軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

02.

困惑顔の両親が、ジュリエットを見つめている。

テーブルの上には、籠に入った菓子や茶器。そして、二通の手紙。

ジュリエットは両親の真正面の椅子に腰掛け、膝の上で両手を揃えたまま石像のように固まっていた。

「――それで、ジュリエット。どうしてアッシェン伯がお祖母さまに……というより、お前に手紙を?」

父の問いかけはごく穏やかなものだったが、ジュリエットの心中はまったく穏やかではなかった。

そう。今、テーブルの上に置かれている手紙のせいで。

これは今朝、祖母の家に勤める下男の手によって届けられたそうだ。

封蝋の上から 捺(お) された印璽は、間違いなくアッシェン伯爵が使用するもの。しかしわざわざ印璽を確かめずとも、ジュリエットにはこの手紙が本物であるとわかっただろう。

前世で何度も読み返したあの手紙とまったく同じ、流れるような美しい文字。封筒に記された署名は、正真正銘オスカー本人のものだったから。

何のための手紙か、など中を読まずともわかりきっている。

彼は祖母を通して父宛に、抗議の文書を送ってきたのだ。手紙の中には、ジュリエットの一連の無礼な態度を責める内容と共に、謝罪を求める文章がしたためてあるだろう。

便箋は開いた状態で置いてあり、父も母も、既に内容を 検(あらた) めた後のようだ。

――ジュリエット。午後のお茶会を始める前に、お前に少し話があるのだが……。

父から改まった様子でそう切り出された瞬間、家族団欒の場であるはずのティールームが、たちまち極寒の大地へ変貌を遂げたかのように思えた。

――もっと早く打ち明けていればよかった……!

などと今更思っても遅い。

ジュリエットがモタモタしている間にも、オスカーは世間知らずの娘に制裁を加えるべく動いていたのである。彼の力をもってすれば、小娘ひとりの素性を調べ上げることなど容易かっただろう。

促されて謝罪するのと、自分の意思で謝罪するのとでは相手の心証も違う。だというのに、ジュリエットは両親の失望を恐れるあまり、自ら最悪の選択をしてしまったのだ。

事の重大さにようやく思い至り、一刻も早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。

しかしそれは許されない。なぜならこの状況を招いたのは、紛れもなくジュリエット本人なのだから。

「ご、ごめんなさい。お父さま、お母さま……! わたし、まさかこんなことになるなんて……」

思ってもいなかった、と言おうとしてジュリエットは口を噤んだ。

彼の頬を平手打ちした瞬間はほとんど何も考えていなかったが、冷静になって以降は、己の行動がどんな結果を引き起こすかはわかっていたはずだ。

頭に血が上って、なんて何の言い訳にもならない。

弁解のしようもなく俯いたまま押し黙っていると、父と母が顔を見合わせる気配がした。

「ジュリエット、顔をお上げ。別に私たちは、お前に怒っているわけではないんだよ」

「そうよ。ただ少し、驚いただけで……。あなたが伯爵家の夕食会へ招待されるなんて」

「でもわたし、伯――え?」

思いもかけない言葉に、脳が意味を理解するのに少々の時間を要した。

――伯爵家の夕食会? わたしが? どうして?

そうして意味を理解しても、理由が分からず混乱してしまう。

――夕食会というのは建前で、大勢の前でわたしを断罪しようとしている……とか?

ざまぁみろ、と高笑いするオスカーの姿が一瞬だけ頭を 過(よぎ) ったが、さすがにそこまで幼稚な復讐はしないだろう。大勢の前で「小娘にぶたれました」と宣言するなど、騎士としての彼の矜持に反することだ。

そもそも、誰かを見世物のようにして嘲笑うこともオスカーらしくない。

では、どうして。彼は何を考えて、ジュリエットを夕食会に招待しようというのか。

ありとあらゆる考えが頭の中を巡っては、消えていく。

しかし両親の困惑は、ジュリエットの比ではなかっただろう。

「手紙を届けた下男が言っていたが、アッシェン伯はお祖母さま宛の手紙の中に、私とお前に宛てたものも忍ばせていたらしくてね。私宛の手紙の内容は、伯爵家のご令嬢がお前のことをとても気に入っているから、親交を深めるため夕食会へ招待したいというものだったよ」

ほら、と父がテーブル越しに便箋と封筒を寄越す。

ジュリエットはまず封筒を検めた。表面には間違いなく父の名が記されており、裏面にオスカーの署名があった。

続いて便箋を確かめると、確かに父の言った通り、エミリアのためにジュリエットを夕食会へ誘う許しが欲しいとの文言が記されている。そして、祖母伝手に手紙を出すことの非礼を詫びる言葉も。

未婚の女性を誘う場合、父親か後見人の許可が必要である。そんな礼儀に則った、正式な招待状だった。

ジュリエットに叩かれたことを抗議するような文章は、どこにもない。

一体オスカーの真意はどこにあるのだろう。

困惑しながら、ジュリエットは自分宛の手紙を広げた。

【 フェナ・(ジュリエ) ジュリエット(ット・ヘ) ・ヘンドリッジ(ンドリッジ嬢)

貴女が偽名で夜会へ参加したことは、エミリア以外の誰にも話していない。どうか貴女に、先日の非礼を直接謝罪する機会を与えてほしい】

――わたしの嘘を、エミリア以外に話していない?

流麗なオスカーの文字に、ジュリエットはますます訳がわからなくなってしまう。

本名を知ったにもかかわらず手紙の書き出しをあえて偽名にしたことや、わざわざ祖母を介して手紙を届けさせたことを考えれば、嘘ではないのだろう。

彼は正式な招待の形を取りつつも、フォーリンゲン子爵令嬢ではなく、あくまで『ジュリエット・ヘンドリッジ』を城へ招こうとしているのだ。

恐らくは、ジュリエットの外聞に配慮して。

――でも、どうして……。

まさか本気で、先日の一件を謝罪したいとでも言うのだろうか。

ジュリエットが正体を偽っていたことにあれほど激怒していたというのに、一体どういった心情の変化なのだろう。

困惑しつつ、何とはなしに便箋を裏返したジュリエットは、そこで初めて裏面にも文字が記されていることに気付いた。

【ジュリエットの好きなお料理を用意するので、お返事下さい! 絶対絶対来てね! 楽しみにしています! エミリアより】

丸っこくコロコロしていて、ところどころ歪に角張った元気のよい文字。きちんとした教育を受けている十二歳の貴族令嬢のものにしては、それは少々拙く思えた。

それでも文字の向こう側に、一生懸命ペンを取るエミリアの姿が見えたような気がして、不意に胸の奥がじんわり熱くなる。

しかし少なくとも今は、呑気に感動している場合ではなかった。

「私宛に許可を求めるということは、アッシェン伯はお前の正体を知っているということだが……。ジュリエット、どうして何も言わなかったんだい?」

「そうよ。夜会の時に何かあったのでしょう?」

「それは、その……ごめんなさい」

両親の口調は責めるようなものではなく、あくまで娘を心配している様子だ。それだけに、これまで黙っていたことに対する罪悪感がますます膨らんでしまう。

しかし、これはどうするべきか。

事のあらましを両親に打ち明ける決意を固めたばかりであるだけに、ジュリエットは悩んでしまう。

――正直に言ってみる? 伯爵を引っぱたいたら、よくわからない内に夕食会に招待されましたって……。

どう考えてみても、信じてもらえる気がしない。あるいは奇跡的に信じてもらえたとしても、両親がオスカーに対して妙な偏見を抱くことは免れないだろう。

アッシェン伯は、自分を引っぱたいた女性を気に入って夕食に招待するような、被虐趣味の持ち主だ――と。

両親に嘘をつくのは心苦しかったが、それはさすがに避けたい。

「実はその、夜会で具合が悪くなってしまって……。伯爵令嬢のエミリアさまが、ゆっくり休めるようにと客室に案内して下さったの。それで伯爵が――」

「まさか何かされたのか!? だからお前は私たちに黙って――」

「ち、違うわ! 落ち着いて、お父さま」

さっと気色ばんだ父の様子から、何かとんでもない方向に勘違いしていることを察し、ジュリエットは慌てて両手を振る。

普段は温厚な父だが、親馬鹿ぶりが暴走すると、途端に手に負えなくなってしまうのだ。

それは母も同じで、娘の身に降りかかった不幸を勝手に想像し、父の隣で見る見る内に青ざめていた。

想像力がたくましいのは結構だが、オスカーの名誉を傷つけるような誤解だけは解かなければならない。

「何も心配するようなことはないのよ。伯爵は具合の悪いわたしを心配して、様子を見に来て下さったの。それで少しお話している内に、言葉使いや仕草から気付かれてしまったみたいで……」

「なんだ、そうだったのか」

「いやだわ、私ったらてっきり……」

虚実織り交ぜた説明に、両親は納得してくれたようだ。顔を見合わせ、ほっとしたような笑みを浮かべている。

「もしお前の身に何かが起こったのだとしたら、活きのいい 人夫(にんぷ) たちを連れて、アッシェン城へ殴り込みをかけなければならないと思っていたところだよ」

「まあ、あなたったら。さすがですわ」

さすがですわ、ではない。

冗談とも思えない父の発言と、そんな父をうっとり見つめる母の姿に表情を引きつらせつつ、ジュリエットは話を続ける。

「黙っていてごめんなさい。お父さまたちを心配させたくなくて……。あ、でも、安心して! 伯爵は、わたしの正体を言いふらすようなことはしないって仰ってるの」

「ジュリエット。私たちが心配したのは、お前の正体が知られたことではないよ。このところ、ずっと浮かない顔をしていただろう? だからお母さまとふたり、夜会で何かあったのかとずっと心配していたんだ」

自分では普段と変わりなく過ごしていたつもりだったのに、まさか見抜かれていたなんて。

さすが両親だ、と感心すると同時に、今日まで心配を掛けていたことを申し訳なく思う。

「お父さま……。お母さまも、本当にごめんなさい」

「いいのよ。あなたが、私たちへの思いやりから黙っていたのだということはわかっているわ。でも今度からは、何かあったらすぐに相談するのよ。約束できるわね、ジュリエット?」

「……はい、お母さま」

優しく促され、ジュリエットは素直に頷いた。差し出された母の小指に自分の小指を絡め、ぎゅっと力を込める。心に刻む、約束の証だ。

「――それで、ジュリエット。招待の返事はどうするつもりなんだい? 受けるにしろ断るにしろ、返信は早めのほうがいいだろう」

「そう、ね……」

父に問われ、ジュリエットは押し黙った。

この招待が何らかの罠であるという可能性は考え難いが、正直、オスカーと再び顔を合わせるのは億劫だ。

しかし、エミリアの『絶対来てね』という言葉に心揺さぶられているのもまた事実。

あの子に関わってはいけない。そう考える以上に、もっと話がしたいと望む気持ちも存在していた。

――友人として、話すくらいなら……。きっといいわよね。

しばらく迷った末、ジュリエットはより強い思いを優先させる道を選んだ。

「喜んでご招待をお受けします、と。アッシェン伯には、そのように御返事申し上げようと思います」