軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:神殺し

ムジカルの王都ジャーリャ。その砂上に咲く一際大きな楼閣がある。

大きな石版を天井や壁に床とし組み合わせ、円柱で支え、飾り棚ともいうような細かな階段状に作られた城。その建材一つ一つが寄木細工のような細かな細工が拵えられており、遠目には灰一色、近くでは色とりどりの模様が見える。

そこはムジカルの王城。

砂と青空、それにその城を揃って見上げた者は、あまりの威容に息を飲むという。

その王城の門扉の前に、一人の少女が立っていた。

年の頃は十歳ほど。痩せ細り肉のない手足には筋と骨が浮き、目の下に隈も目立つ。量の多く長い白髪も表面が荒れ、まるで老婆のように萎びている。

緑の 寝間着(ネグリジェ) を厚くし普段使いにしたような衣服に押し込められた身体には生気はない。

けれどその大きな目だけは爛々と輝き、僅かな血管が白目に浮いていた。

「開門!!」

門扉を守る衛兵が大きな声でそう促す。

それから身を正し、自らの顎を触って放り投げるように腕を動かす。ムジカル式の敬礼である。

少女は黙ってその門を抜けるべく歩き出す。彼女はそれが許される身分である。

「……お疲れ様です」

しかしそれでも主の印象を良くしようとする側近の中年の男が、代わりに苦笑しつつ敬礼を返した。

王城の中を、勝手知ったる風で少女が歩き続ける。

王城という場に似つかわしくない小さな少女が歩くことに初見の者は驚いたが、そうでない者は静かに道を譲り跪く。少女はそうしてすれ違う者を視界の中に入れても、意識の中には決して入れない。

彼女の目的はただ一つ。

少女が目指すは王城謁見の間。

彼女がここに来たのは、この国の王に呼び出されたため。

五英将が一人〈眠り姫〉。トリステ・スモルツァンドは、歩きつつ「ようやく眠れる」と譫言のように何度も繰り返していた。

外からの砂も入り込まないつるりとした床をとことこと小さく蹴り、トリステが歩いていたのは謁見の間に近い廊下。

歩きつつも、トリステの頭がふらりと揺れる。持病でも、体調不良でもない。

それは単なる眠気によるもの。

トリステの目の前の風景が二重にぶれる。目の焦点が合わず、気が遠くなるように。

いつも微かに揺れている彼女の動作に紛れ、後ろを歩いているお付きの中年男性は、その変化に気付かなかった。

トリステの目が閉じる。彼女自身はそれに気付かず、まるで夢現のまま数歩歩く。

そして次の瞬間、現れた現象に中年男性が叫んだ。

「トリステ!」

舌打ちをしつつ、彼女の肩に手をかけようとする。しかし、彼女の周囲の空間が歪んで、その手は空を切った。

それから歪みの中に透けた人の顔が現れる。男、黒髪、髭の生えた。

その男の顔が膨らみ、人の背丈ほどになって幻のように彼女の周囲を漂うようにくるくると回った。

男の口が開き、口の中の暗闇がぼんやりと見える。

暗闇の中から、人の指が現れる。人差し指が中指か、十数本が束になって。

「トリステ! 寝ちゃ駄目だ!!」

懸命に中年男性が叫ぶが、時は既に遅い。どこからかうなり声のようなものが聞こえてきて、そして中年男性も知らぬ間に奇妙な顔はまた増えている。壁の中へとめり込むように入っていき、自由自在に動き回ってはしゃいでいた。

壁の向こうから叫び声が聞こえる。使用人の誰かが驚いたのだろう、と中年男性は推測し、その壁の向こうが血に塗れていないことを切に願った。

歪んだ空気がどろりとした感触を帯びる。

そこを突っ切るように中年男性は手を伸ばし、トリステの肩にようやく手をかけた。

そしてそれと同時に、ちょうどトリステのすぐ向こう、曲がり角から合流するよう行き会った女性が、出会った幻の顔にそっと手を添えた。

「危ないわぁ」

幻の男の顔。いつの間にか眼球からも指がごそりと生えつつあった巨大な顔が、女性の手で止まる。

そして女性が白い手袋越しに魔力を込めると、触れた頬からじわじわと紫と緑の斑点が広がっていく。

すぐさま、ぐじゅるぐじゅると腐り始めた幻の顔。紫色の毒々しい煙を上げながら、萎むように顔が消え去っていく。

それからようやく意識を取り戻したトリステが、その女性の顔を見て小さく舌打ちをした。

出会ったのは、〈貴婦人〉フラム・ビスクローマ。

豊満な胸の上半分を晒す衣装は、トリステにとってけばけばしさの象徴だ。

「王城の中で貴方の魔法を使うのは物騒よ」

「フラム……」

トリステは、その言葉でようやく気付いた。

今自分はうたた寝をしていたのだ。そして魔法を使ってしまった。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

儀礼的な感謝をして、にこりと笑うフラムからトリステは身体を逸らす。

服の腰の隠しから取り出した瓶の栓を抜き、鼻にあてがい胸一杯に吸い込んだ。

清涼感溢れる匂いが胸の奥に満ちる。

幼い日から使い続けている眠気覚ましの嗅ぎ薬。目の裏まで洗われるような感触に、トリステの目の若干の涙が浮かんだ。

フラムはそんなトリステの仕草を微笑ましい仕草と断じ、目尻に烏の足跡を作る。

「それにしても久しぶり。すごく久しぶりね」

見た目不惑前の女性と十歳程度の少女。見た目には親子ほどの年の差に見える彼女たちの年齢は、実際には倍 程(・) 度(・) の差でしかない。ただし二人の間には桁が違う年齢差があり、しかしその年齢差は地位には関係がない。名実ともに。

親しげにフラムは話しかけるが、トリステは忌々しげに眉を顰める。

「二年ぶりくらいかしら?」

「そう……かもしれない」

実際には数ヶ月前に二人は王城で顔を合わせている。しかしトリステの記憶は曖昧で、フラムもそれをわかっていて口にしていた。

顔に出さないようにフラムはその仕草を嘲笑い、白い手袋に包まれた指で先を示す。

「積もる話もあるけれど、仕事に遅れるわけにはいかないわよね」

「…………」

言いつつ、ほほ、と笑うフラム。トリステはコクンと頷き、ふらふらとその横に立つ。

トリステの側もフラムは好きにはなれず、フラムはそれを知っていた。

トリステらが謁見の間についた時には、既に中には多くの人がいた。

立ち並ぶ柱が壁代わりとなって区切っているその部屋は、整列すれば五十人ほどが入れる程度。そこには、三十人ほどの兵士が今。

ただし、トリステらが注目するのはその中の四人だけである。

一人はこの国を統べる〈太陽王〉グラーヴェ・アッラ・マルチャ・ムジカル。そして部下たちの前で悠然と佇む三人の、同格の者たち。

「来たか」

羽衣のような白い服を纏ったグラーヴェが、切れ長の目を歪ませて笑みを浮かべる。満面の笑み、というものを演技でもすぐさま出せる演技力は王に相応しい。

「これは陛下。時間にはまだ遅れていないはずですが?」

「そうだな。皆焦れているのだろうな」

フラムの言葉にグラーヴェがクククと笑い、身を正していたはずの兵士たちからも忍び笑いが漏れる。その一種の空気の緩さは、舐められているのではなく信頼の証。

フラムもトリステも、列に並ぶ。もっとも、整列などしていないこの部屋の中は雑然としており、列といっても王を中心に各五英将の部下たちが塊となっている、という程度のものだったが。

役者は揃った。

そう判断したグラーヴェは、さっと手を挙げる。

グラーヴェの動作に反応した兵士たちは、崩しかけていた身を改めて正し、五英将たちすらも背筋を伸ばした。

「では、時間も早いが皆が揃った。始めよう」

始めよう、という言葉に兵士たちが唾を飲む音が重なる。皆が今か今かと待っていた。隣国エッセンとの戦。収穫の時は既に到来し、そして収穫にかかっているというこの激動の中、自分たちの仕える五英将から『待った』がかけられていた彼らは。

「これから余は、皆にごく単純で、ごく当たり前の命を下す」

掲げた手がゆっくりと下げられる。そして何かを求めるように前に伸ばす。

「エッセン王国を、破壊せよ」

そして伸ばされた手は、何かを握りしめた。

手を下ろし、グラーヴェはラルゴに問いかける。

「策は練り終えたか?」

「充分」

ラルゴは自信ありげに断言する。その言葉を聞いた背後のカンパネラは、さもありなんと頷いた。

グラーヴェもその言葉には『だろう』と頷き、続いて横のフラムを向く。

「欲しいものはあるか?」

「ええ。まだまだたくさん」

艶やかにフラムは応える。だがその瞳に想像し映しているのは、欲しいものではなく、様々なものが壊れる風景。

治療師を、美しい少年少女たちを。この手で。

フラムの内心に薄々感づきながらも、無視をしたグラーヴェはカツンと床を鳴らし、一歩踏み出す。近づいたのはトリステ。

「辛かろう。もうすぐの辛抱だ」

「はい」

話しかけられたトリステが、唇を結ぶ。その口元に込められたのは忍耐。もうすぐ、もうすぐ一時の安息が得られるのだ。それがたとえ仮初めのものだとしても、自分はそれに縋るしかない。

「時来たらば、存分に眠れ」

「…………」

トリステが、優しげな言葉に静かに頭を垂れる。そうだ、それこそが自分の存在価値だ、と懸命に己を納得させつつ。

「イグアル、お前はほどほどにせよ」

「これは手厳しい」

クツクツと、イグアルと呼ばれた男が笑う。男のその顔、その手足は隙間なく包帯に覆われ、生身は僅かにその目がちらりと覗いているだけだった。

イグアル・ローコ。五英将が一人、〈歓喜〉。

包帯により凹凸は隠されているが、筋肉質の中肉中背。

その肌も髪も見た者はおらず、包帯の中身は空っぽなのではないかとさえ噂される者。

そしてグラーヴェに忠言されようとも、イグアルには『その気』はさらさらない。

『ほどほどに』などしない。彼の愉しみは、他国との戦場でなければ許されないことなのだから。

彼に殺された者は歓喜を得る。彼はそのために戦場に出る。

最後に、とグラーヴェは一人の男の前に立つ。グラーヴェよりも頭二つ大きな大男。

年齢を感じさせぬ肌の張りに反して、長い白髪と豊かな白髭がその老齢を感じさせる。

グラーヴェと同じく白く薄い布で身体を半分だけ覆い、誰もが羨ましがる筋骨隆々とした身体が大きな傷跡と共に片肌に見えた。

その胸を、グラーヴェは軽く拳で叩く。風雨で磨かれた大きな岩の感触。

「ジェネロ・アッラ・カッチャ。お前はいつも通りだ」

「…………」

鷹のような眼光鋭くジェネロはグラーヴェを見下ろす。言われなくともそのつもりだ、と態度で言い返した。

〈鎮守〉と呼ばれるこの老人は、五百年もの昔からこの王都を守護してきた。時には戦士として、時には賢者として、そして時には王として。

カツカツと床を鳴らし、グラーヴェは歩く。視線をかき集めるように皆の前を一周し、最後に背を向けてからくるりと回り皆を睥睨した。

「皆も知ることであろう。余には嫌いなものがある」

踵で床を蹴り、大きな音を鳴らす。

「停滞だ」

薄く笑っているグラーヴェに、皆が何故だか畏怖を覚える。まるで親に叱られているようだ、と誰かはふと思った。

「この三百年間、エッセンはムジカルの良き遊び相手だった。彼らとの戦争で物資を使い、人員を使い、手習いとしての戦争は楽しかっただろう」

実際、エッセンとの戦争で戦場を初体験する者はムジカルでも多い。およそ二十年周期の戦争は、エッセンでは効率的な人員の削減に役立つものだったが、ムジカルでは『教育』という性格が先立つ。

「以前のエッセンは雄々しく戦う美しい猪だった。ムジカルの意気に応えるよう、全力でこちらに立ち向かい、我らが尖兵を打ち払い必死に自国民を守る素晴らしい国だったのだろう」

貴族制という、ムジカルにはない制度。

人と人とに隔たりをもたらし、生まれという絶対的なもので上下関係を作り、弱き者を強き者へと奉仕させる。そしてその代わり、強き者は弱き者を全力で守る。

民は貴族を養い守り、貴族は王から名誉を賜り、王は民に奉仕する。

美しい制度だ、とグラーヴェは思う。自分は決して採用する気はないが。

「だが今のエッセンは病んで痩せ細った醜い豚だ」

その美しい制度が、いつしか腐敗を招くものだとも思えるからだ。

「奴らの病の根は深い。貴族、探索者、そして聖教会。彼の国を構成する多くの要素が、深く根を張り内部を蚕食し続けている」

グラーヴェの言葉に、静かにカンパネラは頷く。彼としても、その通りだと現地で肌で感じていた。

「下らぬ。王国内に、『他国』の領地を作るなど」

探索ギルドも魔術ギルドも、聖教会もムジカルの中ではそう大きな力を持たない。

それはグラーヴェや、かつての王たちの危惧によるもの。

本来は、あってしかるべき恐怖によるもの。

「探索者たちも魔術師たちも、それぞれの属する組織のために力を蓄えてきた。それはいつしか権力となり、国家の中枢に食い込み始めている」

王城の中に、一定の地位を持つ魔術師がいる。治療師がいる。それも王が命じていない者たちが。それがグラーヴェには、酷く珍妙なことに思える。

「貴族たちは地位を奪われぬよう序列を転覆させぬよう、民草を縛り付けている。力を独占し、『良識』という鎖に繋ぎ」

そして、特に。

「私は聖教会が嫌いだ。無論、お前たちが信じるのも自由だがな」

グラーヴェの諧謔だったが、笑い声を上げる者はいなかった。

誰も笑わない事実にグラーヴェは胸を撫で下ろしつつ、腰の後ろに手を置いて胸を張る。

「千年もの昔に作られた『戒律』という黴びた法律を基に、神という幻を頂き教徒という名の国民を増やし続けている彼の国。その者たちが、我が国を除く多くの国を停滞に導いてきた。それは我らが愛すべき隣人、エッセンも」

聖教会の戒律。その多くは、千年もの昔に作られたものだ。

全ての法は、当時は役に立っても、時勢の移り変わりと共に陳腐化していく。そうグラーヴェは信じている。

「あれをするな、これをするな、と戒律は説く。それを国民たちは何も考えずにただ受け入れ、神に従って清く正しく生きる。余はお前たちこの国の民がそうすることは決して望まぬ」

それは国家としての信条ではない。グラーヴェの信条だ。

今エッセン軍の大半は、『正しい判断』をしたと思っている。聖騎士を殺害されたという義憤から、勇者という剣が指し示す方向へ。

その剣を持ち、ムジカルを指し示しているのが誰かということも考えずに。

「この世は人の世だ。決して、神などというまやかしが統べる世界ではない。行く先も行く道も、我ら人が決めるものだ」

グラーヴェは弾くように手を挙げる。今度は上に、何かを求めるように。

「エッセンは今貪り食われている。神という化け物に、良識というまやかしに」

人が人たる由縁。欲望という首根っこを『神』が押さえて首輪をつけている。

快楽を否定し、清く正しく生きよと説く。

『良識』から外れた人間を、人間とも思わぬ国。人が人らしく生きられぬ国。

そこはまさしく人外の世。

「助けてやろう、などとは言わぬ。そんなことは思い上がりだ。我が国を守るため、などとも正当化せぬ。余が正しいかどうかなど、後の世が決めることだ」

そして掲げた手で、グラーヴェはどこかを指し示す。

「まずはエッセンを奪る。まずは彼の淀み腐り歪んだ国を、我らの手で立て直す。そうして遊び相手を取り戻す」

取り戻すのは遊び相手だけではない。

世界を。

「エッセンを破壊し、我らの手中に収めよ。人外たちから、人の世を取り戻すのだ」