作品タイトル不明
21.第一王子の恋人のお友達を打診されました。
やっと試験期間が終わった。
しかし試験が終わってもすぐに夏休みに入るわけではない。
試験結果が返ってくるし、試験内容についての解説もある。
さらには授業内容の補足をする教師もいるので試験が終わっても三週間ほどはまだ学院がある。
それから二ヶ月の夏休みに突入するのだ。
大半の者は領地に帰ったり、婚約者の領地に行く。
アンリエッタも勿論その予定だ。
今日は週の真ん中の日だ。
アンリエッタはいつも通り図書館に来た。
試験前は混雑していた図書館も試験が明けた今日は閑散としていた。
いつものように本を選んで階段を上がる。
三階まで上がり、個室の並ぶ区画に足を踏み入れると、まるで待ち構えるかのように壁に背を預けたヴァーグ侯爵令息がいた。
ということは、今日は第一王子がいて、恐らくはベルジュ伯爵令嬢と会っているのだろう。
まあ、アンリエッタには関係ない。
ヴァーグ侯爵令息に会釈し、その前を通り過ぎようとしーー
「待ってくれ」
小声で呼び止められた。
素早く辺りを確認する。
幸い人影はなかった。
ヴァーグ侯爵令息に向き直る。
「何かご用でしょうか?」
ヴァーグ侯爵令息もさっと周囲に視線を走らせてから、抑えた声で言った。
「クロード様が呼んでいらっしゃる。一緒に来てもらえないだろうか?」
心の中で盛大に眉をひそめる。
どう考えても面倒事が待っているとしか思えない。
「お断りすることは?」
「……強制はしないが、お勧めはしない。クロード様は諦めないだろう。それなら今用件を聞いてしまったほうが 後々(のちのち) 面倒事にはならないだろう。……今日は友人はいないようだしな」
今日はミシュリーヌのほうが後から来ることになっていた。
ヴァーグ侯爵令息が言うのだから本当に第一王子は何度も呼び出そうとするだろう。
もう溜め息しか出ないがヴァーグ侯爵令息の手前 堪(こら) える。
「わかりました」
「ありがとう」
まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。
「クロード様はいつもの部屋にいらっしゃる。先に行っているから、ノックしないでそのまま入ってきてくれ」
「わかりました」
ヴァーグ侯爵令息は小さく頷くと歩き去った。
すぐではないほうがいいだろう。
ゆっくりと歩を進める。
いつもの部屋の一つ隣の部屋。
さもそこを使っていますという 体(てい) で扉を開ける。
素早く中を確認して、第一王子、ベルジュ伯爵令嬢、ヴァーグ侯爵令息しかいないことを確認して中に入った。
扉が閉まってから数歩進んで立ち止まる。
ゆったりとカーテシーをする。
「お呼びとのことで参上致しました」
「ああ、アンリエッタ、よく来てくれた」
「できれば手短にお願い致します」
第一王子は頷いた。
「もう少し寄ってくれ」
扉に近いことを気にしたようだ。
まさか聞き耳を立てる者もいないだろうが。
……まあ、用心にこしたことはないだろう。
アンリエッタは部屋の中央近くまで寄った。
今度は何を言う気かと警戒しながらアンリエッタは真っ直ぐに第一王子を見る。
第一王子は一つ頷いて口を開いた。
「アンリエッタ、リリィの友人になってくれ」
うん?
どうやら聞き間違えたようだ。
「申し訳ありません。もう一度おっしゃっていただけませんか?」
第一王子は頷いて同じ言葉を繰り返した。
「アンリエッタ、リリィの友人になってくれ」
しんと場に沈黙が落ちる。
どうやら聞き間違いではないようだ。
第一王子に冗談を言っている様子もない。
冗談だったら笑えないが、冗談でなければたちが悪い。
「……殿下、友人とは言われてなるものではございません」
家同士の思惑で引き合わされることは、貴族としてはあり得ることだが、この場では当てはまらない。
ちらりと第一王子の後ろにいる二人を見る。
ベルジュ伯爵令嬢は驚きが表情に出ていた。
彼女も初耳らしい。
彼女には最低限話を通しておくべきではないだろうか。
ヴァーグ侯爵令息は難しい顔をしている。
こちらも恐らくは聞いていなかったのだろう。
この場合は側近が止めるべきではないだろうか。
ヴァーグ侯爵令息をじっと見ると彼は顔ごと視線を 逸(そ) らしてしまった。
何故彼は側近なのに止めないのだ。
アンリエッタに丸投げするのはやめてもらいたい。
「それに、それではわたくしが今引き受けていることが無意味になってしまいます」
「だが見ている限り、周囲にまでは波及していないだろう?」
あくまでも攻撃対象とされているのはアンリエッタだけだ。
第一王子の言う通り友人には被害はいっていない。少なくともアンリエッタが把握している限りは。
だがそれとこれとは違う。
「わたくしの友人とベルジュ伯爵令嬢では違いますわ」
ベルジュ伯爵令嬢は"東"の人間だ。
アンリエッタと仲良くしていたら裏切り者の 烙印(らくいん) を押されてしまう。
そこのところを第一王子はわかっていない。
「ベルジュ伯爵令嬢、断ったほうがいいですわよ」
アンリエッタの言葉は聞かなくてもベルジュ伯爵令嬢の言葉なら聞くだろう。
そもそも彼女の意志を無視するなど、いくら第一王子でも許されない。
第一王子の視線がベルジュ伯爵令嬢に向く。
「リリィは嫌か? リリィがアンリエッタと一緒にいれば声がかけられると思ったのだが」
どうして第一王子がそんなことを言い出したのかわかった。
試験前の一件のせいだ。
「ベルジュ伯爵令嬢、言っておきますが、わたくしは、わたくしの周囲の方々もですが、貴女を守りませんよ。自分のことで精一杯ですもの」
ベルジュ伯爵令嬢の表情は硬い。
ぎゅっと彼女の手が握られるのが見えた。
それから覚悟を決めたように口を開いた。
「私は、お友達に、なりたいです」
信じられない思いでベルジュ伯爵令嬢を見る。
彼女は甘く見ているのではないか?
アンリエッタと表向きだけとはいえ友達になれば、"東"の令嬢たちから裏切り者の烙印を押されて嫌がらせをされるだろう。
それはアンリエッタと同程度までいくかもしれない。
下手したら居場所を失う。
「ベルジュ伯爵令嬢、本当によくお考えになったほうがよろしいですわよ?」
今ならまだ間に合う。
平穏に過ごしたいならその提案に乗るべきではない。
……一番平穏になるのは第一王子と別れることなのだが。
ベルジュ伯爵令嬢が第一王子には見えない角度で声を伴わずに口を動かす。
ーーどのみちもう遅いのです。
試験前にベルジュ伯爵令嬢に本の場所を教えたことがあった。
さらに彼女はアンリエッタの落とした栞を届けてくれた。
そのどこででも見られていないということはなかったのだろう。
爪弾きまではいかなくても肩身の狭い思いはしているのだろう。
だからアンリエッタは忠告したのだ。
……栞の件はアンリエッタにも落ち度はあった。
そもそもアンリエッタが落とさなかったら何の問題もなかった。
彼女は親切で追いかけてきてくれたのだ。
そういう善良なところに第一王子は惚れたのだろうか?
……どうでもいいことだけれど。
どうせ爪弾きにされるなら、せめて第一王子に会える立場を選びたい、そういうことなのだろうか?
迷惑な。
「リリィもそう言っている。どうだろうか、アンリエッタ?」
「お断りします」
即答した。
これ以上の面倒事は御免だ。
それにアンリエッタにもラシーヌ家にも利はない。
第一王子とベルジュ伯爵令嬢の 逢瀬(おうせ) に協力する義理も義務もない。
主君と仰いでいるわけでも友人でもない。
第一王子は王族だが、まだ次代の国王陛下と決まっているわけではない。
アンリエッタの忠誠は国王陛下とウエスト公爵家へと向かっている。
王族だからといって無条件に忠誠を受けられるほどこの国の貴族は甘くない。
何よりベルジュ伯爵令嬢は"東"の者だ。
余計に協力する 謂(いわ) れはない。
ベルジュ伯爵令嬢の境遇だって一時的なものだろう。
短慮を起こさなければいずれ収まる。
だがここでアンリエッタと親しい様子を見せれば元には戻れなくなってしまう。
ここはやはり側近に止めてもらうしかない。
もう一度ヴァーグ侯爵令息に視線を向ける。
口許を覆い、目を 逸(そ) らしかけたヴァーグ侯爵令息は何とか 堪(こら) えたようだった。
咳払いをして第一王子に声をかける。
「クロード様」
第一王子がヴァーグ侯爵令息を振り向く。
「それはラシーヌ伯爵令嬢に負担がかかりすぎです」
「アンリエッタに? 何故だ?」
本当にわかっていないようで呆れる。
「そもそも彼女の悪評も嫌がらせもクロード様のせいだという認識はおありですか?」
「……ある」
「その一端をベルジュ伯爵令嬢が 担(にな) っていることは?」
「……リリィは関係ない」
本当はわかっているのだろう。
「いえ、関係あります。それとも私に言わせたいですか?」
ふいっと第一王子はヴァーグ侯爵令息から視線をそらした。
「……いや、わかっている」
「わかっているなら御理解していますよね? ベルジュ伯爵令嬢と共にあることはラシーヌ伯爵令嬢の心に大きな負担になります」
「だがな、シアン」
「だがな、ではありません」
「先日、リリィとアンリエッタが一緒にいただろう? あの姿を見たら妙にしっくりくるというか気が合いそうだとも思ったのだ」
何故かぐっとヴァーグ侯爵令息が言葉に詰まる。
そこは断固として 諌(いさ) めてもらいたい。
「わたくしは御免ですわ」
気が合いそうだとかは関係ない。
彼女と親しくする気はない。
ヴァーグ侯爵令息の言う通り、今の状況は彼女と第一王子のせいだ。
そんな彼女と友人になるなど冗談ではない。
これ以上引っ掻き回すのはやめてもらいたい。
「クロード様とのことを置いても、私はアンリエッタ様とお友達になりたいです」
ぐっと言葉に詰まる。
アンリエッタは別にベルジュ伯爵令嬢と友達になりたいとは思わない。
なのに第一王子に断った時のように即座に断ることができなかった。
ベルジュ伯爵令嬢が 微笑(わら) う。
「すぐに断られなかったので望みはありそうですね」
「……いいえ。お断りします」
「私、アンリエッタ様とお友達になれるように頑張ります」
何故やる気を見せるのか。やめてもらいたい。
「そんな未来は来ません」
「どうでしょう?」
やはり彼女は図太いのだろう。
アンリエッタの迷惑など考えていない。
これならアンリエッタの陰に隠れなくても堂々と渡り合えるのではないかとすら思う。
「殿下、このお話はお断りさせていただきます。御話がこれだけでしたら御前失礼させていただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ」
恐らくベルジュ伯爵令嬢の思わぬ押しの強さに驚いて動揺しているのだろう。食い下がらずに許可された。
正気に返られる前に退室してしまおう。
「それでは御前失礼させていただきます」
ゆったりとカーテシーをする。
呼び止められる前に、優雅さを失わないように気をつけながら足早に退室した。
ぱたんと小さく音を立てて閉まった扉を背に小さく息をつく。
「アン」
呼びかけられて心の中でぎくりとしながら声のしたほうを見るとミシュリーヌがすぐ傍にいた。
「話を聞きたいわね」
にっこりと微笑んで言われた言葉にアンリエッタはぎこちなく微笑んで頷くしかなかった。