軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第2話 ヴェルディ伯爵

初夜が明けた朝。

予想はしていたものの、やはりジェラルド様は屋敷に帰って来なかった。

おそらくまだ王都のどこかで、愛する女性と過ごしているのだろう。

そして、朝食をとった後のこと。

帰ってこないジェラルド様の代わりに届いたのは……。

「支払いの督促状?」

「はい」

ヴェルディ家の老齢の家令であるパオロは、申し訳なさそうに封筒の束を差し出した。

「支払いというのは、どなたの?」

「ジェラルド様のものです」

督促状が届いたということは、支払いを滞納しているということ。貴族は馴染みの店であれば、その場で代金を支払うことなく「つけておく」ことができる。期日内に支払えばなんの問題もないのだが。

ーー支払いができていないなんて、ヴェルディ家の信用が落ちてしまうわ。

督促状の送り主は、酒場や賭場、宝石商や仕立て屋など様々だった。

中でも、1番金額が大きかったのが……。

「娼館?」

他とは比べものにならないほどの請求額。

騙されているのではと思ったものの、こういった店の相場がわからない。支払いの生じた日付に目を通す。

どうやら一回の請求が高額なのではなく、多いのは回数。ジェラルド様は2日とあけずに通っているようで。

(ジェラルド様には、愛する女性がいるのではなかったの?)

愛する人を裏切ってまで、わざわざ娼館に?

そう疑問に思ううち、私は自分の考えが間違っていることに気づいた。

違うわ。この状況を自然に考えるとするなら……。

「ジェラルド様の愛する方は、娼婦なのね?」

家令のパオロは、言いにくそうに口を開いた。

「坊ちゃまが足繁く通っているのは、娼館ベルタンのマリーという名の赤毛の娼婦です」

私は呆れて何も言えなかった。

「一緒になりたい」と言っていたから、てっきりどこかのご令嬢かと思っていたのに。

遊びならまだしも……。ジェラルド様は伯爵家を潰すつもりなのか。それとも愛欲に目が眩み、何も考えていないだけなのか……。

考えるうち、ズキズキと頭が痛みだした。私はジェラルド様の女性関係についてひとまず考えることをやめた。もっと重要な問題に目を向けなければならない。

「とにかく、お金をどうするかね」

私は家令を伴い、ジェラルド様のお父上ーーヴェルディ伯爵の部屋に向かう。

義父には目の病があるそうだが、全く見えないというわけではないと聞いていた。お金のことを相談すると、義父は穏やかな声で言った。

「嫁いできてくれたばかりだというのに、息子が迷惑をかけてすまないね。でも大丈夫だ。ヴェルディ家は曽祖父の代から銀山を所有していてね。何もしなくても利益が入る仕組みになっているのさ。詳しくはそこにいる家令のパオロに聞くといい」

「旦那様。何年も銀は採れておりません」

「なんだと? そんなはずはない。監督官のヴィンチがまたサボって適当な事を言っているだけだろう。以前も似たことがあってな。あの時は私が解決したんだ。あれはまだ22歳の頃……」

義父が楽しそうに昔話をするのを聞いた後、お礼を言って部屋を出た。家令のパオロは重々しく口を開く。

「旦那様はお金の話になると、あのように別の世界に行ってしまわれるのです。現状を何度ご説明しても、ヴェルディ家が最も栄えていた時代の話をされて」

「つまり……財産はないということ?」

「はい。先ほど申し上げた通り、もう何年も銀は採れておりません」

「ジェラルド様はご存知なの?」

「お坊ちゃまにも再三ご報告申し上げていますが、そんなはずはないと言い張るばかりで。旦那様もあの調子なので『ほら、父はこう言っているだろう』と現実を見てくださいません。坊ちゃまは帳簿もお読みになれませんので」

「財産を正確に把握されていないの? いずれヴェルディ家の当主になられるのに?」

私は絶句してしまった。

「では……この家には収入がないのね? 生活費はどうやって賄っているの? ジェラルド様の借金は別にしても……使用人の給金はあるし、屋敷の管理費や、食費もあるでしょう?」

「亡くなった奥様の遺産でなんとか賄っておりました。しかし間も無く尽きようとしています。私は、長年ヴェルディ家に勤めております。この家が沈んでいくのを黙って見過ごすことができず……」

そう言うと、パオロは縋るように私を見つめた。

「それで、一介の使用人の分際で差し出がましいとは思いながらも、私は旦那様に進言したのです。どうかジェラルド様に奥様を迎えてはくださらないかと。可能であれば、できる限り有能な奥様を」

私は、胸の中に冷たいものが広がっていくのを感じた。

「でも……」

私はパオロが期待してくれているような有能な人間ではない。ただ歳を食っただけの伯爵家の娘だ。特別な能力も、人脈も、財産もない。

(とてもではないけれど、私の手に負えるものではないわ)

しかも、私はいずれジェラルド様から捨てられる身。それなのに、こんな面倒事だけを押し付けられる道理はない。

私は今すぐジェラルド様と離縁して、すべてを投げ出してしまいたい衝動に駆られた。

けれど。

この縁談が決まった時の、父の嬉しそうな顔を思い出した。結婚式で祝福してくれた妹たちの顔も。

こんなにも早く出戻ってきた私を見たら、ひどくがっかりするに違いなかった。

パオロや使用人たちが不安げな顔で見つめていた。期待してくれている彼らを、見捨てることにもなる。

(まだ何もやってないのに諦めるのはよくないわ。やってみたら案外どうにかなるってこともあるし。今まで実家でもそうだったじゃない。そう。きっとそうよ)

私は気持ちをどうにか奮い立たせた。できることはないかと頭を巡らせる。

限られた状況の中で、この家をなんとか存続させなければ。

「ジェラルド様。お話が」

その夜、酒に酔って帰ってきたジェラルド様にすべてを報告することにした。

ジェラルド様自身に収入はない。ヴェルディ家の財産をあてにして、日々散財し、娼館で寝泊まりし、遊び暮らしているだけ。

ジェラルド様に行動をあらためてもらう必要があった。私一人では限界がある。嫡男として力を尽くしてもらえれば、ヴェルディ家は破滅を免れるはず。

「娼館通いをやめてください。高額なものを買うのも控えてください。働いて家にお金を入れることは可能ですか? 私も仕事を探しますので……」

私の言葉を聞くや否や、ジェラルド様は顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。

「来たばかりのくせして生意気な……お前にこの家の何がわかる? クソ女が」

殴りかかろうとしたジェラルド様を、すんでのところで侍従たちが止める。使用人の腕を振り払うと、ジェラルド様は言い放った。

「俺が働く? 馬鹿なことを言うな。働くなんて貴族のすることではない。あんなのは貧乏人のすることだ。ヴェルディ家には財産がある。父が貯め込んでいるからな」

ジェラルド様は父親の部屋に向かう。ジェラルド様を見た途端、義父の表情が輝いた。

「ジェラルドじゃないか! 久しぶりだな。どうした? 元気にしているか?」

「父上。実は……」

一人息子のジェラルド様を前にして、義父は別人のように溌剌としはじめた。

どんな質問にも澱みなく答える。お金持ちのヴェルディ家。豊かな財産。輝かしい未来。まるで現実であるかのように。

父親の部屋を出ると、ジェラルド様は勝ち誇った笑みを向けた。

「それ見ろ。これが現実だ馬鹿が」

そして満足げに、酔っぱらった足取りのまま自分の部屋へと帰って行ったのだ。

私はため息をついて、自分の執務室に戻った。家令のパオロに告げる。

「私の持参金を使いましょう」

結婚する際、実家が持たせてくれた持参金。こんな歳のいった娘を貰ってもらえるならと父は「奮発した」と言っていたのを思い出す。

支払いが滞れば、延滞金で膨れ上がっていくだろう。一刻も早く返してしまったほうがいい。

持参金は私個人のものではなくヴェルディ家のもの。この家のために使って悪いことはないはず。

支払いを済ませたものの、問題を先送りにしたに過ぎないし、やるべきことは山積みだった。

「お金が、足りない……」

ヴェルディ家の財務状況を調べれば調べるほど、お金のない事実が浮かび上がってくるばかりだった。

「一刻も早く、外に働きに出なければいけないわ」

けれど私の仕事は、お金のことだけではない。

ヴェルディ伯爵は1年前に奥様を亡くしている。嫡男の妻として、捨て置かれていたヴェルディ家の女主人の役割を一手に引き受けなくてはならなかった。

ヴェルディ伯爵である義父には、友人が訪ねてくる。お金の話さえしなければ、義父は普通の人と全く変わらないように見えた。屋敷を訪ねる貴族をもてなすのも、私の大切な仕事だった。

誰も訪れない日は、義父と午後のお茶の時間を共にした。

お金のことを考えると気が滅入るばかりだったけれど、こうしていると大好きだった祖母と過ごした日々を思い出した。義父は記憶が曖昧になることはあっても、穏やかな人柄であったことがせめてもの救いだった。

「今日は何の本を読みましょうか?」

「そうだなぁ。ではラシーヌを」

そしてお茶の時間の終わりには、目の悪い義父のために本を朗読することにした。そうすると、いつも祖母が喜んでくれたから。詩人たちの紡ぐ言葉は美しく、別の世界に連れて行ってくれるようだと。

「こんなに優しい奥方がいて、息子は幸せ者だな」

読み終えると、義父は決まってそう褒めてくれた。

けれどそんな言葉に、私は曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

――ジェラルド様は、私といても幸せではないわ。

あなたの息子は別の人を愛しているので、その方といる方が幸せなのですよ。

……と、本当のことは、口が裂けても言えなかった。