軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

現地入り

班拠点の前に白いハッチバックが停まっていた。霧島が運転席で手を振っている。

「篠塚さん、おはようございます。荷物、トランクに入れちゃってくださーい」

助手席に真凛が座った。後部座席に俺。革のシートの匂い。

霧島の声は朝でも明るい。紙コップのコーヒーを差し出してくる。

「飲みます?コンビニのですけど」

「ありがとう」

「はーい。久我さんは?」

「……いただきます」

真凛が短く返した。膝の上にバッグを置いて、タブレットを開いている。

霧島がハンドルを握って、車が走り出す。中央道に乗る。

助手席の真凛が、タブレットの画面を見せながら霧島に話しかけた。

「霧島さん、書面、昨夜のうちに届きました。条文の引用と裁量予算の根拠、確認済です」

「あ、よかったぁ。安藤さんが急いで作ってくれたんですよ。深夜まで」

「安藤さんによろしくお伝えください」

「はーい。お伝えしまーす」

真凛の口調は硬いままだが、霧島の方も変わらず口調は軽い。

園田は今回、拠点に残る。C-087 の深層観測の継続と、新しい装備強化の作業がたまっており、現地に出るより拠点側にいた方が動ける、というのが園田自身の判断だった。観測機材も工房の設備も、拠点近くに揃っている。留守番と監視は、園田が一番得意な役割でもある。

俺は窓の外を見た。八王子を過ぎたあたりで、富士山が遠くに見えた。雲がかかっている。

双葉のSAで一度休憩した。

霧島がトイレから戻ってきて、車の前で背伸びをした。

「あー、もうすぐ甲府ですね。お昼、何にします?」

「現場入り前ですよ」

真凛が淡々と返した。

「あ、でもですね、こっちの管理者さんとの面会、午後二時からなんです。だから、お昼は普通に食べられるんですよ」

「そうですか」

「ね、せっかく甲府入るなら、鳥もつ煮、行きません?地元の名物で。久我さん、食べたことあります?」

「ありません」

「えーっ、損してますよぉ。ね、行きましょう?」

真凛がちらりと俺を見た。判断を待っている。

「鳥もつ煮、食べてみよう。ちょうど腹減っていたところだし」

「わーい、決まりっ。じゃあ、お店、調べておきますね」

霧島がスマホで店を探し始めた。真凛は窓の外を見ている。横顔が、少しだけ柔らかい気がした。

車が再び走り出した。霧島が選んだ店は、甲府市街の老舗だった。

昼。鳥もつ煮の店。

古い民家を改築した店内。土間にテーブル。煮物の甘辛い匂いが店中に漂っている。

「鳥もつ煮、三人前。あと、ほうとうも一つ、シェアでお願いしまーす」

霧島が注文した。店のおばさんが頷いて奥に消えた。

すぐに鳥もつ煮が出てきた。鶏のレバーとハツとキンカン(玉子になる前の黄身)と砂肝が、甘辛いタレで煮込まれている。湯気が上がる。※鶏キンカンは卵巣そのものではなく、卵巣内や輸卵管内にある玉子になる前の黄身です。

「あ、これこれ。久我さん、見てくださいよ、このつや」

「……照りが、すごいですね」

「でしょ?写真、いいですか?」

「どうぞ」

霧島がスマホで写真を撮った。何枚も。皿の角度を変えて。

「久我さんも、撮ってあげますよ。私が」

「いえ、結構です」

「えー、もったいない。じゃあ、料理だけ。いっぱい撮りますね」

俺は箸を取って、レバーを一つ口に入れた。甘辛いタレが効いている。レバーがねっとり柔らかい。

ほうとうも来た。麺が太い。汁が味噌仕立てで、かぼちゃが甘い。

真凛がほうとうを一口食べて、湯呑みに口をつけた。

「美味しいです」

「でしょー?甲府来たら絶対これですよ」

霧島がタブレットを開いて、店のレシートと別の書類を並べ始めた。経費精算の話を真凛にしている。話しながら鳥もつ煮を食べる。器用な女だ。

俺はキンカンを一つ食った。卵の食感に、内臓の濃い味が乗っている。

こういう昼飯は嫌いじゃないんだが、二人とも食べるペースが速いな。

午後二時。甲斐佐野町の細川家。

町の外れにある古い農家だった。屋根瓦が黒い。庭に大きな柿の木。

玄関で老人が一人、腰を曲げて立っていた。細川さん、七十二歳。元自衛官。C-243の管理者だ。

「霧島さん、わざわざすみません」

「あ、細川さん、お元気そうで。今日はね、篠塚さんを連れてきましたよ」

細川さんが俺に向き直って、深く頭を下げた。

「篠塚さん。ありがとうございます」

細川さんは最初に応接間に通してくれた。古い畳。床の間になにやら勲章が飾ってある。元自衛官の家らしい。

霧島が現地の地図を畳の上に広げた。漏出ルートと、これまでの被害地点を赤いマーカーで指している。細川さんが補足説明をする。

「松本君が病院に運ばれた場所は、ここです。中層の入口の近く」

細川さんが指で地図の一点を示す。彼が地元の探索者として大蝙蝠と戦った人だそうだ。

「松本さん、まだ意識は」

「まだ戻りません」

真凛がメモを取っている。淡々と。

細川さんが、地図を一度、指で押さえ直した。

「篠塚さんにお見せする前に一つだけ。私、ここの管理を二十年近くやってます。それでこの三月から、いつもと違うことがあるんです」

細川さんが、指で、地図の入口あたりを軽く叩いた。

「入口周りの苔ですね。例年、四月の今頃は、雪解け水で苔が均一に濡れて緑が深くなる時期です。今年は、入口の正面だけが不自然に乾いてる。風が奥から抜けてきてるからです。前はこんなふうに奥から風は来なかった」

細川さんが、指で、自分の胸のあたりを軽く押さえた。

「あと、これは感覚の話ですけど。例年と、入口の手前で立ってると、足の裏にきていたごくごく低い震動が増えたような気がします」

「なるほど」

「篠塚さん。一つ、お伺いしてもいいですか」

「どうぞ」

「霧島さんから、お話だけは伺ってます。あなた方が管理しているあの C-087 ですけど」

「はい」

「うちの C-243 と似てますか」

「まだ見てないので、断言はできないです」

「そうですか」

細川さんが、わずかに頷いた。

「ニュースで御宅の件は見ました。正直、うちでも似たことが起きてるんじゃないかと、気にしてる人はいます。私には判断できません。だから、現場を見た人に聞きたかった」

話が一段落して、細川さんが立ち上がった。

「もう一軒、寄っていただきたい場所があります」

「松本さんのお宅ですね」

霧島が声を落とした。さっきまでの軽い音色が、消えている。

「はい」

松本さんの家は、細川家から車で五分の場所にあった。

細川さんが先に立って、玄関のチャイムを鳴らした。「松本さん、細川です。霧島さんと、それから篠塚さんを連れてきました」。少しの間があって、引き戸が開いた。

奥さんが出てきた。三十前後、髪を後ろで束ねている。エプロンを外しながら、深く頭を下げた。

「お忙しいところすみません」

「いえ、こちらこそ突然」

霧島が頭を下げた。いつもの軽い声色は引いている。低く、抑えた声だ。

奥さんの後ろから、五歳くらいの男の子が出てきて母親のスカートの裾を握った。じっと、こちらを見ている。

「松本さんの様子はいかがですか」

霧島が訊いた。

「まだ、意識は戻りません。先生はもう少しかかるだろうって」

「そうですか……」

霧島が一拍、息を呑んだ。それから奥さんの目を真っすぐに見て、はっきりと言った。

「奥さん。今日こちらに篠塚さんに来ていただいたのは、もう二度とこういうことが起こらないようにするためです。中層で松本さんが負った相手とその先のものは、篠塚さんが片付けてくれます。だから今後、ご近所の方や、お子さんが、同じ目に遭うことは、なくなりますから」

奥さんが、ゆっくり頭を下げた。子供が母親の脚にしがみついたままこちらを見ている。

俺は、子供の目線まで膝を曲げて、目を合わせた。

「お父さんが頑張った相手を、必ず、こっちで止めるよ」

子供は握っていたスカートの裾を、少しだけ緩めた。

「ありがとうございます。主人が目を覚ましたら、必ず伝えます」

「お願いします」

霧島が、もう一度頭を下げた。

細川さんが、奥さんに二言三言、声をかけた。生活の不便はないか、買い物の手伝いは要らないか、近所で困りごとはないか。事務的なやり取りだが、地元の管理者として、長く近所を見てきた人の声だ。

奥さんがもう一度頭を下げて、引き戸を閉めた。

俺たちは車に戻った。霧島が運転席のドアを開ける前に一拍だけ立ち止まって、それからいつもの明るい声に戻った。

「じゃ、宿、行きましょうか」

真凛がちらりと俺を見た。眼鏡の奥の目に、何か小さな反応があった。普段の霧島とのギャップを、目で確かめている。

俺は、車のドアを開けて、後部座席に乗った。

夕方。宿。温泉付きの小さな旅館だった。

部屋に荷物を置いて、共用ロビーで真凛と合流した。霧島はすでにロビーのソファでスマートウォッチを見ている。通知が止まらない。

真凛が俺の隣に座って、タブレットを開いた。

「篠塚さん、管理局の月次報告、今週中です。私が処理しますが、念のため」

「ありがとう、見ておくよ」

霧島がスマホを見たまま、こちらに声をかけてきた。

明日は、C-243の浅層偵察。しっかり準備していこう。