作品タイトル不明
10.家族で話し合います。
簡単に説明してそのままルイと二人でアンリエッタの部屋でおしゃべりしていると、侍女が呼びに来た。
呼びに来たのはアンリエッタ一人だったが、しれっとルイがついてくる。
応接室に戻るとすでにヴァーグ侯爵は帰った後だった。
ちょうど男性も帰るところでアンリエッタはお礼を言う。
「今日はありがとうございました」
「いえ。ご立派でしたよ。それでは私はこれで」
彼は部屋の中にいる父と兄に一礼し、一緒にルイがいるのに気づいてルイには目礼して出ていった。
玄関までの見送りはしない。それは使用人の仕事だ。
アンリエッタとルイはソファに座る父と兄に近づく。
何故か二人ともお疲れの様子だ。
いや、ヴァーグ侯爵との話し合いがあったのだ。疲れていてもおかしくはないが、それでも随分とお疲れだ。そんなに難航したのだろうか?
「ああ、アンリエッタ。ルイも来たのか」
「姉上と一緒にいたから。いないほうがいいなら外すけど?」
「いや、いい。すぐにアレクシアも来るだろう。二人とも座りなさい」
アレクシアは母の名だ。
母まで呼ばれるとは何かあったのだろうか?
ルイと顔を見合わせて兄の向かいに二人で座る。
「あの、何かあったのですか?」
疲れた顔をしていた父が安心させるように小さく 微笑(わら) う。
「最後にしてやられただけだ。ああ、アンは気にしなくていい」
本当に一体何があったのか。
そこへ母がやってきた。
「あら、私が最後だったわね」
母はルイがいることまで承知だったようだ。
母が父の正面に座り、紅茶が配られた。
父が紅茶を一口飲んでから口を開く。
「とりあえず賠償金のほうは、すまない、それほど多くはないが、アンが結婚する時の支度金にすることにしたが構わないか?」
さすがに賠償金が支払われるとは思っていなかった。
しかし、アンリエッタ以外の家族はみな当然といった様子で頷く。
きょろりと思わずみんなを見回してしまった。
「姉上、当然だよ。ヴァーグ侯爵令息は姉上の名誉を傷つけたんだから」
「でも、もともとの悪評に尾ひれがついたくらいよ?」
「相手によっては十分婚約破棄するレベルのね」
アンリエッタは目を 瞬(またた) かせる。
そして、冷静になって考える。
男癖が悪い。
何人もの男を手玉に取っている。
高位の者にばかり言い寄っている。
婚約者が可哀想だ。
婚約者は軽んじられている。
そもそも婚約者はその程度の人物だ。
そもそも婚約者の家は軽んじられる程度の家だ。
等々。
噂はさりげなく婚約者とその家まで 貶(けな) している。
「確かに、そうね」
今までそこまで考えていなかった。
もしかして彼の家の迷惑になっているかも……。
さあっと血の気が引く。
「姉上、落ち着いて。大丈夫だから」
「でも!」
「大丈夫だ、アン。婚約者がどこの家かは知られていない」
「ロジェだと思っている者も多いし、辺境伯家がその程度で揺らがないよ」
それでもと思い悩むアンリエッタの思考をルイがそっとそらした。
「姉上が思い至らなかったのは、あの男への信頼が厚いからだよね」
アンリエッタは婚約破棄されるなんて欠片も思っていなかった。
それはつまりは、そういうことだ。
家同士は場合によってはわからないが、彼がアンリエッタの手を離すとは思えない。
それだけ好かれている自信はある。
ルイがアンリエッタの手をがしっと握った。
「姉上、駆け落ちするならせめて国交のあるところにしてね」
「え?」
「ルイ、縁起の悪いことを言うんじゃない」
兄が 窘(たしな) めるがルイは止まらない。
「だって国交のあるところじゃないと手紙のやりとりもできないし、会いに行くにしても国交がないとまずは国交を開く必要があるし」
「ルイ」
母が名を呼ぶ。
母なら止めてくれる。
ほっとしていると、
「その必要はないわ。駆け落ちさせるくらいなら婿として迎え入れればいいのよ」
「あ、そうだね」
「お母様!?」
「あら嫌なの?」
「嫌ではありません。むしろそうなってしまった場合は有り難いです」
「ならいいじゃないの。あちらには妹さんもいらっしゃるから、婿取りすれば問題ないもの」
ここリーシュ王国では一族の結束が固く、跡取りがいても婿取りすることも珍しくない。
領地経営は当主夫妻と嫡男夫妻が行い、他の子供たちは王城勤めをしたり、商売をしたりして家を助ける。
嫡男夫妻以外の子供たちやその子供たちが大きく国に貢献すれば爵位を与えられ、公爵家が預かっている土地を与えられて新たな家を起こすこともできる。その土地は公爵領ではなく、領主が没落して治める者がいなくなり公爵家が管理している土地だ。
「え、ええ」
……何か丸め込まれた気がする。
ルイが満足気に笑う。
それをにこにこと笑って見ていた母が父のほうに視線を向けた。
「それで、あなた、エド、何があったの?」
母が父と兄を交互に見て訊く。
「ああ」
父と兄の視線がアンリエッタに向く。
「アン、すまない」
突然謝られてアンリエッタは困惑する。
ヴァーグ侯爵に謝罪してもらい、賠償金も得ることができた。謝られる理由はないように思うのだが。
「どうして謝られるのでしょうか?」
小首を傾げながら訊く。
「アン、まずは先に言っておく。アンは何も気にせずに今までと変わらない態度でヴァーグ侯爵令息に接しなさい」
「はい」
首を傾げたまま頷く。
疑問符を浮かべるアンリエッタとは対照的にルイは気配を険しくして握ったままのアンリエッタの手をぎゅっと握る。
「これは、万が一にも婚約破棄された時のことだが、」
言いにくそう、いや、言いたくなさそうに父が口を開く。
「その場合、御子息のシアン殿との婚約を打診された」
「え……?」
一瞬理解が追いつかなかった。
「どういうこと?」
ルイの声が低くなる。
「あくまでも婚約破棄された場合という仮定の話だが、次の婚約者を探すのも大変だろうから、と」
「何それ、完全に下に見られているじゃん。当然断ったんだよね、父上?」
アンリエッタの代わりにルイが声を上げてくれる。
父は言いにくそうに言う。
「いや……。責任を取って、という形で押しきられた」
「父上! 兄上も! もう本当に姉上のことを何だと思っているのかな!」
「いや、アンのことを考えて、ということでもある。それは間違いない」
「でも、」
「幸いに、と言っていいのか悪いのか、シアン殿は次男で婚約者はいない。婚約破棄して、というわけではなく誠実である。それに、責任を取ってという形で打診した以上、アンが結婚するまでは婚約者は持たないそうだ」
次男はどうしても長男のスペアという側面があり、婚姻は家同士の契約のため、結婚する前や子供が生まれる前に長男の身に何かあった場合、そのまま婚約者や夫が次男に移るということはままある。
だから婚約者のいない次男というのは珍しくなく、そのまま結婚せず生涯独身ということもままあったりする。
実際、ルイには婚約者はいないし、父の弟である叔父は独身だ。
「それは当然のことだよね。というか、 体(てい) よく次男の結婚相手を確保しておきたいだけでしょ」
「アンが婚約破棄された場合に限るけどな」
「まあ、可能性は限りなく低いけど。でも、万が一あんな男と結婚したら姉上が苦労する」
それは、確かに、というように家族が頷く。
「今からでも遅くないよ、断って。姉上が今回の一件で彼に嫌悪感を持っているとでも言ったらいいんだよ」
ルイの言葉にそれはできないと父が首を振る。
「だがな、謝罪の場であったから、記録もしっかり残されている」
先程まで部屋にいた男性は王城から派遣された役人だ。
正式な謝罪の場では国から派遣された立会人が必要とされる。
立会人はその謝罪の場の言動をすべて記録し、その記録は王城に保管される。その記録は秘匿情報であり、正式な手続きを踏まないと閲覧できない。
公平を期すために当事者たちとは別の地域の者と定められており、今回の彼は"北"の出身だそうだ。
謝罪として訪れたこの場で申し出たのも計算のうちなのだろう。立会人による記録を取るというのをうまく利用された形だ。
「まあ、いざとなったらどうにかなる。アンは保険だとでも思っていたらいい」
「うん、どうにかするから、姉上はむしろ忘れちゃっていいよ」
「はい。ありがとうございます」
「いざとなったらあの男を焚きつければいい」
ルイがぼそりと呟いた言葉にぎょっとする。
アンリエッタは駆け落ちしたとしても、自分が平民として生きていけるとは思えない。
その思考を読んだように安心させるようにルイがにっこりと 微笑(わら) う。
「大丈夫。たとえ駆け落ちしたとしてもあの男が姉上に不自由させるわけがない」
「だから縁起の悪いことを言うんじゃない」
「だってシアン・ヴァーグ侯爵令息よりあの男のほうが姉上を幸せにできるよ。兄上だってそれは認めるでしょ?」
「それはな」
迷いなく言い切ってくれたことも、アンリエッタの幸せを考えてくれるのも嬉しい。
「ありがとうございます、お兄様、ルイ」
「当たり前でしょ」
「当然だな」
それには両親も頷いてくれる。
そう言い切ってくれる家族が大好きだ。
だから会えなくなるのは嫌だ。
ふと気になって呟く。
「先程の婿取りの話も駄目なのかしら?」
「それは、五分五分だな」
兄から答えが返る。
思ったよりも声が響き、みんなに聞こえたようだ。
「相手は同じだが、家同士の話ではなくなるからな」
「そう、ですか……」
心が沈む。
「大丈夫だよ、姉上。それこそどうにかなるよ。あの男がみすみす姉上を他の男にやるはずがない」
「そう、ね」
「アン、それは信じてやれ」
「はい……」
彼がアンリエッタの手を離すとは思えない。思いたくない。
彼個人としてはそうかもしれない。
だけど、家としてはどうだろう?
悪評にまみれたアンリエッタより、もっと条件のいい相手のほうがいいと考えたら?
彼が説得されて、納得したら……
アンリエッタの思考が暗いほうに傾いた時、ぎゅっとルイがアンリエッタの手を握ってくれる。
大丈夫。
そう言ってくれるようだ。
アンリエッタの心がふっと緩んだ。
アンリエッタもそっと握り返す。
「本当に余計なことしてくれたよね」
低く呟かれたルイの言葉に思わず頷く。
さすが侯爵家だ。
転んでもただでは起きない。……悪評まみれのアンリエッタと縁づいて得するとも思えないが。
「ああ、もう!」
アンリエッタの代わりにルイが怒ってくれている。
アンリエッタは感謝を込めてルイの腕をぽんぽんと叩く。
ルイがアンリエッタを見てもう一方の手も握った。
「あの男が姉上を手離すとは思えないけど、もしもの時は僕の補佐官になって、一緒に外国に行こう?」
ルイの目標は外交官なのだ。
姉弟あるいは兄妹で外交官とその補佐官というのもないわけではない。
「それも、いいかもしれないわね」
「アン、ルイ」
「嫁入りか婿入りかは決まってないんでしょ?」
「まあ、それは情勢によるから決まってない」
「まあ、どっちにしろ、形だけの結婚をして、ほっぽり出しておけばいいよ。ヴァーグ侯爵令息は第一王子殿下の側近だし、周りはそれっぽい理由を勝手に推測するでしょ」
ヴァーグ侯爵令息の名誉に関わりそうだが、アンリエッタだって名誉を傷つけられたのだ。そこまで気にかけてやる必要はない。
そうするとアンリエッタに更なる悪評がつきそうだが、婚約破棄されればどのみちアンリエッタの名誉など底辺なのだ。関係ない。
「そうね。その時はルイの言う通りにして、ルイの補佐官になるわ」
ルイが嬉しそうに顔を輝かせる。
「本当、姉上? 約束だよ」
「ええ」
父と兄はやれやれと溜め息をつき、母はにこにこと 微笑(わら) っている。
最終的にはそれがいいかと家族みんなが同意した。
「お嬢様、もし駆け落ちなさる時はマリーもお連れくださいね」
「いえ。マリーにそこまで迷惑をかけるわけにはいかないわ」
「お嬢様のお世話は誰にも譲れません」
「でも、お給料が払えるかもわからないもの」
「そこは大丈夫ですよ」
マリーはお金に対して心配はしていないようだ。
「なので絶対にお連れくださいね」
押し問答の末、押しきられ、アンリエッタは駆け落ちする際はマリーを連れていくことを約束してしまった。
忠義者の侍女のために駆け落ちだけは回避しようと決めた。