軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

感染爆発

数枚の紙を重ねた報告書を、ぺらりぺらりと捲りつつエンバーは文章に目を走らせる。

「……見事に毒物ばかりだな」

「しかしやはり奏功は見られています。確認試験の結果、患者の六割で消化管の閉鎖が見られ、三割で眼瞼の封鎖、眼球の縮小も確認できました」

これは今まで最も効果の見られていた貝母単体の投与よりも有効な数字だ。

ソラリックは興奮気味にエンバーに言う。

どこの治療院でも院長室に入るというのは緊張するものだが、もはや今はそれもない。

「激痛の緩和も見られており、それはつまり、これは治療薬になり得ます」

ソラリックは自信を持って言う。エンバーの持っている報告書には、カラス謹製の増殖人面疽に対する治療薬の組成が載っている。

彼の修める本草学の理念では、毒物こそが効果の強い薬物なのだという。それを組み合わせて無害の、もしくは害の少なく効果の大きい薬品を作り上げる。それが炎氏本草学。もうこの国では消え去った学問。

反対の大きいことはわかっている。だから、ソラリックは未だに薬の詳しい組成は公表しておらず、全てを自身の勤める治療院内で共有もせずに通していた。

そして現在エンバーが浮かべている表情こそがその答えということだろう、と自身の機転を褒め称えた。

「だがまだ完璧ではないな」

「それはご子息も手紙で仰られておりました。本来その薬は患者の体質に合わせて作るもので、どうしても万人向けに作ると効果が弱くなるのだと」

エンバーの指摘にソラリックは落ち着いて答える。

だろう、とも自分で思う。六割に効果があったということは、残りの四割には効果がなかったか弱かったということだ。全員に効くものが最上で、それを目指す余地のある以上完璧な薬ではない。

しかし、それでも。

「ですがいくつかの条件に当てはまった方には奏功することが確認されました。正式に効果を認め、製造する許可をお願いします」

それでも、今効く人間はいる。効けば命を救える人間はいる。

ならば完璧に近づける研究は並行して行い、ひとまずこれを投与することに異論はないはずだ。

エンバーもそれに否はない。

うん、と頷いて報告書を投げ出すように机に置いた。

「許可する。こちらで薬剤部に通達し、至急参道師や探索者を雇い、材料の確保をさせよう」

「ありがとうございますっ!!」

ソラリックは勢いよく頭を下げる。

完治の手立ては未だにない。けれども、一つ対抗策が出来た。

一寸先も見えない暗い道の中、一歩進む明かりが出来た。その喜びに。

エンバーも、その上げた顔に浮かぶ喜びに、水を差さねばならないことに苦笑いした。苦笑いでも笑顔。しばらく誰にも見せていない。

「この街がネルグから遠いことが悔やまれるが」

水を差しつつ、ふう、と溜息をつく。それも本当のことだ。

材料の全てではないが、いくつかの材料はネルグの中で採取できる動植物だ。それも浅層や中層だけならばまだしも、ものによっては深層で採取できるもの。

ネルグは豊穣だがその分過酷な場所だ。

深い森の奥には魔物が棲息し、一般人が入ることは間違いなく出来ない。

更に慣れていても、深層に辿り着ける探索者などそう多くはなく、そしてそこに辿り着くのには時間がかかるほどの。そしてその上で、生薬の採取も並の探索者には出来まい。

採取に時間がかかり、採取出来る者も限られる。更に調合も、配分を僅かに間違えれば毒と化す可能性もある難しいもの。

ソラリックがご子息から預かった妙薬は、そういうものだ。

聖教会で製造するとしても、どれほど時間がかかることだろう。

安定して供給出来るほど作れるのは、年単位で時間がかかってもおかしくはない。

せめてネルグが目の前にあり、材料の入手が容易ならば。

それが悔やまれて仕方ない。

「材料の代用は考えているのか?」

「代用の案はあるにはあります。しかし、臨床試験が必要になるかと」

もっとも、それもソラリックは承知済みだ。

ソラリックたち治療師には、カラスら薬師の知識はほとんど存在しない。けれどもカラスら薬師も、ソラリックたち聖教会の薬剤の知識は薄い。

故に、カラスが使った材料、それもこちらの薬剤で補えるものがあるかもしれない。

そんな状況故に、ソラリックには既に腹案がある。

それは聖教会の薬剤に精通し、薬師の業もある程度は理解出来るという数少ない技能を持つ彼女であるからこそ。

この未曾有の災害の中で、学び直しを強制されている治療師は大勢いる。

関わる病が多岐に渡るため、専門分野に限らない横断的な知識が必要になったために。

本来無知は悪ではない。無知であるということは、学ぶことができるという伸びしろを示すもの。恥じずに受け止め学ぶだけで、その無知は消えてゆくものだ。

だが今この場では、無知よりも既知の者が絶対的に尊い。

学びを止めず、止まらずにいた彼女だからこそ。

「その他の薬はどうなんでしょうか?」

「まだ渋っている者たちがいるから進んでいない。そろそろ臨床試験の結果が出てくる頃だろうが、この様子では効果はあるのだろう。そう願いたい」

カラスはソラリックに三つの薬を送った。

そのうちの一つが増殖人面疽に奏功した。ならば他の薬も、効果があって然るべきだ。

少なくともエンバーはそう願い、この絶望的な状況の中に希望が見えた気がした。

前に進んでいる感覚がある、というのはとても重要だ。

人は無意味なことを続けられない。穴を掘りまた埋めるという苦行はその代表例だが、続けるうちに気が狂うこともある。

同じように、暗闇の迷路の中で何も見えず、立ち止まったまま手探りでもがき続けることも長くは続かない。

けれども、前へと進んでいると感じられるならば。

その先に出口があると思えるのならば、人は暗闇の中でも歩き続けられる。たとえ本当はその先が袋小路だとしても。

ソラリックがその物々しい声を聞いたのは、エンバーとの会談を終えて帰ろうとしていたときのことだった。

青い石の壁が継ぎ目なく続く廊下の角を曲がり、治療室と呼ばれる広間に出たときのこと。

何だろう、と思いつつもぎくりと身を固めた。

きっとそれが悪いことだと、何故だか直感出来たからだ。

次いで上がったのは、悲鳴。

ソラリックは駆けだしていた。

表から声がしている。誰かが助けを求めるような、誰かが、襲われているような。

そして表を見たソラリックは足を止める。

「これって……」

玄関前に、人がいた。一人ではない。複数、もしくは大勢と呼べる単位で。

何かしらの事故があって、助けを求めているのか。それとも、また何かの病の罹患者が大々的に出たのか。

一瞬迷ったが、それには理由があった。

人がいる。大勢、もしくは大量に。

彼らは群がっている。そこに倒れている、一人の死体に。

多くが血だらけで、服もぼろぼろで、それに肌は裂けて傷だらけで。

怪我人なのか、と思った。だが違う。倒れている者はそうかもしれないが、そこに群がっている人間たちはきっとそうではないだろう。

病人なのか、と思った。だが違う。倒れている者は明らかに物理的な要因で傷ついている。そこに群がっている人間たちが……。

「噛みついて……いや、食べて……?」

ソラリックにすれ違うように、治療師が駆け込んでくる。叫び声に様子を見た彼は、その光景に逃げ出したのだ。

誰かが食べられている。人間に。

そう思っても、やはり違う。

違わない。きっと倒れている人間に食らいついているそれも人間だろう。

だが、その形相や身体的特徴には、ソラリックは覚えがある。最近穴が開くほど読んだ資料の中に、一つ当てはまるものがある。

「蘇る死体……!?」

正確な災害名は、『死体の再構築』。

白骨化していたはずの死体が、腐乱死体になるまで再構築されていたというもの。

蘇った死者は、ソラリックたちを見つけた。

一心不乱に死体に噛みついている数人を残し、治療院の中を覗き込むように注目したのがこれまた大勢。

そのうちの一人が、白い目のまま、ぼろぼろの服を半ば引きずって治療院へと入ってこようとする。

ソラリックが身構える。

聖教会の法術には攻撃に使えるものはほとんど存在しないが、身を守るものならばある。

どれが最適か、と脳内でいくつかを思い浮かべて、だが視界の端に現れた長い腕と指に、また後退るように距離を取った。

「神聖なる神の家を、汚そうとする卑小なる災いよ」

強い敵意が込められた言葉は、いつもの半分病人のような無気力さはない。

ソラリックの横に立っていたエンバーが、近づいてくる死者を指さす。

特等治療師、エンバー・スニフクス。

治療師でもあり魔法使いでもある者。魔法使いが必ず構築している『自らの世界』を、彼は神に捧げた。

彼は神の杖。神の力。神がこの世に人を救えと送り出した者。

彼自身そう信じ、思い込めばそれは彼にとっての真実だ。

風が吹くような音がした。

それと同時に、エンバーに指を差された死者が崩れ去る。

魔術ギルドでは《形質崩壊》と名付けられ観察されていた力。

彼の敵は神の敵。彼に神敵と認識されてしまえば、それはこの世に存在を許されない。

崩れ去った死者の死体が、黴か錆のように変じて風に吹かれて消えてゆく。

同時に、また新たな死者をエンバーが指さし標的と定める。

次々と崩れ去ってゆく死者。葬儀で着させられ、土中で朽ちた服だけを残して。

残るのは、噛み千切られようとしていた倒れ伏した人間。

その胸が僅かに動く。まだ生きている。

そう思ったソラリックは駆け寄ろうとするが、その肩に置かれた手に立ち止まった。

振り返ればエンバーが、首を軽く横に振る。

「……どうして……!」

「様子がおかしい」

念のためとばかりに、人差し指の行方を怪我人から僅かに外して立てながら、エンバーはじっと怪我人を見た。

血だらけだ。しかし、その服はきちんとしたもの。この治療院を訪れたところだったのか、それとも帰るところだったのか、それはわからないが、きっと死者ではなかった明らかな一般人の男性。

血だまりすら出来ている出血のためか、痙攣まで始めている様子の。

しかし、その痙攣も見る間に止まる。

同時に呼吸も止まったようで、死んだのか、とエンバーは確信した次の瞬間。

がばりと怪我人が起き上がる。

僅かに呻きながら。口から涎を垂らしながら。ふらふらと揺れつつ、何かを求めるように周囲を見て、エンバーとソラリックを見て、表情を変えずにただ何かを定めた。

「感染するのか……!」

先ほどまでの『死体の再構築』で作られた身体ではない。

だが、行動様式に類似点が見られる、とその時点でエンバーもソラリックも思った。

恐らく死んでいる人間が、歩き、そして求めているのは。

「渇望症と断定する!」

エンバーとソラリック。共に治療の業の研鑽を怠らず、常に学びを求める二人。優秀で、そして注意深い。故に二人は同時に嫌な事実を思い浮かべた。

今目の前で起こったのは、『死者の再構築』の感染。そして、構築された死者は、『渇望症』の感染者だった。

エンバーの指の先で、怪我人だった者が弾けるように消える。

一瞬、シン、と場が静まる。

だがそのまた一瞬の後、玄関の先、街の中からまた悲鳴が聞こえてきた。

「……特等治療師様……!」

「何かが起きている」

振り返ったソラリックは、そこにいたエンバーの視線の先を追う。

玄関の先、外。まだ遠くだが、そこにはまた、ふらふらと猫背気味に歩く一般の市民の姿があって、その姿はやはり。

(……この、王都でか……っ!!)

歩いている渇望症患者を見て、エンバーは現在の事象と、これから起きるであろうことと、しなければいけないことを瞬時に脳内で精査する。

確認が必要だ。調査をしなければ。早合点はいけない。そう思いつつも、採れる手立ては急がなければ。

広がり続けていた病たちへの拘束が解かれてしまった。街はもはや瘴気の巣だ。そう感じて拳を握る。

ならば、既にもう病との戦いは決着がついている。

もはや人の子は負けたのだ。あとに出来ることは、病を勝たせないために。

「治療院を、封鎖する」

まだ必要と決まったわけではない。しかし、病に対し先手を打つ。それが自分の権限だ。

「それ、は……」

「鐘を鳴らせ。正気の者だけを精査し受け入れる。この街は、終わりだ」

『それ』を見るのは二回目だ。

聖なる炎よ、この街を正しく導きたもう。

エンバーは祈りに手を組む。

出来ることならば、『そう』ならないことを祈る。

けれど。

この街が見られる太陽が、残り少ないことを悟って。