軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

時間の壁

また、『温かさ』がクロエの身体に伝わってくる。

「あらあら、まだやっぱり残っていたのね」

街の空の上。幾度となく地上へと攻撃を加えたクロエは、目の前の蛞蝓の頭を撫でつつ呟いた。

クロエが使役している精霊。彼らはクロエの感覚器官でもある。彼ら精霊は受けた光や音や匂いから有害なものを除去し、逐一クロエに伝達していた。

彼らから伝わってきた『温かさ』は悪夢にはないもの。つまり彼らの欠片が受けたその温かな刺激は、その破裂し飛散した欠片が悪夢以外のものに突き立ったことを意味する。

自らの肌に伝わってきたその感覚を愛でるように、クロエは厚手の袖越しに自身の肩を抱いた。

精霊から悲鳴や犠牲者の表情が伝わってくる。怪物達が上げない悲鳴。それも今回は、きっと怪物達の手によるものではないのだろう。

早く逃げろと言われていただろうに。それに従わなかった人間達の悲鳴と驚愕の表情が滑稽で、品良く口元を隠しながらクロエは笑った。

半透明の蛞蝓が、振り返るように首をねじ曲げる。

「誰か来る」

「あら?」

本当に? とクロエは首を傾げた。今自分は街の空を飛んでいる。近くを飛んでいる怪物達は 精霊(ブーバ) が撃墜しているし、 精霊(キキ) とて警戒しないわけではない。

だが、同時に確かに精霊達が捉え、クロエに伝わったのは、高速で地上から飛び上がってくる誰かの姿。身を覆う白い外套は聖騎士のもの。さらに、建物の外壁を跳躍し、飛び上がる技量もまた彼らが持ち得るもの。

ならば撃墜はしないであげよう。

うん、と誰ともなくクロエは頷き、駆け上がってくる誰かの影を見過ごした。

「……クロエ・ゴーティエ!!」

跳躍した誰かは空中で足掛かりもなくもがく。結局は高い塔の天辺に着地し、その先端に掴まり留まった。それからこちらへ向け、自分の名を呼んでいるのだと精霊は言う。

クロエはその言葉にまたなんとなく可笑しく思い、蛞蝓の行き先を塔近くに差し向けた。

金髪の男が何事かを叫んでいる。その声の振動を感じつつも、クロエには意味がわからない。その内にクロエを乗せた蛞蝓が、男の横、空中で静止した。

「何か?」

今の今までウェイトが叫んでいた抗議の言葉を耳に入れず、クロエが尋ねる。ウェイトはその態度に腹が立ったが、それよりもまずは言うことがあった。

「聞こえないのか!? 今すぐ攻撃をやめろ!!」

「攻撃を? 何故?」

「何故……!? お前は、自分のやったことがわかってないのか!?」

ウェイトが槍で眼下を指し示す。

半壊した家屋。穴の空いた壁。その程度はいいだろう。この戦乱の最中、建物まで無事に残せとはウェイトは言わない。

だが、その壊れた壁の穴から除く誰かの部屋。そこには今、黒に似た真っ赤な液体が見える。

「人がいるんだ! まだ人が!!」

「…………?」

クロエはウェイトの言葉を精霊を通じ受けて、また首を傾げた。

人がいる。……その事実が、どうして攻撃をやめることに繋がるのだろうか?

「私はエーミール・マグナ様の要請に応え、《悪夢》の怪物を減らしているだけですが?」

怪物を減らすことが、今のクロエに課された任務だ。故にそこに従事している今、責められる謂われなど一切ない。

クロエはそんな理不尽さを僅かに覚えつつ、その上で少しだけ当てつけのように笑った。

「貴方こそ、何をしていらっしゃるのですか? 早く人間達をお助けください」

そうエーミールは言ったのだ。クロエは心中で強調する。

クロエは怪物を倒す。聖騎士達は人間達を助ける。そう分担が出来ているはずなのに。

「だから……!!」

そう、だからこそ自分は人々を助けに来たのだ。悪夢からではなく、目の前の女から。

そう続けようとしたが、ウェイトの頭に違和感が浮かぶ。違和感というよりも齟齬。何かが目の前の女と噛み合っていない。……それだけではなく。

唇を噛みしめるようにしてウェイトは一瞬黙る。だがそれでも、黙ってばかりではいられない。

「巻き添えが出ているっ! もっと別の手段を考えて頂きたい!! 民間人を守るために!!」

「あらあら」

くすくす、とクロエは笑う。

民間人を守るために別の手段を執る。その程度ならばクロエも同意しよう。

ここミールマンへ、自分はムジカルの侵攻を止めるために来た。国家の、街の基はそこに暮らす人々だ。彼らを守るという題目を果たすのも当然のことかもしれない。

だが、彼ら自身が助かることを放棄しているのならば話は別だ。

「残っているのは逃げてもいない人間達です。死んでもいいと本人達は思っているのではないですか?」

エーミールの発布で、二十日も前から既に避難指示は出されていた。指示だけではなく避難先の受け皿も、馬車などの避難のための交通手段も用意されていた。仕事の世話や住居まで用意され、避難というよりも移住といえる万全さ。つまり、逃げようと思えば万全な状態で逃げられたはずだ。

事実、既に逃げた数千人は今のところ戦火も及ばぬ場所で無事にいるだろう。慣れぬ新天地で戸惑い、また避難先で少しばかり肩身の狭い生活はしているかもしれないが、それでも命に危険はない。クロエもわざわざそこに飛んでいき、攻撃を加える気はない。悪夢がいないのだからその必要もない。

彼らは無事なのだ。

しかしここでまだ逃げ遅れている人間達は違う。

「貴方たちが助けようと思っていることもわかります。大変なお仕事ですね。でも私には関係ありませんもの」

もはや巻き添えではないのだ。

ここが戦地になることはわかっていたはず。そこに敢えて留まり敵の攻撃を受け、また味方の攻撃の被害に遭うというのなら、それはもうそれが彼ら個々人の選択なのだろう。

彼らを助けようという聖騎士の意図はわかる。しかし自分は聖騎士ではなく、そしてその義理もない。見ず知らずの人間達を助けようなどという優しさも。

「関係ない、だと?」

自分の攻撃で人が死んでいる。その事実を知りつつも、関係がないと切り捨てるクロエ。その言動に、ウェイトの身体の中、どこかの虫が騒いだ。

両手が塞がっていなければ、きっと掴みかかっていただろう。

クロエの長い髪が風に靡いて顔にかかる。閉じられた瞼の片方に被さるように房が跨いだが、クロエは振り払うこともしない。

ウェイトは掴まっている塔の天辺、飾りの鉄の棒を握りしめた。鉄の棒が指の形に歪む。

「関係がないわけがないだろう!? お前が、殺しているんだ!!」

「ええ、不幸な事故で何人か死んでしまったようですね。ですから、それが何か?」

そもそもに、クロエとてわざと人間達を殺しているわけではない。ただ、悪夢の怪物の近くにいる人間達を無視しているだけだ。その結果、炸裂する精霊の破片が怪我を負わせ、命を奪っているだけで。

悪気はなく、悪意はない。

それなのに責められている現状は、クロエとて不本意だ。

苛つきに、少しだけ目を開く。

「そんなに人が死ぬのが嫌なら、早く助けに向かえばよろしいのではないですか?」

既に分担は為されているはずだ。自分は怪物を殺し、聖騎士は人々を救う。

今現在、こちらが怪物を殺すのを邪魔し、また自身が人々を救うという業務を滞らせているのは間違いなく彼だ。

長い睫毛の下、焦点の定まらない目がウェイトを射竦める。

「だから……!!」

ウェイトは僅かに怯みつつ応えようとする。

しかしその問答は先ほどと変わらない。また同じ問答を繰り返すことになりそうで、ウェイトはその言葉を無駄と飲み込んだ。

舌打ちを我慢し、目を伏せウェイトは思考を巡らせる。

彼女はたしかに怪物達を退治しているだけなのだ。第三位聖騎士団長エーミール・マグナの指示に従って。

そして譲歩する気が全くない。

人が巻き添えになろうと、抗議を受けようと、その手法は変えるつもりはないらしい。

頑迷、なのか。

……いいや、そうではない。

思考を切り替える。

話をしても無駄だ、とウェイトは思った。

どれだけ言葉を尽くそうとも、きっと彼女の考えは変わらないだろう。

言葉は通じていても、話は通じない。まるで違う生物のように。

「……その通り、我らはこの北地区の住民を救助したい。先ほどの攻撃から見るに、貴方は怪物の場所を特定できているな?」

「ええ」

「力を貸してもらえないか。怪物の位置がわかるのならば、今残る住民は、どこにどの程度残っているかわかるか?」

んん、と僅かに呻いてクロエは目を閉じて首を傾げる。

正直そのようなことどうでもいいことだ。自分が気にしなくてはいけないのは、敵の位置のみ。住民などどうでもいいし、どうでもよかったからこそ被害が出ているのだが。

「だいたいは」

「教えてほしい。それと」

もはや彼女を止めることは出来ない。ならば手の届くところにいる人間達は、せめて。

「救助する猶予がほしい。攻撃は、住民が近くにいないところに限ってくれないか」

「そうすると怪物達が人を殺していきますね」

「それでも……!」

吐き出すようにウェイトは言い、クロエを見る。

閉じた目に微笑みを湛え、この今でも怒号や奇声溢れる戦場でも、嫋やかに佇む彼女を。

「ああ、そうですね。貴方たちも人を助けるのが仕事ですものね」

そして、まだ話が通じていないであろう彼女を。

「わかりました。貴方たちが人を助けた実績を残せるよう、配慮させていただきましょう」

違う、とウェイトは言いたかった。だがこれ以上は無意味だ。彼女の考えを変えることは出来ず、そしてもうそのような気もウェイトにはない。

「ブーバ」

クロエが精霊の名を呼ぶ。

離れた位置、宙でうねり、今まさに空飛ぶ石の怪物を飲み込んでいた精霊が首を擡げる。

「光っていれば貴方たちにも見える?」

蛇の形をした精霊が、空高くを見て、何かを吐き出した。

打ち上がった赤い光の玉は、また空で分裂し、そして大粒の雪のようにふわりふわりと落ちてくる。

「六十七……六十六名」

呟くようなクロエの言葉に、ウェイトは唾を飲み込んだ。

まだそんなに、それに、もうそれだけしか。

「光の下に人間達がいます。お好きなものを」

「感謝する」

「では私は別の地区を回って参りますので。戻ってくるのは 八半刻(十五分) くらいでしょうか? それまでにお願いしますね」

「あと、怪物達をそちらでも減らしておいてください」と付け加えるクロエを尻目に、ウェイトは塔の上からばらまかれた光を必死で目で追う。

目視での大まかな計測でも、光の球体は六十にも満たない。ならばその下で、身を寄せ合う人間達もいるのだろう。身を寄せ合い、助けを求める人間達が。

光の位置を記憶し、脳内で地図と照らし合わす。

重要な情報だ。今また一つ光が減ったことを自身の痛みと変えるように、ウェイトは奥歯を噛みしめた。

助けるのだ。

より多くを、もっと多くの人間を。

額から垂れてきた血を袖で乱暴に拭う。

まだ傷に残っていたごく小さな何かの破片が傷を広げたが、ウェイトはその破片を乱暴に抜いて捨てた。