作品タイトル不明
明日はきっと
私の家はそれなりの大きさの家でしてな。
先ほどサロメ殿が山の管理をしていたと言ったが、私の家も鉱山の管理をして生計を立てていた。サロメ殿とは違い、鉱山は妾の……私の家の所有物だったが。
家には使用人もそれなりの数がいた。
それぞれが職域を持ち、料理をしてくれたり、庭を整えてくれたりと、そうだな、少し前までのルル様と同じような生活だったのだと思う。
当然私にも侍女がいたし、同い年の兄にも……こちらは今回関係ないな。とりあえず、侍女がいた。私よりも大分年上で、聞かなかったが私が五歳のときには既に成人していたのではないだろうか?
気立ても良く、私としては頼れる姉のような存在だった。
決して友達のようには扱えなかったが、しかし信頼できる相手としてはこの上ない。
きっと他の使用人にも好かれていたのだろう。誕生日には、大勢から個人的に花や贈り物をもらっていた記憶がある。
だが、私の知る中で、その侍女を嫌っていた人間が一人いましてな。
それが私の母親でした。
表だっては何もしないが、声音や仕草で私の侍女を煙たがっている、というのは察しがついていた。
ずっと、何故だろうと私は不思議に思っていた。
嫌いになる要素など私にはない。私が熱を出したときにそっと一晩中側にいてくれて、額に当てた濡らした布を取り替え続けてくれたのは母ではなく彼女だし、何よりずっと一緒に過ごしていたのが彼女だ。
他の使用人たちにも好かれている彼女を、何故うちの母は嫌っているのだろう、とわからなかった。
ただ、十日に一度程度、彼女の香水の匂いが強くなる日がある、ということは気になっていた。
母が彼女への態度を更に厳しくするのもその日だったし、きっと関係があるのだろうな、とも思ってはいたのだが。
それである夜、妾は見たのだ。
それもちょうど香水の匂いが強い日だったな。ある夜、ふとその香水の匂いがした気がして、目を覚ました私は寝室から廊下に出た。
幼心にも、自分が見てはいけないものを見ているのではないか、と思ったのだろう。そっと開けた扉の向こう、ほとんど暗闇の廊下の先で。
私の侍女が歩く後ろ姿があった。
遠目にも私は息を飲んだ。
ひらひらと透けるような薄い衣装の下に、何も隠せないような下着を身につけ、消えていったのは
「私の父親の部屋で、しばらくすると二人の苦しげな声が」
「オトフシちゃん、ねえ、オトフシちゃん?」
何となくおどろおどろしいような語り口だったオトフシの話を、アリエル様が遮る。
慌てるように手を出した彼女はぱくぱくと意味なく口を動かしていた。
「はい?」
「あのね? オトフシちゃん、不思議な話ってそういうことじゃねーのよ、いや、ないのよ」
「しかし子供の時の私には不思議なことで……」
「そりゃ確かに不思議だったろうけどね?」
アリエル様の視線がこちらを向いて、僕は苦笑しながら顔を逸らした。
聞いていた残り二人も、もはや途中から察しがついていたのだろう、二人とも顔を真っ赤にし、ルルに至っては俯いていた。
話の続きは聞かなくてもわかる。
いや確かに不思議なことだったのかもしれない。当時何の知識も無い子供だったのなら尚更で、後に貴族の仕事の一つとして知ったところでようやく腑に落ちるような。
「そういう話を皆していたのでは?」
「そういう話だけどそういう話じゃねえのよ」
不思議と戸惑い、あと自分が何か不味いことをしたのだろうという焦りを浮かべつつ、オトフシは首を傾げた。
汗を浮かべつつ、アリエル様は両手を宙に漂わせた。
「あのね? あたしが求めてるのはね? 子供の時にあった不思議なもので、いえ多分、貴方も当時は不思議だったものを考えてくれたんでしょうけどね? そうじゃなくて、そういうのじゃなくて」
オトフシに感化されているのだろうか、アリエル様もあたふたと言葉を繋ぐ。
僕は忍び笑いを隠しつつその様子を見守った。
多分これもオトフシの性格と、それと知識量の問題だろうと思うのだが。
それと多分。
それ以上のもう一つの問題ともいえない問題を僕は何となく察した。
彼女は大人だ。分別も良識もある立派な。
だから僕やサロメの話と、自分の話の区別がつかない。いや、僕も区別がついているとは言いがたいけど、多分何となく『違う』と思えていると思う。
……まあ、やっぱり今回の話も同じようなものかもしれない。
隠れ月夜茸を知らなければ、迷子の足跡が光る不思議な森だった。
無くしたものを大きな声に出して唱える、という行為の結果やその意味を考えなければ、無くしたものが次の日には見つかる不思議なおまじないだった。
貴族の成人男性の部屋に、扇情的な格好の女性が訪れるということの意味を知らなければ……やっぱり違うかな。何となく違う気がする。
「もっとこう、ね? ファンシーな話を聞きたいのよこっちは。セクシーじゃなくて」
「現実離れした話……ですか……?」
むう、とオトフシが腕を組んで頭を捻る。
しかし、焦るようで、やはりまったくそういった話が浮かばないようで顰めた眉の間に深い皺が出来る。
「そ、そういえば! オトフシ様にはお兄様がいらっしゃいましたね?」
慌てるように、ルルが話題を変えようと、話を逸らすように言う。まだ残る顔の赤みは、先ほどよりも少しだけ薄い。
僕もその言葉に『そういえば』と先ほどのオトフシの話を思い返した。だがそれがなんだというのだろうか。
「おりましたが……!?」
「たしか、魔法使いでいらしたとか……。そんなお兄様の変な話とか」
「変といえばあいつは全部が全部変でしたからな」
ぽく、ぽく、とどこかしないはずの考える音が響く騎獣車の中。
それが荷台の端に滴る水滴の音だと一瞬気付かずにそれもまた不思議な気持ちだったが、それでようやくオトフシは「あ」と声を上げる。
「そうですね、そういうのでよろしければ」
助かった、と安堵の空気を全面的に出しつつオトフシはルルを見る。
そんな安堵の空気と反対にアリエル様とサロメは警戒するように空気を引き締めた。
「妾の……私の兄の話で」
先ほど私には兄がいた、という話をしましたな。
まあ私には似ていない兄で、性格も好きなものも正反対。私は女性に奴は男性。内面も粗野で、行儀作法の教師に怒られるのもいつもあいつでしたし、身だしなみにすら気を遣わない。
……だから二人で色々と補い合ったということもありましょう。
行儀作法は私が奴に教えた。軍学や教養は私が教わることの方が多かった。共に競い合い、学びあった、というのはまあ懐かしい思い出ですな。
だがそんな全てが正反対の兄でも、私と同じものが二つあった。
一つは髪の色。そしてもう一つは……祖父が聞かせてくれる様々な英雄たちの話が好きだったこと。
英雄たちといっても様々。それこそアリエル様含む勇者様たちやラザフォードなどの在野の猛者。南の果てにいるという大鯨を討伐した名も無き槍使いから、今は誰も覚えていない〈白限〉のシャイニーコルトに至るまで。
二人共に幼い日のことです。
私は安楽椅子に座る祖父の膝の上で。兄はその膝元で寝そべりながら。
時には本を読んでもらい、時には祖父が実際に遭遇した話を聞くのが、二人共に大好きだったといえましょう。
そこで聞いた話では……いや、今は関係が無いところですな。
鼠泥棒の磔騒動、男爵家当主の犬の話、アリエル様のお話ならばいくらでも覚えているのですが、それはまた別の機会に。
ともかく私も兄も祖父の話を聞くのが楽しみだったわけだが、祖父は祖父で遠方に住んでいた。
我が家を訪ねてくるのは月に二回か三回程度。それも先触れなく来るものだから、使用人たちも両親すらもその度に応対に慌てていたのを覚えている。
私たちは日常でたまに訪れる楽しい行事、程度に思っていたのだが、今思えば前当主が突然現れるのを使用人たちが歓迎するはずもないな。
たしかその当時、長雨が続いたときがあった。
毎日毎日屋敷から出られず、教師たちの指導を受けて過ごす日々に私も嫌気が差していた。
同じく指導の毎日で、退屈していた兄もそうだったのだろう。食欲も湧かぬようで、毎食鉄貨数枚程度で済ませることもあったのではないか。
そんなある日、兄が妙なことを言い出したのだ。
「明日は爺様が来るぞ」
何の前触れもなかった。私と兄で、屋敷の二階の廊下にいたときのことだ。
白く向こうが見えない硝子窓に手を当てて、突然『ハハッ』と楽しげに笑ってからの言葉だったと思う。
何故? と私が聞いても答えは要領を得なかった。ただ笑って駆け出し、その後どこかで使用人が兄を叱る声が遠くで響いていた。
そして、その言葉は真実だった。
久しぶりに日が出た次の日には、きちんと祖父が家を訪れたのだ。偽物などではないぞ。真っ白なもじゃもじゃの髪の毛も、同じく白い口髭もそのままで、眼鏡もきちんとかけていた。
祖父は両親にも挨拶をし、使用人に手土産を渡し、そして私たちにまた面白い話を聞かせてくれた。
また次の日に帰っていく祖父の背中を見送りながら、兄に何故祖父が来ることを予想できたのか聞いたが、それでも笑って教えてはくれなかった。
私も偶然だろうと、それ以上聞かなかったのだが。
だが、それはそれから何度も続いた。
精度は完璧ではなかった。来ると言って来なかったこともあるし、兄が何も言わない日に来ることもよくあった。
けれども、兄は確かに何度も口にして、そしてその予言は成就していたのだ。
『明日は爺様が来る』、と。
「その度に私は、明日はどのような話をねだろうか、と楽しみに夜更かしをして怒られることになったがな」
…………。
ざらざらとした雨の音が響く。
「結局、未だにからくりはわからん。天気の様子からか、何かしらの周期があったのか。まあ、それが不思議なこと、ということで」
オトフシは頷くようにして話を終えて、伏せていた目をようやく開いて周囲を見た。
「……何だ?」
それからまだ黙っていた僕たちに、怒るようにして尋ねてくる。
また違うと文句を言うとでも思ったのだろうか。表情は緩めていても、アリエル様のほうもちらりと窺いつつ。
アリエル様はにやにやと笑い、そしてオトフシの視線に気付いて意識を取り戻したように頬の緩みを引き締めていた。
「やるじゃないオトフシちゃん。そういうのよ、そういうの頂戴!」
「そ、そうだったのですか」
はー、と隠さずにオトフシが安堵の息を吐いて胸を撫で下ろす。
零れた笑みは、なんとなく泣きそうにも見えた。
「まさかあの愚兄が役に立つときが来るとは」
「素敵な話じゃない。そのお兄さんも、元気?」
「元気も元気。前に会ったときは殺されかけましたな」
フフ、とオトフシはようやくいつものように笑う。
「そんな過激なお兄様なんですか?」
「ああ。仕事には忠実で、たまに出会えばそんなものだ。肉親すら手にかけることを躊躇せん。私よりも強く……お前も出会わなければいいな」
「怖いのでそう願います」
「フフン」
冷や汗を拭うようにオトフシは首元を掻いて、僕の言葉を鼻で笑う。
僕はいつものこととそれを流し、外を見た。
いつの間にか少しだけ雨の勢いが弱まっている気がする。
そっと開けた木戸の向こうで、空が僅かに明るくなっていた。そう長い時間を過ごしたわけでもないのに、もともと通り雨だったのだろうか。
しかしまだ雨は止まない。
まだ雨宿りのお話は終わらない。
最後に一人、話していない人間が残っている。
それをこの場にいる全員が思い浮かべたのだろう。では、と誰も声に出さずに視線を集めた。
皆に見つめられたルルは、困ったように笑った。