軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

62.屋敷で静養します

しばらくの間屋敷で静養することになった。

当然その間は学院も休むことになった。

自分も休むと主張するルイを学院に向かわせるのが一番大変なことだった。

家族全員で叱責し、説得した。

本当に大変だった。

心配で授業に身が入らないというのがルイの主張だった。

それでも学院にはきちんと通いなさいと言う家族との話し合いはずっと平行線だった。

最終的には、アンリエッタが「それならわたくしも授業に出なければならないわね」と言ったところでルイはようやく折れた。

毎日兄に引きずられるようにして登校していく。

授業が終わればすぐに帰ってきてずっとアンリエッタに張りついている。

一番衝撃を受けたのがルイだったのだろう。

それが心の傷になっているとしたら強くは拒絶できなかった。

だから今もルイはアンリエッタの部屋にいる。

「学院はどうだったかしら?」

「んー、まだちょっとざわざわしているかな」

「そう」

さすがに騒ぎが大きくなってしまったので、なかなか元通りの雰囲気には戻らないようだ。

これでは授業も落ち着いて受けられないだろう。

無関係な学生には迷惑なことだろう。

動揺もしているかもしれない。

さすがに彼らには申し訳なく思う。

「姉上が気にすることではないよ」

ルイが不機嫌そうに告げる。

以前にも増してルイはアンリエッタの感情に敏感になった。

喪いそうになったから過敏になっている。

アンリエッタの一挙手一投足に目を光らせているくらいだ。

「でも、無関係な人にはそれこそ関係ないことでしょう」

「それはそうだけど。それは姉上が気にすることじゃない」

ルイは 頑(かたく) なだ。

怫然(ふつぜん) とした表情で言う。

「姉上のせいではないんだから」

確かにアンリエッタは何もしていない。

純然とした被害者である。

アンリエッタが助けようとしなければ、逆に何もなかったのかもしれない。

彼女たちは水をかけようとすらしなかったかもしれないのだ。

加害者の話は聞いていた。

アンリエッタには知る権利があるからとシュエット様がわざわざ訪問してくださり、教えてくださったのだ。

加害者は二人ではなく、三人だった。

壺を落としたのは故意ではなく、支えきれなくなってしまったとのことだった。

普段それほど重いものを持ったことはないだろうから、そうなるのも必然だ。

そこまでは考えなかったというのは浅はかとしか言いようがないが。

危機管理能力が足りなすぎる。

いやある意味では自分たちを過信していたと言うべきか。

彼女たちは本当に軽い嫌がらせと言える範囲で留めるつもりだった、と言っているらしい。

大量の水をかけるのが軽い嫌がらせかどうかというのは疑問だが。

だけどもどうやら本当に水をかけるだけのつもりだったようなのだーーアンリエッタに。

アンリエッタが助けた彼女はアンリエッタをあの場に誘導する役目を 担(にな) っていたらしい。

アンリエッタはまんまと嵌められたのだ。

あそこでアンリエッタなら助けに行くと読まれていたということだ。

それはつまりアンリエッタのーー甘さだ。

「姉上の優しさにつけ込むほうが悪い」

ルイがアンリエッタの思考を読み取ったかのように不機嫌に言う。

ルイはそう言ってくれるが、つけこまれるような隙を見せたアンリエッタもよくはなかった。

気づいた以上は見て見ぬ振りをするのも後味が悪い思いをしただろうが。

ただアンリエッタが助けなければ、下手すれば下にいた彼女に壺が当たったかもしれないな、とはちらりと思った。

恐らく、アンリエッタが彼女のもとに行かなければ水をかけようとはしなかっただろう。

だが、傾けかけた壺を落とさなかったとも言えないのではないかと思う。

その場合は当たっていたら本当に命が危なかった。

水が入った壺が当たった衝撃はアンリエッタに当たったものよりずっと重いものだろう。

その辺り、きちんと考えていたのだろうか?

……考えていたとは思えない。

自分たちの腕力を過信したのだろう。

それか壺の重さを軽く見たか。

もしかしたらどれくらい重いかというのを知らなかったかもしれない。

二人で持ち上げれば大丈夫だとでも思ったのだろう。

そもそも令嬢が水の入った壺を持つ機会などそうないだろう。

ちなみにアンリエッタは持ったことがある。

ボワ辺境伯家で護身術を習った時の一環でだ。

身を守るために咄嗟に持ち上げるにしても実際の重さを知らなければ逆に危ないから、と。

まさかそれを我が身で経験するとは思っていなかった。

しかも投げるほうではなく、ぶつけられるほうで。

さすがに誰も想定はしていなかった。

普通ならそのようなことは起きないはずだった。

そのような事態になるような状況で一人でいるなどあり得ない。

護衛や使用人が近くにいるはずだ。

だが今回のことは学院の敷地内で起きた。

基本的に学院内では護衛や使用人を連れてはいないのだ。

学院内での身の安全は保証されているはずだった。

学生同士のいざこざが多少はあっても、分別のつく者しかいないはずだった。

分別のつく者は傷害事件など起こすことはない。

せいぜいがちょっとした嫌がらせくらいに留める。

……暗黒時代にはその分別を超えてしまった者がちらほらといたようだったが。

あの時代は王国の黒歴史といえるようなもの。

あの時代の出来事があるからこそ、貴族たちは 弁(わきま) えていた。

暗黒時代のことを葬ったりせずにきちんと各家で語り継がれているのは戒めであるのだ。

そうやって脈々と学院内の安全と秩序は守られてきたのだ。

今までは。

それでうまくいっていたのだ。

それなのに、だ。

今回のことが度を過ぎてしまった。

学院の中は安全だという建前でさえ崩れた。

学院も頭が痛いだろう。

起こらないはずのことが、起こってはならないことが起こってしまったのだから。

各家への対応とこれからの安全対策に奔走していることだろう。

学院を休んでいるアンリエッタのもとまで情報は届いていないが。

どうしても得られる情報は狭まってしまう。

家族が知らせたくないと思ったことはほぼ得られないといっていい。

重要な情報はシュエット様がもたらしてくださったものだ。

その中には家族が知らせたくなかったものも交ざっていたと思う。

それをシュエット様のお陰で得ることができたのだ。

本当に得難い主君だ。

アンリエッタが知るべきだと判断すればきちんと教えてくださる。

もう少し気をつけるように、とのお小言もちょうだいしたが。

シュエット様にまで心配をおかけしてしまったのだ。

もう少し慎重に行動しようとその時に改めて心に刻んだ。

ルイが言葉を重ねる。

「姉上は悪くないよ」

これは繰り返し聞いた言葉だ。

ルイだけではない。

家族やミシュリーヌ、ロジェやジェレミーまで同じ言葉を言っていた。

アンリエッタは悪くない、と。

つけこまれる甘さを見せたのに。

「つけこませてしまったわたくしも反省すべきだわ」

「姉上の優しさは美点だよ。ただ誰も彼もにその優しさを振り撒かないで」

「振り撒いているつもりはないわ」

今回のことは危険だと思ったから動いただけだ。

実際に危険な行為だった。

アンリエッタは頭を掠めただけだったからこれくらいで済んだのだ。

あれがまともに頭に落ちていたら?

腕や他の場所に当たっていても骨折は 免(まぬが) れなかっただろう。

下手したら障害が残った可能性もある。

それは、この先の人生に影を落とす可能性もあった。

エドゥアルトはアンリエッタが障害を負ったところで今更手放すとは思えない。

だが周りはどうだろうか?

障害を負った娘よりももっと他の令嬢のほうがいいと進言する者もいただろう。

それに同調して騒ぎ立てる者も現れることだろう。

攻撃材料にしてくる者もいただろう。

シュタイン家も婚約の見直しをするかもしれなかった。

個人として気に入られることと家としての方針はまた別の問題だ。

婚約を取り持ってくれた方々もさすがにそうなれば是と言うしかないだろう。

ことは家の利に関わることだ。

取り持ったからと言って無理を通すことはできない。

それに襲撃された場合の反応速度も確実に落ちる。

アンリエッタを守るために今までよりも労力が必要になることを意味する。

そうなってしまったら将来の選択肢は 狭(せば) まってしまっていた。

それは被害者がアンリエッタではなく、下にいた仲間の令嬢でも同じこと。

実は自分も危なかったことに彼女はどこまで気づいていただろうか?

少し手元が狂っただけで、水にしろ壺にしろ彼女に当たっていた。

その自覚が三人にはあったのだろうか?

跳ねた水がかかるくらいは覚悟していただろう。

だがそれ以上の危険性は把握していたのかは怪しい。

少なくとも壺が落ちてくる可能性は考えていなかっただろう。

アンリエッタに当たっていなかったとしても割れた破片が飛んで怪我をする可能性もあったのだ。

自分を犠牲にしてまでアンリエッタへの嫌がらせなどする必要があるのか。

少し立ち止まって考えるべきだったと思う。

何かあれば家にまで累が及ぶとは考えられなかったのだろうか。

……考えなかったから実行してこの事態を引き起こしたのだろう。

もう少ししっかりと考えていればこのようなことにはならなかった。

「被害者が責任を負うべきではないよ。責任を負うべきは加害者のほうだ」

きっぱりとルイが言う。

加害者が責任を負うのはアンリエッタも当然だと思う。

加害者の彼女たちの動静は一応聞いていた。

彼女たちは既に学院を退学しているそうだ。

学院を卒業しなければ成人として認められない我が国では、それはもう貴族として生きていくことはできないということだ。

彼女たちは恐らく修道院に入ることになる。

どこの修道院に入ることになるのか。賠償問題も含め、家同士の話し合いは父と兄に任せてある。

むしろ余計なことは考えないようにとアンリエッタは言い含められていた。

情けをかけてほしいなどと言うつもりはない。

そこまでアンリエッタも甘くはない。

自分たちのしたことの責任はしっかりと取るべきだ。

幸いにしてアンリエッタは頭にたんこぶができたくらいで記憶もはっきりしている。

今のところは障害なども出ていない。

軽傷だったと言ってもいい。

だが軽傷で済んだというのは結果論でしかない。

下手したら命を落としていた。

そのことも踏まえて罰は与えられるべきだ。

そもそもどこにも情状の余地はない。

エスト公爵令嬢のためと思ったにしろ、第一王子に飽きられたから何をしてもいいと思ったにしろ、実行したのは彼女たちの意志なのだ。

誰かに脅されたり命令されたわけではないのだろうから。

少なくともそのようなことは聞いていない。

事が事だけにエスト公爵令嬢にも確認したが彼女は知らなかったらしく驚いていたということだった。

あの三人も誰にも命令されていないと証言しているらしい。

恐らく事実なのだろう。

エスト公爵令嬢は過激な方だ。

アンリエッタも扇で叩かれそうになったことがある。

それでもそこまで考えなしのことを命じることはないだろう。

実行する令嬢にも瑕疵がついてしまう。

そのようなことはさせない気がした。

そもそも今までだってエスト公爵令嬢の命令の嫌がらせは受けていない。

少なくともそう匂わせる者は誰もいなかった。

あくまでも自主的にやっているようだった。

自分たちの"姫様"の役に立ちたかったのだろう。

彼女のために邪魔者を排除したかったのだ。

それも自分たちの判断で、だ。

それだけ慕われてもいる。

理不尽な命令をするような方だったらそんなふうに慕われることもないだろう。

文句だって直接一人で言いにきたくらいだ。

誇り高いのだろう。

苛烈な性格であることは間違いない。

だが手を 下(くだ) すなら自分でという潔さも持っている。

そうでなければ、直接アンリエッタに文句を言いにはこないだろう。

それこそ"東"の貴族の令嬢令息に命じてアンリエッタを排除すればいいのだから。

"東"の令嬢令息は喜んでそれに従っただろう。

今でも自主的にアンリエッタに嫌がらせをしているのだから。

「とにかく姉上は余計な同情はしないで」

「してはいないわ」

していないし、するつもりはない。

無関係な者たちを動揺させているのは申し訳ないな、と思うがそれだけだ。

別に加害者に対しては一片の同情もない。

ただもっとしっかりと考えて止めてほしかっただけだ。

こんなことになる前に。

だがルイは納得していないようだ。

納得していないというよりアンリエッタの言葉を信じていない。

「もっと自分を大切にすることだけを考えていてほしい」

そんなことを言わせるほど今回のことはルイの心を深く傷つけてしまったのだろう。

アンリエッタはしっかりとルイと目を合わせた。

「心配をかけてごめんなさい。これからは気をつけるわ」

「本当に気をつけて」

「ええ」

もう一度しっかりと頷く。

「次はないよ? もし次やったら僕が四六時中傍にいるのを覚悟してもらうから」

ルイの目はどこまでも真剣だ。

本気でやるつもりだろう。

ルイはどこまでいっても姉馬鹿だ。

これは一生治らないだろう。

そんなことを頭の片隅で考えながらアンリエッタは無言で頷いた。