軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第9話 悪人

夜、珍しく早めにご帰宅されたレオナルド様と、ルチアーニ家の事業の打ち合わせをしている時だった。

執事長から、意外な来訪者の名を告げられる。

「旦那様。ヴェルディ伯爵と名乗る男が、お会いしたいと訪ねて来ております」

「ヴェルディ伯爵?」

レオナルド様に、執事長が冷静な口調で言う。

「はい。いかがいたしましょう。お約束もない方ですので、追い返しますか?」

「いや、応接に通せ。あと……」

レオナルド様は、執事長に小声で指示をした。執事長が「かしこまりました」と足早に去っていく。

「ソフィア。ついに来たな」

レオナルド様はこうなることを見越して、あらかじめ準備をしていたらしい。緊張した面持ちで歩くレオナルド様の少し後ろを、私はついて行く。

応接室のソファにはジェラルド様が座っていた。

久々に見たその姿は、私の記憶とはかけ離れていた。服は薄汚れ、無精ひげが伸び、何とも言えない嫌な匂いが漂ってくる。

ーー噂は本当だったのね。

ルチアーニ家の使用人たちは、私がヴェルディ家の妻だったことを知らない。彼らは噂話が大好きだ。特に自らの過失で転落していく貴族の話は。

そんな娯楽のひとつとして、仕事の空き時間、私にヴェルディ家の噂を話して聞かせてくれていた。

使用人がごっそり辞めたこと。

借金取りに追われていて、屋敷を手放そうとしていること。

そして、貴族の妻と離縁したのに、結婚しようとした娼婦から捨てられたということも。

「侯爵様! お会いしとうございました!」

ジェラルド様は、レオナルド様に満面の笑みを向けた。レオナルド様の斜め後ろに立つ私を完全に無視して、レオナルド様にだけ握手を求める。

レオナルド様は差し出された手に無反応のまま、冷たく言い放った。

「ヴェルディ伯爵。あなたとは初対面だな。一体なんの用だ?」

「侯爵様。重要な情報をお伝えしたく参りました。侯爵様に危機が迫っているので」

「危機?」

ジェラルド様が私を指さして大声を上げる。

「そこにいるソフィアは俺の元妻ですが、我がヴェルディ家の財産を奪った盗人なのです。せっかく追い払ったというのに、なんと、今は侯爵様の元にいるというではありませんか! 俺は、侯爵様が心配で心配で……」

ジェラルド様は心配そうにレオナルド様を見つめた。しかし一瞬だけ、私に勝ち誇った視線をチラリと送る。

レオナルド様が口を開いた。

「そう言うからには、何か証拠があるのだな?」

「はい! もちろんでございます」

ジェラルド様は大きなカバンから、一冊の帳簿を取り出した。

「これは我が家の帳簿です。ここにはソフィアがヴェルディ家から盗んだ金の詳細が書いてあります」

「中身を見てもいいか?」

「はい! ぜひご覧ください」

レオナルド様は帳簿のページを慣れた手つきでめくり始めた。レオナルド様はお忙しい身にも関わらず、侯爵家の金銭の確認はご自身で行っている。帳簿を見るのは慣れたものだ。

一方、元夫のジェラルド様は帳簿の読み方を一切知らない。家令のパオロに聞いただけの情報にも関わらず、自らの手柄であるかのように誇らしげに胸を張っている。

一通り目を通すと、レオナルド様は微笑んだ。

「確かに、これ以上ないほど重要な証拠だ」

「そうでしょう!? ヴェルディ家の財産はすべてその女に奪われたんです。今すぐ衛兵に引き渡し、牢屋にぶち込むべきです! こいつが盗んだ金が俺に返ってくれば、侯爵様からはほんの少しだけ謝礼でもいただければ構いませんので」

「まあ、待て」

興奮するジェラルド様を制すると、レオナルド様は淡々と説明を始めた。

「この帳簿からわかることはいくつもある。まず、ヴェルディ家にソフィアが嫁いでから、収支が健全化されはじめていた。これが何を意味するかわかるか?」

「え……意味……ですか?」

「わからないなら説明してやる。ソフィアは自分の金でお前の借金を返済していた。ヴェルディ家の生活費や人件費もソフィアの収入がそのまま使われている。ヴェルディ家にはもともと収入も財産もないからだ。ソフィアが盗人? まさか。金を奪っていたのはお前だろう?」

ジェラルド様は、ぽかんと口をあけた。

「は……?」

「ソフィアはヴェルディ家の救世主だった。こんなにもできた妻を手放すなんてあり得ないことだ。俺なら絶対にしない」

ジェラルド様は、信じられないものを見るような目で私を見た。その目に浮かんでいるのは、いつもの侮蔑ではなく……。

「……嘘だ……」

「嘘じゃない。お前が持ってきた帳簿がすべて証明している。この帳簿は素晴らしい。昨日までの金銭のやり取りが証拠付きできわめて正確に記載されている。お前が何月何日にどこから何を購入したのか? ということさえもな」

ジェラルド様の顔が一気に青ざめた。

何かに気づいたのか、怯えた表情を見せる。

「……返してください。それ」

「はは。まさか! 返すわけがないだろう。これ以上ないほどに重要な証拠だ」

その時、扉がバンと音をたてて開き、衛兵たちが部屋に踏み込んできた。

立ち尽くしていたジェラルド様は、衛兵たちに体を拘束される。

「なっ、なにをするっ! 捕まえるのは俺じゃない! その女だっっ!」

ジェラルド様は必死の形相でわめいている。

私は、目の前で起こっている状況が理解できなかった。

(購入って……レオナルド様が最後の方におっしゃっていた言葉は、どういう意味?)

私は、ヴェルディ伯爵家の帳簿があれば、自分の無実を証明できるとレオナルド様に報告していた。

ジェラルド様がヴェルディ伯爵家の貯蓄がないと気付いた時、私が盗んだと考える可能性があった。

帳簿はヴェルディ家の家令のパオロに預けてあった。ヴェルディ伯爵家で過ごす日々の中で、パオロは幸いにも、私の味方になってくれていた。

そんな彼を信用して、私は離縁される前、頼み事をしていたのだ。

「私が離縁されても、私に構わずジェラルド様の言う通りにして欲しい」

そして「もしもジェラルド様が私に濡れ衣を着せようとしたら、どうかこの帳簿が『証拠』であるとしてジェラルド様に渡してほしい」と。

パオロはジェラルド様から信頼が厚い。そのように言えば、ジェラルド様は自分に都合よく解釈する。

碌に中身を確認せずに使おうとするだろう。

たった今、レオナルド様にそうしたように。

けれど想定以上の状況になり、私は戸惑っていた。

確かに彼は、私に罪を着せ、レオナルド様を騙そうとしたが。

ーーそれはこんなにも、重い罪だったの?

大勢の衛兵たちに捕らえられ、縛られ、枷をはめられて。

まるで、殺人犯や強盗犯などの凶悪な犯罪者にするような……。

「お前が何もかも人任せにしていてくれたおかげで、お前が買った毒物の証拠がしっかりと帳簿に残っている。売人は例の娼婦だったんだな? 似た事件が最近増えていて、証拠をずっと探していたんだ。お前の大好きなあの娼館にも、今衛兵が向かっているところだ」

レオナルド様の言葉を聞き、私は思わず目を見開く。

「え? 毒物って、一体なんの話ですか?」

レオナルド様は、ジェラルド様に向かって言い放った。

「お前の父親――ヴェルディ伯爵の死因は毒殺だった。お前が殺したんだな?」

私は、思わず耳を疑う。

殺した? ジェラルド様が? お父上を?

「嘘……」

「ソフィア、嘘じゃない。書類にサインまである。ジェラルドがやったという証言もとれているんだ」

私は、レオナルド様の言葉が信じられなかった。

ジェラルド様は、そんなにも恐ろしいことをする人だったの? 無知なだけならまだしも……どうして、そんな残酷なことまでできるの?

あんなにも、一人息子のジェラルド様を愛していたお父上を?

「そんな……」

ジェラルド様は、猿轡を噛まされようとするのに必死に抵抗しながら、叫び声を上げた。

「違う! 何かの間違いだ! そうだろソフィア、この帳簿は、偽物だよな……?」

「……偽物ではありません。本物です」

「じゃ、じゃあ、何でもいい! 何とかしろ! お前ならできるだろ? 俺を助けろ! ヴェルディ家のためだ!!!」

ジェラルド様は必死に叫んでいた。

その様を見て、私はどこまでも自分の心が冷えていくのを感じた。

こうやって何度も、ジェラルド様の尻拭いをしてきた。

借金の肩代わりをし、謝罪し、金を払い。

でもそれは……。

「私はもう、あなたの妻ではありません。私を捨てたのは、ジェラルド様ではありませんか」

「じゃ、じゃあ! 離婚は無効だ! あの娼婦は……金のない俺に用はないなんてふざけたことを言ったから捨ててやったところだ! だからお前と、もう一度結婚してやってもいい!!!」

私は唖然とした。追い詰められると、人はここまで別人のようになれるものなのか。

「一体、何を……」

「わかった! 寂しかったんだよな? すまなかった! 結婚すれば伯爵夫人に戻れるぞ? ここにいたら、お前は一生ただの使用人のままだ!」

悲痛な叫び声を上げるジェラルド様を、一瞬、哀れに思う。

けれどすぐ、何の感情もわかなくなった。

縋るような目を向けたジェラルド様に向けて。

私は、はっきりと告げる。

「あなたとは、絶対に結婚なんてしません」

ジェラルド様は大きく目を見開いた。

血走った目が、絶望に染まっていく。

そして、顔面蒼白になったジェラルド様に、静かにレオナルド様が近づいていく。

そっと、何事かを耳打ちした。

するとジェラルド様の瞳に、みるみるうちに疑問の色が浮かぶ。

「は……? ソフィアはただの使用人だろ……っ、んぐっ」

何かを言いかけたジェラルド様の口に、 猿轡(さるぐつわ) が噛まされる。

ジェラルド様は声にならない叫びを上げながら、衛兵たちに連れられて行った。

遠ざかる足音を聞きながら、レオナルド様と共に窓の外を見つめる。

「もう、2度とあいつに会うことはないな」

「はい」

夜の闇の中に馬車が消えていくのを、いつまでも見つめていた。

私はレオナルド様の言葉が真実であると、この目に必死に焼き付けたのだった。