軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

07.

夜会当日。

太陽が徐々にその光を弱め始める頃、ジュリエットを迎えにアダムが祖母の屋敷を訪れた。

彼は着飾ったジュリエットの姿を見るなり挙動不審になり、言葉の意味をなしていない声を上げる。そうしてぎこちない手つきで、胸に挿した白いチューリップの花をジュリエットへ差し出した。

パーティー前、パートナーの女性に男性から一輪の花を渡すのは、エフィランテ王国での一般的なマナーだ。

「こ、こここここ、こんにちは、ジュリエットさん! こっ、これ! どうじょ!」

相当に緊張してしまっているらしく、噛んでいる。

思わず笑いながらチューリップを受け取り、ジュリエットは胸元のリボンに差し込むようにして飾った。

「ごきげ――こんにちは、アダムさん。素敵なお花をありがとうございます」

癖で思わず『ごきげんよう』と言いかけてしまい、すぐさま言い直す。中流階級の人間でそういった挨拶をする者がいないわけでもないが、一応念のためだ。

運のいいことに、今日のアダムは緊張のあまり、そうした些細な言い直しにはまったく気付く様子がない。顔を真っ赤にしながら、必死でパートナーたるジュリエットへの礼を尽くそうとしていた。

「い、いいいええ! ドレスの色は青だと聞いていたので、それに合うような、ジュリエットさんをイメージした花を選んでみました! と、とても綺麗です」

「まあ」

ジュリエットは破顔する。

今度はおかしくて笑ったのではない。アダムのまっすぐな物言いが、ただ純粋に嬉しかった。

彼の言ったとおり、今日のジュリエットは青いドレスに身を包んでいる。首は小さな宝石のネックレス、ふんわりおろした髪は白い造花の付いたカチューシャで飾っており、品よく仕上げている。

顔は、できる限り普段と印象が違って見えるような化粧をメアリに施して貰った。

恐らく他者からは、そこそこ財のある中流階級のお嬢さん、といった感じに見えるのではないだろうか。

もちろんドレスも装身具も、予定通りトーマスの娘からの借り物である。

いっぽうアダムはと言えば、準騎士の正装に身を包んでいた。

服のデザインそのものは正騎士とそう変わりはない。簡単に違いを挙げるなら、襟に入ったラインや飾緒、肩章などの色だろうか。

正騎士が銀色であるのと比べ、準騎士のそれは赤銅色をしている。これが騎士団長であれば金色となり、色で見分けることができるのだ。

「アダムさんも素敵ですよ」

「ほ、本当ですか!?」

「はい。今日は若い女性も沢山招待されているんでしょう? きっとアダムさまを気に入る方が現れるはずです」

一瞬、火が灯ったかのようにぱぁっと明るくなったアダムの表情が、その火に突然水を掛けられたかのように暗くなった。

「……お嬢さま」

背後でメアリが呆れたような声を上げる。

ジュリエットは褒め言葉として喜んでもらえるつもりで口にしたのだが、一体何が悪かったのだろうか。振り向けば、普段あまり表情を変えないメアリが渋い紅茶を飲んだ時と同じ顔をしていた。

その時、屋敷の二階からパタパタと足音が聞こえ、祖母が早足で階段を降りてくるのが見えた。

「ようこそアダム!」

「お祖母さま、走るとまた足をくじいてしまいますよ!」

ジュリエットが声を上げるのとほぼ同時に、メアリがさっと祖母の側まで飛んでいき、もしもの時のために待機する。

幸いにして祖母は何事もなく階段を降りきったのだが、初めて目にする騎士服姿のアダムに、すっかり興奮してしまったようだ。

「ようこそ、ジュリエットをお迎えに来て下さってありがとう。いつも素敵だけれど、今日のあなたもとっても素敵よ。髪もきっちり撫でつけて、なんだか少し大人っぽく見えるわねぇ」

話が長くなりそうな予感に、ジュリエットは慌てた。これからふたりは乗合馬車を使って城下町へ向かい、あらかじめ頼んでおいた贈り物用の花束と本を受け取り、パーティーに顔を出す予定なのだ。

このまま祖母の話に付き合っていたら、馬車の時間に間に合わなくなってしまう。

ジュリエットは勢い良くアダムの腕を掴み、その場から引き剥がした。

「そ、そろそろ行きましょう、アダムさん! 遅刻してしまいます!」

「えっ? あ、はい」

戸惑うアダムを引きずるように、ジュリエットは急いで屋敷を後にした。

背後から、「ジュリエットをよろしくねー!」と祖母の声が飛んでくるのを聞きながら。

「――わたし、乗合馬車なんて初めてです」

停留所まで向かう道すがら、ジュリエットは胸弾ませながらそう話しかけた。

普段は子爵家所有の馬車を使うのだから当然のことなのだが、見知らぬ人たちと大きな馬車で一緒に移動するなんて未知の体験に、なんだかワクワクしてしまう。

「え? それじゃいつも遠くへ出かける際は、どうやって移動なさっているんですか?」

アダムが驚いたような声で問いかけた。目には困惑もある。

限られた豪商でもあるならともかく、普通の家は御者なんて雇えない。貴族でない家の娘は普通、乗合馬車で移動することが多いのだ。

もちろんジュリエットも、そんなことは予習済みだ。

「我が家は果樹園でしょう? ですから商品を運搬するための荷馬車はもちろん、父が遠方へ商談に向かうために使う、小さな馬車があるのです。出かけるときは、大抵それに乗せてもらっています」

「ああ、なるほど! そういえば僕が初めてジュリエットさんを見た時も、お祖母さまの家に馬車が停まってましたもんね」

合点がいったようにアダムが膝を打った。

果樹園の規模がどの程度のものかは特に伝えていない。が、祖母の暮らしぶりやジュリエットの身に着けているものを見れば、中流の中でもどちらかというと上のほうである……という風に考えるだろう。

そうして他愛もない話をしながら、ふたりは停留所を目指す。

到着した時、既に数名の先客が待っていた。その列に混じりつつ、馬車を待つ。しかし、予定の刻限になっても中々到着しない。

初めの頃は、ジュリエットとアダムを含む全員が、まあ少しくらい遅れることもあるだろうといった感じでのんびり構えていた。しかし時間が経つにつれ、いくらなんでも遅れすぎではないかという空気がその場に漂い始める。

「ええと……どうしたのでしょう?」

「こんなに遅いなんて、おかしいですね……」

「何か事故でもあったんだろうか」

見知らぬ人間同士が不安そうに言葉を交わし合う。

ジュリエットもアダムに視線をやった。このままでは確実に遅れてしまう、と彼の顔に書いてあった。

しかし、だからと言ってどうすることもできない。

仕方なくそのまま馬車を待ち続け――結局到着したのは、夜会の開始時刻とほぼ同じ時間となった。

***

「すみません、ジュリエットさんっ! まさか馬車が泥濘にはまって遅れるなんて……!」

「そ、そんなに謝らないでください。アダムさんのせいではないのですし……」

何度目かの謝罪に、ジュリエットは苦笑を浮かべながら右手を振った。左手には先ほど店から受け取ったばかりの、小さな花束と本を携えている。

結局、ふたりが城門に到着したのは、夜会開始から一時間後のことだった。

その間、アダムは人目も憚らず、ずっとジュリエットに謝り続けていた。

「誰にも予想できない事故だったのですから、お気になさらないでください。むしろ、途中で泥濘にはまらなかっただけでもよかったと思いましょう?」

もし途中で起こった事故であれば、乗客全員で馬車を泥濘から押し出す手伝いをさせられたかもしれない。最悪ジュリエットはドレス姿のまま、泥に足を突っ込まなければいけない羽目になっていたのだ。

それに比べれば、少し遅れてしまったことくらいなんてことない。

「ジュリエットさん……ありがとう」

アダムは鼻の頭を赤くし、目に涙まで浮かべてジュリエットの言葉に感動していた。

それを見て、ジュリエットは彼にパートナーが中々見つからない理由をなんとなく悟った。彼は、いい人過ぎる。だから多分、いわゆるお友達止まりで終わってしまうのだ。

「今日は、遅れた分も楽しまないといけませんね」

「はい。目一杯楽しみましょう」

そう言って笑い合い、ジュリエットはアダムに続いて城門をくぐる。

彼が門番に招待状を提示している間、ジュリエットは高くそびえ立つ城をひとり、見上げていた。

あの日と同じ……夕日に照らされ佇むアッシェン城。

――今日からこのお城で暮らすのね。華やかではないけれど重厚で……美しいお城だわ。

かつて、馬車の中からこの城を見上げた時、 自身(リデル) が発した言葉が蘇る。

あの時は側にミーナがいて、後列の馬車にも、王家から付き添ってくれた数名の侍女たちが乗っていた。 王女の輿入れだ。護衛の規模は言うまでもない。

アッシェンでも侍女の手配はしておくが、王家から伴う際は、何人連れてきても構わないと言われていた。両親や兄たちからも、見知らぬ土地へ行くのだから多すぎるということはない、と。

けれど結婚が決まった以上、リデルはもう王女ではない。伯爵夫人なのだ。

完全に王家との縁が切れたわけではないにしろ、できるだけ特別扱いはしてほしくなかった。

それに侍女たちだって住み慣れた王都を離れたくはないだろうし、彼女らが築き上げてきた生活がある。

リデルは王族ではなく貴族の妻として新たな生活を歩み、できる限り現地の風習や人々に馴染もうと決めたのだ。

――ミーナ。わたし、この土地を……アッシェンを第二の故郷として、心から愛しく思えるようになると思うわ。

柔らかなリデルの声が遠ざかっていく。

ジュリエットは目を閉じ、そしてしばらくそのままじっとし、やがてそっと開いた。

ジュリエット自身の心情のせいか、あるいはリデルの記憶がそうさせるのだろうか。

橙色の光に包まれたアッシェン城は、ジュリエットの目に、どこか寂寞たる雰囲気として映るのだった。