軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです

ここムジカルは戦乱が通常の状態だ。

僕は道ばたに置かれた公共の椅子に腰掛けて、道行く人々を眺める。

今の時期、重たい砂は街の中ならば湿気を帯びているのか、もしくは砂塵が含まれていないのか、風が吹いても舞い上がりはしない。そろそろ雨期も来ることだし、この明るい日差し差し込む光景はしばらく見納めなのだろうけれども。

ムジカルの雨期は、他の国で起これば災害のようなものだろう。

土砂降りか霧雨かは波があるが、数十日は止まない雨。砂漠地帯は沼のような質感に変化し、『島』となった街と街は専用の船で移動するようになる。所々ある浅瀬は底なし沼のように足を取り、とてもではないが徒歩で移動も出来ない。

一部の学者によれば、その雨のおかげで水脈が保たれ、またいくらかの生物が砂漠の中に存在出来るのではないか、とのことだが。

道行く人には、その準備をするような気配は見えない。

まあ当然だろう。一年の内にほとんど決まった期間訪れる環境の変化。もはや日常で、その程度彼らにとってはそれこそいつも通りの生活なのだから。

「どうぞ」

僕は長椅子の横に座った子供に、持っていた袋から一つの果実を差し出す。

林檎に似ているが、特徴的なその形はなく真球に近い。表面は赤と紫のまだら模様だ。味は林檎というより桃。もしくは苺か。

子供の年は聞いていないが、おそらく十に満たないくらいだろうか。以前世話したランメルトよりも小さいと思う。成人というのには幼いし、五歳というのにも少しばかり成熟している。

ぼさぼさの髪の毛は、多分何年か前に一度切ったのだろう。薄汚れた赤い色が背中まである。整えるというよりも、邪魔になったから何かで千切るような形で。

無論、僕の子供ではない。先ほど道端で倒れているのを拾っただけだ。道の脇、塀にもたれ掛かるようにしてぼうっと景色を眺めていたような。

眺めている、という表現も少し違っただろう。

目は開いていた。けれども、疲労からか、衰弱からか、瞬きも出来ずにどちらかというと足音を無意識に耳に入れていた、というのが正確だろうと思う。

買い出しに来ていた僕は、その子供の前を通りかかった。

小さなお椀を腹に抱えるように持ち、そこに誰かが鉄貨の一つでも投げ入れてくれるのを待っているようにしていた子供。投げ出していた足は力なく、虫が這っていても気にしない様子で。

ずぶ濡れだった。

頭の先から足先にまで。この暑いというよりも熱い国では濡れているものなどすぐに乾いてしまうから、きっと水をかけられてすぐのことだったのだろう。

正確にはわからない。けれども僕はその少し前に見た商店の店先が濡れていたことに思い至り、ああ、と納得した。

小さい街ではないが、少し前から見ていた子供だ。

ここを訪れるときにすれ違うことがあった。お椀を手に街を練り歩く。誰かから少しでも、寄付をと強請るように、縋るように。

名前は知らないし、声も記憶にない。顔は覚えていないし、服装は柄すらすり切れているような襤褸というだけしか印象にはない。

しかし、更に覚えのないことは、その子供が怪我をしているということ。

日に焼けたのだろう。肌に火傷のような痕があるのはきっと前からだ。けれども、膝や腕、顔まで新しい痣のようなものが広がっていたのは記憶にない。あればさすがに僕の印象にも残っていただろうし。

無意識に僕も視線を向けてしまったのだろう。

前を歩いていた僕は、その子供の唇が動くのを見た。そのぼうっとしていた目の焦点が僕に微かに合って、更にその声が『助けて』と響くのを僕は耳に入れた。

だから、その子供は今僕の横に座っているわけだが。

ジャクジャクと果実を噛み砕く音が響く。

育ちが悪い、とは僕も言えない身だが、けれどもきっと礼儀など考えてはいないのだろう。必死に子供は果実に食らいつく。その痩けた頬や落ちくぼんだ目を必死に膨らませるように。

果汁が唇の端から零れ、地面へと滴る。すぐに砂地に吸い込まれてゆく水分でも、きっとしばらくは虫を呼ぶだろう。

僕はその子供が食べている様をじっと見る。

肌の艶、怪我の様子、手指の動かし方、視線。統合して考えるに、今のところ『演技』などではないらしい。

栄養失調は顕著だろう。怪我も本物。いくつかは自分で付けられる位置ではないようだし、自分で付けるのには些か覚悟が必要な程度の痣だ。もしもその怪我が演技なのだとして、それで僕のような『お人好し』を釣り上げられるのならばここまでの栄養失調はない。

怪我は他人によるもの。

おそらく物乞いをしていたその子供が、水をかけられた理由と同じ。

ムジカルとしては珍しい。

奴隷にもならず、そのように生きている子供がいるとは。

……いや、まだそう決まったわけでもないか。

果実一つを食べ終わり、綺麗に残った芯を投げ捨てて、子供が僕の袋を見つめる。

……僕が目を離した隙に、鞄などを持っていこうとする様子もなし。

「もう一つ食べますか?」

物欲しげな視線に、僕はまたもう一つ果実を差し出す。

子供は涎を垂らすように何度も頷いてから受け取り、貪るように口に持っていった。

「……背中、見せてもらえます?」

僕は子供に言う。子供はびくりと肩を震わせて果実の咀嚼を止める。

それから怯えるようにこちらを見るが、僕としてもせめて確認はしておきたい。

奴隷は奴隷身分となった直後、それを示す入れ墨を肩の後ろ辺りに施される。特殊な薬品を使えば跡形もなく消えるそれが仮に子供の背中にあるとすれば、子供は誰かの奴隷ということになり、更にその誰か主人は自身の奴隷の管理をきちんと行っていないということになる。

義憤とかそういうつもりはない。その場合はどちらかといえば善良な僕の善意からの公憤。このムジカルでは奴隷をきちんと管理し衣食住の保証をすることも主人の義務で、栄養失調で倒れるほどの虐待は適法ではないのだ。通報すればこの国の法律に従って子供は保護され主人は罰されるだろう。

「服はそのままでいいです」

後ろを向け、と僕は指で示す。

少しばかりまだ怯えが残る子供は、びくびくとしながらこちらに背中を向けた。

そっと僕はそこに手を近づけ魔力を這わせて探るが、皮膚に染料はなし。……発疹はストレスのものかな。

「……何、したんですか」

ぼそぼそと子供が僕に尋ねてくる。

逆に何をしたと思ったのだろうか。背中を見せろと言ったときの怯えから、わかっていたと思うのだが。

「奴隷印があるかどうかを確かめましたが……ありませんでしたね。失礼しました」

「そんな、見もしないのに」

「これでも魔法使いなので」

ならばこの子は奴隷ではない。……とすると、このムジカルの国民か、もしくは他国民。ムジカル国民であれば給付金が出るし、好き好んでいなければこのような生活をする必要もない。であれば答えは一つ。

「…………」

「マガフィから来られた方ですかね。少し前に占領された」

ムジカルと北東にある聖領エーリフの間には、ストラリムと呼ばれる国があった。数年前ムジカルに占領されて今や牧草地帯の豊富な一地方となっている。マガフィはその隣の国だ。

ストラリムからリドニック寄り、ムジカルからすると北部の小さな国。産業は牧畜の他、水晶などをよく産出する鉱泉があったっけ。

「もしくは南、クン商業団」

数年前に発足した神器もない国。軍事商業国家を名乗るムジカルに対抗しようと、ムジカルの商人の一部が旗揚げした商人の相互組合。

「あとは、……そういえばここから近いですね。ミーティアとの小競り合いで被害を受けたエッセンからの」

ミーティアは最近軍事行動が活発化している。

今はあくまで対外的に国際問題にならない程度の小規模で、『個人の喧嘩』程度で収めているようだが、結果として穏便に、ネルグの中の開拓村はいくつも姿を消しているらしい。

まあ出るわ出るわと言いながら割と自分に感心した。

ここムジカルは年中戦争をし、年中勝利している。それはつまりその分難民などもよく出るということ。最後のが正解であればエッセン人ではあるし、ならばエッセン副都を目指すだろうから違いそうだが。

「…………」

「まあどうでもいいですし言いたくなければ構いませんけど」

顔を隠すように果実をまた囓り始めた子供。

別にどこ出身でも構わない。赤い髪は南方の特徴だったと思うが、エッセンでもいないわけではない。テトラとか……は別か。

とりあえず、助けを求められ、助けた。

何かに追われている風でもなく、ただ飢えていただけならばこれで飢えは満たせただろう。

僕の親切はそれで終わりだ。

後はただこの場から立ち去ればいい。

二つ目の果実を皮まで食べて、残った芯をしゃぶるように咥えたまま俯いた子供を残して。

「……お金」

「……?」

「お金、払えません。どうしたらいいですか」

子供が目を向けるのは持っていた椀。たまにそこには鉄貨でも入るのだろうか。それよりも、投げつけられた砂が入る方が多そうだけれども。

「子供がそんなこと気にする必要ないと思いますよ」

言ってから気付いたが、子供だと決めつけない方がよかったか。見た目が子供までしか成長しない人種もいるかもしれないし、民族的な習慣でもう成人かもしれないし、そもそも僕はこの子の年齢も知らないわけだし。

「小さな親切なので、見返りはいりません」

僕は立ち上がる。いい切っ掛けだろう。

鞄というか袋を担ぎなおして往来を見る。やはり人が大勢いる。この大国ムジカル、地方の一都市でも。

「まあ、それでも何かしたいというなら、『ありがとう』の一言でも」

「あの」

言ってから僕は子供を見る。怪我だらけの汚れた身体。それを覆う身なりも粗末で、昨日今日から着ているものではないだろう。

そんな子供は今、唇を噛みしめるようにして膝の上で手を握りしめていた。

「…………魔法って、どうしたら使えますか?」

「どうしたら?」

唐突な質問だ。そう思った僕は、内心整理するために、無意味に言葉尻を捉えて聞き返す。

どうしたら、というのであればその答えは既に決まっているのだけれども。

「お兄さんは、魔法使いなんですよね?」

「そうですけど」

「だったら、……だから、こんなことが出来るんですよね?」

「…………?」

そして、僕はまた無駄なことをした気がする。

今度は本当に理解出来なくなった。もしかしたら、やはり最初から僕はその質問の意図を測りかねていたのかもしれないが。

「食べられたのは四日ぶりでした。次いつ食べられるかわかりません。お兄さんは、人にあげられるくらい余裕があるって、それは魔法使いだからですよね?」

言いつつ子供の声が涙声になる。

口調や語調がやけに幼い気がする。十歳にならない程度と思ったが、もう少し下だっただろうか。

それか、何かやはり参っているのか。

「否定はしませんが」

まあ、そうだろう。僕は魔法使いで、そのおかげで探索ギルドを使った出稼ぎをすれば食うには困らない程度の収入は作れる。もっともこのムジカルでは探索ギルドに出される仕事自体ほとんどないので、この国の活動では僕個人に依頼される仕事をわざわざ探索ギルド経由にしてもらったりするのだが。

見ている間に、ぽろぽろと子供が涙を零す。大粒の涙が拳に落ちる

「魔法使いになりたい。魔法が使えたら、お父さんもお母さんも、どっかいかなくて済んだかもしれないんだ」

「どっかいった?」

「もう、いつかわかんないけど、朝起きたら誰もいなくなってた。お父さんの荷物もお母さんの荷物もなくなってて、家に一人になってて」

ふむ? と僕は首を傾げて続きを促すが、しかしそれも半分時間稼ぎだ。僕はどう反応すればいいというのか。

突然身の上話をされても困る。しかも先ほどまで話したこともない無関係の人間の。

「貧乏、だったから、毎日お父さんもお母さんも、お金とか、食べ物のことで、喧嘩、してたから……」

「それは大変でしたね」

聞きながら僕は考える。

やはりこのムジカルの国民ではないのだろう。国民であれば給付金が出て、貧乏という状態にはならない。そして移民というのも少ないがいないわけではない。僕のような他国からただ入ってきた人間もいれば、戦争状態になる前に祖国を脱出し、この国に身を寄せる人間もいると聞く。

この子の両親はそのような二人だったか、もしくは奴隷だったものを解放されてから帰化しなかった二人だったか。

「魔法、使いに、なるって、どうしたらいいですか? 何でもします、教えて、ください」

まあ、とにかく目の前の子供はそうして捨て子になった。

貧乏だった家族、そのうち両親が一度に消えた。子供を口減らししがてらの逃避行か、それとも別々の道を歩み始めたか。それはわからないが、そういうわけで。

せめて一緒に連れていけばいいのに。

怒りが湧いたわけでもないが、僕は何となくのやるせなさに溜息をつく。

それで子供が肩を震わせ、俯いてしまったのは申し訳なくなった。

僕は子供の前にしゃがみこむ。

視線を合わせようとしたが、しかし座っている子供よりは目線が低い。見上げるようになってしまったがまあ構うまい。

「君は、僕と同じような魔法使いにはなれないよ」

しかしまあ……僕の親切は終わりではないらしい。

いいや。終わらせないと決めた。僕が。

「……魔法使いって、どういうものだと思う?」

僕は逆に尋ねる。子供は鼻を啜り、何度も瞬きをして聞き返す代わりにしたようだった。

今度は僕の質問の意図がわからないのだろう。当然、と内心反省しながら僕は続ける言葉を選んだ。

「僕の知り合いにも魔法使いは何人かいます。金属をばりばり食べたりだとか、髪の毛が炎になったりとか、触ってる影の形を変えたりだとか」

僕が思い浮かべる『魔法使い』はそういうものだろうか。

「虫や魔物と話したり、鳥と話したり……それは僕だけど、姿を誰にも見えなくしたり」

涙が止まり、代わりに困惑が浮かんでいるようだ。

子供は瞬きをして涙を晴らして、僕の次の言葉を待っていた。

「羨ましい? そういうことがしたいと思う?」

聞けば、少しだけ悩むように眉を寄せたあと、こくりと頷く。

そうだろうと思う。この国での魔法使いとはそういうことだ。スヴェンやテトラは知らずとも、この子もカンパネラは知っていただろう。

「でも、君はそうはなれないだろう」

「多分ね」と僕は付け加えるが、けれどもやはり子供は僕の言葉に悲しそうに、悔しそうに表情を歪めた。

反論まではしないらしい。その辺りは、もっとしてほしいくらいだが。

僕は人差し指を子供の前に示す。

そして、擦って火を灯す。指先に灯る火は、蝋燭の火と同じ橙色だ。

「僕たちと同じような魔法使いになるには、もっと小さいときから『そう』じゃなくちゃいけない。『なりたい』じゃなくて、『なってる』んだ」

僕たちは他の人間と違う。

普通の人間なら金属なんか食べられないし、髪は燃やしても炎に変わらないし、影に触ることなんか出来やしないだろう。

鳥と話すなんてお伽噺だ。

けれども、僕らはそれをやる。僕らにとってはそれが普通だからだ。

「だから、無理です。魔法使いに『なりたい』と思っているんなら、きっと『もう』魔法使いじゃないんだから」

そして現実を見たのならば、もう。

「…………」

認めたくない。

そんな感情が子供から感じられる。

僕は少し残念に思う。

もう少しだけ小さな子供でいられたのならば、この子は『まだ』魔法使いだったろうに。

だが、まだ望みはあるのだろう。

僕の指先をじっと見つめ、子供は炎を瞳に映す。

まだ興味があるのなら。まだ現実を認めたくないというのなら。

「……君は、人間は空は飛べないと思う?」

「それは……そうじゃないですか」

「でも、空を飛んだ人がいる。ムジカルの西の断崖から飛び立って、くるくると自由に空を飛んだ人がいるんだって。僕たちみたいな魔法使いじゃないのに。……それを聞いても?」

「そんなの嘘でしょう」

「そう。じゃあ、もしも本当ならそれは『普通』じゃないことだね」

僕は笑って、その人差し指の炎を吹き消した。

僕たちは他の人間と違う。

普通の人間なら金属なんか食べられないし、髪は燃やしても炎に変わらないし、影に触ることなんか出来やしないだろう。

鳥と話すなんてお伽噺だ。

けれども、僕らはそれをやる。僕らにとってはそれが普通だからだ。

そしてそれは何が違うのだろうか?

僕たちと他の人間と。同じ人間なんていないのに、共通する『普通』などないのに。

「じゃあ、もしもそれをやった人間がいるとしたら、それは魔法使いだと思う?」

消えた炎から上がる煙。僅かに混じる硫黄の臭い。

無視しつつ、じ、と僕は子供を見る。

馬鹿らしい、と笑い飛ばさない限り、僕はこの話を続けよう。

真面目に聞くならば。考え続けるならば。

「魔力があるのは僕たちだけじゃない。誰だって持っている、と聞けば希望が浮かぶ?」

「そりゃ……」

「誰だって持ってるんだよ。誰でも頭の中から取り出せるわけじゃないだけで」

僕ら魔法使いと人間の差はそこだ。

僕らは魔力を減衰させずに外へ出すことが出来る。人間は闘気が邪魔だったり、そもそも魔力を広げられないために外へ出せないだけで。

だから、魔法が使えない、と思い込んでいるだけで。

「魔法っていうのは、自分の常識とか想像とかを現実世界に反映させる能力のことだ。だから君だって、それこそ僕だって、本当は魔法を使えるはずなんだよ」

僕は空を見上げる。

湿気のない綺麗な青空。普通の人間ならば、到底辿り着けない空の彼方を。

「空を飛んだり、怪我を傷跡なく治したり、人が何を思っているのか言い当てたり」

そして僕の言いたいことは続く。

「一枚の布を綺麗な服に変身させたり。食べた人を笑顔にする美味しい料理を作ったり」

聞いていた子供の顔に困惑が浮かぶ。「え?」という声まで上げて。

まあわからないだろう。

これは僕の個人的な考えだろうし、その根拠を語るには今日一日使ってもきっと短い。

それでも、言葉を尽くして伝えなければ。

いいや、伝えなければではない。

伝えたい。かつて魔法使いだったはずの子供に。

これから魔法使いになれるかもしれない子供に。

「どういうことですか?」

「気付いてない? 使い方なんて僕が教えなくても、君はさっき、魔法を使った」

他にも条件というか、色々あったのだと思うけれども。

でも、だから僕はこの子供を助けた。助ける気になった。

「一つ、似た別の魔法を教えようか」

人差し指を立てる。今度は火はつけないけれども。

僕は、今までに何度も聞いた声を真似して。この口調は使いやすいから助かる。

「…………」

「『ありがとう』って言ってみて」

「何の話……」

「僕はさっき果物を上げたけど、お礼の言葉を聞いた覚えがないから」

笑みを浮かべて僕は子供を見る。挑発するようになってしまったが。

そしてお礼を求めたわけではなかったが、しかし言われて悪い気はしない。

そう。悪い気はしない。

促すように見ていると、何となく嫌そうに、目を逸らしつつ子供は唇を動かした。

だが声はなかなか出ずに、何度も練習するように違う口の形を作ってようやく。

「……ありがとう、ございます……」

「どういたしまして」

言い慣れていないように。恥ずかしいのか、それとも屈辱なのか、ただ単に嫌なのか。そのどれでもいいので、そんな感情をからかうように僕は意識して笑みを強めた。

「これで僕は君と知らない仲ではなくなった。少なくとも知っている顔だし、無礼者と覚えたわけでもないからまた挨拶くらいはするかもね」

世間話をするようなものではないかもしれないが、道ばたで会ったら会釈する、程度の仲にはなった。もっとも、僕が偉ぶったなら、一方的にされる程度の力関係ではあるかもしれないが。

「……向こうの路地で、一人、人が倒れているのは知っている?」

僕が指さした先に子供は顔を向ける。だが一瞬のことで、すぐに首を横に振った。

先ほど一瞬だけちらりと僕も見ただけだ。死臭などはなく酒の濃い臭いがしたので、多分酔っ払いの老人だろう。

「僕はその人に声をかけなかったし、何もせずに歩いてきた」

加えて言うなら、その後どうなっていても気にならない。元気に歩き出して家路につこうが、今二日酔いに苦しんでいようが、もしくは死んでいようが。

今はまだ覚えているが、きっと明日には忘れているだろう。

まあそもそも、酔っぱらいは好きじゃないし。

だがしかし。

「でも、倒れている君には声をかけた。お腹が空いているようだったから食べ物も差し出した。それは何でだと思う?」

少しだけ考えた後、渋い顔で子供は首を横に振る。

まあわからないかもしれない。これは僕の理由だ。

「君が、『助けて』って言ったから」

ただそれだけの差だ。他の数多の人間と、この子供の差は。

「無意識かもしれない。意識的かもしれない。でもどちらにせよ、君はその行動で僕の行動を変えた。思考を変えた。『助けて』っていう魔法の言葉で、自分が助かる方へ」

「そんな、気休め……」

僕の話に理解が追いついたようで、子供は笑い飛ばす。少しだけ苛つきもあるのだろう、怒気が混ざっている気がする。

僕は別にからかっているつもりもないのだけれども。

「僕ら魔法使いが自分の想像通りに世界を変えれば、皆の目には魔法に映る。空を飛んだり傷を消したり、心を読めばきっとそれは君が想像する魔法かもしれませんね」

だから僕ら魔法使いは恐れられる。

皆の『普通』と違うことをする。不可能を行うから。

森から出た黒く大きな鳥は普通ではなく、だから人々はそれを恐れ石を打った。

だが、考えてみれば。昼に飛んだ烏は、人に石を打たれて地に落ちたのだ。

「でもそれをやった人はいる。僕たちのような魔法使いではなくとも」

エネルジコは木鳥の飛行を成功させたのだという。

ソラリックは傷跡を完全に消す軟膏を開発したのだという。

そしてレイトンも。

彼らはそれぞれが、僕らと同じ魔法使いではないというのに。

人々が恐れるべきはきっと僕らではなく彼らだ。

工夫や執念や学習で、僕たち以上のことを行う。誰かの想像を形にする。

僕たちは精々が、自分の想像したことしか出来ないのに。

「だから、魔法使いじゃなくても魔法は使えるんですよ」

華やぐ衣装で人の気分を高揚させる。

美味しい料理で人を幸せにする。

『助けて』と口にして、僕を動かした目の前の子供のように。

願いのままに現実世界を変成させる。それが魔法というのなら。

そして、だから助けてあげよう。

僕にはきっとその力があるし、この子が望むのならば。

「さっきの質問に答えますね。君が期待するような魔法は教えられません。その素質はきっと君にはないから」

魔法使いは『なりたい』と目指すものじゃない。

気付いたら『なっている』もの。それは僕の考えだ。

落胆するように子供は目を伏せる。

その視線から遠ざかるように、僕は立ち上がった。見下ろしているようだが、見下しているわけではない。……はず。

「でも、魔法使いになる手助けすることは出来るよ」

今の話を笑い飛ばさなければ。

真剣に考え続けてくれるのならば。

「どうします? 一度僕と来ませんか?」

「え……?」

「本当は、『魔法使い』のように魔法を使える必要はないでしょう?」

「いや、だって」

「望みは『余裕ある生活』じゃないのかな」

この子供は、『魔法が使えれば両親が出て行かなかったかもしれない』と言った。

確かにそうだろう。

だが、その理想を叶えるためには金属を食べられる必要はない。髪を炎に変える必要はない。影に触れる必要はない。鳥と話せずともよく、姿を隠せる必要もない。

魔法は目標ではない。手段。

「僕の善意で、とりあえず必要なものを差し上げます。ちゃんとご飯を食べられて、夜怯えずに眠れる場所、身体をきちんと守れる服を用意してあげることは出来る……とりあえずは、ね」

するのはそんなに大それたことじゃない。一度連れ帰って身なりを整えさせて、しかるべき場所へ紹介するだけ。僕に出来るのはその程度。

もちろん、この子がそれを受け取らないというのなら、それも構わない。

それがこの子の選択だし、そしてそうなれば放り出してもそれこそ殺してしまってもきっと僕はなんとも思わないのだろう。

だがこの子が望んでいる限りは。僕がこの子を見放す条件が揃わない限りは。

「奇跡と偶然に助けられれば、君はいつか空を飛ぶ魔法使いになれるかもしれない。頷きなよ。魔法の使い方は教えられないけれど、僕はその最初の一歩だけを助けてあげる」

子供の僕を見上げている顔は呆けているようで、しかし高揚しているようでもいて。

この質問にどう答えるか、きっと悩んでいるのだろう。

そうしてくれなくては困る。悩まずに答えられるはずがない。僕もきっと、その答えによってはこの子供を見捨てるのだろうから。

子供は、小さく頷いた。自信なさげに、不安そうに。

だが、頷いた。ならば結構。

「だったらそのために一つ聞きたいんだ。これは僕も恩師からされた質問なんだけど」

きっと魔法使いになるために必要なこと。

これからこの子が、魔法使いになれるかどうかはここで決まるのだろう。

僕が出来るのは、この子に道を用意することだけ。一歩目は出せるよう手伝っても、二歩目を出して歩くのはこの子自身だ。

聞きたいのは、たった一つ。

なんと答えても構わない。

もしも答えられなかったら一緒に探そう。

「君は、何が出来る?」

そしてそれに答えることが出来るのならば。

この子のこれからは、きっと大丈夫だ。