軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二話

はあはあ、とパタラが喘ぐ。その彼を乗せたまま地面に降り立った騎獣は、僕を見て鼻を鳴らしたように見えた。

「お疲れ様です」

「恐怖、の一言、でした」

パタラに労いの言葉をかければ、冷や汗を大量に流し、滑り落ちるように騎獣から降りる。

それからよろよろと立ち上がろうとしたものの、膝ががくがくと笑って立てそうにない。

僕が手を出すと、それに縋り付くようにしてどうにか身体を持ち上げてくる。顔は青く、手の先まで震えたまま。

「ま、魔術には飛翔する術があるそうですが、聖教会の秘術にはございません。そう思えばこれも、貴重な体験というもの」

言葉は辿々しく、引きつった笑いは明らかに無理をしている。それでも無理にでも笑おうとしているということは、あまりからかっても可哀想だろう。彼もリコと同じだったか。

彼が今震えている理由は簡単だ。

僕らは今、空を駆けてきた。彼の乗っている騎獣ごと。

昔アントルにやったように念動力で空中に見えない足場、空路ともいえる道を設置してみたが、僕としても予想以上に大変だった。

何せ、魔法使いだったアントルと違って騎獣は闘気を帯びている。パタラの案で騎獣の足に革袋を被せて直接当たらないようにして軽減したとはいえ、足場は騎獣の闘気の影響により踏んだところが溶けていくのだ。

一歩や二歩ならばいいし、少々の長距離も問題ない。けれども、このネルグを半ば横断するような距離を走る時間、それなりに魔力を込めた『固い』足場を用意するのは骨が折れた。

地形や障害物を無視して走るため、ぬかるみ状態の足場といえどもハクは本来の速度は出せたと思う。

しかしそれでも、日の昇り方と感覚からすれば、おそらくオセロットたちと別れてここまで 一刻(約二時間) は掛かったのではないだろうか。

そしてその間、叫び声を上げないまでも、ハクの背中にずっとしがみついていたパタラ。

まあ、疲れただろう。

高いところが怖いというのは僕にはわからないが、きっと怖い人には怖いんだろうし。

「外すのは僕がやるので、ひとまず休憩していて下さい」

「助かります」

はあ、と一息をついてパタラが伸びをする。硬直し固まった筋肉を、がくがくと小刻みな段階を踏みつつ伸ばすように。筋肉痛などは大丈夫だろう。彼はそういった不調ならば、僕以上の専門家だ。

僕はハクの足下にかがみ込んで、足袋のように履かせた革の袋を取り外しにかかる。

さすがに擦り切れて革の表面がぼろぼろだが、こちらも持ってはくれた。

ハクもよく頑張ってくれたと思う。パタラと違って事情もわからないのに、彼に従って空路を駆け抜けてくれたのだ。全く見えない足場を踏み、進めというパタラを信用して。

パタラを見る彼の顔も凜々しいままだ。さすがに駆け足できたので息は乱れているし、泡立つような汗もかいて毛並みの表面はじっとりと濡れているが、怯える表情など見せることなく。

僕をじろりと見て、早く邪魔なものを外せ、と急かしているようにすら見える。

やはり賢い獣だ。馬なども賢いと聞くが、きっとそれ以上に、段違いに。

僕もその視線に応えるよう、急ぎ最後の革袋を外す。

その足が少しだけ震えて見えたのは、知らないフリをしておいた方がいいだろう。

さて、ともう使えないだろう革の袋を手の先で燃やし、僕は辺りを見回す。

着地地点は開けた場所。開けたというよりも開いたのだろう、平地。

そして目の前には、村のような陣幕の群れがある。どれも騎士団や聖騎士団が使用するもので、中からは数人物見高い騎士が顔を見せており、見張り台の上から見下ろす騎士は、一応とばかりに僕らに警戒の目を注いでいた、

既に見えていただろうが、パタラが見張り台に向けてミルラの旗を閃かせる。

さすが第二位聖騎士団の拠点の騎士団はその図柄を把握しているようで、その旗を改めて見てから、頭を下げておそらく『友軍』の手旗を下の兵に向けて発していた。

「イラインにまで送っていってもいいんですが、そこまでの時間はありません」

「はい」

僕は拠点に歩み入りながらパタラに言う。戦況は刻一刻と変化しているのだ。

どうにもイグアルとフラムの移動の速度が速すぎる。まだ第十五位聖騎士団を壊滅させてから二日しか経っていないにもかかわらず、もうネルグを半分近く踏破しもうすぐエッセン領に入るくらいだ。

その速度の理由はわかっている。

彼らは森の中に一応存在している街道を移動しているのだ。馬鹿正直に。

もちろん、街道には所々に関所のように騎士団が配備され、敵軍の侵攻を止める役を担っている。敵味方共に、そういった伏兵を張るのが容易なために街道を皆避けて進軍していた……というのだから、ない方がおかしいだろう。

そして確かにエッセンのそれは役に立っていたのだという。ムジカルの兵の進軍を妨害する、という一点においては。

だが五英将相手にその伏兵はほとんど役に立たなかったそうだ。

さもありなんと思う。想像するに、魚の網に鮫を放り込んだようなもの。ムジカル正規軍が聖騎士団を止められないように、五英将を騎士団は止められなかった。

結果として五英将は歩みやすい街道を快適に進み、聖騎士団を順次撃破していった。

それが現在のムジカルの快進撃の理由だ。

……これならばやはりいっそ、聖騎士団に五英将と同じような動きをさせればよかったのではないだろうか。

街道以外は騎士団に進ませ、援護をさせつつ聖騎士団を街道から進める。そうすれば今の五英将と同じような状況になるのではないだろうか。すでにエッセンの主力部隊は、ムジカルに入れていたのではないだろうか。

『効率を考えて非効率な方法をとる』とはスヴェンの言葉だが、今回に限っては間違いだったのだと思う。後からいうべきことでもないし、後からだから『だろう』と僕にもいえるのだろうけれども。

ともかくとして、フラムとイグアルの動きが速すぎる。

彼らを一刻も早くなんとかしなければ、彼らを討ったとしてもムジカル軍全体の侵攻を止められない程度の被害が出てしまうだろう。

僕とパタラは陣幕の村を歩く。

とりあえず彼にはここで既に待機しているソラリックと合流してもらって、僕は急ぎ出なければ。

ただ、一つ問題があり……。

とある陣幕の前で足が止まる。先ほどから人の出入りが激しかった陣幕だが、その中ではやはりざわざわと忙しそうに深刻そうになにやら話す声が聞こえてきていた。

陣幕の扉代わりの布を払うように開くと中の様子が見える。

中央には大きな四角い机。その上に地図を広げて、幾人もの聖騎士が立ったまま顔を突き合わせていた。

地図に配置されている白と黒のチェスの駒のようなものは騎士団やムジカル軍を表すものだろう。軍のネルグ内での配置や移動経路の予測、そのようなものに使われる。

彼らのいるところとは離れた場所。壁際に乱雑に積まれている折り目のついた紙の束は、おそらく書状だろう。

失礼にならないだろう程度の一瞬の観察の後、僕は軽く頭を下げる。

「失礼いたします」

「カラス殿か」

陣幕の最奥からこちらを見ているのは、第二位聖騎士団長クロード。その目の下には僅かに隈が浮かび、背中で括られた青く長い髪は、以前と比べて少しだけぱさついて見えた。

疲れているのだろう。この戦場にいる誰しもと同じように。その上、騎士団全てをほぼ統括するという重責故に。

僕はクロードたちの反応を待たずに一歩中へと入る。その後ろにはパタラが同じく。

「何の用だかわからないが、今は忙しい。出来れば後で……」

「そうしたいのは山々なんですが、私も急いでいるんです。それと、すぐに済みます」

咎めるように口にした言葉を遮りながら僕が言うと、クロードは怪訝な目を僕に向ける。

現状騎士団を含め聖騎士団が次々破られている中、方策を練るのに忙しいのだろうが、僕は行動するのに忙しい。本来は身分差もあり、こんな申し立ても通らないとは思うが。

すぐに済む、ということと、押し問答などは時間の無駄と判断したのだろう。クロードが机に両手を突いたまま黙る。僕の言葉を待っている、と勝手に判断し、僕はパタラを示した。

「彼を、ベルレアン殿に保護していただいているコルネア・ソラリックと合流させる許可を頂きたく思います」

一つの問題としてあるのは、ソラリックの現在の所在だ。

彼女はレシッドの手でここまで移送してこられている。そしてレシッドが預けたのは、ここにも帯同している治療師団ではなく、聖騎士団長クロードの下。

治療師の僧兵よりも、聖騎士団のほうが頼りになるだろうと、僕が勧めて。

たった数日前だが、当時はまだ手が空いていたのだろう。僕からの青鳥の知らせという根回しもあり、すんなり謁見から保護まで進んだと聞いた。

当時はよかった。

けれど今は聖騎士団すらも簡単に壊滅される未曾有の事態。

彼が受け付けてくれるかわからない。受け付けてくれないような人間でもないと思っているけれども。

「……ああ」

納得したようにクロードは息を吐く。同意の声ではないが、同意とみていいだろう。

「構わん、が、申し訳ないがその意図を伺いたい。彼ら二人は王より派遣されたカラス殿への支援員。予備として待機されたソラリック殿は良いとしても、二人とも遠ざける意図は」

やけに事務的にクロードは一息に言う。その表情には、まさか、というものと、ほんの僅かに希望のようなものがある気がする。

まあ多分、クロードの意図としては、一番に責任逃れというものもあるのだと思う。

何せ、彼ら二人の治療師は、今クロードが言ったとおり王が派遣した支援員。その彼らをただ遠ざけるのは王の厚意を無下にするのと変わらず、不遜の極みだ。

更に、『王が派遣した二人はカラスとのところへついてはおらず、自分のところで保護していました』などともクロードは言えまい。彼ら二人を僕へつけろと命令されたのに、その履行していないのであれば問題だ。

何か理由が欲しい。そういう言葉。

そしてもう一つの僅かな理由。僕が応えるのはそちらのほうだ。

「フラム・ビスクローマを討ちにいきます。その最中、守り切る自信はありません」

「…………そうか」

クロードは僕の言葉にホッと僅かに溜息をつく。

もう一つの理由は、正解だったらしい。

「しかし、カラス殿には麾下の方もいるだろう。ここを尋ねてきた青年……レシッドといったか」

「彼は今ミルラ王女麾下のもう一人と共にラルゴ・グリッサンドを討ちに向かいました。やはり現在、非戦闘員を保護するのは難しいです」

「なるほどな」

クロードが机の上の駒に目を走らせる。

ネルグ南に置かれた二つの内、より南側にある駒……おそらくフラムのものと、暫定的にではあるだろうが砂漠に置かれた二つの大きな駒のうち一つに。

「では、たしかに。カラス殿の隊は拠点を〈孤峰〉からこちらに移したとし、カラス殿麾下の治療師隊は一時〈旋風〉で預かろう」

「助かります」

言い訳も出来て、そして上手くいけば心労の一部も解消される。クロードが反対するわけがないとも思っていたが、まあその通りだろう。

「騎士団をいくつか貸そうか?」

「ありがたく思いますが、お断りします。移動が遅くなります」

「……だろうな」

クロードがまた僕とパタラを交互に見る。それから、今気がついたように眉を上げた。

「そういえば、〈孤峰〉から、どうやってここまで? もしや昨夜には陣を離れていたのか?」

ああ、と隣にいた聖騎士たちもなんとなく声を上げた。

僕は首を横に振る。

「いいえ。出たのは明け方です」

「しかしそうなるとどうやってここまで? カラス殿だけならばまだしも、騎獣を含めては……いや、いくらカラス殿といえども……」

「空を駆けさせてきました」

「え?」

ぽかん、とクロードが口を開ける。信じていないのだろうか、などと僕が邪推する前に、パタラが継いで続ける。

「魔術師が使う《浮遊》に似た術でございますれば」

「…………」

なるほど、と口に出さずに視線を僕に向け、クロードは納得を示す。しかし、その後に一度口の端に力を入れたのは何か考え事でもしているようで。

「長距離の高速移動……、カラス殿、それは何人程度、どの程度の距離運べる?」

「どうでしょうか。少なくとも、大人数は無理です。闘気の使用も厳禁で、同程度の距離ならば一人が限界でしょうか」

今回のように自力で走ってもらうならば一人程度。更に、もしくは僕が念動力で運ぶかすればもう少し人数はいけるだろうが、僕にとってはかなりの労力だ。相手が魔術師ならばまだしも、闘気を帯びた人間ならば。

……いや、他にも手段はあるな。馬車か何かに乗ってもらうとかすれば。

「または完全に私の力、私の裁量の速度になりますが、何か乗り物に乗ってもらえればそこに入る分だけは」

以前リドニックでスティーブンを運んだときと一緒だ。あの時は樽に乗せたんだっけ。

「カラス殿は《神行法》をお使いになりますか」

クロードの隣にいた色白の男がそう声を上げる。副官、というわけではなさそうで、その肩の記章は、……聖騎士団長。ガウス・ライン、第十四位聖騎士団の団長か。そういえば、イラインの軍議で見覚えがある。

そしてたしか……。

「何の話でしょうか?」

「魔術師でもあるのでしょう?」

「いいえ。魔術ギルドには出入りしたことはありません」

《神行法》。魔術ギルド流の高速移動魔術といったところだろうか。

印を結び、呪文を唱えて足や靴に魔力を纏わせる。術者、更には術者に帯同する人間は地を飛ぶように駆けて、時には空を駆けていけるという。

もちろん、一般には手順や詳細は知られておらず、名前すらほとんど広まってはいないだろう。そして初学者用の英雄譚には載っていないため、使用するならば魔術ギルドでそれなりに位階を上げなければいけないもの。

名前程度ならば《浮遊》などと同じく知っていてもおかしくはないだろうが、つまりそれを使えるともなればかなりの高位の術者だ。

パタラと違い何かしらの失態を期待しているわけでもなさそうだが、何かを探られているような気がして僕は思わずしらを切った。

「我流の魔法です。誰かを運べばよろしいでしょうか?」

「運べて数人、か」

とんとん、と自分の唇を叩き、クロードが呟く。

戦略に組み込もうとでもしているのだろうか。それ自体は吝かではないが、それは後にしてほしい。仮に参加をするならば、フラムの後で。

「ガウス殿」

「はい」

「数人の部下を連れ、ガウス殿はフラムに勝てると思うか?」

「昨日までならば即座に是と応えていたでしょうが、今ならば自信はございませぬ」

「カラス殿と一緒であれば?」

クロードがそう尋ねると、ガウスは僕の方を一瞬ちらりと見る。もちろんその一瞬の顔は、眉を顰めたとてもとても嫌そうな顔で。

「申し訳……」

「申し訳あ……」

そして、ガウスと僕の声がほぼ同時に揃う。少々失礼なことをしてしまったと思う。この分では、黙っていてもよかったのに。

僕が会釈してガウスに続きを促すと、ガウスは一度咳払いをしてから続けた。

「〈孤峰〉や戦目付からの報告からすれば、心強いことこの上ないでしょう。しかし、連携の訓練もしたことがなく、共に手の内は知らぬ仲。この戦場においては、命を預け合うには心許ない」

同感、と僕は心中で頷く。それならばまだクロードと一緒の方が戦いやすい。一度剣と槍だが打ち合った仲。もちろんクロードの本気ともなればあれとは全然違うのかもしれないが、心構えとしては。

「ならば私たち単独で参りましょう」

「やはりそうなるか」

クロードが苦笑し地図を見つめる。僕の意見は聞かないらしい。それとも、僕も同意見と思っているのだろうか。

「では俺が、といっても駄目なのだろうな。わかっているさ、俺にはこの本部で指揮を執る仕事がある」

誰かと話すように、更にクロードは呟いた。それからまたぼそぼそと何かを呟いたが、明瞭な発音もされておらず僕の耳にはただの吐息のような雑音としてしか捉えられなかった。

それから覚悟するように一つ「うん」と頷き、顔を上げる。

「やはり俺には難しいことは無理だな。しかし、時は一刻を争っている。カラス殿、フラム討伐の任を頼みたい」

「もとよりそのつもりです」

「そこは『了解』と元気よく応えておけ」

はっはっは、と鷹揚にクロードは笑う。

しかしやはりその笑みの割に、頬には冷や汗のようなものが僅かに一筋垂れて見えた。

陣幕を後にした僕とパタラは、互いに視線を交わしあうことなく前を向いて歩いていた。

「……やはり戦況はかなり悪いのでしょうか」

「そのようですね。あの様子では」

不安そうなパタラの言葉に僕は同意する。朝にオセロットに聞いた戦況の悪化。やはり僕たちだけが深刻に思っているわけではないようだ。

やはり、と考えて僕は目を細める。

スヴェンとの会話で出た話。雑兵には雑兵の使い道がある、という話。

それを否定する気は今はない。使い道はあったのだろう。敵の雑兵を食い止めるのに使えるし、撃破されればそれは鈴となる。その数は多ければ多いほどよく、やはり残しておく必要がある者たちだった。

けれど、やはり。

スヴェンの昔のたとえ話を使えば、象と蟻は違うだろう。象を倒せる軍隊蟻のようなものはレアケースで、大抵の蟻ならば、象に対して勝ち目はない。

蟻は蟻と戦い、象は象と戦う。蟻に襲われた象を蟻が助けることはあれども、象に襲われた蟻を蟻が助けることは出来ない。

ならば始めから、これはやはり聖騎士団と五英将の戦いだったのだ。

ソラリックに用意された陣幕は、軍団用のものではなく少人数用の小さなもの。

他にも共同で生活している人間がいるのだろう。中からは複数の気配がする。

僕たちが近づくと、偶然だろう、中から兵士らしい着込みをつけた女性がちらりと顔を見せた。

彼女は僕たちを警戒するように一瞬頭から足までを眺めて、ようやく全身を見せた。

「何か?」

「ここにコルネア・ソラリックがいると聞いてきました。私は現在彼女の上官のカラスといいます。彼女は今いらっしゃいますか?」

「いますが……治療師の方?」

「ええ、こちらは」

僕はパタラを指し示す。

「私は……」

「パタラさん、カラスさん」

パタラが自己紹介をしようとすると、その声を遮りソラリックが姿を見せる。名前は呼んだが、何事だ、と怪訝にも思っている様子で。

「ありがとうございます」

ソラリックの挨拶に応えつつ、僕らに向けて、ふん、と僅かに威嚇してから兵士が中に入っていく。それと入れ違うようにソラリックは中から歩み出て、僕たちに向かい合った。

彼女はいつも通り治療師の深緑の旅装で、レシッドと共に襲われたときの汚れなどはほとんど残っていないようだ。

やはりこの拠点は平和だったのだろう。

それから僕が口を開くまでに、ソラリックが「あ」と声を上げる。

「……戦況は聞いていますけど……それでは」

ソラリックに視線を向けられたパタラが頷く。

「パタラ様も、しばらくこの拠点に待機です。ソラリック様には、彼にこの拠点の案内などお願い出来ますか」

「わかりました」

ソラリックも僕の言葉にこくりと頷く。

「では、五英将を……」

彼女の納得の声に僕はできる限り明朗に答えようと努めた。

「はい。これから行きます」

「……お気をつけて」

僕の端的な答えにソラリックは頭を下げる。その顔に、何か僕の中で違和感があった。

「何かこちらで変わったことは?」

「ない、と思います。あれからここは少数の傷痍兵を受け入れましたが、何事もつつがなく」

「そうですか」

やはり何か違和感がある。言葉に力がある。それこそ、先ほどクロードからはなくなっていた『何か』が彼女にはあるような。

僕が最後に別れたときとは、何か別の。

そうだ、何か別の。

あるはずだ。別の何かは。

会っているはずだ、彼女と。

「そういえば、この戦場に不審人物がいるという噂がありました」

「噂?」

「はい。様々な拠点に出入りしている『占い師』を名乗る女性です」

「…………」

ソラリックの動きが一瞬止まる。真顔でも笑みを浮かべているような優しげな表情はきっと元からなのだろうが、その表情に逡巡が見える。

「この拠点などにも出没していませんか? もしくはどこかで見かけたりは」

「……いいえ」

それから表情には動揺を出さず、僕の言葉をソラリックが否定する。だがその言葉に、パタラがぎくりと肩を固めて僕を見た。

「カラス殿、それはもしやプリシラという……」

彼もレイトンの言葉を聞いているはずだ。もっともそこで何を話したかは、僕も含め何も聞いていないはずだが。

パタラの言葉を肯定せずに彼女をじっと見ても、ソラリックの表情は変わらない。

間違いだったのだろうとは思えない。レイトンが嘘をつくはずがない、とまでは言わないが、おそらく嘘をつく必要がないことだろう。

ならば嘘をついているのは彼女。

そして『他愛のない話をしました』などの誤魔化しではなく、そもそも会っていないとの全否定。

……もっとも、レイトンが言ったのは『ちょっかいを出している』だ。ならば、話したとは限らない。勇者が知らぬ間に屋上へと誘われたように、顔も名前も秘したまま、だったのかもしれない。彼女も何も嘘をついていない、かもしれない。

プリシラのちょっかいというのは、どこで何をしたものだろう。あの時もっと突っ込んで聞けばよかった。

すぐに話題を変えられたのは、レイトンの話術だろうか、それとも僕の口下手が生んだものだろうか。

まあ、今すぐ悪いことは起きまい。

彼女は僕の弱みを握っていて、それを暴露する事も出来る。しかし、その証拠は一切ない。全て心証によるもの、となるはずだ。

それに彼女とは、今から別の場所に向かうのだから。

一度だけパタラに笑みを向けるようにしてから、ソラリックに向けて僕は口を開く。

「ないならいいんです。では、ここはお任せしました」

「はい。了解しました」

そしてソラリックの声に僕は確信する。

空元気ではない。何かしらの根拠がある『自信』のようなものがある。

ここにくるまでは、患者を失い悲愴感に暮れているかもしれない、などとも思っていたがそうではないらしい。

違和感の正体はこれ。ならばおそらくプリシラの『ちょっかい』の結果も。

「カラス様も、どうか、皆様を助けてあげて下さい」

「……出来れば、ですが」

僕はパタラに向けて視線を送る。上司として彼女から目を離さないように、という意図を伝えたいがための行動だが、彼には伝わったのだろうか。まあ伝わるとも思えないけども。

わからないが彼は頷き、僕にまた会釈した。

「それでは」

僕は踵を返し、日の方向から方角を確認する。

目指すはやや南東方向。移動する軍勢、その中心、〈貴婦人〉フラム・ビスクローマへ。

そして森の上を跳んで移動すること半刻程度。

情報通りならばこの辺りだ、という推測のもと移動する僕だったが、ついに上がる煙が見えてその方角を注視した。

足下の森には、そう多いわけではないがいつも以上に虫の数が多い。

毒を持つ種類の蛇が大地を這い、風に乗って毒蜘蛛が飛び交ってすらいた。

フラム・ビスクローマの使役する毒虫たち。それが今、彼女の敵に向かい殺到しているのだろう。指向性を持ち突き進む先にあるのは、おそらく街。

木々の上を越すような建物などほとんどなく、物見櫓すら木々より下にある。

石造りの建物も少なく、木で作られた素朴な建物群。透き通った硝子などそうそうなく、窓はほとんど半透明なもの。

街を囲む畑は麦や玉米に似たもの。今は焼かれ、そして腐ったように爛れて萎れてしまっているが。

一見して村にしか見えない集落。

だが僕は、そこが街だと知っている。

「懐かしい」

僕の指名手配はもう解かれているだろうか。解かれているだろう。もう数年も経つ以上、罪は風化し誰もそんな事件を覚えてすらいない。衛兵すらも。

ネルグの中、南方面でおそらくかつて最も栄えていた街。

レイトンと初めて会った頃、訪れた街。

クラリセン。今は農村のような懐かしい雰囲気だった場所。

降り立てば、地面には潰されたおびただしい数の毒虫の死体。変色した地面は紫の煙をくゆらせる。

奥を見れば立ち上る火炎が、二階建ての建物よりも高い火柱を作っていた。