軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

09.

その後すぐ、マデリーンは眠りに落ちた。心なしか先ほどまでと比べて、呼吸や表情が穏やかになったように感じる。

彼女は今、どんな夢を見ているのだろう――。

握られていた掌から力が抜けたのを感じ、ジュリエットはそっと己の手を抜いた。

雨の音はまだ、止む気配がない。

「……礼拝堂の裏にある墓所には、たくさんの騎士たちの魂が眠っています。エヴァンズ男爵夫人のお兄さま、アーサーさまもそこに……」

しばらく経って、シャーロットが静かに口を開いた。

唐突とも取れる話題に戸惑っていると、彼女は見えないはずの目で、ひたりとジュリエットを見据えてくる。

「皆、〝マーシー峡谷の悲劇〟によって命を失った騎士たちです」

マーシー峡谷の悲劇。

その言葉を、ジュリエットは以前エミリアの口から聞いたことがある。

『お父さまにはお友だちはいないの。エヴァンズ男爵夫人のお兄さまだけが本当の友達だったって、以前仰っていたわ。〝マーシー峡谷の悲劇〟で亡くなったんだけど、とてもいい方だったそうよ』

マーシー峡谷という地名自体には覚えがあった。

オスカーに嫁ぐ前、リデルはアッシェンについていくらか勉強している。風習や伝統、歴史だけでなく、もちろん地形についても。

マーシー峡谷は、アッシェン領で最も長大なマーシー河を挟むような形で切り立った崖がそびえる、深い谷間だ。

『某の悲劇』と呼ばれるような大事件は大概何らかの記録として残っていそうなものだが、少なくともリデルが読んだ物の中にマーシー峡谷の悲劇、という言葉はなかったはずだ。

「十二年前の話です」

雨のように静かな声で、シャーロットは語り始めた。

――それはアッシェン騎士団の騎士たちが、領主夫人であるリデルを別荘へ送り届けた帰り道に起こった悲劇だった。

アーサーら護送隊の面々はリデルと別れた後、峡谷を越え、アッシェンへ戻ろうとしていた。

しかしそこで運悪く崖崩れに巻き込まれ、全員が谷底へ落下してしまった。

特に悪天候というわけではなかったが、元々地盤が緩んでいた場所があったらしい。崖は急で、河の流れも速くて、遺体はひとつも上がらなかった――と。

「……そのように、語られています」

なんと惨い事件なのだろう。

護送してくれた騎士たちの顔が次々と脳裏をよぎり、ジュリエットは胸を詰まらせた。

普段はあまり接点がない人々だったが、アッシェン城を出立してからエンベルンの森で休息を取った際、リデルを退屈させまいと色々な話をしてくれた。

孫が生まれたと嬉しそうに語ってくれた老騎士。結婚したばかりだという準騎士。子供たちの肖像画をいつも大切に持ち歩いているという、家族思いの騎士もいた。

皆、リデルを無事に別荘まで送り届けてみせると頼もしく笑って――。

――……え?

ふと、何か得体の知れない違和感が胸を掠めた。

――違う……。

強い鼓動がひとつ、内側から大きく胸を叩いた。

――違う、違う。わたしは……!

違和感はどんどん膨らんで行き、それと同時に鼓動も強くなっていく。

忘れてはいけない何かを、忘れている気がする。

――ねえ、思い出して。 リデル(、、、) 。あなたはあの時、何を見たの?

耳のすぐ傍でジュリアが囁いている。

思い出せ、思い出せとジュリエットに訴える、いくつもの騎士たちの声が聞こえるようだった。

ジュリエットの脳裏にいくつもの光景と音が鮮明に閃く。

否、ジュリエットは今、エンベルンの森に立っていた。

馬車が走っている。

馬のいななき。御者の悲鳴。野盗たちの怒声に、倒れ伏す騎士たちの鎧の音。

辺り一面に広がる――血の海。

「っ……!」

強い耳鳴りと頭痛に、頭を抱えた。

やがてぱんと何かが弾けるような感覚と共に白昼夢のような光景は消え去り、ジュリエットは現実へ戻ってくる。

――そうだ。思い出したわ。

ジュリエットは震える手で口元を押さえた。

どうして、こんな大切なことを忘れていたのだろう。

先ほどからシャーロットの言葉に感じていた違和感。その原因は、野盗に襲われた時のリデルの記憶。

――騎士たちは、わたしを守るために命を落とした……。

そしてジュリエットはもうひとつ、重要な事実を思い出していた。

騎士たちが襲われたあの時、リデルが耳にしたのは騎士たちが倒れる音だけ。本来なら聞こえるはずの悲鳴や、応戦する声がひとつも聞こえなかったのだ。

それが一体何を意味するのか。

――薬を、盛られていたの……?

眠り薬か、しびれ薬か。あるいはまた何か別の薬を使ったのかはわからない。

けれどもし、ジュリエットの考えていることが正しいとすれば――あの襲撃は、周到に計画されたものだったということになる。

けれど一体、誰がなんのために。

自分では想像もできない誰かの思惑により、騎士やリデルの命が失われた事実を突きつけられ、背筋に薄ら寒いものが走った。

咄嗟に己の身体を抱きしめたジュリエットに、シャーロットが再び口を開く。

「……わたくしが若い頃に病で視力を失った話は、以前に申し上げましたね」

未だ動悸の治まらないジュリエットの怯えを宥めるような、それは小雨のように柔らかな声音だった。

「以来わたくしの目には、この世ならざる不思議なものが見えるようになりました。心の性質や感情の変化……。そして、魂の色や形」

何を言われるのか、もうその時には悟っていた。ジュリエットとして初めて彼女と相まみえ、目を覗き込まれた時からわかっていたような気すらした。

「ずっと、あなたさまとお話ししたいと思っておりました。この十二年間、ずっと……」

――ああ、だから彼女はこう言ったんだわ。

エヴァンズ男爵夫人が、ずっとあなたのお名前を呼んでいらっしゃったものですから――と。