作品タイトル不明
49.第二王女殿下にお呼ばれしました。
観劇から帰ってすぐにエドゥアルトとウェスト公爵家、それから婚約を仲介してくださった方には手紙を書いて状況説明をしておいた。
翌日。
ミネット様からお誘いいただいて今日もまたミネット様の元を訪ねた。
「わたくしはミネット様にお会いできて嬉しいですが、お忙しいのではありませんか?」
「明日から学院が始まるでしょう。だから今日は一日お休みなのよ」
「そうなのですね」
疲れを残して学院へ通うことのないようにとの配慮だろう。
優雅にティーカップを持ち、ミネット様が尋ねた。
「舞台はどうだったかしら?」
「兄たちと行きましたが、大変楽しめましたわ。チケットをありがとうございました」
「そう。楽しんでくれたのならよかったわ」
「本当にありがとうございました」
満足そうにミネット様は微笑む。
楽しめるようなものだったのか気にしてくださっていたのだろう。
そんなミネット様に告げていいものか迷ったが、いずれは耳に入ることだとアンリエッタは口を開いた。
「劇場でクロード殿下にお会い致しました」
ミネット様は大きく目を見開いた。
よほど驚いたようだ。
普段ならここまであからさまに驚いた表情はなさらないだろう。
ミネット様は気さくな面を見せてくださっているが王族だ。表情操作には 長(た) けているはずだ。
それがここまで表情に出たということは余程予想外のことだったのだろう。
「まあ、クロードお兄様と?」
「ええ。ご存知ありませんでしたか?」
「ええ、知らなかったわ」
この言葉は信じてよさそうだ。
第一王子たちがいたのはどうやら偶然だったようだ。
万に一つの可能性だったが杞憂だったようだ。
密かに安堵する。
ミネット様が少しだけ眉根を寄せた。
「もしかしたらお兄様が迷惑をかけたのではなくて?」
まさか素直に肯定するわけにもいかない。
かといって否定もできない。
アンリエッタはただ微笑んだ。
それでミネット様は察したようだ。
「お兄様には言っておくわ」
「ありがとうございます」
少しでも改善してくれたら嬉しいがたぶん無理だろう。
それでもミネット様の心遣いが嬉しい。
ミネット様がティーカップを持ち上げ、優雅に口をつける。
「ミネット様、お疲れですか?」
目の下にうっすらとクマがあるように見えて思わずアンリエッタは尋ねる。
「あ、いえ、大丈夫よ」
ミネット様は取り繕うように微笑む。
今日一日ゆっくり休めるところを、無理してアンリエッタを呼んでくれたのではないだろうか?
それなら早めにお 暇(いとま) したほうがいいだろう。
「実はね、アンリエッタがくれた本が面白くて、つい読み 耽(ふけ) ってしまったのよ」
「まあ、それは嬉しいですわ」
思わず少しだけ声が弾んでしまった。
アンリエッタや友人が選んだ本に夢中になってくれたことが単純に嬉しい。
それからはっとする。
「まさかそれで睡眠時間を削られたのですか?」
後ろめたそうにミネット様がそっと視線を逸らした。
それが答えだった。
「ミネット様、夜はきちんと寝てください」
ミネット様を寝不足にしたとあっては本を土産にしたことを後悔したくなる。
「そうね。気をつけるわ」
「約束してくださいね」
「ええ、約束するわ。そうでないとアンリエッタはもう二度と本を持ってきてはくれなくなるでしょう?」
「そうですね」
ここで、そんなことはない、と言えばミネット様から遠ざけられかねない。
「それは嫌だからきちんと睡眠を取ることにするわ」
「はい。御身は大事ですからね。御自愛くださいませ」
「ええ、気をつけるわ」
控える女官たちの表情に変化はない。
だけどどことなく満足そうに見える。
もしかしたら夢中になると睡眠を 疎(おろそ) かにされていたのかもしれない。
そして苦言を呈しても流されていたということだろう。
一転してミネット様は明るい笑顔になる。
「先日はアンリエッタとあまり話せなかったからゆっくり話したいと思って呼んだの。……迷惑じゃなかったかしら?」
「いいえ、わたくしも嬉しいですわ。ミネット様とのお喋りは楽しいので」
「ふふ、嬉しいわ」
ミネット様は一口お茶を飲んだ。
アンリエッタも同じようにティーカップに口をつける。
今日のお茶はすっきりとさわやかな味と香りのするものだ。
何杯でも飲めてしまいそうだ。
「美味しいですね」
「ふふ、気に入ってくれた?」
「はい。何杯でも飲めてしまいそうです」
「いくらでもおかわりしてくれていいわ」
「ありがとうございます」
お礼を言ってもう一口お茶を飲む。
ミネット様が音も立てずにティーカップを置く。
「あの劇のような話はアンリエッタは好きかしら?」
「はい、好きです」
アンリエッタはハッピーエンドものが好きだ。
昨日の舞台はどたばた喜劇のハッピーエンドではなく、シリアス寄りの、女性が運命に翻弄されながらも力強く生き、最後には想い想われ結ばれるハッピーエンドものだった。
帰りの馬車の中でミシュリーヌと感想を熱く語り合ってしまった。
ちなみに第一王子一行とは感想を述べ合うことなく儀礼的なやりとりをして別れた。
ヴァーグ侯爵令息は知らないが第一王子とベルジュ伯爵令嬢はどうせまともに観てなどいないのだろう。
「好みのものだったようでよかったわ。わたくしもあの舞台は好きなの」
「ミネット様も観られたのですね」
「ええ。封切りされた時に公務の一環で観に行ったのよ」
なるほどとアンリエッタは頷いた。
御自身が気に入られたからアンリエッタにもチケットを用意してくれたようだ。
「なかなかの盛況でしたよ」
「ふふ、わたくしがあちこちで話題にしているのもあるのでしょうね」
それに加えて王族が封切り時に観劇に来たということで箔もついている。
それでも質が良くなければすぐに見向きもされなくなる。
下手をすれば 喧伝(けんでん) しているミネット様に見る目がないとミネット様の評判を下げることになりかねない。
昨日観た舞台は演技力も確かで脚本も質のいいものだった。
だからこそ人気なのだろう。
ミネット様は 微笑(わら) って再びティーカップを持ち上げ、口をつける。
ゆっくり一口飲んで静かにティーカップを置いた。
「あの劇はもとになった本があるのよ」
「そうなんですか?」
それなら是非とも読んでみたい。
「わたくし、原作も好きなの」
ミネット様がお好きなら期待大だ。
ちらりとアンリエッタを見たミネット様が軽く笑う。
「読んでみたいなら貸すわ」
そんなにわかりやすい表情をしていたのだろうか?
「いいのですか?」
「勿論よ」
「ではお願いします」
「ええ」
ミネット様が指示を出すと侍女が一人その場を離れた。
「アンリエッタが帰るまでには用意ができるわ」
「ありがとうございます」
楽しみだ。
破損させたり紛失したりしないように気をつけなければ。
また一口ミネット様はお茶を飲む。
アンリエッタも喉を潤した。
ミネット様が静かにティーカップを置く。
「それでね、」
躊躇(ためら) うようにミネット様が口を開く。
「はい」
「アンリエッタからもらった本はどれも興味深かったの」
「はい。それはよかったです」
ミネット様のお眼鏡に 適(かな) ってほっとする。
「その中でもね、小説が特に面白かったのよ」
「あれは友人たちのお薦めだったのですが、わたくしも夢中で読みました」
さすがエヴァとクラリッサが厳選に厳選を重ねたお薦めだ。
さすがに読んでもいないものを差し上げるわけにはいかないと読み始めたら止まらなくなってしまった。
「アンリエッタもなのね」
「はい。ミネット様が楽しまれたのならよかったです」
「ええ、本当に。夢中で読んでしまったわ。それでね、」
ミネット様が身を乗り出す。
女官の方の視線が厳しいものになる。
今口を開かないなら後で小言を言われるかもしれない。
「はい」
「もし、他にあれば貸してもらえないかしら、と思って」
アンリエッタは少し考える。
アンリエッタの手元には確かにまだ隣国で流行りの小説はある。
だがもっと適した人物がいる。
「実はその本を薦めてくれた友人が婚姻のために我が国に来て学園に通うことになっています」
クラリッサはもうこの国に来ている。
アンリエッタは先日お茶会を設けて友人たちに紹介しておいた。
学院では彼女たちがクラリッサを助けてくれるだろう。
本当はアンリエッタがやりたいが下手に一緒にいるのころを見られるとクラリッサが嫌がらせをされるかもしれないのでできない。
クラリッサは本の布教をするとも言っていたからいろいろ持ち込んできているだろう。
「あらそうなの?」
「はい。よろしければ彼女を紹介致しますが?」
ミネット様が少し考えるように黙り込む。
「それは、テランス・フリュイ侯爵令息の婚約者のことかしら?」
フリュイ家はクラリッサがこの国に来るにあたって婚約者だと発表した。
ミネット様も当然しっかりと把握されている。
「ええ、そうです。彼女は友人なのです」
「そう」
ミネット様は少しの間考えるように沈黙された。
それから緩く首を振って口を開いた。
「いえ、やはり彼女から借りるのはやめるわ。アンリエッタは他の本は持ってないのかしら?」
ミネット様は慎重な方なのだろう。
同腹の兄とは全然違う。
「何冊か持っておりますので、わたくしの手持ちをお貸ししますね」
アンリエッタも何がなんでもクラリッサを紹介したいわけではない。
今はまだ早いということだろう。
別にクラリッサからも頼まれていない。
顔繋ぎできたらそれはそれでよかったかもしれないが、 焦(あせ) る必要もない。
必要ならクラリッサ自身が動くだろう。
まだ来たばかりなのに王女殿下と顔を合わせるのはクラリッサにとっても負担だったかもしれない。
これはアンリエッタの独善だった。
ただ、本の話をするならお互いに楽しいのではないかと思っただけだ。
それだけだったから断られたところで特に思うところはない。
「あらあっさりと引き下がるのね」
「はい。是が非でもというわけでもありませんから」
「そう」
ミネット様はお茶を一口飲んだ。
ティーカップを置くと切り換えるように微笑んで口を開いた。
「そうそう。わたくしが貴女を何度かお茶に誘っているからかしら、お母様がアンリエッタと今度お茶がしたいそうよ」
いきなりの投下に顔が引きつりそうになったが、何とか穏やかに微笑む。
「まあ、光栄ですわ」
「ふふ、緊張するかしら?」
アンリエッタの反応はお見通しだったようだ。
「はい、緊張します」
素直に告げる。
前回も何とか乗り切ったに過ぎない。
一介の伯爵令嬢には少々荷が重い。
エドゥアルトの妻になるならそうも言っていられないが。
エドゥアルトは第二王子と親しいのだ。王族とはいくらでも関わりができるだろう。
「大丈夫よ。わたくしも一緒に参加するわ」
「心強いです」
第一妃の希望を言っているようで実際は決定事項のようだ。
まだ一人での参加ではなくミネット様がいるだけ前回よりはマシだろう。
「ではお母様にはそう伝えておくわね」
「はい」
「そうだわ。先日アンリエッタがくれたお揃いの猫の髪飾りがあったでしょう? 当日は二人であの髪飾りをつけましょうよ」
「よろしいのですか?」
第一妃とのお茶会であの髪飾りをつけて問題はないのだろうか?
「ええ、問題ないわ」
「そうですか。それならばそうしましょう」
「ええ」
ミネット様は楽しそうな微笑みを浮かべている。
「アンリエッタには悪いけれど、わたくしは楽しみだわ」
親子といえどもなかなか一緒にお茶をする機会はないのかもしれない。
その貴重な機会を提供できると思えば少しは気が晴れる。
「そうですか。それならわたくしも楽しみにしておくことにします」
「ええ。一緒に楽しみましょう」
「はい」
とりあえず帰ったら家族に相談しようと思いながらアンリエッタは頷いた。