軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

側にいるから

「こんなところにいたんだ」

少年が屋根裏部屋で座り込む少女に声をかける。畳んだ膝に顔を押しつけるようにし、背中を木の壁につけた少女は顔すらも見せず無言でそれには応えなかった。

「みんな探してるよ」

トリステ、と名前を添えながら、少年は言い聞かせる。陽気な声は彼からしても強がりだったが、しかし幼馴染みの展望を見据えてのことでもあった。

「アルも、あたしがどこかに行って欲しいの?」

「……いいや」

アルペッジョは見下ろしつつもその目を細めた。

そんなわけない、と叫びたい気持ちも残しつつ。彼とて、踏ん切りがついたのは昨日の夜だ。

ゆっくりとアルペッジョはトリステの隣に並び腰を下ろした。同じ年頃の少年少女。隣に感じた振動と体温に、トリステは少しだけどきりと胸を震わせる。

「兵学だよ? いいじゃん。これからトリステは有名になるんだ。大勢の魔法使いたちと一緒に勉強して、綺麗な着物でも着て、立派にさ」

「でも、アルはそこにはいないわ」

「だって僕、魔法使いじゃないから」

アルペッジョは苦笑した。悲しい事実だ。

トリステにはごく幼い日から兆候があった。粥を食べようと思えば木の匙が独りでに動き、茶器から杯に花茶が注がれる。彼女が歩けばきらきらとした光が周囲に舞い、砂に足を取られることもない。

だが、その幼馴染みである彼には。彼は、普通の子供と同じく、何の兆候もなく。

「お父様じゃなくて、アルが一緒に来てくれればいいのよ」

「それも無理でしょ」

「……お父様、昨日なんて言ったと思う? 『トリステが五英将にでもなってくれれば、俺も千人長くらいにはしてくれるよな』ですって」

自身の膝の下、床に向けて言いつけるように、吐き出すようにトリステは言った。

泣きそうな声だが確かに怒っている。アルはその言葉に、内心わかると溜め息をついた。

トリステの見ている床に、滴が垂れる。アルはそれを気付きつつも無視して頬を掻く。

稚児組。ムジカルにおいてそれは、子供の魔法使いが集められた集団、もしくは集められる施設、または街の名前だ。魔法使いとわかった子供は、おおよそ十二歳になるまでの間そこで基礎的な教育を受けることになる。

教育といってもほとんど剣呑なものではない。基礎的な魔法の修練はするが、しかしほとんどがただ単に、人として最低限の教養を学ぶ場だ。言葉や挨拶、風俗に簡単な文字。自分と他人の違いを学び、付き合いかたを学んでいくために同じような境遇の子供たちをまとめているだけの。

魔法を扱える子供は、そうではない子供と集団を作るのには向いていない。

周りの子供に見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる子供。ある程度大きくなればそれが『他のものにはない個性』と皆が理解できることだが、まだ幼い子供たちにとってそれは奇異なものに映る。

さらに力強くはしこいという多くの魔法使いが持つ特徴も、やはり身を寄せ合うには不向きなものだ。魔法使いの子供が軽く叩いただけで、耐性のない人間の頭は爆散することすらある。煙草を吸う大人を見て仕草を真似し、煙どころではなく炎を口から噴く子供は危険物だ。

だが、周りが皆魔法使いであればそれは問題になりづらい。

更にそれが、大人の魔法使いや闘気使いの監督下であれば。

魔法使いであると判定された子供は、王都ジャーリャ近くの、稚児組と呼ばれるそれ専用のとある街へ行く。

両親と兄弟を連れて、家族共に。

そこで多額の給付を受け、ある程度の常識が身についたと判断されるまで養育されるのだ。

そしてトリステらは共に既に十二歳。

弟が魔法使いのアルペッジョはこの街に留まるが、トリステの稚児組での養育は終わる。

養育が終わった魔法使いの進路は特に限定されてはいない。

稚児組までは半ば義務であるが、そこから先は本来他の国民と同じく自由の身だ。働いても働かなくても構わない。そもそもに、十二歳という年齢はまだ幼くもあり働くような身でもない。

成人前故に兵役もまだなく、遊び暮らせるはずの身。

だが、トリステが行く場所は。父親の選択で既に決まっている。

兵学校。今度は三年間の『軍事教育』を受ける場所。

そこを卒業した人間は、ムジカル軍の中でも優遇を受けることになる。

「あたしは、戦いたくなんてないのに」

ぽつりとトリステは言う。

戦いたくなんてない。痛いのなんか嫌だ。怖い目に遭うのも、人を怖い目に遭わせるのも嫌だ。

しかしそれを言えば、そうしなければいけない、と何度も両親や親戚に叱られた。

ここムジカルでは戦わないものは生き残れない。軍はもとより、徴兵令は国民である以上誰しもが命じられる可能性のあるものだ。どれほど心優しき聖人でも、どれほど力ない俗人でも、当然トリステも、アルも無差別に。

ムジカルでは、戦うことは当然のことだ。命じられれば戦いに出る。戦地に出て命のやりとりに従事する。そこに否応はなく、だからこそ誰しもが給付金で無労働の日々を送ることが出来る。

仮にそうしたくなければ、国を出て行くか、奴隷になるかの二択だ。

無言でアルペッジョは顔を上げる。衣擦れの音だけが屋根裏に響いた。

「お父さんが戦争の話をしてくれてから。やっぱりまだ、夢に出てくるの」

「やっぱり」

「ずっと。もう、ずっと」

トリステの声に涙が混じる。

いつからか、眠るのが怖くなった。

父親が、トリステを奮い立たせるために寝物語に聞かせた話。ムジカルの子供たちであれば、目を輝かせて続きをせがむような恐ろしくも勇壮な戦場の話。

剣の一振りで敵兵を華麗に薙ぎ倒す戦士。槍の一突きで敵の砦を打ち崩す英雄。

だがトリステは想像してしまった。

薙ぎ倒された敵兵の哀れな姿を。瓦礫に埋もれて怨嗟の声を上げる骸の姿を。

「夢の中でね、許せないって吠えてるの。私の身体を引きちぎって、いつも、いつも」

思い出す度にぞっとする。

毎夜見る夢を。毎夜見てしまう悪夢の姿を。

両手足が奇妙にねじれた人間が、巨大な顔の穴という穴から指の束をつきだした人間が、頬に目がつき目に両耳がつく血に塗れた人間たちが、トリステの身体を食らってゆく。

歯と唇だけの化け物が宙に浮き、小さく小さくあたしの身体を食いちぎってゆく。

泥のような暗闇の中で、毎夜襲われる悪夢。跳ね起きてもそこは暗闇、朝が来るまで終わることはない。

「ねえ、アル」

トリステは顔を上げる。

その顔を見て、アルペッジョは幼いながらも痛々しく思った。

寝不足故に食欲も落ち、痩けた頬。寝不足で血走った目の下は真っ黒い。

「貴方はあたしから、離れないでね」

幼いながらも朧気に覚えている。魔法使いであると確定した途端に、両親はトリステに優しくなった。

稚児組から兵学校に行くと両親が喧伝すれば、知らない親戚知人が家に訪ねてくるようになった。誰しもが、トリステに贈り物をし優しく声をかけて。

誰も彼も、トリステに好意的に近付いて、そしてトリステからすれば離れていった。

だから、それでも、彼だけは。

アルペッジョは頷く。トリステの目を見て。

「……うん。わかった」

軽く、だが重々しくゆっくりと。

「俺も、兵学校には来年必ず行くから。そこでまた会おうよ」

「約束してくれる? 絶対?」

「絶対」

もう一度、うん、と頷いてアルペッジョは立ち上がる。

尻の後ろを叩いて埃を払えば、壁の隙間から差す光に煙のように照らされた。

「だから、もう行こうよ。みんな待ってるよ。トリステのための爬車も」

唇を噛みしめるように、トリステは立ち上がれずにアルペッジョを見る。

「ずっと側にいるから」

アルペッジョは、自身の不安も振り払うように、出来るだけ明るくトリステに笑いかけた。