作品タイトル不明
26.それでどうしていらっしゃったのでしょうか。
マリーに手伝ってもらって着替える。
選んだ普段着のドレスは青地に金色の刺繍が控えめに施されている。
髪も一度ほどいて整え直してくれた。勿論、エドゥアルトから贈られたリボンも使ってくれている。
アンリエッタは鏡台の引き出しを開け、小箱を取り出した。
そっとふたを開ける。
中には耳飾りが一組。
じっとその耳飾りを見る。
マリーは何も言わずに待ってくれている。
「マリー、これを着けたいの」
マリーは笑顔で頷いた。
「エドゥアルト様もお喜びになられると思いますよ」
この耳飾りはエドゥアルトから贈られた特別なものだった。
「それではお嬢様、もう一度御髪を整え直しますね」
「手間をかけさせてごめんなさい」
「いえ。お嬢様を最高に仕上げることこそが侍女の役目ですから」
マリーが髪をほどいて耳飾りの似合う髪型に変えてくれる。
「ありがとう」
マリーはにっこりと微笑んだ。
アンリエッタは丁寧な仕草で耳飾りを箱から取り上げると鏡を見ながら慎重に着けた。
位置を調整する。
しゃらりと耳飾りが揺れる。
「よくお似合いですわ」
「ありがとう。行きましょう」
「はい」
マリーを伴って部屋を出た。
「お待たせしました」
軽く頭を下げると耳飾りが揺れた。
誰より早く反応したのはエドゥアルトだった。
ソファから立ち上がった彼は真っ直ぐにアンリエッタに駆け寄ってきた。
「リエッタ!」
そのまま勢いよくエドゥアルトに抱きつかれた。
ぎゅうぎゅうと抱き締められるのをすぐに引き離される。
「ちょっと何考えているの!?」
「本当ですよ。節度ある態度を心がけていただかないと」
兄とルイの抗議もどこ吹く風だ。
にこにこと 微笑(わら) ってアンリエッタの耳飾りにそっと触れる。
「皆座りなさい」
父の静かな声が響く。
「また後で」
名残惜しそうにエドゥアルトの手が離れていく。
また視線が手を追いそうになり、慌てて 堪(こら) えた。
そして、 各々(おのおの) ソファに座った。
アンリエッタは兄とルイに挟まれて座る。
抗議めいたエドゥアルトの視線を兄もルイも無視する。
アンリエッタも隣にいては話が全く進まなそうなので何も言わないことにした。
「そもそも来るとは聞いてないんだけど?」
確かに先触れはなかった。
いや、今日ロジェが来ることは連絡が来ていたようだが、アンリエッタにまでは届いていなかった。
急な訪問で、アンリエッタが出掛けてから届いたのだろう。
「姉上は知っていた?」
「いいえ。さっき助けてくれた時に初めて知ったわ」
ルイは鋭い視線をエドゥアルトに向けた。
「まさかとは思うけど勝手に来てないよね?」
ルイの追及をエドゥアルトは笑顔でかわす。
「大丈夫だよ。双方からちゃんと許可を取ってきたから。だからロジェがいるんだよ」
不本意だという顔でロジェは腕を組んでいる。
ロジェはずっと学院に通っていたから辺境伯家の誰かが王都まで送り届けたのだろう。
「もう少しで夏休みなんだからそれまで大人しくしていればよかったのに」
「そう、夏休みになるから来たんだよ。ちゃんと試験期間が終わるまで待っていたよ」
エドゥアルトは全く悪びれない。
「それで、何の用で来たんだ?」
ロジェが訊く。
どうやらまだ用件を聞いていなかったようだ。
「今まで先程姉上が狙われた件について話していたんだ」
ルイがアンリエッタの疑問を先回りして答えてくれる。
「そうなのね」
先に話しておいてくれたのは有り難かった。
とはいえ後でアンリエッタからも報告しなければならない。
隣にいたルイがきゅっとアンリエッタの手を握る。
エドゥアルトから鋭い視線が飛んできたが、ルイは気にしない。
「大丈夫だよ、姉上。傍にいるから」
「ありがとう、ルイ」
ルイは冷えた手を温めるように包み込んでくれる。
ルイはアンリエッタに優しく微笑んだ後でエドゥアルトに鋭い視線を向ける。
「それで何の用事があるの?」
エドゥアルトは察したように視線を 和(やわ) らげ、ルイの問いに答える。
「もうすぐ夏休みだからうちのほうに来るだろう?」
「ええ、勿論、そのつもりよ」
「いくつかパートナー同伴の招待状が来ているからパートナーとして出てもらうためにドレスの相談に来たんだよ。そのためにデザイナーも連れてきているんだ」
しんと場に沈黙が落ちる。
まさか、本当にそのためだけに?
エドゥアルトならやりかねないだけに判断がつかない。
それはたぶんこの場に同席している皆が同じだろう。
にこにこ 微笑(わら) っていたのを一転させて目を厳しくしてエドゥアルトが続ける。
「ーーというのを建前にして様子を見に来たんだよ」
どっと皆が緊張を解く。
「だよなぁ。お前のことだから本当にドレスの件だけで来たかと思った」
ロジェのその軽口にエドゥアルトも軽く答えた。
「まあそれだけで許可が下りたけど」
思わず固まる。
え、本当にそれで通ったの?
固まったのはアンリエッタだけではなかった。兄もルイもロジェも同じように固まっている。
「女性のドレスは重要案件だからな」
当然という様子を見せたのは父だ。
「そうね。ドレス一つとっても 疎(おろそ) かにすれば 侮(あなど) られるわ」
母も同意する。
「それはそうですけれど」
思わず声を上げたが後が続かない。
「大事なことよ。貴方たちも覚えておきなさい」
母が視線を向けたのは兄とルイとロジェだ。
最愛の婚約者がいる兄は神妙に頷く。
ルイとロジェは気のない表情をしている。
そんな二人に呆れたように母が言う。
「貴方たちだっていつそういう女性に会うかわからないでしょう」
ロジェは母から目を 逸(そ) らす。
「その時になってからでは遅いのよ。しっかり学んでおきなさいね、ルイ、ロジェ」
母が容赦なく釘を刺す。
「……はい」
ロジェは大人しく頷いた。
「ルイ?」
母の圧力にルイは笑顔を作った。
「どのみち兄上に子供が生まれるまでは縁がないし、兄上だって例え殺されたって生き残るでしょ。ああ、でも、姉上に贈るのにはちゃんと勉強しておいたほうがいいかな」
エドゥアルトから鋭い視線がルイに飛ぶ。
「それは必要ないかな。リエッタを守るのにちょうどいいから黙認していたけど、そろそろ姉離れしたらどう?」
「大好きな姉が生まれた時から奪われることが決まっている弟の気持ちがわかる? 正直憎くて憎くて仕方ないんだよ? それを姉上を悲しませたくないから抑えているのに。そんな僕に何てこと言うのかな?」
アンリエッタはこういう時はどちらの味方もしないことにしている。
どちらに味方をしても角が立つし、味方をしなかったほうに詰め寄られるからだ。
何度も経験してさすがに学習した。
舌戦を繰り広げている二人からそっと視線をそらし、せっかくロジェがいるからと馬車の中で考えたことを口にする。
「やっぱり護身用に扇に鉄を仕込んだものを持ち歩いたほうがいいかしら?」
「駄目だよ、リエッタ。リエッタの手を痛めるよ」
「そうだよ、姉上。絶対駄目。怪我するよ」
今まで舌戦を繰り広げていた二人が息ぴったりにアンリエッタを止めにかかる。
こういうところは本当にぶれない。
「二人の言う通りだ。慣れてない者が使うと手首をやられるぞ。それに、一発で仕留められないと逆上されて危ない」
ロジェにまで言われてしまえば諦めるしかない。
「わかったわ。諦めるわ」
ここが聞き所だと思ったのだろう、兄がエドゥアルトに訊く。
「それで、どうするつもりですか?」
兄は緊張した面持ちだ。
部屋にいる誰もが 固唾(かたず) を呑んで彼の答えを待つ。
国が荒れるのだけは何としても防がねばならない。
エドゥアルトは皆を見回して何てことない口調で言う。
「頼まれたし、今は様子を見るよ。リエッタの気持ちもわかったし」
エドゥアルトはアンリエッタに向かって嬉しそうに微笑んだ。
アンリエッタの示した気持ちをきちんと受け取ってくれたようで安堵すると同時に嬉しかった。
アンリエッタもエドゥアルトに微笑み返す。
室内の空気が安堵に緩む。
とりあえず、今のところは、と注釈がつくが、国が荒れるのを 一先(ひとま) ず回避できたということだろう。
「アンの機転のお陰だな」
アンリエッタはかぶりを振る。
アンリエッタはただエドゥアルトに伝えたかっただけなのだ。
エドゥアルトが立ち上がる。
「さてじゃあ、リエッタ、デザイナーと打ち合わせしようか」
「ええ。ルイ、手を離して?」
渋々と、本当に渋々といった様子で手を離したルイはすぐに立ち上がり、アンリエッタに手を差し出してきた。
アンリエッタは苦笑してその手を借りて立ち上がる。
「俺は約束通り護衛たちに稽古をつけてくる」
ロジェが立ち上がりながら言った。
「ロジェすまないね」
「いいえ。アルトの用事が終わるまで時間がありますので」
それから強い視線をエドゥアルトに向ける。
「適当に呼びに行くから帰る時にごねるなよ?」
エドゥアルトはにっこり笑うだけで頷きはしなかった。
ロジェは溜め息をついた。
「アン、頼む」
「……ええ」
「じゃあ、リエッタ、行こうか」
近くに寄ってきたエドゥアルトが手を差し出してくる。
「……ルイ、離して?」
アンリエッタの手はルイにがっちりと握られている。
「姉上、」
「駄目だよ。ここからは婚約者の時間だ」
ルイが 縋(すが) るようにアンリエッタを見るが、アンリエッタは首を横に振った。
「ルトの言う通りよ」
「……わかった」
渋々といった様子でルイが手を離す。
「マリー、もし姉上に不埒な真似をしそうだったらどんな手段を用いても構わないから止めること」
「心得てございます」
「そうですな。婚約者として適切な振る舞いをお願いしますね」
父の声に圧がかかっている。
「ええ、心に留めておきましょう」
「それでは先に失礼致します」
スカートを軽くつまんで礼をし、エドゥアルトのエスコートで部屋を出た。