軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2話 俺は転生したぞっと

朝も早く、どこにでもいそうな、スーツを着込んだある一人のおっさんが駅の長いエスカレーターに乗っていた。まだまだ朝早く、エスカレーターに乗っているのは俺以外に誰もいない。都内で誰もいないのは珍しいなぁと思ったが、とりあえず左側に立つ。

エスカレーターは暗黙の了解があり、左側にはエスカレーターを歩かない人。右側が歩いて登る人と決まりがある。関東と関西は反対で違うらしいけど。あと、歩いて登るのは軽犯罪法に引っ掛かるんじゃないかなぁと、俺は眠気混じりの欠伸をして思う。どちらにしても、俺は歩いて登る気はない。疲れるし、エスカレーターを駆け上るとか意味わからん。

なので、のんびりとエスカレーターが上まで着くのを待っていた。高速エスカレーターのために、かなり速い。この高速エスカレーターを駆け上る命知らずもいないだろうと思うぐらいに速い。

思えば、そんなことを思っていたのが、フラグだったのだろうと未来で俺は気づいたことだ。だが、その時の俺は特に気にしなかった。隣をダダダと荒々しい足音を立てて駆け上る男がいなかったら、何も起こらなかったし。

ん? と俺は足音に気づくが後を振り向くことはしなかった。それぐらい高速エスカレーターというのは速いし、この駅のエスカレーターは物凄く長いのだ。振り向いて落ちる可能性もある。

なので、気にはなったが、そのままでいた。だいたいの人はそうすると思うんだ。気にはなっても、もうその好奇心を表には出さない。歳と共に好奇心は怠惰の天秤に傾きで負けちまう。

そのうち足音が近づき、俺の横を物凄い勢いで駆け上る奴が見えた。小太りの青年だ。後は普通の服装で、汗だくだくで息は荒い。あぁ、旅行にでも行くのかなと思ったのは、そいつがタイヤ付きのトランクケースを持っていたからだ。よく海外旅行とかで使う引手が付いているやつ。

ツアーに遅れるとか、飛行機の時間に間に合わない。そんなパターンだろう。とはいえ、高速エスカレーターを駆け上るとは勇気あるなぁと、駆け上る青年を見送りながら思っていた。

が、それも青年が足を滑らせて、落ちてくるまでだった。よりによってあと少しで上に辿り着く時に青年は足を滑らせた。恐らくはあと少しで辿り着くと安心したからだろう。運動不足もあったんだろうな、足がガクガクだったようだし。

落ちてくる青年とトランクケース。少し下にいた俺は不幸なことに巻き込まれて、転がり落ちていった。ガツンガツンと身体がエスカレーターの階段の角にぶつかり激痛が走る。ポキっと骨の折れる音が聞こえてきて、身体が動かなくなり、下まで落ちたのだった。

マジかよと俺は動かない身体と、それなのに痛みがないことに恐れを抱いた。わかる、わかってしまった。これは致命傷だと。死ぬんだと薄れゆく視界の中で思った。

この青年、マジで許さない。俺を巻き込むなよと泣きそうになる。俺は独身だ。そのために老後の資金として貯金をしており、その金は5000万になる。国に没収されるか、親戚が持っていくか。どちらにしても俺の手元には残らない。三途の川に金は持ち込めない。

もっと贅沢に暮せば良かった。数万円の日本酒を飲み、一泊数十万円のスイートルームに泊まり、海外旅行もしたかった。後悔ばかりが俺を襲う。

死後の世界など存在しない。地獄も天国もないだろう。贅沢に暮らしたかったと俺は人生を悔やみながら死んだと思ったのだ。

たしかに俺は死んだ。そこで俺の人生は終わった。

そして新たなる人生が始まったのだった。

気づいたら、俺は赤ん坊になっていた。

「あーあー」

言葉は口にできない。手足も自由に動かない。なんぞ、これ?

最初は助かったのだと思った。重傷でも生き残れたのだろうと。だがすぐに気づいた。だって、見知らぬ男が俺を見てきたし。しかも俺を見て嬉しそうだ。医者にも見えない。

トドメの言葉もあった。

「赤ちゃんや〜、パパでしゅよ〜」

二枚目というにはなにか足りない、そこそこの顔立ちの男が嬉しそうに言ってくるのである。手を何とか動かすと紅葉のようにちっちゃい手だった。どうやら俺の手みたいだ。

なるほど? 俺はもしかしたら転生したらしい。赤ん坊らしい。夢かもしれないが転生したと考えた方が希望がある。明日醒める人生でも、この人生を楽しもう。だが、それとは別に恐ろしいことに気づいた。

俺はどっと恐怖に襲われた。

「あんぎゃー」

わぁんと泣き叫ぶ。なにに恐怖したかっていうとだ。

赤ん坊って、首が据わっていないから下手に動けないというやつだ。成人の動きをすると死んだり、障害が残るかもしれない。

怖い。この生活が怖い。赤ん坊になって恥ずかしい? それどころじゃない。赤ん坊ってのは死にやすいのだ。ガラス細工のようなものなのだ。本当に赤ん坊になったら、恥ずかしいとかそんなことを思う前に、自分の身体の脆さに恐怖するもんだなと俺は泣き叫ぶのであった。

なので、ハイハイができるまではほとんど動くことなく、赤ん坊の俺は大丈夫かと両親に心配されたのであった。

恐怖の赤ん坊生活はよく覚えていない。ただ両親はそこそこの顔立ちで、人の良さが滲み出る人柄であった。夜泣きをすると次の日も仕事なのに、父親が俺をあやしてくれるのだ。しかも嫌そうな顔一つせずに疲れた顔もせずに。

母親はその間、すよすよと安心して寝ている。

俺は驚愕した。この両親、物凄いできた人たちだ。仲が良いだけではない。人柄が良いだけではない。その両方を持っているのだ。

だって奥さんは見せていないのだ。俺に対して嫌そうな、いや、少なくとも疲れた顔を見せてもおかしくない。なのに、ニコニコと俺をあやしてくれるのだ。

この家庭は最高だと俺は感動した。やったね。俺の転生は最高の環境だったのだ。

俺はこの両親が大好きになり、この夫婦関係が壊れないように頑張ろうと誓ったのだった。

まずは夜泣きをしないように頑張ろうかな。

ここは日本だと赤ん坊ではあるが悟った。ようやくハイハイできて、よちよち歩きで、パパママ〜と笑顔を見せて、抱っこしてとお強請りをする。

両親は俺があまり動かなかった上に、夜泣きも少なかったので心配していたらしい。俺も身体が砕けるんじゃないかと恐れていたので、そのことについてはごめんなさいとしか答えることができない。

抱っこされて、甘えながらも周りを確認するが、スマフォもある。テレビもあるし、食べ物も普通。卵焼きにカレー。うん、日本だ。テレビの内容も普通だし。両親は旅行や食べることが好きなようで、それ関係の番組を見ていることが多い。

黒目黒髪、平凡な容姿に痩せても太ってもおらず標準体型。普通だ。一軒家に住み、母親は専業主婦。父親はサラリーマン。なんの仕事をしているかはわからないけど、だいたい定時で帰れる模様。

普通の家庭。新婚でもないのに、まだまだラブラブだし、お互いを気遣って、優しい言葉や感謝の言葉を口にして、家事も分担しており、休みには家族でお散歩。たまに外食だ。

転生したのに平凡な家庭なんて残念だねと憐れむ人もいるだろう。平凡なる家庭で残念だったねと。

だが、そんな言葉を口にする奴は若いと言うしかない。専業主婦だよ? 土地持ち一軒家でお金に困っている様子もない。何より家族仲がとても良い。奇跡のような両親だ。この人たちは聖人かな?

剣と魔法の世界に転生するよりも断然良いよ。だって、剣と魔法の世界って面倒くさいじゃん? 何よりテレビもないし、ネットもない。投稿動画を見ることもできないし、ゲームもないのだ。俺が暮らすのは不可能だ。おいしい食べ物もないしな。

「みーちゃん、おやつよ〜」

数年後である。居間でコロコロと転がっていた俺に、母親がニコニコ顔で手招きしてくる。コロコロと転がっていたのはなんか楽しいから。幼くなって、精神も釣られちゃったらしい。

「は〜い」

ぽてぽてと俺は歩いて母親に抱っこしてもらう。スキンシップは大事なんだよ。

「ママ、おやつありあと〜」

ニコニコスマイルで俺はお礼を言う。何かにつけてお礼を言うのはとても大事なことなんだよ。俺は常にありがとうと、両親に笑顔で言っている。家族仲大事。

「今日は手作りクッキーなの。熱々だから気をつけてね」

「手作り!」

思わずぽかーんと口を開けて、驚いてしまった。だって手作りだよ?

「はい、どうぞ」

テーブルに置かれているクッキーとミルク。手に取るとほのかに温かい。マジかよ、温かいクッキーだよ? え? 手作りクッキーなの? どこの伝説のアイテム?

小さな口に運んで噛むとざくりと軽い感触が返ってきて、甘さが広がり、温かさが口に残る。温かいクッキーなんか初めて食べたよ! できたてだよ!

手作りクッキーなんか都市伝説だと思っていた。とてつもなく美味しい。最高である。

俺はこの環境が最高だと確信した。前世の両親は離婚したし、常にお互いの悪口ばかり口にしていたから、比較対象が酷すぎたのかもしれない。

だが、俺は比較対象がおかしくても感動した。こんな家族見たことない。テレビだって、仲の良い家族は不老不死の海の家族だけ。ドラマとかだとだいたい離婚しているし、感動的な冒険的イベントがなければ縒りを戻したりしない。吊橋効果って知っていますかと、聞きたいところだ。

なので、なんでもない普通の家庭のように見える光景は奇跡のようなものだと知っている。この母親は多少お嬢様っぽい元箱入り娘な感じがしたけどな。良家の出なんだろう。

絶対に絶対にこの家族は崩壊させないぞと、俺は強くクッキーを握りしめて、粉々に砕いてしまった。

「くっき〜」

涙腺が脆い幼い身体だ。うるうると涙をためてしまう。手作りクッキー。聖剣エクスカリバーや村正よりも珍しいアイテムがと、泣きそうになる俺を、母親はクスクスと笑って頭を撫でて慰めてくれた。

「大丈夫よ、まだまだあるからね」

俺は母親に慰められながら、固く誓った。手作りクッキーの誓いだ。この家族を守ると。

もう一枚クッキーを砕いちゃったのは言うまでもない。

さて、この家族を幼い俺が守るにはどうすれば良いか。……笑顔と感謝の気持ち、そして金だな。

ロトの当たり数字を研究しよう。そうしよう。完璧な計画だ。幼い頃から研究すれば、1等ぐらい何回か当たると思うんだよな。前世では当たったことなかったけど。

そうして、俺はペチペチとパソコンを叩いて、ロトの数字を集めることにしたのだ。建設的な行動と言わざるを得ないだろう。皆が俺を褒め称えると思うんだけどどうかな?

そうして5歳になるまで、俺は良い子として暮らした。残念ながら両親はロトを買っていなかったから、俺が買える歳まで待つことにしたんだけど。臥薪嘗胆というやつだ。

だが、5歳になって俺の生活は壊れた。

壊れちまったんだ。