軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

知らぬ顔

「あらまあアリエルさん。ほんにいらっしゃるとは」

調印式の当日。二日を過ごした森から出て、宿で身支度を済ませた僕たちが向かった調印式の会場。

多くのミーティア人やエッセン人にムジカル人が行き交う中で、とある馬防柵の横にいた人物から、声が掛かった。

遠目にも、ミーティア人にしては珍しいと思っていた。

獣の特徴はある。頭の上、飛び出た耳は白い毛に覆われた犬か狐のよう。衣服の隙間から飛び出した尻尾もある。形状からするとどちらかというと狐だろうか、白に焦げ茶が混じっている気がする。

故にきっと彼女はミーティア人なのだと思った。

だが、それ以外はまるでミーティア人の特徴ではない。

黒い髪は長く艶やか。色白の肌はきめ細かく、やや吊り目の細い目がどこか親しみやすさを感じさせる。

唇は少しだけ横に長い気がするが、もちろんそれも畸形や醜形の類いではなく個性の範疇。

姿勢のいい細身。柳腰、という形容詞があっているだろうか。

遠目には、服装は着物、にしか僕は見えなかった。

白い襟をしっかりと重ね、帯は黒色に金の帯締め。袂は長く、なんとなく振り袖を連想させるがそんな感じでもないのは違和感だ。

顔が日本人、というか和の雰囲気を帯びているからだろうか。僕ですら、美しく感じる。

手放しで『美人』と褒め称えられる雰囲気の美女。

それが獣の耳と尻尾を持って立っていた。

ミーティアにも、そういう者がいることは知っている。

『宿り木持ち』と呼ばれる被差別階級。獣の特徴薄く、『森人』……僕たちと同じような身体的特徴を強く持って生まれてしまった人間たち。

彼女もそうなのかと思い、それがむしろ意外にも思えた。

昔僕がミーティアに入ったときは、『宿り木持ち』は酷い差別を受けているのだと聞いた。人間扱いされず、半端者、と気持ち悪がられるような。

だからこそ、ライプニッツ領には多くの宿り木持ちが逃げているとも聞いた。

そんな誰かが、この場にいる。

各国の要人が集まるような重要な場で、誰の誹りも受けずにそこにいられる。

それがとても意外なことだと思った……のだが。

「なんであんたがいるのよ」

「なんとはまあいけず。アリエルさんが来ると聞きなんしては、わっちが来んわけにはござりんせんもの」

ケタケタと笑う艶やかな美人は、アリエル様と和やかな……少し顰めたようなアリエル様の表情からするとそうでもなさそうだが、和やかな挨拶を交わしてから僕を見る。

「妖精さんもご無沙汰ざんす。まさかアリエルさんと馴染みでしたなんて」

「ええと……申し訳ありませんが、どなたです?」

「あれ? 知り合いだったんじゃ……あ、そっか。そうよ、あんたその姿見せるの初めてでしょ」

アリエル様が首を傾げようとして止まる。

それから女性を見れば、女性も、ああ、と何かに気がついたように、多分はんなりというのがしっくりとくるように柔らかく笑った。

「そうでしたわぁ。このガワは初めてでしたな」

「ガワ?」

「皮、でやんす。ドゥミでやんすよ、妖精さん。ドゥミ・ソバージュ。覚えてざんすか」

「……?」

ドゥミ。その名を聞いて、僕は過去にミーティアを訪れたときのこと思い出す。

その名は知っているし、確かに会ったことはある。アリエル様の言葉でも何度かその名は聞いた。

しかし、たしかその人は、白狐にしか見えない獣の姿で……。

「この顔ならお馴染みでありんすか?」

袖をひらりと舞い上げて、ドゥミと名乗る女性が顔を一瞬隠す。翻された袖が下に落ちたときには、襟の上に見える顔が先ほどまでの顔とは全く違うものになる。

僕はそれを見てギョッとした。

鼻が長く、毛に覆われたその顔。首から下はそのままでも、首から上はまさしく獣の狐の顔で。

驚きつつも、一瞬で僕は納得する。

その顔は、確かに見たことのある顔だ。あの日、僕を『妖精さん』と呼んだ白い狐。

もう一度袖で顔を隠し、現れたのはまた元の……多分化けた方の顔で。

「勇者様が一番好きなガワでありんしたからな。せっかくエッセンに出るんですから、こちらで参った次第ざんす」

にこにこと笑う顔は、美人らしく本当に美しい顔。仕草も嫋やかで、なるほど、とも思う。たしかに狐の姿ですら僕にも美人に見えた顔。人間にすればこんな風にも。

会議場として作られた四阿には、まだ人は誰もいない。

机が置かれた四阿、その周囲には見通しのいい僅かな空き地があり、容易に飛びかかれたりはしない距離を空け、柵が囲む。その柵の中に立ち入れるのは、各国が用意した安全を確認するための人員。そして、その後に入る代表者一名とその護衛である武官一名ずつだ。

エッセンではもうほとんど行わないが、ムジカルではよく使われる古い手法らしい。

魔王が倒れた後の乱世、国同士の争いがよく起こっていた際に、国同士の紛争を調停するために改良されてきた場。

見通しのいい四阿にし、周囲に空き地を作るのは誰にも不正な行いをさせないため。昔はあったらしい。和平のためだと呼び出した責任者を、敵対国がその場で暗殺するということもよく。

それを防ぐために人の立ち入りを制限し、衆人環視の無人の場を作る。

更に会議場の周囲にも、堀や防壁を重ねて作る。これも、軍勢でそこを取り囲んで有力者を殺すという手段を執らせないためだ。

他にも対策できることはあるだろうし、様々な思惑を入れることも可能だろうが、まあそういう儀式のようなものだと思えばいいか、と僕はその四阿を見て納得した。

「戦争、お疲れ様でしたなぁ」

少しの風に長髪を揺らしつつ、ドゥミが呟く。憂いを帯びたような顔で。

「あたしは別に戦争に参加した気もないけどね」

「我が子を助けに、なんて噂もござんす」

「そうね。この子よ」

びょん、とアリエル様が僕の両耳の上の髪の毛を掴んで持ち上げる。

「本当に……いやアリエルさんが、勇者さん以外とお子さんを作るとは」

「一応言っとくけど違うわよ」

「勇者さんをあれだけ大好き大好き仰ってた方が、なんとまぁ。……脱落しましたな」

「違うってば」

悲痛な顔で続けたドゥミに、アリエル様は忌々しげに唇を歪める。

僕の肩を軽く蹴って飛び上がったアリエル様を、ドゥミはほくそ笑むように見ていた。

「戦争っていえば、あんたは何やってんのよ」

「何のことでありんすか」

「ここ。この辺前はミーティアの領土だったわよね。それをエッセンなんかに奪われたってきいたわ。あんたがいながら」

「…………」

きょとんとした顔で細い目を開け、また困ったように唇を噤む。

ドゥミは長い髪を頬から払い、その手をパタリと落とした。

「何で、何でなんざんしょ」

「聞いてんのはこっちよ」

「…………」

一瞬黙って、ドゥミは振り返る。四阿を見て、柵に細い指を巻き付けて手を掛けて。

責めるようにアリエル様はその様を見守る。腕を組んで、頬を膨らませて。

「……あの人が守った国だから。あの人が守った人たちだから。そう思ってしまいんした」

ドゥミは辿々しく口を開く。多分、と言いたげに、言いづらそうに。

「もうこの国はナオミツが守った国なんかじゃないわ」

「エッセンの兵士たちが話していたのを聞きましたえ。妖精さんは謂われ無き咎でエッセンを追放になったとか」

「いえ、別に謂われないわけでは……」

「そうよ、だから出てくわ。こんな国、早く滅びちゃえばいいのよ」

「アリエルさんは極端すなぁ」

こちらには視線を向けず、だがまた少しだけ明るくドゥミは笑う。

「心配せずとも、次はわっちも全力を出すでありんす。この全部の尻尾が千切れて斃れるまで、わっちも」

「次は呼びなさいよ」

「それはそれは。心強い味方ざんすな。あの頃みたいに暴れてくんなんし」

「あんたもね。あんたはどうせ死なないんだから」

「いやいや、魔王さん相手に何百本死んだと思うざんすか」

ふ、と二人が笑い、視線を交わし合う。

話題が話題で話に入れない、ということもあるが、それ以上に。

楽しげな母に、それに親しげな女性。その二人の間に、口を挟めない。そんな気がした。

それから二人が会場に立ち入り、ミーティアやエッセンなどの安全確保も気が済んだらしい。入場の許可が出される。

この会場を用意したミーティアの人間が最初に入るらしく、代表者たるドゥミは銅犬の武官を連れて静かに足を踏み入れた。

続いて僕たちも入る。

要らないというのに僕たちの分の安全確認はここまで警護してくれた聖騎士がやってくれた。やはり要らないと思うが、テレーズに強く言われては仕方あるまい。彼女もこれに関しては責任者だし。

以前に入った決闘場のように、周囲からの視線が突き刺さる。犬に猿、いくらかの大きな鳥、それに人間。

誰も彼も物々しい雰囲気で、固唾を飲んで見守るように。

僕たちは席に着くわけではない。

四阿の中央に置かれた机。そこには机を挟んで二つの椅子がある。二つに座るのは、今回の和平を結ぶ二つの国の代表者のみ。僕らはその机を囲んで立つだけだ。

僕らから遅れてくるように、柵の途切れた隙間から、二人の人間が姿を見せた。

一人は……知らない男だ。坊主頭に近い茶色の短髪。緊張はしていないようで堂々とした様子で、だがそのぎょろぎょろとした目を周囲に向けて威圧するように入ってきた。

どこの国かはわからなかったが、もう一人を見てまあわかる。代表者は知らなかったが、その護衛の武官はクロード。ならば彼がエッセンの代表だろう。僕たち庶民の知らない。

名を知らない男が席に着く。焦れたように周囲を見回す。

その横で、クロードが僕たちに向けて目礼した。

更に一歩遅れて入ってきた女性に、僕はまた驚く。

嫌なわけではないが、その意外性に。女性、というより女性たちに。

「マリーヤ殿に、グーゼル殿」

「お久しぶりです」

「よう、久しぶりじゃん」

肩までの黒髪を下げるよう、綺麗に頭を下げたマリーヤ。その横をすり抜けるように、グーゼルが僕に歩み寄ってくる。軽く上げられた手は殺意無く僕の肩に置かれ、それからばんばんと叩かれる。

あの頃から少しだけ背が高くなったと思ったが、未だに彼女は見上げる存在だ。

「こんなところで会うなんてさ。偉くなったもんだな……で、そっちのがアリエル様?」

「そうですね」

「誰?」

警戒をするようにアリエル様が少しだけ身を引きながら僕に尋ねてくる。彼女らとの記憶は、アリエル様も覗いていないのだろうか。

「僕がリドニックまで行ったときにお世話になったお二人です。グーゼル・オパーリン殿と、そちらがマリーヤ・アシモフ殿」

「初めまして、アリエル様。カラス殿の友人のマリーヤ・アシモフと申します。近くにいらっしゃるとはご子息にお聞きしていましたが、ご挨拶できずにいたことをお詫び申し上げます」

「友人、ねえ?」

アリエル様が僕を見上げる。

まあ僕も否定はすることあるまい、ととりあえず頷いた。

「今この場では長い話は出来ないでしょう。改めてご挨拶は後ほどさせていただけますでしょうか?」

「いいわよ」

「よろしくお願いします。……グーゼル、貴方も再会は嬉しいのはわかりますが今は控えてください」

「うぃーっす」

柔らかく、静かにマリーヤが注意する。

不承不承とグーゼルは下がり、マリーヤの後ろに立った。

まるで話に聞く同窓会や同級会というやつのようだ。

今ここに揃った僕を除いて七人。その内の五人が僕の顔見知りだった。

「で、まだ来ねえの?」

下がってからも、まだ退屈そうにグーゼルが呟く。

来ない誰かはわかっている。いや、誰かはわかっていないが、ここにいるべき二人が未だ来ない。

既に揃ったのは四カ国分の者。アリエル様他、エッセンにリドニック、ミーティアの。

だがあと一国。一番と言ってもいい重要な国の代表者が欠けている。

ムジカルの代表者はまだか。

焦れるように、皆がムジカルの代表者が入ってくるであろう柵の切れ目を見つめる。

やがてざわざわとした観衆や警備たちを掻き分けるように、誰かが入ってきた。

「来たな」

エッセンの名前を知らない代表者が呟く。うんざりするほどに居丈高な態度は、どうしても僕はエッセン的だと思ってしまうが。

僕は隠さず溜め息をついて、皆の視線の先を追う。

ひたひたと歩いてきたのは一人。だがその一人は、大きな日除けの布を目深に被り、その顔の上半分を隠している。布の下はムジカル式の『よそ行き』に似て、ゆったりとした白い布の外套を何枚も重ねたように見えた。

「一人か?」

んあ? と不思議そうにグーゼルが呟く。

僕もその点は気になったが、少しだけ違う様相だと気付いて警戒心を改める。

僕の耳に届く気配は、『音』は二人分なのだ。

「……なるほど。人相書きにもない知らぬ顔だ。やはり彼の国は、この戦が本来は変節点だったと知らぬと見える」

顔を隠した男が、静かに口にする。隙間から少しだけ垂れるようにして見えるのは黒い長髪。肌色はやや黒く、それは典型的なムジカル人。

その唇は少しだけ楽しそうに歪み、だがもう一つ少しだけ、唾でも吐きそうなほどの残念さが浮かんで見えた。

ふと、立ち止まった男が僕の方を向く。僅かに見えた目は、影の中でも光るように僕を捉える。

「文は見てもらえたようだな。感謝する」

「……あんた誰よ?」

「…………ああ、そうだったな、もう顔を隠す必要も無いのだな」

僕と、そしてアリエル様に向けて放たれた言葉。その声自体に存在感がある。

「許せよ、お忍びというものに慣れていないのだ」

男がパサリと頭に掛けられた布を取り払う。

そこにいた男の顔に、僕は思い至り目を見開く。

その顔は知っている。話したことも会ったこともない。けれども、知っている。見たことがある。

「待たせたようだな。余はムジカル国王グラーヴェ・アッラ・マルチャ・ムジカル」

こんなところにいていい人物ではないのに。

「さあ、両国の未来のために。和平の調印式を始めようか」

グラーヴェは僕とアリエル様をまっすぐに見つめながら、そう宣言した。