「笑ってないで早くあがりなさい!!」

冷たい水に凍えながらも、何が可笑しいのか笑う庭師見習いの少年を、リュディアは叱咤する。

「小屋に着替えあるから大丈夫だって。あがるからお嬢ちょっと離れて、ドレス濡れる」

「わたくしより自分の心配をしなさいっ。馬鹿ですの!?」

「なら、風邪引かないって」

「そういう問題じゃないでしょう!!」

どんなにリュディアが怒鳴っても、庭師見習いの少年は笑う。

結局、言い合いをしながらもリュディアが手を伸ばしたが、彼女まで池に落ちてしまうと庭師見習いの少年は自力で廊下にあがったのだった。

数日後、リュディアが庭を訪れると馬鹿ではなかったらしい、と息子が風邪をひいた事実を専属庭師は報告した。

だから言いましたのに、とリュディアはその場にいない彼を思わず叱った。