軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9-7

また、朝が来た。

コニーは黴臭い寝台の上で膝を抱えていた。心が折れそうになる度に、だいじょうぶだと言い聞かせる。

―――だって、ぴいぴい泣いたって助けが来るわけじゃないでしょう。

きっとスカーレットならそう言うだろう。呆れたような声が今にも聞こえてきそうで、コニーはごしごしと目元を 擦(こす) った。それから、ランドルフの節くれだった掌を思い出す。あんなに大きくてごつごつしているのに、涙を拭う手つきはひどく優しかった。

処刑の日は、決まったのだろうか。染みの浮かぶ天井をぼんやりと見上げながらそんなことを考える。まだ時間はあるのだろうか。それとも―――。気を強く持たないといけないのに、絶望的な状況に精神は摩耗していくばかりだった。弱った心は嫌なことばかりを考えてしまう。もしかしたら、皆、諦めてしまったのでないだろうか。コニーのことなど見捨ててしまったのではないだろうか。

だから、誰も来ないのではないだろうか。

面会を告げられたのは、その矢先のことだった。沈んでいた心が一気に浮上し、誰だろうと俄かに浮足立つ。

しかし、看守から告げられた名を聞くと、コニーはきょとんと首を傾げた。

◇◇◇

「……ブレンダ?」

殺風景な面会室の扉を開けば、栗毛色の少女が心許ない様子で立ち尽くしていた。コニーが声を掛けると、少女はびくりと肩を震わせ、それから今にも泣き出しそうな表情になって小さく頷いた。

ブレンダ・ハリス。パメラ・フランスの取り巻きだった男爵令嬢で、グラン=メリル・アンでコニーを嵌めるために髪飾りを預けてきた少女。例の一件以降、パメラとは疎遠になったと聞いていたが―――

「ええと、その……どうしたの?」

机を挟んで向かい合うように腰掛けてもブレンダは黙り込んだままだった。

コニーは内心首を傾げていた。ブレンダとはそれほど親しい間柄ではなかったと記憶している。もちろん顔を合わせれば挨拶はするし、そのまま会話が弾むこともある。けれど、こうしてわざわざ会いに来るような仲ではなかったはずだ。

となれば、コニーに何か用があるのではないのか。

面会時間は限られている。痺れを切らせて訊ねれば、ブレンダは、またもやびくりと肩を震わせた。それから持参してきた手提げ袋に手を伸ばし、何かを取り出す。

俯いたまま机の上にそっと置かれたそれは、とある新聞の紙面だった。

これを読め、と言うことだろうか。コニーは躊躇いがちに手に取ると、恐る恐る目を通した。

そして読み終わると、ぐっと唇を噛みしめる。

「ミレーヌや、ケイトが……」

そこには、コニーを助けるために立ち上がった友人たちの活躍が記されていた。

「ふ、ふたりだけじゃないわ」

びくびくとこちらの様子を窺っていたブレンダが、意を決したように口を開いた。

「元婚約者のニール・ブロンソンや、海運王のウォルター・ロビンソン、あと、どうしてかわからないけれどドミニク・ハームズワース子爵も」

「……へ?」

「もちろん、アルスター伯爵もよ」

思わず声が詰まった。目頭が熱くなる。

―――知っていた。皆、ぜったいにコニーのことを助けようとしてくれると、知っていた。知っていたはずなのに、やはり心の底では不安だったに違いない。

強張っていた身体からふっと力が抜ける。コニーは、長い、長い息を吐き出した。不安や恐れが吐息とともに出て行くようだった。

おそらくそれで、踏ん切りがついた。コニーは、ねえブレンダ、と切り出す。

「私の処刑はいつ?」

びくり、とブレンダの肩が震える。動揺したように視線が彷徨う。なんてわかりやすいんだろうとコニーは苦笑した。もうあまり時間が残されていないことは承知の上だ。だからブレンダも、こうして覚悟を決めてコニーに会いに来たのだろうから。

無言の攻防の末、先に折れたのはブレンダだった。

「……明日、だって」

「そっか」

コニーは笑った。様々な感情が荒れ狂う波のように押し寄せてくる。けれど、不思議なくらい心の芯は落ち着いていた。

「……コンスタンス・グレイル」

微笑むコニーをじっと見つめながら、ブレンダが口を開いた。

「ん?」

「あのね、わたし、」

何かを 躊躇(ためら) うような沈黙は一瞬だった。

「パメラのことを、告発しようと思うの」

コニーはゆっくりと瞬きをすると、目の前の少女を見つめた。先程までの脅えた様子はどこかに消え失せ、その双眸には確固たる決意が 漲(みなぎ) っている。

そこには、いつも女王さまの顔色を窺っていた気弱な少女はどこにもいなかった。

「今まで彼女がやってきたこと、ぜんぶ。パメラの標的になった子たちが何をされたのか。パメラ・フランシスがどういう性根の人間なのか。そんな人間の証言に、果たして信憑性があるのか。ぜんぶ話すつもりよ」

驚きのあまり思わず言葉を失っていると、ブレンダはわずかに傷ついたように瞳を伏せた。

「……今さら、よね。もう遅いのに。もっと早くに声を上げることができれば、何か変わっていたかも知れないのに。でも、こわくて、できなかった」

そこで一端言葉を切ると、彼女は低く頭を下げた。

「力になれなくて、ごめんなさい」

コニーは慌ててその細い肩に手を伸ばした。顔を上げさせると、きっぱりと告げる。「ブレンダが謝ることなんてひとつもないじゃない」

悪いのはパメラで、さらに言えば【 暁の鶏(ダェグ・ガルス) 】だ。そう言うとブレンダはまた顔を歪めた。

「ずっと……ずっと言いたかったことがあるの」

今にも泣き出しそうな表情のまま、ブレンダは声を振り絞った。

「助けてくれて、ありがとう」

コニーは息を呑んだ。

ふいにグラン・メリル=アンでの一幕を思い出す。パメラからすべての罪を被せられそうになったブレンダ。窮地に陥った彼女を颯爽と救ったのは―――コニーではない。

「違うのよ、ブレンダ。あれは……」

否定しようとした言葉は、ブレンダの手によって遮られた。「ううん、あなたよ」彼女は言った。どこか誇らしそうに。

「あなたの誠実さが、わたしを助けてくれたのよ」

◇◇◇

ひとりじゃない。

ブレンダとの面会を終え、 人気(ひとけ) のない室内に戻ってきたコニーは、握りしめた拳を胸に当てた。

みんな、戦ってくれているのだ。コニーのために。

先程まで心を蝕んでいた絶望はどこかに吹き飛んでいた。だからといって救いのない状況が好転したわけではない。けれど―――

けれど、気づいたのだ。

(ぜったいに、諦めない)

スカーレットなら、そう言うはずだと。

何せ、あのお姫さまは諦めることが大嫌いなのだから。

スカーレット・カスティエルは、傲慢で、無神経で、人を人とも思わないような悪魔で、そして、どうしようもないほどの負けず嫌いである。だから、どんなに困難な状況でも最後の瞬間まで諦めることはない。それだけは断言できる。

―――わたくしを、いったい誰だと思っているの?

耳元でそんな声が聞こえた気がした。寝台に寝転んだコニーはふっと口元を綻ばせると、迫りくる深淵に向かって手を伸ばした。

夜空を覆っていた濃い藍色はいつしか青と橙の二層に分かれ、見る見るうちに混じり合っていく。

夜明けはすぐそこまで来ていた。あの哀れなコンスタンス・グレイルが処刑される日が、とうとうやってきてしまったのだ。もちろん救出の目途は立っていない。

だと言うのに―――

「ずいぶんと、落ち着いていらっしゃるんですね」

意外に思って訊ねると、スカーレットは無言のままハームズワースを一瞥した。

それから、ふん、と鼻を鳴らす。

『あら、怒鳴り散らすとでも? それとも罵って欲しいのかしら? この役立たずの豚めって』

なるほど、それもいい。むしろご褒美かも知れない。

『―――いいこと、そこの成金豚』

期待がうっかり顔に出ていたのか、蔑むように見下ろされた。

『人を救うのは神ではないわ』

スカーレットはそう言うと、窓を指さした。正確には、その向こうに広がる空を。

『見てごらんなさい。まだまだ時間はあるでしょう。誰が諦めてなどやるものですか。―――わかったらさっさとその手を動かしなさい、この愚図が』

◇◇◇

そうして空が白み始めた頃、ハームズワースは歓声を上げた。テューダー伯の経営する会社の登記簿を見つけたのだ。

「どうやら市庁舎の改修事業に携わっていたのがテューダー家だったようですね」

興奮のままそこに記載されていた内容を読み上げていく。

「ほら、スカーレットさまが処刑される直前に雷が落ちて火事になった―――ああ、失礼しました」

さすがに無神経だったかと慌てて謝罪すると、スカーレットは肩を竦めた。

『かまわなくてよ。わたくし、処刑当日のことは全く覚えていないもの』

「覚えていない?」

ハームズワースは首を傾げた。けれどすぐに「それもそうか」と思い直す。人間の脳は自衛するものである。自らの死の瞬間を覚えておきたい者などいないだろう。

『ええ、まったく。……いえ、違うわね』

スカーレットは記憶を探るように 紫水晶(アメジスト) の瞳を細めた。その眼差しは、どこか遠くを見つめている。

『……あの日、執行人たちが部屋に現れたのは覚えているもの。確か、手枷をつけられる前に執行人のひとりが果実水をくれたのだけれど―――それを飲んでからの記憶がないんだわ』

ああ、とハームズワースは合点がいったように頷いた。

「なら、きっと果実水に鎮静剤でも仕込まれていたのでしょうね」

『……なんですって?』

スカーレットの眉がぴくりと吊り上がる。

「よくある話ですよ。あれは言わば見世物なんです。あまり強く抵抗されたり、暴言を吐かれたりしたら興醒めだ。だから、心を麻痺―――いえ、 穏(・) や(・) か(・) に(・) させる薬物を与えておくことが慣例でして。記憶がないということは、おそらくスカーレットさまには強く効きすぎてしまったのでしょうな。大抵は教会が用意するのですが、あれの原料は例の組織が使用していた幻覚剤と系統が似ているので―――」

言いながら、ハームズワースは十年前の光景を思い出して首を捻った。あの日、スカーレットは罵声を浴びせる民衆たちをその美貌と気品で圧倒し、さらには呪詛にも近い言葉を吐いて恐怖の渦に陥れていた。とても意識がないようには思えなかったが―――

疑問に思ってスカーレットを見ると、ハームズワースの女神は、紅茶にうっかり塩でも入れてしまったかのような、何とも言えない表情を浮かべていた。

「おや、違いましたか? 昔から【ジャッカルの楽園】だけは苦手だったと記憶しておりましたが。匂いを嗅ぐのもお辛そうで」

『確かにそうだけれど、なぜお前が知っているのよ』

心底気味が悪そうに言われたので、ハームズワースはすぐさま話題を変えることにした。

「そうそう、教会の鎮静剤に使われているのは 三女神(モイライ) の糸、と呼ばれる稀少果実なんですよ。何でも、口にした者の時の流れを交差させるという逸話があるとかで」

『……それがどうしたと言うの?』

もちろん特に意味はなかったので、黙ったまま登記簿の 頁(ページ) を捲ることにした。出てきたのは改修後の市庁舎の見取り図だった。ハームズワースは思わず目を見開く。

そして―――低く笑った。

「なにかを隠すにはもってこいですなあ」

見取り図によれば、広場の下には広大な地下通路がある。人質がいるとすればここだろう。くつくつと咽喉を震わせれば、命じることに慣れ切った声が降ってきた。

『―――王立憲兵に連絡を』

ハームズワースは胸に手を当て、深く 頭(こうべ) を垂れた。

「仰せのままに、我が君」

しかし、果たして間に合うのだろうか。脳裏を過ぎった懸念はすぐさま黙殺した。どちらにせよ、進むしかない。

手早く書類をまとめて外に出る。馬車に乗り込む直前、ハームズワースはふと立ち止まって空を仰いだ。

太陽がゆっくりとその姿を頂きへと押し上げていく。始まりの産声とともに、まばゆいばかりの光が地上を照らし出す。

スカーレットがぽつりと呟いた。

『―――今度こそ、最後に笑うのはこのわたくしだということを嫌と言うほど思い知らせてやるわ』

そう。結果がどうであれ、進むしかないのだ。

少なくとも道は―――拓けたのだから。

ハームズワースは降り注ぐ光の強さに目を細めると、わずかに口角を持ち上げ、また歩き出した。