作品タイトル不明
第383話 魔王になろうとも
―――魔王城最下層・月の館
突き破られる黒き卵。泥の塊を砕いて中から出てきたのは、ベルの脚甲だった。半壊状態で今にも壊れてしまいそうな感は拭えず、先ほどと何ら変わらないようにも見える。ただし、清らかな純白であったその色は泥と同じ黒で染まり、周りに流れる蒼き風は邪悪な気配を漂わせていた。
「く…… あ……」
卵が完全に崩れ落ちると、呻き声を漏らすベルが完全に姿を現す。
「ベル、貴女―――」
「ぎ、う……」
セラは思わず声を止めてしまった。一筋の汗が、セラの頬を伝う。
ベルが邪悪な存在に変質してしまったのは、間違いなく魔王となったからだろう。悪意に満ちた空気、この世の全てを憎まんとする紅の瞳は怒りに満ちて強く発光している。姿形で言えば、変貌してしまったベルの姿は脚甲が変色した以外は、大きく変わったところは見られない。そう、見られないのだ。
「―――怪我、治ってないじゃない」
ボロボロの傷だらけの体で、立ち上がっているのが不自然なほどに負傷した右足を這いずる。無事な箇所などないに等しい。彼女の体は瞳に宿る力強さとは真逆。まるで操り糸で強制的に起き上がらせたかのように、ベルは酷く弱々しかった。
「セ…… う……」
意味を持たない言葉を発するベルに、会話が成立するとは思えない。それでも、セラは聞かずにはいられなかった。
「まさか、こうなる事を知っていたの? だから、最初にあの黒い本を使わなかったの?」
「……が」
魔王となった者はその力を十全に使って世界を崩壊に導く。先代の魔王グスタフと魔王ゼルは、絶対的な武力と国力を持って世界を圧しようと目論んだ。そしてその彼ら自身の強さも折り紙付きで、ケルヴィン達を大いに満足、もとい苦戦させるほどだった。神の使徒であるベルが魔王と化せば、それ以上に恐ろしい存在になる事も十分にあり得る。だが、ベルは満身創痍となり敗北が確定してから漸く魔王化を行った。
―――自分を止めさせる為に、わざと手負いで魔王化した。
セラの頭にそんな考えが過る。ならば、なぜわざわざ魔王になんてなったのか? 妹とはいえ、先ほどまで全力で殺し合った相手の事だ。今だ疑問は尽きない。が、セラにはどうしてもそうとしか思えなかった。
魔王となったのならば、『天魔波旬』の固有スキルを持つ筈。だとすれば、かつて魔王ゼルがそうであったように、全ステータスが1000以上強化されている事だろう。いかにセラがゴルディアを使用したとしても単独で勝利できる見込みは著しく落ち、そうなったベルに勝てる保証はなくなる。
「けふっ……! は…… て……」
「………」
また、ベルの口から血が流れた。内蔵がやられているのか。そんなベルを、セラは黙って見詰める。
勝ちたいのか、負けたいのか、分からない。理解できない。果たしてベルはエレアリスの使徒になってまで、何がしたかったのか? そんな考えばかりが心の中で渦巻く。しかし、のんびりと考えている暇はなかった。
「……じ」
手負いに魔王、ベル・バアルが臨戦態勢に入ったのだ。視界に入ったセラを敵と捉えたのだろう。姿勢を限界まで低くし、まるで獲物を狙う獅子のような目でセラを睨む。片方だけとなった左の脚甲から、忌まわしき暗黒の風が集まり出す。
「……うん、分からない。やっぱり分からないわ。だから、私は私が正しいと思う事をやる」
傷ついた右手を隠すように、 魔人紅闘諍(ブラッドスクリミッジ) と 黒金の魔人(アロンダイト) が無事である左腕を前にする形で、横向きに構えるセラ。握った拳をゆっくりと開き、人1人を簡単に包み込んでしまう巨大な掌がベルへと向けられた。
「―――来なさいっ!」
「が、あっ……!」
轟音が鳴り響く。脚甲の底で爆発した黒の風が月の館の一角に亀裂を走らせ、更には小さなベルの体を目にも止まらぬスピードで前へ押し上げた。
(速いっ!)
脚甲より吹き荒れる風は、最早漆黒の竜巻と化している。間違いなくこれまでで最も速い。ただ、その代償として骨は軋み、傷口からは絶えず血が滲み出ている。自身の体なんてお構いなしに、負荷を掛ける事を全く厭わない。怒りの感情しか読み取れないベルの顔は、そう語っているかのようだった。
(私もベルも、この衝突でたぶん限界。ベルが壊れてしまう前に、これで終わらせないといけないわ!)
セラはゴルディアによって発生させた紅の闘気を左腕に集中させる。すると、真正面から迫っていたベルの動きに変化があった。
「……はっ!」
敏捷の動力源としていた竜巻を、横払いの蹴りと共にセラへと放ったのだ。城塞である魔王城よりも鉄壁である最下層の壁を破壊しながら巻き込み、瓦礫と化したそれさえも武器として共々薙ぎ払う。もちろん、この最下層も無事では済まず、崩壊へのカウントダウンが始まる。
「関係ない!」
開いた拳で、竜巻を先端から押し潰す。冗談のような戦術で、いや、戦術とも呼べないだろう。呆れるほどの、ただの力技。セラは自身の腕をくれてやるつもりで、ベルへと真っ向から向かって行ったのだ。黒を帯びたこの風にもベルの色調侵犯は付与されているらしく、ゴルディアの闘気は徐々に薄まりつつある。それでも、セラは進む事を止めなかった。竜巻の中を流動する瓦礫を押しのけ、風を食い破り続ける。
―――やがて、セラはベルの竜巻を食い尽くして、眼前まで迫っていた。
「グ…… ア……」
ベルの脚甲の先端より、黒き風の剣が飛び出る。迸る鮮血。 風切りの蒼剣(グラディウスアイレ) が 無邪気たる血戦妃(クリムゾンアストレイア) 、 魔人紅闘諍(ブラッドスクリミッジ) 、 黒金の魔人(アロンダイト) の全てを乗り越え、再びセラの拳を貫いたのだ。
この瞬間に紅の闘気は完全に消失、覆っていた紅の腕鎧も破壊される。剣に血染を使おうにもセラの血では脚甲を覆う風に弾かれてしまい、能力を発動する事ができない。ベル自身を攻撃しようにも、この状況で残されたのは拳を握る事もままならない右腕のみ。
「関係、ないっ!」
あろう事か、セラは貫かれた左手を更に押し込み、前へと進み出した。幸いにも手負いであるベルはそれ以上の攻撃を仕掛ける事はなかったが、ずぶずぶと広がる傷口はそれだけで目を背けたくなるもの。唯一残っている 黒金の魔人(アロンダイト) も限界が近く、貫通した箇所からの裂け目が拡散しつつある。自滅にも見える荊の道をセラは歩んでいた。
だが、セラは辿り着いた。風の剣、 風切りの蒼剣(グラディウスアイレ) の根元。脚甲の持ち主である、ベルのところまで。
「ベルが使徒だろうと、魔王だろうと関係ない。ベルは私の妹。それだけ分かれば、私は―――」
血塗れの右手をベルの頭の上に置き、優しく撫でる。
「―――今はただ、『眠りなさい』」
その瞬間にベルの意識は途切れ、風の剣が消失する。倒れそうになったベルをセラは抱きかかえるも、そのまま座り込んでしまった。思ったように体に力が入らないのだ。血を流し過ぎてしまったのか、セラとベルの周りには大量の血溜まりができていた。
(……私も少し、眠いわね)
最下層の崩壊を虚ろな目でぼんやりと見ながら、セラはベルを抱き締めた。