軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第432話 聖鍵

―――邪神の心臓・ 聖杯神域(ホーリーチャリス)

ジルドラの研究によって生み出された病原菌、かつてアルカールを数日で滅ぼした災厄の体現である。当時よりも致死性、感染率、魔法による耐性と様々な要素が強化されたこの生物兵器は、ジェラールの鎧の中で更なる変化を遂げ、最早手が付けられない代物へと生まれ変わっていた。

「グ、グガ、あ、あぁァ……!」

例えば、それは痛み。一瞬で死に至るであろう苦痛が、激痛が、苦悶が、全身を掻き毟る。死に至るであろうが、死ぬ事ができない。意思を持つかの如く絶妙に匙加減されたそれらが、1秒という一瞬を延々と引き伸ばし、全身を拷問に掛けているかのように蝕んでいく。

「私が、私ガ私デナくなル……!」

例えば、それは記憶への侵食。永久を生きて溜め込んだ知識の宝物庫が荒らされ、次々とジルドラの財宝が強奪されていく。それは歳を重ねる毎に物忘れが激しくなる脳の老化にも似ていて、これまでのツケが一気に回ってきたかのようであった。

「肉ガ、落チる。落ちテ逝ク……!」

例えば、それは肉体の損傷。体の内より発せられた高熱は、疾うに人の限界を超えて制御不能な領域に陥る。比喩表現などではなく、本当に肉が焼け、体内の水分が沸騰する。自分が熱いのか、外気温が暑いのかも判断できない錯乱状態。どうする事もできず、ジルドラはただただ転がり回るしか手立てがない。

―――それらは、ジルドラに起こった一端の症状でしかない。それ以外にどのような断罪が待っているのかなど、当の本人、無限の責め苦を受けるジルドラにしか分かり得ない事だろう。

「兜は返してもらおうか」

地面を転がり回るジルドラを足で止め、自らの兜を引き剥がすジェラール。まさかここまで強力なものに仕上がっているとはジェラールも思ってはおらず、ほんの僅かにジルドラに対して同情してしまうのは、ジェラールの人の好さ故の事だろう。だが、それ以上は何もしてやらない。助けを乞おうと、どれだけ丁寧に謝罪しようと、その苦しみから逃すつもりはない。長年の仇であったジルドラのその姿を、ただ目に焼き付けるだけだ。

(しかし、この病は恐ろしいのう。もうジルドラは完全に病魔に侵されているんじゃし、装備は解除しておくとするか。エフィルに感染しては事じゃわい)

鎧と兜の中に入っている分の病原菌は、ジェラールの装備から外れた瞬間に『自己超越』による強化が解除されて元に戻った。但し移ってしまった者は別で、発症してしまったジルドラの症状に変わりはない。

「グゥううーッ……! こレガ、ここガ私ノ最後だトいうノカ……!? 馬鹿ナ、バカなっ……!」

「ああ、お主は馬鹿じゃ、大馬鹿者じゃ。それだけの力があれば、もっと世の為に使う事もできたろうにのう」

「ふゥー、フぅー…… 世ノ為ダと……? ソンなもノ、一体何の益ニなるとイウのダ……! 戦ハ新たナ技術ヲ作り出シ、革命は犠牲の上ニ成り立ツ……! 所詮この世ハソンなものナのだ……! ぐぅガぁッ……!」

「……悲しいな。お主はいつまでも独り、どこまでも孤独なのか。仲間と呼べるものはいるだろう?」

「利益ヲ、搾取スる関係を、ソウ呼ぶ…… ノナラば、ナぁ……!」

血反吐を撒き散らしながら言葉を吐き出すジルドラは、どう見ても死の瀬戸際にいた。病に侵される前から無理な再生能力を使い、ジンの生命力を代用していたのだ。回復できる見込みなど、ある筈がなかった。

―――チャリン。

苦しむジルドラの懐から、何か金属のようなものが床に落ちた。複雑な形状をした鍵、それは 聖鍵(せいけん) であった。

『………っ』

「む?」

聖鍵(せいけん) から、僅かに音がしたようにジェラールは感じられた。よくよく耳を澄ます。ジルドラのもがき苦しむ声が聞こえた。

(気のせいか? ……いや)

気のせいではない。小さな雑音が次第に大きくなっていき、ややして雑音は明確な言葉に変換されていったのだ。

『……繋がりましたかな? おお、繋がりましたか。実に良い事です。苦労が報われる瞬間とは甘美なものですな』

鍵から聞こえてきたのは、妙に芝居がかった台詞だった。

『お話しは聞かせて頂きました。ジルドラさん、冷たいではありませんか。貴方には私という 仲間(・・) がいます! 1人で思い悩む事はないのですぞ!』

「………」

その者はさっきまでの会話を盗み聞きしていたようで、執拗に仲間という言葉を強調していた。不審に思ったジェラールよりも速く、ジルドラが息が絶え絶えながらも声を発する。

「グぅ…… 統率者カ……?」

『ええ、その通りです。こちらも神柱を幾つか落とされるまでに追い込まれましてね。何とか逃げ帰ったまでは良かったのですが、戦力の再編成に時間が掛かりまして。いやはや、逸早くお助けする事ができず、非常に心苦しい。断腸の思いとはこの事ですな』

ジェラールは配下ネットワークにて情報を整理する。統率者、トライセンの元将軍トリスタン・ファーゼは、少し前にシュトラ達の手によって屠られたと報告されていた。ただ、トリスタンの死体は確認されていなかった為に、生き延びている可能性も有りと記されている。どんな手を使ったのかは分からないが、彼はシュトラ達の監視網を掻い潜って生き延びていたらしい。

「貴様ガ、私ヲ助けるト……? クハは、ガハァ……! 一体、何の冗談ダ……!?」

『ハッハッハ、何を仰りますか。大切な仲間は生きてこそ、生きてこそなのです! 私は仲間が生きている限り、決して見捨ては致しません! ―――ですが、どうもジルドラさんの体はもう殆どが死んでいるご様子。と言いますか、死んでいると言っても過言ではない。おまけに私の力ではお助けする事ができないと、運命とは何と非情なのでしょうか。ええ、残念至極、本当に断腸の思い。治療できるとすれば代行者、守護者あたりが適当なのでしょうが、彼女らも暇ではないのです。仲間を助けたいが、他の仲間は危険に晒す事ができない…… ああ、何と悩ましい取捨選択! ついでに言ってしまえば、その病が私に移る可能性もありますので、救助はご遠慮させて頂きます』

「グぅ……」

『まあまあ、そんなに消沈する必要もありません。要は生きていれば良いのです! 良き友であるジルドラさんの為となれば、この私が一肌脱ごうではありませんか! そう、貴方と私は良き 仲間(・・) なのですから、遠慮する必要はありません。ですから、今は思う存分貴重な体験を楽しむとよろしい!』

「貴様ハ、最後まデ……」

次から次へとトリスタンが言葉を放ち出しているうちに、ジルドラの体力は限界になったようだ。生命力が希薄に、呼吸と心臓の音が小さく萎んでいく。傷口から流れる血の勢いは衰え、止まる。そして最後には、遂に瞳から命の光が消えた。

『―――さて、ジルドラさんが死んでしまっては、この 聖鍵(せいけん) も間もなく機能を停止させる事でしょう』

「……仲間であった割には、随分と平常心なのじゃな?」

『ジェラールさんでしたかな? 残念ながら、貴方と口論している時間はもうありません。ですから、最後にちょっとしたアドバイスだけ、サービスで致しましょう。仇を討ったのならば、お仲間をお助けになっては如何かな? 私と違い、貴方はまだ間に合うでしょうから』

エフィルが作り出した炎の城塞が、その色を蒼から赤へと変色させている。それはジルドラの残した病によって、エフィルの体が弱まっている証拠でもあった。

『さてさて、ジルドラさん印のその病魔を治せる方がいらっしゃれば良いのですが…… 陣営を共にしていない私は、こうして彼方から祈る事しかできません。まあ、個人的にそのメイドさんには借りがありますので、この程度の事で死んでほしくはないですなぁ。それでは―――』

「むっ、待てぇい!」

ジェラールが声を張り上げるも、 聖鍵(せいけん) は既に力を失った後だった。