軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

25. まずは自分にできる事を…

そこは、地獄だった。

薄暗い天幕の中、低く聞こえるうめき声。

痛みや水を求める声はまだいい方だ。大半が、意味のない獣のようなうなりでしかなかった。

ベッドが足りないのだろう。

地面に直接敷かれた厚手の布の上に寝かされた兵士たちは、痛みにうめく者、ジッと動かない者と様々だ。

血のにじむ包帯は薄汚れ、いったい幾日替えられていないのだろうか、想像もつかない。

立ち込める血と膿の匂いに、息をつめた。

知識として分かっていたつもりだった。

そして、つもりでしかなかったのだと、思い知らされた。

そこに立ち込める死の気配に立ちすくむ。

むかむかとこみ上げてくる何かを飲み込むので精いっぱいだった。

最初に配属されたのは、砦の傷病者の対応だった。

清潔なベッドの上、寝かされた患者たちは、傷はひどいが適切な治療が施されている様子で、表情は比較的穏やかだ。

医師の指示のもとに、薬を投与したり包帯を清潔なものに替えたり、衣食の世話をする。

死の気配は遠く、どこか穏やかな空気すらあった。

戦地に行くのだという意気込みがカラリとから回った。

自分は、こんな所にいるべきではないと、訳もなく思ったのだ。

もっと、ひりつくような命のやり取りを覚悟していたのに・・・。

物足りなさに、前線を希望したのは自分だった。

貯えた知識を、ここでは存分に発揮できない。ここでは、自分は も(・) っ(・) た(・) い(・) な(・) い(・) 。

あの時の自分を、殴ってやりたい。

なぜ、与えられたあの場所で満足していなかったのか、と。

痛みにうごめく人影に恐れをなし、動くことも出来ない自分は、なんて情けなくも愚かなのだろう。

やらなければいけない事なんて、分っている。

治療するのだ。

酷い傷は縫合し、薬を与え、清潔を保つように指示をして・・・・・。

そのための知識は持っているし、そのために長い間勉強してきたのだから・・・・。

考える頭とは反対に、足が、ジリっと後ろに下がった。

本能が、ここから逃げ出したいと訴えていた。

この死の気配が立ち込める地獄から、逃げ出したい、と。

「そこ!邪魔よ!!」

あと少し。

その声が響くのが、あと1秒でも遅ければ、そうしていたと思う。

よどんだ空気を切り裂くような凛とした声に振り返った先には、両手いっぱいにタオルを抱えた少女が立っていた。

長い髪を一つにまとめ白い布で覆い、同じく白いエプロンを身に着けた少女は、確か、同じ馬車でこの前線に来たはずだ。

与えられたテントに向かう際に別れたきりだが、見覚えがあった。

後続で送り込まれた医師の助手ということで、残念ながら話す機会はなかったが、柔らかな金色の髪と菫色の瞳の場違いなほど美しい少女だったので、記憶に残っていたのだ。

「きみは・・・」

「聞こえなかったの?邪魔だからどいてちょうだい。吐きそうなら、離れたところでお願いね。健康な人に手をかけられるほど、人手に余裕はないの!」

かけようとした言葉を遮られ、肩で押しのけるようにして、少女は中へと入っていった。

「薬や包帯はあっちに運んでください。お湯はこちらに。ユリア、空気が悪すぎるわ。天幕の布をあげて空気を通してちょうだい」

そうして、後にぞろぞろと続く人々に、てきぱきと指示を飛ばしていく。

その場にいる誰よりも年若い少女の指示に、誰もが疑問を持つ様子もなく従っていた。

「な・・・な・・・・・・」

天幕の布がたくし上げられ、風が通り抜けた。

よどんだ空気と共に、気分を悪くする匂いも薄れていく。

あれほど重く立ち込めていたはずの死の気配も・・・・・・・。

先ほどとは別の意味で呆然と立ち尽くす。

「大丈夫です。包帯を変えましょう。すぐにお医者様も来ます。・・・・助かりますよ」

地面に膝を突き、先ほどからピクリとも動かなかった人影に向かい、少女が優しく声をかける。

そっと泥と血に汚れた顔をタオルで清める姿は慈愛に満ちていた。

「やれやれ、若いもんは動きが早くてついていけんわい」

ポンと、肩を叩かれて顔を横に向ければ、今回の総まとめでもある老医師がそこに立っていた。

「君は、医学を学んでいた生徒だったかな?志願してきたと聞いたが、やる気のある人間は大歓迎じゃ。実践は大変じゃが、身になることは多い。頑張りなさい」

場にそぐわないのんびりとした声だが、その瞳は、強い使命を帯びてきらめいていた。

「老師様!そんなところで立ち止まってないで、早く患者さんを診て下さい!私では、縫合まではできないのですから!」

息を飲んだ青年が何か言う前に、遠くから、少女の声が響き渡る。

「はいはい。レイラちゃんはせっかちじゃのう。焦らんでも、人はそんな簡単には死なんよ」

肩を竦めながらも老医師は、もう一度青年の肩をポンと叩くと、中へと入っていった。

「そこのあなたも!動けるなら手伝って!猫の手だって借りたいくらいなんだから!」

既に患者へと向き直ってしまった自分よりも一回り小さいはずの背中を「大きいな…」と見送っていたら、こちらにまで声が飛んできた。

「は・・・はいぃっっ!!」

思わず大きな声で返事をして、少女の方へと走りだす。

気づけば、気持ち悪さも恐れも、どこかに消えてしまっていた。

一度、北の砦に立ち寄った後、レイラはすぐに前線へと移動になった。

砦にある医療室には、移動に耐える程度の傷を受けた身分の高い患者だけがいた。

もしくは、欠損があり兵士としては戦えなくなった者たちだ。

最も、ここにいるのは大半が、まだ移動に人手を割く事ができる時期に受傷した幸運な者達である。

最近の激戦地と化した前線では、一般の兵士をわざわざ運ぶ余裕もなく、薬や必要な物資や人手も不足している中、辛うじて確保された天幕の中に怪我人が転がされている状況らしい。

話を聞いた一部の医療従事者は、すぐさま前線へと物資を運ぶ部隊と共に移動することを選んだのだった。

レイラが助手として付くことになった老医師もその一人である。

当然、レイラもそれに従った。むしろ、望むところである。

レイラの選択に、ユリアは、もう何も言わなかった。

ここまで来たら、反対しても無意味だと身に染みていた・・・・というより、あきらめ、開き直ったのだ。

そうして、前線にたどり着くと同時に、レイラは指定された寝床に荷物を放り込むと、負傷兵がいる場所へと足を向けた。

そこは、想像通りの修羅場だった。

残り少ない薬は重症者へと優先され、大半の負傷者は必要最低限の対応で、ただ地面に転がりうめいている。

多すぎる負傷者の対応でろくに休めていないのか、歩き回る看護者の顔色も悪い。

(これはダメね)

ため息とともに、自分の直属の上司である老医師を探すために踵を返した。

実は伯爵家の血を引く彼は、嫡男にもかかわらず幼いころより医師を目指した”変わり者”である。

無事に医師の資格を得た後は、技術は現場にいなきゃ身につかないよね~と各地を転々としていた。

変わり者だが腕は立つ彼に、生家の伯爵家は呆れつつも協力的で、家族の関係は良好。

「医学を極めるのが楽しすぎて婚期のがした」と、甥姪をかわいがっているそうだ。

ちなみに伯爵家は弟が跡を継ぎ、立派に切り盛りしている。

自由な兄をあきれながらも支える裏で、兄の開発した新薬の販売権を獲得して領地の特産物のひとつとしたチャッカリさんだ。

つまり、持ちつ持たれつ。

もろもろの事情ゆえに、未だ伯爵家に籍を残す老医師は、おそらくこの場で一番位が高い。

つまり、発言権がある。

レイラはやってきた老医師を捕まえるなり、把握した現状を訴え、今まで頑張っていた医師や看護者たちに休むように指示してもらい、引継ぎついでにチャッカリ現場の権限を奪いとった。

途端に、医師同士の引継ぎは老医師にまかせ、レイラの暴走が始まった。

持ち込んだ物資から必要なものを有無を言わさず引っ張り出し、大量のお湯を沸かすように指示。

自らタオルを引っ担ぎ、人手不足ゆえ不衛生極まりない一般負傷兵たちの環境改善に乗り出したのだ。

そして、天幕入り口で呆然としていた、学校出たての新人医師へと遭遇したのだった。

「レイラさんは、怖くなかったですか?」

走り回った一日を終え、夕食である具沢山スープを受け取って焚火の側でまったりとしていたレイラは、不意に声をかけられて顔をあげた。

そこには、ほぼ一日を同じ現場で過ごした(都合よくこき使ったともいう)青年医師がいた。

(・・・え~~と、確かアル・・・フレッドさん、だっけ?)

同じ木の器を持っているところから、おそらく休憩中だろうと、レイラは自分の隣に座るように促した。

「どうも・・・・」

短く答えて、隣に座るものの、食事を始める様子はない。

どこかぼんやりとした瞳で黙って炎を見つめるアルフレッドに、レイラは小さく首をかしげた。

「え・・・と、あったかい方が、美味しいですよ?」

「・・・・・どうにも胸がいっぱいで・・・・・」

食事をとるように促すけれど、ため息とともに小さな声が返ってきた。

(学校出たてって言ってたもんな~~。刺激強かったんだろうな~~)

アルフレッドの様子に、レイラは、祖母と共に初めて患者を前にした時の事を思い出していた。

(確か、冬眠しそびれて狂暴化してたクマに襲われた人たちの治療を手伝ったんだよね・・・・。あれは、ひどかった)

すでに複数の人を襲ったクマは、人肉の味を覚えていたため質が悪かった。

付き合いのあった森の側の小さな集落が襲われ、辛うじて退治できたものの被害は甚大だったのだ。

駆け込んできた少年の青ざめた顔を、今でも覚えている。寝込みを襲われ、彼の母親は兄弟を逃がすために犠牲になった。

「・・・・・怖かったですよ」

破壊された家に、飛び散る血痕と肉片。

響き渡る慟哭の声に、むせ返るほどの血の匂い。

あの時の恐怖は、レイラの根幹に染み付いている。

ぽつりとつぶやかれた声に、アルフレッドはぼんやりと炎を見つめていた瞳をレイラに向けた。

まっすぐに、アルフレッドを見つめる菫色の瞳に射抜かれる。

「でも、立ちすくんでいる間に、救える命が零れ落ちていくことの方が怖かった」

泣きじゃくりながらも小さな手で、意識の無い母親の引き裂かれた傷口からあふれる血をおさえようとしていた子供の姿を思い出す。

溢れる血は、零れ落ちていく命そのものだった。

「頑張っても、助けられないかもしれないのに…?」

「・・・・そうね」

アルフレッドの瞳が、不安と惑いに揺れる。

自分より年上の青年の、まるで子供のような表情に、レイラは淡く笑った。

「医学も薬も万能の魔法じゃない。救えない命は当然あるわ」

まるで困った弟を慰めるようなしぐさで、レイラはアルフレッドの固く握りしめられた拳にそっと触れた。

「でも、次は救えるかもしれない。明日には新しい治療法や薬が見つかるかもしれない。だから、前を向くの。だって、立ち止まってしまったら、そこでお終いなんだもの」

そして、やんわりとアルフレッドの手を開くとその手にスプーンを握らせた。

「明日の為に食べて。……医者の不養生なんて、ここにはそんな余裕なんてないのよ?」

少しおどけたようにそう言うと、レイラは「お茶をもらってくるわ」と言い残して立ち上がった。

その後ろ姿をぼんやりと見送ると、アルフレッドはスープを一口、口に含んだ。

少し冷めてしまったそれは、野菜の甘みが溶け込んで、今まで食べたなによりも美味しく感じた。

「・・・・・・がんばろう」

調理担当の兵士と笑って何かを話している小さな後ろ姿にもう一度目をやって、アルフレッドは小さくつぶやいた。