軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5-9

後ろからアイリスを追い駆けていた使用人たちが、驚いて足を止める。

庭園から男性の使用人たちと飛び出してきたブロンズも、目を見開いた。

「え、ええぇー!」

騎士たちが揃って驚きの声を上げる。

「アイリス、行こう。俺の背に乗って」

狼が頭を下げて視線をアイリスに合わせ、背の位置も低くした。

「だ、大丈夫なんですか?」

騎士たちの反応から気軽に変身しないことは見て取れた。戦場と違い、今はアリムのことで精神的にも揺らいでいる。暴走してしまったら?

「君がそばにいてくれれば、問題はないから」

アイリスは頭に疑問符をたくさん浮かべた。

シーマスがハッと口を押さえた。騎士たちの反応も様々だが、屋敷側の方向から目撃している者たちもみんな、感動でもしているみたいだ。

(よくは分からないけれど)

あの満月の夜と同じというのなら、彼を信じよう。

アイリスは金色の毛並みをむんずと掴み、巨大な狼の姿になったヴァンレックの背に飛び乗る。

「痛くなかったですか? 大丈夫?」

「問題ない」

答えながらヴァンレックが身を起こした。

ずいぶん高さがあって、アイリスは緊張して両手で彼の毛並みを遠慮なく握った。

「君は意外性に富んでいるな。運動はできないようだが、素質は悪くないように思える」

それは前世では結構動いていたからだろう。

体力や筋力が追いつけば、あの頃みたいに自然に動ける予感もしている。

「しっかり掴まっていてほしい」

「任せてください!」

「では――走るぞ」

ぐんっと狼が走った。

遠くに見える森へ向かって一気に駆ける。騎士たちは驚くどころか、嬉しそうに自分たちもと全力で走り出す。

屋敷の者たちが歓声を上げていた。

「団長の軍服は頼んだ!」

シーマスが後方のブロンズたちに元気な声を響かせている。

「お任せを! どうぞアリム様をよろしくお願いいたします!」

そう答えるブロンズの声も、ぐんぐん離れていく。

(なんて、速いの)

これが狼になった彼の見てイメ風景なのだろう。アイマスは吹く風を白く染める降雪の風景を、魔法みたいに進んでいくように思えた。雪の大地をどっどっと蹴る音は、聞いたこともない大きさだ。

「森のほうへ行くのですかっ?」

駆ける音と風音に負けないよう、大きな声で聞いた。

「ああ。この姿になると〝同胞〟の匂いや気配が、よく分かる。アリムは森だ。たびたび俺の不在時に敷地内を散策していた時も、俺が見つけた」

アイリスは、歓喜していた全員の様子が頭に浮かんだ。

(だからみんな、あんなに喜んでいたのかしら)

血を分けた息子を察知できるヴァンレックが、アイリスも今はとて頼もしかった。

そうかからず狼は森に突入した。ここは邸宅の私有地を外から目隠しするみたいに、敷地入り口からしばらく続く道の左右を覆っている緑地だ。

(すごい。木とほぼ同じ大きさだわ)

アイリスは、左右を流れていく木のてっぺんの近さに、新鮮な感覚がした。

おかげで恐怖はほとんど薄れたと言ってもいい。

ヴァンレックの運動能力も彼女を安心させた。

狼はものごい速度で進んでいくのに、不規則にはえた木々の合間を、超高速で正確にくぐり抜けていくのだ。

「アリム!」

そう発言したのがアイリスには聞こえたのだが、狼の口からは同時に獣の咆哮が上がっていた。

野獣の声に大きな一吠えに、アイリスはびっくりしてしまう。

以前も人の言葉で会話していたので予想していなかった。

すると――。

「この匂いって」

とても不思議なことが起こった。かなりの音がアイリスの周囲には溢れているのに、まるで頭に直接入るみたいにそんなアリムの声が聞こえたのだ。

(これも獣人な族の不思議な力の一つだったりするのかしら?)

アイリスは不思議に思う。

ヴァンレックが「やれやれ」と吐息交じりにつぶやいた。

「時間も忘れて外にいたのか。大騒ぎだぞ、アイリスも心配している」

「えっ」

狼は、とある方向へしなやかに身を滑らせる。

大きな駆け足数歩分のところで、彼の足が止まった。金色の尻尾が降る雪を優雅な動きで弾く。

木々の間の少し開けた場に、アリムが両手を握った姿で、ちょこんと立っていた。

アリムはブルーの目をまん丸くしている。彼が無事である姿を見た瞬間、アイリスのオレンジ色の目が潤んだ。

「ア、アリムっ」

彼のほうを見たまま下りようとする。ヴァンレックがギョッとして、慌てて伏せの姿勢を取った。

「まったく君は――」

彼は何か言っていたみたいだが、アイリスは雪の上に降りるなり、アリムのもとへ駆け出していた。

アリムは何が起こっているのか分からないみたいだ。

「アイリス、どうして泣いて――」

徐々に戸惑いを見せて、アリムがたじろぐ。

「アリム!」

両手を伸ばし、アイリスはその小さな子供を力いっぱいかき抱いた。

抱き締めたその身体は、温かい。自然とたくさんの涙がアイリスの頬を伝い落ちた。

「ああ、神様、ありがとうございます……」

こらえようとしても嗚咽を止められなかった。

今腕に抱き締めたこの子が、心から大切なのだと気付いてしまったから。

「ア、アイリス、こんな中で泣いちゃったら顔が大変なことになるよ」

「うぅ、私だって分かってるの」

子供の前で泣くなんて、本当は我慢したかった。でも、安心したら、どんどん涙が溢れてくるのだ。

「本当に心配したのよアリム。無事でよかった。あ、あなたに何かあったらと考えたら、生きた心地がしなくて。ずっとそばにいられなくて、ごめんなさい」

わぁわぁと泣きながら伝えるアイリスに、アリムが呆気に取れたのか、珍しく言葉はない。

すると、大きなもふもふの尻尾が、外気から守るように二人をすっぽりと包み込んだ。

「アイリス、どうか泣き止んで。ほら、アリムは無事だっただろう」

「はい、はい、うぅ、ヴァンレック様、ありがとうございます」

「こういう時に獣の姿なのはもどかしいな。アリム、アイリスはとても心配していたぞ。いったいどうして抜け出した?」

「すぐ……すぐに戻るつもりだったんだ」

ぽかんとしたようなアリムの声が聞こえた。

尻尾の先が間に割り込んできた。アイリスがなんだろうと思っていると、涙で濡れた顔をもふもふと拭われた。

「ちょ、ヴァンレック様っ、毛がっ」

「尻尾を触られても全然不快感がないな……いい、タオル代わりだ、何もしないよりは絶対にマシだから、甘んじて世話になりなさい」

「それはそうですけど、うぶっ」

「本当だよヴァンレッ――パパっ、僕はすぐに戻るつもりだったんだ」

ようやく状況が飲み込めてきたのか、アリムが焦ったような声でそう言った。

「心配させて泣かせちゃうなんて……予想以上に見つけるのに苦労したんだ」

「植物なら温室にもたくさんあるだろう」

「野花に分類されるから、ないんだ。王都ではどの邸宅にもはえてきちゃうサリーヌって雑草があって、真冬以外はずっと成長し続けて、花も見られるんだって」

サリーヌは蔦科の植物だ。野に広がると小さな白い菊の花畑になるし、目を離している隙に蔦を伸ばして、気付いたら建物の下側で花を咲かせている。

部屋に閉じこもっているアイリスが、一番見てきた花かもしれない。

(あ。もしかして)

ハタと察して、アイリスは尻尾を両手で降ろして、アリムを見た。

「アイリス、僕も君のために何かしたかったんだ」

目が合った途端にアリムが言ってきた。じっと見つめてくるアリムのアイスブルーの目は、いつもより大人びて見えた。

君、なんて言われたからかもしれない。

彼の瞳は潤っているのに、泣きそうではなくて、ただただまっすぐ向き合ってくれていることをアイリスは強く感じた。

「急な結婚だったでしょう? もしかしたら王都が恋しくなることもあるのかなと思って、まだ枯れる前のものが残っているんじゃないかと探しにきたんだ」

「アリム……私が見たことがあると話したから……」

「うん。パパの花束よりも小さいけど、何本か見つけられたよ」

はい、とアリムが胸元で握っていた両手を前に出してくる。

そこには、数本のサリーヌの白い花が握られていた。

「今の僕には、これくらいしかできないけど。僕もアイリスに元気をあげられたかなぁ」

止まっていた涙が、また溢れ出しそうな予感がした。

「うん、とても……とても嬉しいわ」

どうにか涙がこらえて笑いかける。手袋を忘れてしまって、指先や関節が赤くなった手をアイリスは伸ばす。

手はかすかに震えてしまっていた。

きっと、寒さのせいだと思ってくれるはずだ。

ヴァンレックが尻尾で風を遮ってくれる優しい空間の中、アイリスはアリムの手から、大切そうにサリーヌの花を受けった。

「ありがとう、アリム」

アリムが大きな目をぱちくりとして、それから「へへっ」と嬉しそうな表情を浮かべた。

「喜んでもらえて、嬉しい。心配かけちゃってごめんね」

「そんなことないわ。無事でよかった。それから――本当に、ありがとう」

アイリスは片手で花を抱きかかえ、もう一つの腕を彼に回した。引き寄せると、アリムは嬉しそうに頬をすり寄せて、抱き締め返してくる。

「ここが好きよ。私が思い返して恋しくなるのは、いつだってアリムたちのいる場所よ」

心からそう告げた。

(この子の、本当の母親であったらよかったのに)

愛おしいとアイリスは思った。

アリムが大好きだ。心から大切に思ってる。

そんな自覚と共に、これまで目を背け続けてきた事実にも気付かされた。

ヴァンレックに特別な想いも抱いている。

(だからあの夜、私は危険も考えず、彼のそばにいたんだわ)

納得したら、すべて腑に落ちた。

きっと約束された別れを迎える時がきたら、自分は今よりも大泣きしてしまうだろう。アイリスはそんな予感に、一度強く目を閉じた。