軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

つよがり

おかしい。

ミールマン郊外の丘から崩れゆく街を見ていたアルペッジョは、訝しげに眉を顰めた。

トリステが悪夢を解放してから既に時間が経過している。通常であればそろそろ悪夢の怪物達は住民達を殺し、その気を済ませて帰還してくるはずだ。

だが、トリステの寝顔からも、街の様子からしてもそうではない。

先ほど大きな影がより大きな蛇に飲み込まれたことを皮切りに、上空を飛び回る怪物達が減っているように見える。

人を殺し、またいなくなった後には悪夢達は存在できない。悪意を発散し気を済ませた悪夢の怪物達はトリステの下へと帰還し、そしてトリステの中でまた彼女を貪り苦しめるというのに。

「…………ぅ……」

汗にまみれ、苦しそうに呻くトリステの中では、未だ悪夢が暴れている。

しかしいつもよりは大分ましだ。まるで彼女を苦しめている悪夢達が言っているように。まだ殺せる人間がいる。楽しめる人間がいる。だから彼女に用はないのだ、と。

トリステとアルペッジョの周囲は、薄い黒い霧が立ちこめている。

黒い霧がほんの僅かに濃くなった隙間から、様々な種類の悪夢達は現実世界に顕現している。やっと出られた、さあ楽しみだ、と口々にその表情が語る。

いつもよりはまだましな睡眠。

そう考えればいいのかもしれない、とアルペッジョは思った。

アルペッジョの手を掻きむしるように掴んでいるトリステの手。その手に込められた力が、僅かでも緩んでいてくれているのであれば。

夢の中の安息。彼女が永遠に望めないものを掴めているのであれば。

しかし、おかしい。

いつもの戦では、このような抵抗はない。

小さな街などすぐに落ちるし、大きな街でも少しだけ手こずる程度。ここまで時間がかかっても、悪夢達の笑い声が街に満ちないことはない。

たまにちらちらと見える誰かの影。街の上空を悠々と飛ぶ影があるが、まさかそれが障害になっているのだろうか。

いやそれとも、街を守る第三位聖騎士団という彼らの抵抗の賜だろうか。

おかしくはある。いつもと違う。

しかしその抵抗も、アルペッジョは感謝できるほどだ。悪夢達の遊び相手をしてくれている彼らに。無限に生まれ、無限に人々を苛み続ける悪夢の怪物を、トリステに代わり楽しませ続けてくれている彼ら。

願わくば、もう少しの間だけ。

彼女に辛くない夢を見せて上げる間だけ。

どうか自分には出来ないことを。

そう願うアルペッジョの前に、白い影が飛来した。

(二人、報告通り。他の影は今のところなし!)

腰の音叉を確認しつつ、エーミールは最後の踏み切りを行った。

あたかも宙を駆けるように跳ぶ先、目標は丘の上に残る二人。一人の少女は寝そべり、その横に中年男性が手を貸すように座る。

やはり、敵は五英将〈眠り姫〉トリステ・スモルツァンド。傍らの男性はアルペッジョと呼ばれる唯一の直属兵だろう。

エーミールは棍に闘気を込める。狒々色金製の棍はそれでまた強靱さを増したが、目的はそうではなく魔道具としての起動。

九節棍が分節し、鎖が伸び鞭としての機能が現れる。

(目標は……)

鞭の先を向かわせるのは、長い髪の毛を散らばらせ弱々しく横たわる少女。

その頭を叩き潰せばとりあえずの問題は片付くだろう。この街を襲う悪夢の発生源。その根を断つ。

しかし、その目論見も、目の前に今まさに現れた唇と歯だけの怪物によって阻まれる。

「っ!!」

舌打ちをしつつ、現れた怪物達を振り払うようにして鞭で払う。

鞭の先というものは、素人が扱っても音の速さを超える。破裂音が響く。空気が裂ける音と、怪物達が破裂する音と。

景気はいいが、拍子を外された。それは怪物達の意図的なものか、それとも偶然か。エーミールには判別出来なかったが、しかし着地までに第二撃を振るう余裕がないことはよくわかった。

丘の上、茂る短い草に、柔らかな土。そこに大きな足跡を残すように、エーミールは豪快な着地を見せた。

細かな湿った土が散る。ぱらぱらと弾けるようにばらまかれたそれは、アルペッジョの革の靴にも降りかかった。

慌てるようにしてアルペッジョは、空いた手で短剣を抜く。

アルペッジョには剣の心得はない。単なる威嚇、もしくは強がりのために剣を構えて、エーミールを見た。

黒眼鏡越しにエーミールはアルペッジョを見返して止まる。

「お前は……」

訝しげに細めた目は黒眼鏡に遮られ、アルペッジョには見えない。しかしその口元が歪んだのが、アルペッジョには不機嫌さを表すように見えていた。

エーミールは不思議に思う。

目の前の男。膝立ちの途中のように固まり、こちらに剣を向けている彼。直接見たのは初めてだが、名前は知っている。

直属兵と聞く。五英将の直属兵とは即ち五英将に選ばれ仕えている者たちであり、五英将に選ばれるに足る『何か』を持つ者だ。

しかし目の前の男はそうは見えない。

目の前の男からは何も感じないのだ。恐れることはない、ただの中年の男。髪は薄くなり、腹も膨らみ、肌はたるみ皺が目立ち始めているような。

闘気の充溢は目で見て取れる。ならば闘気使いではあるのだろう、が、しかし構える剣に力はない。

だから弱兵だ、と思いつつも、しかし無視してもよいとエーミールは思わない。

弱兵とて兵だ。彼が五英将から選ばれ、そして隣にいる以上、きっと何かがあるのだろう。武威はない、と思うがそれも擬態かもしれない。何かしらの知略の兵なのかもしれない。もしくは特殊な技能を持ち訓練を受けた兵なのかもしれない。

じ、と注意深くエーミールはアルペッジョを観察する。

その横で魘されている様子のトリステは今、むしろ無視してもいい対象に思えた。

「まだ、少し……」

もう少し、まだもうちょっとだけ。多くの人間が、朝目覚めなければいけない際に、一度は考える言葉。

呟いたのはアルペッジョだった。ちらりとトリステの寝顔を見て、安らかではないが、しかしいつもよりは大分マシなその顔に向けて。

掴まれていた手をそっと離す。まだ何かを求めるようにトリステの手は地面を掻いたが、アルペッジョはその様を見ずにエーミールの方を向く。

「起こすなよ。寝てるんだから」

震える声でアルペッジョは言う。精一杯の強がりで、エーミールに負けぬよう。

「これからは永遠に寝てりゃいいのさ」

「…………」

そのエーミールの真顔での軽口に反応も返さずに。

(どうしよう)

アルペッジョの剣先は震えていた。

彼としても、自分が今取った行動の意味はわかる。今まで幾たびもトリステと共に戦場を巡り、人の生き死には見てきたつもりだった。

自分が今行っているのは、自殺行為だ。

立ち向かえるわけがない。

目の前で自分を値踏みするように見つめている聖騎士。名乗らずとももはや、アルペッジョはそれが誰だか知っている。戦争が起きた際、ムジカル軍では必ず敵軍の有力者の人相書きが共有される。

彼が第三位聖騎士団長エーミール・マグナ。あの五英将〈成功者〉ラルゴ・グリッサンドに伍するという。

勝てるわけがない。自分は所詮、少し身体を鍛えただけの一般人だ。

トリステの隣にいることすら本来おこがましい。本当ならば彼女の直属兵として、きっともっと強い誰かがいたはずなのに。

戦争に参加しての戦闘行為などほぼしたことがない。無論兵学での身体作りと模擬戦は怠らなかったが、それも今となっては二十年以上前の話。学校の勉強など学校に全て置いてきた。

トリステの横で、彼女が侵略する様を見る。ただそれが彼の三十年来の仕事だ。

そんな自分が、目の前の聖騎士に立ち向かっている。

聖騎士。エッセン王国の最高戦力。ムジカル王国でいえば五英将とその直属兵といったところだろう。

勝てるわけがない。

なのに何故自分は今剣を手に取っている?

アルペッジョの脳内で、エーミールの姿が膨らんでゆく。

まるで自分を掌の上に乗せたように巨大化した敵の影は、恐怖よりも先に諦観を覚えさせる。

目の前にいるのは、第三位聖騎士団長。控えめに見ても、聖騎士の中で王国三位の実力を持つのだという。

ならば本来アルペッジョが取るべき行動は決まっている。

幾たびの戦場、強敵に出会うのは初めてではない。トリステの《悪夢》の侵略を突破し肉薄してくる強者もたまに目にすることがある。

だがその際には、必ずトリステをアルペッジョは起こす。肩を揺すり声をかけて、覚醒を促し目の前の敵に対処してもらう。

それが決まりで、それがいつものこと。アルペッジョは弱い。強敵に抗う術もなく、命がかかる以上それは厳守してきたはずなのに。

(何やってんだろうな!? 僕は!!)

呆れるように、アルペッジョは声に出さず思考の中で自分を罵る。

なんとなくこの自殺行為の理由はわかっていた。

それは最近になって、そしてこの道中強く感じ始めたトリステとの歩調のずれから。

これから衰えていく自分と、変わらない彼女と。

彼女の足手まといにはなりたくない。そんな些細で、この戦場では命取りとなる気まぐれから。

せめて威嚇だけは、と目の前の聖騎士を強く睨む。

何かの気の迷いからこのような馬鹿な真似をしてしまったが、やるべきことは決まっている。アルペッジョも気を取り直す。自分がここでするべきは、このような自殺行為ではない。

「トリ……!!」

「起きてるわよ。あんた何してんの」

アルペッジョが口を開きかけたその直後、エーミールの立っていた場所が歪み、抉れる。

「ぶわっ!?」

地面を含め、まるでその半径数歩の位置にあったもの全てが圧縮されたように消し飛び、パラパラと破片を落とした。

かろうじて横に跳んで避けたエーミールは背に冷や汗を浮かべる。一切の音も光もなく、気配のない攻撃に。

半身を起こしたトリステは、前にかざしたその手からも何かの破片を落とす。

それを見てエーミールは、今の攻撃の鋭さに戦慄しながらも棍を構え直す。起きてしまった災害の基を睨んで。

安心したようにへたり込むアルペッジョが、何かに押されるように転がり後ろに下がる。それはちょうどトリステの横。押されたのではない、引かれたのだ。

トリステはアルペッジョの肩に手をかけて立ち上がる。それからアルペッジョの顔を覗き込むように見て溜め息をつく。

彼がいる。ならばここはきっと現実なのだろう。

「アルは戦わないで。私の側にいなさい、弱いんだから」

幼馴染みを安心させるようにトリステは笑う。充血した目とひび割れた唇が、そこに優しさを見せなかったが。

びし、と固い何かが割れた音がする。

トリステの背後、青空に入った罅。空間の裂け目が暗く落ち、その奥には何者かの黄色く燃える目が光る。

トリステ自身の眩んだ目に合わせるよう、彼女自身に暗く影が差す。

衣装も肌も影の色に僅か染まる。

「起こしてくれてありがとう。貴方は苦労せずに倒せると助かるわ」

トリステの滲んだ声が響く。

同時にエーミールの周囲の地面が、ぼこぼこと波打つように形を変え、虹色が混ざるように色を変じた。