軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話 愛する人に 後編

執務室には、レオナルド様と私が残された。

にぎやかなお二人がいなくなり、しん、と静かになる。

(……きっとまた、カテリーナさまと奥様に、気を遣わせてしまったのね)

主人に気を遣わせる使用人なんて。

自分自身の不甲斐なさに、なんだか申し訳ない気持ちになる。

私は日々、お世話になっているルチアーニ家の皆様に力の限りお仕えしたいと思っている。

だから仕事をうまく進められないと、胸の奥がざわつく。もう一人の自分に「お前は駄目なやつだ」と責められているような気分になる。

ーー役に立たなければ。

焦燥感にも似た、私を責め立てる声。

その声は、子供のころから私を苦しめているものだった。そしてあの事件の後、さらに大きくなっている。

もっとうまくやらなければ。

もっと、がんばらなければ。

「ソフィア?」

「は、はい」

ぼうっとしていたことに気づき、はっと我に返る。

見上げれば、レオナルド様が心配そうにこちらを見つめていた。

「どうした?」

「……いえ、ぼんやりして申し訳ありませんでした。旦那様はそろそろ出発されますか? 私はいつでも出掛けられますので」

「その前に、よければ少しだけ話さないか?」

「……話……ですか……?」

「ああ。教えてほしい。ソフィアが今、なぜそんな顔をしているのか。なぜ何かに追い立てられるように、毎日休みなく仕事をしているのか?」

レオナルド様は、私の執務机に広げられた帳簿に視線を送った。勤務時間でもないのに仕事をしていたことを咎められるのだろうか。

私は、思わず身体が強張る。

怯えた表情を見せてしまったからか、レオナルド様は気まずそうに頭を掻いた。

「すまない……これではまるで尋問だな。仕事の癖が抜けなくて困る。ええと、話しやすくするには、どうすればいいんだったかな? いつもとは逆で……そうだ、リラックスすることが大切だと聞いたことがあるぞ」

レオナルド様は、私を窓の近くのソファへと導いた。

私の執務室のソファには、色とりどりのクッションが並べてある。たくさんのクッションを見て、レオナルド様は不思議そうに首をかしげた。

「なんでこんなにクッションがあるんだ」

「カテリーナ様がプレゼントしてくださったんです。こちらは全部、お裁縫の時間に作った作品なんですよ」

直線縫いで作れるクッションは、裁縫の練習にぴったりだ。カテリーナ様は手先が器用で、あっという間に7個のクッションを作り上げた。めきめきと上達し、最新のものは生地に刺繍まで入れてくれている。

「なるほどな。ちょうどいい」

レオナルド様は、私を囲むようにクッションを置くと、最後に若草色のクッションを私に手渡した。

そして、正面のソファに座る。

「あ……もしかして、俺が目の前にいたら威圧感があるか? 視界に入らない方がいいのか? もう少し離れた場所に……」

腰を浮かせたレオナルド様を見て、私は慌てて声をかける。

「大丈夫です。そちらに座っていただいたままで」

「どうだろう。話せそうか? なぜそんなに必死に仕事をしているのか」

「……はい。お気遣いありがとうございます。うまく話せるかわからないのですが、お話ししてもいいでしょうか?」

「もちろんだ」

私は、ふう、とひとつ深呼吸をした。

カテリーナ様が作った柔らかなクッションたちに囲まれて。

窓から降り注ぐ温かな陽の光を感じて。

正面のソファに座るレオナルド様を見つめる。

「私は、がんばらないといけないんです」

レオナルド様が、眉根を寄せた。

なぜ? と、その眼差しが問う。

私も、自分自身の中に答えを探した。

なぜなのだろう……? どうして私は、そう思い続けているのだろう?

その問いに、心の奥底に住む小さな自分が、消え入りそうな声で答える。

「でないと私は、必要としてもらえないので……」

子供の頃からその事実を、目の前に突き付けられ続けてきた。

――私は、誰にも愛してはもらえない。

なのに本当は、愛されることのできる人が羨ましくてたまらなかった。

父親に頭を撫でられる、美しい妹たちが。

舞踏会で殿方と楽しそうに踊っていた、たくさんのご令嬢たちが。

ジェラルド様に愛おしげに抱きしめられていた、娼婦のマリーでさえ。

でも、愛されるなんて、私には絶対に起こり得ないことだからーー。

だから、がんばらなければいけない。

必死に働かなければならない。

そうすれば、愛してもらうことは無理でも必要としてもらえるから。

役に立てば、ここにいてもいいと言ってもらえるから。

「でも、このように卑屈になってはいけませんね」

私は思わず、自嘲した笑みを向ける。

「私は、ルチアーニ家の皆さんが大好きなんです。だからあの時、引き留めていただけて――必要としてもらえて、本当にうれしかった。だから少しでも、お役に立ちたくて。この仕事を、力の限りがんばりたいんです」

レオナルド様は、目を見開いていた。

精一杯の笑みを向けた私に、レオナルド様は口を開く。

「では、ソフィアは仕事をさせるために、俺たちに引き留められたと思っているのか?」

「……はい。これからルチアーニ家は、使用人がいくらでも必要になってくるかと思いますので」

「なるほど。そういうことだったのか……てっきり出ていこうとでもしているのかと焦っていたんだが、よかった」

「……?」

レオナルド様はほっとした表情を見せ、私に微笑む。

「俺たちは、別にソフィアに働いてほしくて引き留めたわけじゃない。なんなら、いっそ仕事なんてしなくてもいいくらいだ。自由に過ごしてもらって構わない。カテリーナとピクニックに行ったり、母と街に買い物に行ったりして……あ、でも、ソフィアにとってはそれも仕事になってしまうのか……それはまずいな……どうすれば……」

「……え?」

仕事をしなくていいだなんて、レオナルド様は、一体何を言い出すのだろう?

私は背筋が寒くなった。

「私は使用人です。仕事をしないなんて、あり得ません」

「もちろん、ソフィアが仕事をしてくれるのはありがたいと思っている。でもそれは、1番重要なことではないんだ」

私が疑問に思ううち、レオナルド様は、はっきりと告げた。

「俺たちは、ソフィアを愛している。カテリーナも母上も俺もーー1番の願いは、ソフィアが傍にいてくれることだ。それだけで十分なんだ」

私は、レオナルド様の言葉に驚きすぎて、声を出すことができなかった。

実家にいた時も。ヴェルディ家に嫁いでからも。これから先も……ずっと。

「誰からも愛されない」と思ってきた。

だから「愛されなくてもいい」と自分に言い聞かせてきたのに……。

(……私を愛していると、言ってくださるの?)

はじめて知った喜びに、心が震える。

視界がにじんで、じわじわと涙があふれてきた。

「ソフィア、大丈夫か?」

「……はい」

「すまない。泣かせるつもりはなかったんだ」

「いえ……ただ、嬉しくて。旦那様のおかげで、はじめて知ることができたんです」

私も、ルチアーニ家の皆さまを、心から愛している。

カテリーナ様を。奥様を。レオナルド様を。

傍にいたいと。

身も心もすべてを捧げ、ずっとお仕えしたいと、願っている。

――愛する人に、愛を返してもらえるというのは、こんなに幸せな気持ちになるものなのね。

私は感謝を込めて、レオナルド様を見上げる。

そして、心からの笑顔を、レオナルド様に向けた。

「私も愛しています。ルチアーニ家の皆様を」

「ソフィア……」

「教えてくださって、ありがとうございます。旦那様」

レオナルド様は、嬉しそうに表情をゆるめた。

喜びがこぼれだすかのようなその笑顔に、私はもう一度、心からの感謝の笑みを返したのだった。

あたたかな気持ちを抱いたまま、レオナルド様と屋敷を出た。

外にはルチアーニ家の馬車が待っていた。

主人であるレオナルド様よりなぜか先に乗るように促され、戸惑いながらも乗り込んだ。

するとレオナルド様が当たり前のように私の隣に座る。

「私と同じ馬車でよろしいのですか?」

「ああ」

「狭く、ないですか……?」

「問題ない」

変だわ……。

通常、主君と使用人が同じ馬車に乗ることはない。当然のことのように言うレオナルド様の態度に、思わず首を傾げる。

馬車は走り出したものの、私はどこに向かっているのかを知らなかった。

「恐れ入ります旦那様。これからどちらに行かれるのでしょう?」

「王宮だ」

王宮? レオナルド様は、今日は職務があるのかしら?

でも仕事なら、私をわざわざ連れていく意味がわからない。

「今日は、どのようなご用事なのですか?」

「このところ、国王陛下から縁談を勧められていてな」

「縁談を? では、ついにご結婚を?」

「陛下には、以前助けてくれた令嬢を探しているから、と断っていたんだ。だがその人が最近、ようやく見つかって」

「まあ……そうだったのですね! それはおめでとうございます!」

「…………」

「ええと、では、今日は陛下にご結婚の報告に行かれるのですか?」

「……それは、この後の状況次第だ」

少し前、レオナルド様はミラン宝飾店で婚約指輪を購入されていた。

近いうちに新しい奥様を迎えられるご予定であることは、密かに承知している。

(大事な話ってこれだったのね。もうお相手にプロポーズはされたのかしら?)

婚約者がいれば、老若男女問わずどこか浮ついた雰囲気が漏れ出るものだ。

しかしレオナルド様の表情は固く、そんな雰囲気は微塵も感じられない。

むしろひどく不安そうに見える。

(レオナルド様の口ぶりだと、プロポーズはまだなのかも……)

レオナルド様は素敵な方だ。

華やかな見た目だけでなく、良家の当主の上、王宮の要職に就かれ地位も高い。

後妻とはいえ、娘のカテリーナ様は素晴らしいご令嬢で、お母上の前侯爵夫人はお優しい方だ。

――何より、ルチアーニ家の皆さんは、深く愛してくださるもの。

妻として嫁ぐなら、これ以上ない環境だ。

ルチアーニ家がどんなに素晴らしいのかを、私はよく知っている。

(幸せな方だわ。これから奥様になられる方は)

そんなふうに思いながら、私は窓の外へと視線を向けた。

王宮に向かう石畳の上を、私たちを乗せた馬車が走っていく。

けれどその後、たどり着いた王宮の庭園で起こったのは、私がまったく予想もしていなかった出来事で。

「昔、ここで泣いていた男を覚えているか?」

そう問いかけたレオナルド様から、見覚えのあるハンカチを渡されて……。

「このハンカチ、私の物です。だいぶ前になくしたと思っていたのに、なぜ旦那様が……? あ」

私はそこでようやく、舞踏会の夜、庭木の影で号泣していた大柄な殿方の姿を思い出したのだ。

そうだわ。確かあの方は、奥様を亡くされたばかりだとおっしゃられていて。

涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で。

あれでは城に戻れないだろうと、このハンカチをお渡しして……。

「助けてくれた令嬢っていうのは……」

「ああ」

レオナルド様が差し出された小箱の中には、ミラン宝飾店の指輪。

ルチアーニ家の人たちの瞳と同じ色のエメラルドが、キラキラと、まぶしいほどの光を放っている。

私が予期していた通り、レオナルド様の「大事な話」は、新しい奥様の話だった。

けれどまさか、それが自分だったなんて――そんな未来を、一体どうして想像できただろう?