作品タイトル不明
第175話 絶対守護
―――トライセン城
ゴゴォ、という扉が開く音としては重々しい響きが部屋に広がる。両開きの最上階への扉を開き、まず中に入ってきた人物はダンであった。
ダンがここを訪れたのは何も今回が初めてではない。薄暗く、そして広々とした大広間。最上階に存在するこの場所は特別な式典でしか使われることがなく、国王の許可なしでは例え王族でも立ち入ることを許されないトライセンの聖域とも呼べる区域なのだ。軍のトップであるダンと言えどそう易々と来られる部屋ではないのだが、ただひとつ、確実に記憶と一致しない異物があった。床一面に描かれた、墨色の魔法陣である。ダンの直感がこれが良くないものであると警報を鳴らすが、一方でどうしても視線を外すことができない相手がそこにいた。
「……シュトラ様」
醜悪な魔法陣の真上に立ちはだかるは、トライセンの姫にして暗部将軍、そしてダンの探し人であるシュトラ・トライセンだった。母の髪によく似たブロンドの髪をなびかせ、これからパーティーに出るかのような着飾った格好をしている。どこかゴスロリチックなドレス姿の彼女は大変美しいものであるが、腕に抱えるヌイグルミ、そして魔法陣が生み出す異質の空気と相まって不気味さを奏でる要素となっていた。
「あっ、誰かと思えばダンじゃない! もー、すっごい遅刻よ! もうすぐ式が始まるところだったんだから!」
「………」
ダンはシュトラの口調に違和感を覚える。何時ものような淑女らしい品のある話し方ではなく、まるで何年も前の幼少の頃の、考えるよりも先に言葉が出てしまう年齢のそれに聞こえたのだ。
「それは申し訳ないことをした。ですがシュトラ様、式とは一体何のことですかな?」
「決まってるじゃない。私とお父様の結婚式よ」
シュトラの言葉を失うダン。確かに尊敬に値する父親の下で育てられた娘であれば、幼い頃に父との結婚という夢を持つこともある。事実、シュトラもそういった時期があった。しかしそれは遠い昔のこと、18歳となったシュトラは疾うに現実と向き合い、折り合いをつけられる少女にまでに、それどころか暗部の将軍にまで成長したのだ。ダンにはそのシュトラからの告白とはとても思えなかった。
「ずっとずっと笑って誤魔化すばかりだったんだけど、今日急にいいよって言ってくれたの。よく分からないけど、私を愛してくれるんだって。私、嬉しくって嬉しくって」
「今日、ですか……」
今日、つまりはダンら鉄鋼騎士団が城下町に入ってからか、ケルヴィンと共に城に攻め入ってから。そのあたりのことだろう。トリスタンの言葉を信じれば、シュトラは国王に何かをされた。その結果がこの変わり果てたシュトラとでも言えばいいのか。自ずと国王が正気ではないことが導き出されてしまう。
「それなのに駄目じゃないの、ダン! 大事な式なのよ、遅刻した上にそんな汚れた鎧で来ちゃ!」
「シュトラ様、これは―――」
「ダン将軍、もういいですよ。彼女はすっかり洗脳されているようですので」
部屋の入り口からのコレットの声。やがて姿を現したコレットに、シュトラは目を輝かす。
「わあ、コレットちゃんも来てくれたんだぁ! 嬉しいなぁ、何時の晩餐会以来かなぁ」
「シュトラ、貴方は……」
「あのね、ルノアもアシュリーもどこかに行っちゃったんだ。親友だったのに、私に声もかけないで……」
「………」
コレットはルノア・ヴィクトリアとアシュリー・ブライズ、今の名前でシルヴィアとエマがなぜトライセンを後にしたのかを知っている。パーズでの会食の際に本人達より聞いていたからだ。その理由をシュトラが知っていたのかは分からないが、このシュトラは記憶が曖昧になっているように思える。
(コレットちゃん、ですか…… あの頃は、そのようにお互いを呼んでいましたね。あのヌイグルミも、確かその頃にプレゼントされた物)
幼児退行、その言葉がコレットの頭に浮かんだ。
「でも大丈夫。遅刻したけどダンがいるし、遠いデラミスからコレットちゃんも来てくれたもの。アズグラッドお兄様は見当たらないけど、きっとギリギリになって来てくれるわ。何時だって、タブラお兄様に苛められていた時だって、何だかんだでお兄様は私の味方だったもの。 ……あれ? そう言えばコレットちゃん、この間よりも大きくなった? それにとっても綺麗になってる?」
「それは貴方もですよ、シュトラ」
「うん? そうかな~?」
腕を広げて自分の姿を見回すシュトラ。洗脳による効果なのか、何も疑問に思っていないようだ。
「シュトラ、ゼル国王はどちらに?」
「お父様なら、この先で式場の準備をしているわ。でも邪魔になるから、いいよって言われるまで誰も通しちゃいけないの」
「申し訳ないのですが、私たちは至急ゼル国王と会わねばならないのです。通して頂きますよ」
コレットが一歩、前に踏み出る。
「駄目ーーーっ!」
シュトラの叫びに共鳴し、魔法陣より放たれる異様なプレッシャー。室内であるのに風が舞い、ダンとコレットは強風に押しやられる。
「駄目、駄目なの……! お父様の言い付けは絶対なの……! 私、良い子でいなきゃ、お父様に嫌われちゃう!」
「シュトラ……」
震えるシュトラの体、そして彼女の感情に連動するように魔法陣より生み出される、影のようなモンスター達。部屋に次々と影が産み落とされ、その数を増やしていく。
「邪魔をするなら、コレットちゃんでも許さないよ」
シュトラの瞳は最早狂気に支配されている。
「……やはり、そうなりますか。ダン将軍!」
「おう! シュトラ様、済まぬが少し眠って頂く!」
「いやっ!」
覚醒する最中のモンスターを縫うように突き進み、シュトラに腕を伸ばすダン。しかし、シュトラの影より何かが飛び出し、その進路を阻んだ。
「……サテラ、お前もか」
ダンの眼前に立つは黒尽くめの女。暗部の副官、サテラであった。シュトラと同様に彼女の瞳に正気の色はない。
「サテラ、お願い!」
「承知、侵入者を排除します」
抜き身となるサテラの短刀。そこにあるのは明白な殺意。ダンは背の大聖剣に手をかけ――― 叫んだ。
「コレット殿!」
「はい! 時間稼ぎ、ありがとうございます!」
墨色の魔法陣を囲うようにして展開される青白い光の結界。結界の内部にはコレット、ダン、シュトラ、サテラ、そしてモンスター達が余すことなく入れられている。
「これって……?」
「デラミスに伝わる秘術のひとつですよ。これで貴方たちは、この結界を出ることができなくなりました」
コレットが施したこの結界はケルヴィンとシルヴィアの模擬試合に使われたものとは異なる。先の結界は内側からの攻撃のみを防ぐものであったが、この結界はコレットの意思によって内外からの出入りを自由に操作することができる最上級のもの。
「こんなものっ!」
ダンとサテラが対峙する最中、シュトラがモンスターをけしかけて結界の破壊をさせようとするが、掠り傷ひとつ残すことができない。
「んくっ…… 感触からしてA級程度のモンスターのようですね。なら、問題にもなりません」
懐から取り出したMP回復薬を飲み干しながらコレットが笑い掛ける。
「ならっ、コレットちゃんをやっつけて消してやる!」
大量のモンスターがコレットに押し寄せる。だが、コレットの前には3つの白き魔法陣が描かれていた。
「済まないな、ここは通せん」
まず正面に召喚され、最前列のモンスターを葬ったのは神聖騎士団団長クリフ。そしてその左右に天使と獅子を模した動く石像が召喚された。
「クリフ、ミスティッククーガー、エンジェスタチュー。全力で守護しなさい」
「承知です!」
クリフが剣を構え、獅子が吼え、宙に浮かび上がる天使兵。臨戦態勢となるコレットの配下に、シュトラはヌイグルミを持つ手に力を込める。しかし、突然の来訪者はそれだけではなかった。
「コレット、お姫様を頼んだぞ!」
「ダンじいも頑張って!」
凄まじい速さで広間に入り込み、壁を走るようにして現れた二つの人影。ケルヴィンとリオンは結界内にいる味方を鼓舞し、風のように奥の通路へと向かっていく。
「30分です! 最低でも、それだけは必ず持たせます! ご武運を!」
「「十分!」」
会話らしい会話はそれだけで、二人は瞬く間に消え去ってしまった。残るはコレットを昂らせる高揚感と、シュトラのどうしようもない悲壮感だけであった。
「ああっ、駄目! 勝手に行っちゃ駄目なんだからっ!」
コレットの狙いはシュトラの保護である。結界内に閉じ込めることが保護に当たるのかと問われれば強引な解釈になるだろうが、少なくとも魔王の手からは離すことができる。例え外部で城が崩壊しようと内部は安全なのだ。言わば、ケルヴィンらが魔王を倒すまでの緊急シェルター。ダンがシュトラの近くまで特攻したのも、万が一モンスターがシュトラを襲い始めた際の予防だ。ダンの実力であれば副官のサテラの相手をしながら背後のモンスターと戦うことができる。
「結婚式は諦めてもらいますが、私がここで遊んで差し上げます。これは燃費最悪ですが今の私はベストコンディション、幾らでも飲んでやりますし、心配せずともその程度の狂気、私の 信仰心(きょうき) で晴らしてあげますよ。だからあの頃のように、お遊びに付き合ってくださいね、シュトラちゃん」