作品タイトル不明
事故調査ファイル_地獄の窯⑥
一週間後、ヴェネンティカ王国、王都『大陸事故調査委員会』本部。
伝統ある王宮の回廊を進んだ先、かつては貴族の書庫だった広大な一室が、現在は本部として機能している。
高い天井にはかつての栄華を残すフレスコ画が描かれており、アーチ状の窓から水の都特有の青白い光が差し込んでいる。穏やかに吹き込んでくる風には、微かに潮の香りが混ざっている。
しかし、現在の床を占拠しているのは、急ごしらえの木製デスクと、グロッケンフェルスから持ち帰られた未整理の泥だらけの資料だ。
それ以外にも、各地からの被害報告や予算申請といった膨大な書類の山が築かれている。
そのうず高い紙の壁の奥で――清貴はすっかり臍を曲げていた。
飛空艇による劇的な救出劇のあと、周囲の視線が以前よりも遥かに熱い事には気付いていた。
だがそれは間一髪で危機を逃れた者たちへ向ける視線だと思っていたのだ。
それが別の意味を含んでいると気付いたのは、すれ違うものたちが手を合わせて祈る仕草をするようになってからだった。
何かがおかしい。
聖女として認定されてからも手を合わせる者はいたが、今やそれは熱狂に近いものを含んでいる。
地面に伏せ、大地に頭を擦り付ける者まで出始めたあたりで、やはり何かおかしいぞと気が付いた。
その答えをくれたのはアレスだった。
「聖ペトラーダ教の教義を思い出して下さい」
「この地はかつて巨大な岩の塊に過ぎなかった、というものか?」
「ええ、そうです。最初の神が『金の槌』で岩を叩き、その『響き』で地を割り、地下に水の道を通した。
で、あるから、聖ペトラーダ教では神は巨大な岩の上に立つ者として描かれるのです」
やられた、と清貴はそこでようやくナサニエルの意図に気が付いた。
あの場面で。
親衛隊長でもアレスでもなく、なぜ清貴に王国旗を持たせて岩の上へと行かせたのか。
つまりそれは”神話の再現”であったのだ。
崩壊したグロッケンフェルスから逃げのび、巨大な岩の上に立つ者。
それが象徴するものは、もはや聖女という枠には収まらない、より広い信仰の対象となり得るのだ。
「神話の再現だと? 笑えない冗談だ」
清貴は手元の報告書にペンを叩きつけた。
「あれは花崗岩の露出部による物理的な生存圏の確保に過ぎない。アイツはそれを分かっていて、……」
「まあまあ。清貴様が『生ける聖女』として崇められるほど、調査委員会の予算も通りやすくなるというものですよ」
ゼノンは他人事のように、セルジュの頭を撫でている。
「信仰心は最高の補助金、というわけだ」
清貴は深い溜息を吐いた。
窓の外を見れば、王都の平和な空が広がっている。
部屋の窓際に座っているアンドレアナも、足元のヒューゴを撫でながら穏やかな顔で微笑んだ。
「いいではないですか。あの岩山が聖地に認定される事があれば、グロッケンフェルスの再興に繋がるかもしれません」
「……君は逞しいな」
グロッケンフェルスは地図上から消えた。
今後数年、いや、数十年、人が踏み込むことは出来ないだろう。
だがアンドレアナは、”その先”を見据えている。
いつか再び故郷の地に戻れる日が来たならば、いかにしてグロッケンフェルスを再興するのか。
彼女の中にはすでに、復興計画という名の明確なヴィジョンがあるのだ。
「私だけではありませんよ。グロッケンフェルスの民は皆が岩のように逞しいのです」
アンドレアナは避難民たちの元に戻り、彼らの受け入れ先を探すべく奔走し続けるという。
バスティアン卿はこたびの事故を受け、責任を取って辞職したが、今後は顧問として現場の環境調査に残ることを決めたそうだ。
「グロッケンフェルス周辺の調査は『大陸事故調査委員会』で継続して続けていくことを約束する」
「助かります。私も現地職員として、協力を惜しみません」
目を細めて笑うアンドレアナの顔は疲労こそ残っているものの、そこに絶望の影はない。
彼女の目はすでに未来を見つめている。
「たまには王都に遊びに来て下さい。セルジュもヒューゴ君と仲良くなったようなので」
ゼノンの言葉に、セルジュとヒューゴが低く吠えて返事をする。
そこには穏やかな時間が流れていた。
「僕の小鳥、いい加減に機嫌を直してくれないかい?」
ヴェネンティカ王都の夜は、運河のさざ波に反射する無数の灯火によって幻想的な輝きを放っていた。
祝宴の会場となったのは、水上に浮かぶ大理石の至宝と謳われる王宮の一角。
テラスのすぐ下を滑るように進むゴンドラからは、祝祭の調べが夜風に乗って流れ込んでくる。
会場内は、高い天井から吊るされた巨大な水晶のシャンデリアが放つ光できらびやかな輝きをまとっている。
卓上には、近隣の海で獲れたばかりの魚介が銀の皿に盛られ、琥珀色のワインがクリスタルグラスの中で揺れていた。
「グロッケンフェルスの奇跡」を祝うその熱狂的な喧騒。
王家主体で開かれた夜会は、表向きはグロッケンフェルス再興への資金集めを目的としているが、参加者である貴族たちの話題はもっぱら”聖女の起こした奇跡”に盛り上がりを見せている。
そんな夜会の空気をいなすように、ナサニエルは優雅に佇んでいた。
水の都の伝統を意識したのだろう、深みのある濃紺のビロードで作られた片マントを肩から斜めに羽織り、その下の胸元にはフリルタイをあしらった気品あるシャツを覗かせている。
透き通るような白磁の肌と、冷たく冴え渡るアイスブルーの瞳。祝宴の熱気の中にありながら、ナサニエルは氷の彫刻のように美しく、だが同時に、清貴をからかうような甘い微笑を浮かべていた。
だが、その視線を向けられた清貴は、その周囲の空気ごとまるで冬の海のように凍りつかせている。
清貴は、先ほどからナサニエルを完璧なまでに無視し続けていた。
仮面舞踏会を思わせる華やかな装飾に彩られたホールを、清貴は足早に横切る。
ナサニエルが優雅な足取りで近づき、声をかけようとするたびに、清貴は一瞥もくれず、露骨に顔を背けて別の方角へ去っていく。
その拒絶は、水の都の洗練されたマナーの中にあって、あまりにも鋭利で、かつ迷いがなかった。
「……清貴、反省しているよ。君の事故調査員としての功績を神の奇跡で塗り替えようとした」
幾度目かの言葉で、ようやく清貴はナサニエルに振り返った。
貴族たちのきらびやかな装いの中にあって、本日の主役と言うべき清貴の装いはあまりにも静謐であった。
纏っているのは、漆黒のフロックコート。胸元には無駄なフリルや刺繍を一切排し、代わりに幾何学的な銀のブローチで細いタイを留めている。
ともすれば質素とさえ見えてしまう装いを上質に塗り替えているのは、圧倒的な仕立ての良さだ。
火災の粉塵によって傷だらけになった眼鏡は、王国の職人たちの粋を集めて元の形に近い状態まで修理され、スクエアの黒縁が鋭利な眼光を際立たせる。
それは自らを飾り立てる事の本質を真摯に問いかけるようでもあり、知を力とする清貴を体現しているとも言えるだろう。
「言葉だけならば、何とでもいえる。君は僕のことを政治の駒として扱った」
「そう捉えられても仕方ないね。申し訳ない事をした。では、言葉以外でどのように償えば許してもらえるかな?」
それを聞いて清貴がニヤリと笑う。
「――飛空艇が欲しい。……ゼノン」
「はい」
すっと清貴の背後にゼノンがまるで残像のように滑り込んだ。
ゼノンもまた、この場にふさわしい夜会服を纏っていた。
ただし、それは貴族たちのように着飾るためではなく、「無礼にならないため」の制服に近い。
仕立ての良いダークグレーのジャケットに、タイを留めるピンも細い銀の棒が一本だけ。……近づいてよくよく見てみれば犬の足跡が刻印されているのは御愛嬌だ。
「こちらに、例の『奇跡』以降に我が国へ流入した奉納金、および寄付金の暫定総額をまとめてあります。
加えて、事故発生からわずか一週間ですが、聖地化を見越した巡礼者により、国内主要都市の宿泊施設は向こう半年間すべて埋まりました。
この流動人口に伴う消費活動、および関連事業の関税収入を含めた推定経済効果は、前年度同期比で15%〜20%の純増。委員会への潤沢な予算配分を差し引いても、国庫の余剰金は8%〜12%、歴史的な上方修正が見込まれます」
ゼノンは眼鏡の奥の瞳を冷ややかに光らせ、ナサニエルを真っ直ぐに見据えた。
「つまり、最新鋭の調査用飛空艇を新規建造する、あるいは特注仕様の旗艦を買い上げてもお釣りが来る計算です。
……殿下。ヴェネンティカの聖旗を掲げた『生ける奇跡』が各地の被災地や調査現場を巡ることは、民草への救済であると同時に、我が国の威信と権益を版図の外まで知らしめる、この上ない動く広告塔となるでしょう。
――投資効率としては、極めて優秀な案件かと存じあげます」
ナサニエルはしばし固まった後、声をあげて笑い出した。
その、あまりにも王族らしくない、繕った部分のない心からの笑い声に周囲が驚いて振り返る。
「ついに僕の小鳥が、大空に旅立っていくという訳か」
まだ肩を震わせながら、ナサニエルは笑い過ぎてあふれた目じりの水滴を拭う。
「ああ、分かったよ。『大陸事故調査員』用の飛空艇についての予算案を僕名義で提出しよう」
そこまで言ってから、ナサニエルはそのアイスブルーの瞳をゼノンへと向ける。
「――僕名義で提出はする。ただし草案は君が纏めてくれ。どうやら君は、僕の小鳥に翼を授ける右腕のようだからね」
その言葉にゼノンが凍りついた。
何か言いたげに唇を戦慄かせているが、流石に王子の前で叫び出すわけにはいかず、絶望のままに固まっている。
「あー、……ゼノン、数字を出すのは手伝うぞ」
清貴が申し訳なさそうに、しかしどこか楽しげに言葉を添える。
「では私はその間のセルジュの散歩を任されましょう。存分に執務に励んで下さいませ」
傍らに控えていたアレスが涼しい顔で追い打ちをかける。
今宵のアレスは漆黒の神官ドレスを纏っていた。
その鍛え上げられた逞しい肩幅と筋肉は、計算し尽くされたレースのケープと、頭部から流れる透き通ったシスターベールによって淑やかに覆い隠されている。一見すると、背筋の伸びた気品ある「長身の美女」にしか見えないその佇まいだ。
嫣然と笑う「長身の美女」と、無茶ぶりの多い上司に、ゼノンは盛大に顔をゆがめながらその場にガクリと崩れ落ちる。
「……やだぁあああああ!! 数字って、本当に数字だけじゃないですかぁあああ!!
清貴様のあの、ミミズがのたくったような解読不能な計算式を解き明かすのがどれだけ苦行か分かっているんですかッ!
それに、お散歩に行きたいのはセルジュだけじゃなく私ですよッ!!
やだぁあああ、しばらく報告書と予算案の監獄に缶詰じゃないですかぁあああ~~~~!!!!
やだやだ、お仕事やだぁああああ~~~~!!!! 休暇を!! 有給休暇を恵んで下さい~~~~!!!!」
ついに響き渡ったゼノンの絶叫に、周囲の貴族たちは何事かと目を剥く。
しかし、清貴とアレス、そしてナサニエルは顔を見合わせると声を揃えて笑い出した。
――数分後。笑い疲れた清貴は、窓の外の夜空を見上げた。
そこにはかつて見た爆煙も、死を告げる火花もない。
ただ、冷たく澄んだ星空と、いつか自分たちが手にする「白銀の翼」が舞うべき無限の空間が広がっている。
「……向かうべき先はいくらでもある。どこまでも飛んで行こうじゃないか」
満天の空へ、清貴は静かに囁いた。