軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

爆破口

夜の海は、黒かった。

宿の廊下を出た時、霧島はもう先に階段を駆け下りていた。眠気はどこかへ飛んだらしい。真凛が後ろから走ってくる。靴を履きながら、スマホに目を落とした。日付が変わって、たぶん十五分。

霧島が車を出す。

「常駐の巡査さんから一報が入って、駐在さんが先に向かっています。稲取署も出ました」

寝起きとは思えない声の落ち着きだった。

「場所は」

「鳴り峠側です。三浦さんからも電話で、規制ラインの内側で煙が上がってる、と」

「誰か、入ったな」

「たぶん」

車が、夜の細い坂を上がっていく。窓の外、海の側はただ黒くて、岬の輪郭だけが少し明るい。たまにすれ違う民家の灯りが、ガラスに流れて消えた。

鳴り峠の手前で、ハンドルが小さく取られた。

車体が震えている。アスファルトでも、サスでもない。地面の奥底からくるような、低い震え。

規制ラインの直前で、赤色灯が見えた。

黄色いテープは片側が千切れ、植え込みの奥に黒い穴が口を開けていた。塞いでいた岩と古いコンクリートが内側へ崩れ、破片が遊歩道の縁まで飛んでいる。火薬と、焦げた鉄の匂い。

車を降りると、若い男の声が聞こえてくる。爆破口から少し離れた地面で、稲取署員に押さえつけられていた。腕を背中で固められ頬が砂に押しつけられている。小柄だが肩はがっしりしている。黒いパーカーのフード。

「黙れ。立て」

署員が短く言って、男を引き起こした。男は何かを早口で喋っていた。なんだかよくわからない。

その近くには、頭から血を流して座っている年配の巡査。常駐の人だろう。手に布を当て、もう一方の手で爆破口の方を指す。

「止めようとしたんですが、後ろから押さえられて……その間に、こちらで」

霧島が一礼して、駆けつけた救急隊員に巡査を譲った。

男は警察車両へ押し込まれていき、窓が閉まると声は聞こえなくなった。

一体何が起こっている?

その足元に割れたスマホが落ちている。配信アプリの画面。表示名にはGAKUTO。タイトルには、利権暴露配信の文字。

真凛が、自分のスマホを取り出した。検索の指の動きが速い。

「ヒットしました」

真凛がスマホの画面を見せてきた。

「迷惑配信者みたいです。配信内容を見る限り、各地のダンジョンに不法侵入して配信しているようですね」

真凛の眉間に、薄く皺が寄った。スクロールしていく指先が、止まって、苦虫を噛みつぶしたような表情。

画面の端を、こちらからも覗いた。

『警察早すぎ』

『封印利権こわ』

『証拠隠し始まった』

『顔映せよ、逃げんな』

『税金で利権を守る連中は地獄に落ちろ』

なんだか感じの悪そうな奴ら。

この事態は別の配信者が引き起こしているのか。

その時、爆破口の奥から、音が聞こえた。

ぼこ、ぼこ。

空気が抜けるような、低い音。続けて、岩を内側から粘ったもので擦るような音が、長く尾を引いて流れてくる。湿った圧が、爆破口の縁から染み出していた。

規制テープの杭が震え、爆破口の縁から黒い砂がぱらぱらと落ちた。穴から押し出される空気が、焦げた匂いを一段湿らせている。

霧島が、巡査と署員の方を見た。

「この音、いつから鳴っていますか?」

「爆破のあとからです。最初は小さかったんですが、だんだん大きくなっています」

「篠塚さん。放っておくと、崩落だけで済まないかもしれません!中で何か動いているなら、被害が規制線の外まで届く前に、今確認する方がいいです」

「行けってことか」

「はい。今、入れるのは篠塚さんだけです」

剣の柄に手を置き直した。

真凛が、こちらを見た。

「配信準備、できました」

「分かった」

ヘルメットカメラに繋いだ。指で画面を二度叩く。こういう時に言うことではないと分かっていたが、口の方が先に出た。

「えーっと、今、緊急で動画を回しているんだが」

画面の端に、コメントが流れ始めた。

『おっさんの緊急動画きた』

『黒背景サムネ用意しろ』

『重大発表の入りで草』

『謝罪会見始まった?』

『ガクトのとこから来た』

『警察映せ』

『なんか変やつまじってんな』

『ガクト返せ』

ん?なんかコメントの雰囲気が一部違うな。

「ガクトの配信から視聴者が流れてきているみたいです」

なるほど。凝ったやつらだ。

爆破口へ、足を入れる。

進むと、足元に風防の欠片が散らばっていた。透明だったはずのものが、長い年月で薄く濁り、縁が乳白色に波打っている。

ぼこ、ぼこ。

奥から、低い音が押し上がってくる。空気が抜けるような、湿った圧が足の裏にまで届いた。

通路をもう一度下って、空洞に出た。

空洞の中央に、半透明の塊。巨大なスライムだ。

床から天井近くまで届くくらい、直径十数メートルくらいだろうか。表面は、鼓動のような周期で、薄く明るくなったり、戻ったりしている。

その中に、零戦が一機、丸ごと入っていた。機首が斜めに上を向き、折れた三枚プロペラが、止まったまま浮いている。

風防の中に、ハーネスで吊られた人骨が一体。シートに沈むようにして眠っている。機体の周りに、もう二つ、三つ、骨がゆっくり漂っている。

中央──ちょうど操縦席の真下あたりに、握り拳大の塊が、もう一つあった。半透明の薄い殻に包まれ、中で何かが脈打っている。あれがスライムのコアだろう。

『でか』

『中、零戦じゃね?』

『14:37 骨みえてた』

『真ん中のはコアか』

『これスライムだろ』

『でかすぎ』

剣を抜く。

体表へ斜めに刃を入れる。柔らかい膜が、剣の重みで容易に裂けていく。半透明の縁が、さっと黒く垂れ下がった。

が、数秒で、裂け目が戻った。

粘性体の張力が、ゆっくりと、しかし確実に、傷口を内側へ引き戻していく。

もう一振り。

戻る。

もう二振り、続けて入れる。

戻る。

スライムの異常な回復力はさすがだ。

何度も切れば、回復が追い付かなくなるかもしれないが。

「それじゃ埒が明かないな」

塊の中央。脈打っている、握り拳大の塊。

こっち(四十代おっさん)の体力が切れる前に、あのスライムのコアを破壊しなければらない。

機体の鉄骨が斬られて位置がずれるたびに、中央のコア付近へと戻っていくのは、機体と骨が、コアを囲う鎧として守っているみたいだ。

なるほど。原生生物のようでいて、その実、賢いのかもしれない。

息を整える。一気に決めなければ。

体表の側面へ回り込んだ。

剣を、斜めに深く入れていく。

体長の三分の一ほどを、一気に裂いた。裂け目が、数秒の間だけ、内側を見せる。

そのまま勢いよく飛び込む。

粘液が、べとべとしていて冷たい。剣を握る指先が、薄く痺れる。視界が、半透明越しに歪んだ。息ぐるしい。

主翼桁が、すぐ右にあった。

左手で掴む。鉄骨は、表面の油膜の分だけぬるりとしていたが、芯はまだ硬い。ぶら下がるようにして、体重を預けた。

下方へ滑り降りると、操縦席の風防が目の前に来た。長年で広がったらしい、ちょうど人ひとり分の幅。

潜り込むと、内部の小さな空洞に出た。

操縦席の床下を覗き込むと、握り拳大の、半透明の殻が脈打っている。

スライムのコアだ。

剣の切先を合わせ、突き割る。

湿った、殻が割れる手応え。

脈動が、止まった。

スライムの膨らみが、ゆっくりと崩れていく。張力を失った半透明の体が、床に向けて崩れ落ちていった。

完了。

それにしても体中がべとべとしている。早く洗い流したい。