軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

俄雨

「では僕は水を汲みに行ってきます」

「お願いします」

まだ昼前だが、早い休憩ということでいいだろう。

僕とルル、それにアリエル様とオトフシとサロメの五人は、ネルグの森の中で騎獣車を止めた。

ここはネルグの真南、森に走った傷よりも少しだけ東に出た辺り。

以前はエッセン領だったが、今はムジカル領だという微妙な位置。ここまで来れば、野営をしていてもエッセンの人間に文句を言われることはあるまい。

森の雰囲気は落ち着いている。

戦時中の物々しい雰囲気ではなく、元の森に戻ってきたのだろう。街道付近の生物相もおそらく元に戻っており、先ほど茂みの中に野兎を見かけた。

鳥たちも元気に暮らしている。数日前に生まれたらしい小鳥が、頭上で親鳥の帰りを待っていた。

水場、というか川は街道から少しだけ離れている。

ネルグの中に走る川は、樹液路とほとんど区別がつかない。表層に流れている液体はどこも雨水とネルグ中央の木の樹液が混合したもので、川か樹液路かを区別するのはその割合でしかない。

もっとも、ネルグの樹液も場所によって配合が変わるものの、どこでも 上品(じょうほん) ともいえる薬効があるので、水の代わりに常飲してもまあまあ問題ないのだが。

僕は騎獣車から持ち出した桶を二つ、川に浸して液体をすくい取る。

ここは間違いなく川だろう。手についた滴を舐めて確かめれば、そのような味がした。

「ここに置いておきますね」

「お疲れー」

ルルの横で俯せになって浮かんでいたアリエル様が、だらけた口調で僕を労う。

その横でルルは、果物の皮を小刀で剥いていた。

「ありがとうございます。……お魚とかは?」

「目についたものはいま……いなかった。こういうものならいたけど」

手を止めずに顔を上げたルルに、僕はとりあえずポケットに入れて持ってきた生物を見せる。

ぬめぬめとした質感。もちもちとした感触。両手両足尻尾をばたつかせて抵抗するのは、三匹の山椒魚だった。川にいたのでとりあえず捕まえてみた。栄養状態は足りていないだろうし、掌サイズなのであまり食い出はないだろうが。

僕の指の先を見て、ルルは握り拳の掌側を口に当てて「うーん」と悩んだ。

青く大きな瞳が、小さな黒い目と向かい合う。

「山椒魚はちょっと調理に時間がかかるんですよね」

「そのまま茹でて食べてもいいんじゃない?」

「そうすると固いじゃないですか? 山椒魚って、二日目が美味しいので……」

「じゃ、昼には無理か」

食べられないことはない、と僕は思う。

しかしルルは反対。ならばこの場において否応はない。

「取っておきます?」

「でも今夜は街の予定ですし……、逃がしてあげてください」

「わかった」

僕は頷き、三匹をそっと近くの岩場に置く。

乾燥してしまわないかとも一瞬思ったが、この辺はまだ植物も多いし、湿気も多いから大丈夫なのではないだろうか。

そう勝手に納得した手の先で、三匹の両生類は茂みの奥へとがさがさと逃げていった。

そうこうしているうちに、サロメが湧かしたお湯に、干した米粒をざらざらと入れる。

一緒に入れるのは近くで摘んだ野草。

……聖領の野外で食べられる一般的な食事。ではあるが、ルルのたっての希望でもなければ、彼女らの口に入るようなものでもないだろうに。

野草粥、とせめて上品に呼べばいいだろうか。

木箱を置いた簡易的な椅子に腰かけ、僕たちはそれぞれ小さな器にそれを盛って、匙で掬って食べる。

僕は慣れているし、オトフシも文句は言うまい。だが誰も、その味は『美味しい』とは言わなかった。

「その……独特な味でございますね」

「素直に『不味い』って言ってもいいと思いますよ」

無論、毒草の類いや、そもそも不味い草は入れてはいない。入っている山菜や近くにあったので入れた苔は食味の向上の役に立っているはずだ。

しかし材料も調味料も少なく、まさにこれはソラリックがこの前嫌がった食事のまま。

味の評価は、その言葉を口にしたサロメの表情がはっきりと物語っているだろう。粥を運んだ匙を口に入れたまま、悩むように眉を寄せている。

ソラリック相手ならば、文句を言うな、の一言で済ませたのだが。

「これ、醤を少し足すだけでも大分よくなりますよね?」

「だと思う。あと、煮るときに水じゃなくて山羊や牛の乳を使うとか」

干した米と野草を煮込み、塩で味付けをした糧食。

なんというか、この粥があまり美味しくないのは、まず単純に言って味が足りないからだ。乳とは言ったがまず出汁などを使ってもいいと思う。

あまりにも、『素材の味』すぎるのだ。

しかしもちろん、野外でそのような贅沢は中々望めない。それはルルもわかっているだろう。

「でもそうするとお米がふやけるのに時間がかかりますから……」

んー、とルルはまた悩む。

別に改善をしなければいけないわけでもないし、そうする気もないが、彼女としては職業病のようなものもあるのではないだろうか。

「『このような味に文句を言う輩は、そもそも聖領に入るべきではない』」

ぽつりとオトフシが言う。

一瞬叱って、もしくは諭しているのかと思ったが、違うらしい。

伏せた目に、からかうような笑みが宿る。

「あまり味を良くされても困りますな。我が身を顧みず探索に身を投じるひよっこを、止める術が一つ減ってしまう」

「人を助ける不味さということでございますか」

はあ、とサロメはオトフシの言葉にオチをつけ、音もなく粥を啜る。

そんな僕らの輪の片隅で、アリエル様は黙って、自分と同じ大きさのお椀を呷るように粥を飲み干していた。

街道の両脇の森の中は間伐もされておらず、日の光が普通に入る街道との対比で、濃い緑色の影が真っ黒にすら見える。

もっとも、間伐がされていないのは今僕たちが立っている道もそうだろう。

木は切り倒されて道状に通れるようになってはいるが、舗装などをされてもいない。当然植物の成長を防ぐような効果もなく、ネルグの根が絡まるコルクマットのような感触の地面からは、細い草や木が突き出すように生えてきていた。

戦争でここを通る者が少なくなったからだろう。ネルグの森の生命力は容易にかつての人間の所行を覆い隠す。通らなければ道はすぐに消える。今まではここは行商や貿易商などが頻繁に通り、道を維持してきたのだろうが。

「流石に戦争の痕はもう残ってないか」

「そうですね」

ここまで騎獣車を引いてくれていた騎獣……ハクに兎二羽を差し入れしつつ、僕はオトフシの言葉に同意する。

見回せば、あの時よりも森は濃い。

戦争で、人が大勢死んだ。その結果森は騒がしくなり、動物も魔物も争った。

しかしその痕跡はほとんど残っていない。代わりに、その死体や住居、生きていた痕跡を飲み込むように森は力を増したような気がする。

朝方僕たちが宿を取った街は、かつてのクラリセンほどではないが交易で栄えた僅かに大きな街だった。

ムジカルに攻め込まれた際には早々に降伏したらしく、建物自体はほとんど無事。そしてその際に接収された奴隷と、入植した奴隷が街を動かしていた。

もちろん、以前とは変わってしまったのだろう。だが、初めて訪れた僕たちからすればどうでもいいことで、そして普通の街に近かった。

当たり前だろう。そこはもうムジカルで、彼の国ではそうやって回っている。戦中の捕虜への虐待は合法だが、戦後の奴隷への虐待はムジカルですら違法となる。若い働き手が別のところへ行くこともあろうが、それでも街に残った奴隷たちは、厳しい生活ではなく苦しい生活程度で済んでいるだろう。

ともかくとして、普通の街だった。

治安など、むしろイラインの方が悪いくらいだったと、僕の色眼鏡越しの印象は告げている。

変わらなかった街。

けれども、この付近の開拓村ではそうではなかったらしい。

「ここ数日で、な」

「そうですね」

オトフシの言葉に、僕は重ねて同意する。

騎獣が兎の骨を噛み砕く小気味いい音が響く。

僕たちがここに来る際、通りがかった一つの村があった。

だがその戦火に見舞われた開拓村は、もう廃墟とすらいえなくなっていた。

燃え残った家屋の壁からは蔦のような植物が這い出し、絡みつくように枝が覆う。

畑だったであろう場所はネルグの根で覆われ、明らかな小さい木々が柔らかい土からこれ幸いと飛び出している。

屋根のある場所には狐かなにかだろう、獣が巣を作る。食事の滓や糞が集まった場所には、消化しきれなかった骨も重なるように残っていた。

もはやその名も知らぬ開拓村は、人が住む場所ではない。

元々その村がなくなったことを前の街で聞いていた僕たちはそこで休めることを期待していたわけではないが、ルルとサロメは遠目に見てもショックだったらしい。

口数少なめに、騎獣車の窓のカーテンをさりげなく閉めるくらいには。

オトフシは言って、ハクの額の角を撫でる。そこに感覚などあるのだろうか、ハクは、その馬のような目を細めて首を竦めてグルと微かに鳴いた。

応えたわけでもないが、頭上で鵯が鳴く。

『ただいま』『おかえり』『おなかすいた』『へびこわい』『ごはん』『…………』

僕はその声に、空を見上げた。雲がある。

「近くに残っている建物とかありますかね」

「……何故だ?」

「雨が降ります」

早く出たほうがいいか、それとも待ったほうがいいか。

アリエル様の意見を聞いたほうがいいかもしれない。正確にはアリエル様と言うよりも、アリエル様を通して、と言ったほうがいいだろうけれども。

オトフシは僕の言葉に首を傾げ、先ほどの僕の真似をするように、同じように空を見上げた。