軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

愚者の贈り物

決闘状を受け取ったその日の夜。ルルの部屋で僕は夜番をしていた。

自室からでも構わないが、それでも一応はと玄関前のスペースで座りながら目を瞑りじっとしていた僕。

ふと、どこかで騒がしい音がした気がする。なんとなく、叫び声のような。

反応すべきか、どうするかと考えて、それを僕は無視した。

この城の尺度からすれば近くだが、かなりの遠くだ。入り組んだ廊下の向こう側。もしかしたらまた海兎の毒で倒れた誰かのものか、もしくはビャクダン大公子息のご狂乱によるものだろうか、などと推定したが、そのどれであってもこの場を離れるほどのものではない。

ジュリアンと諍いを起こした僕とルル。不用心にすることは出来ないだろう。

パタパタと、何となく複数人が駆ける音がまた遠くで聞こえる。ならば、誰かが何かを起こし、その処置でまた誰かが走り回っているのだろう。

それだけわかれば充分。僕に出来ることはない。

そう確認し、目を閉じたままだった僕。だがそこに話しかける声があった。

「カラス」

「…………」

人の気配ではない。そして敵対的な気配でもない。何をするのかとただ見逃していた僕は、その白い翼の影にようやく目を開いた。

「……なんでしょうか」

「少しまずいことになっている。ここは妾が代わるから、お前はすぐに廊下を出ろ」

「まずいことというのは……先ほどの声でしょうか」

「話が早い」

冗談じみた声音ではない。そもそも、オトフシはこの類いの冗談は言わない。

僕が立ち上がると、待機スペースに置かれた机の上に一羽の紙燕が止まる。早く行け、と顎で示すように首を振り、僕を促した。

そっと静かに周囲を確認する。

ルルたちは寝ている。近くの廊下に人影はない。オトフシがすぐに来るにせよ、不用心な気もするが。

「姿を隠して出ろ。妾もじきにそこに行く」

「何があったんですか?」

「道々話す」

話している最中、僕の耳に誰かの足音が響く。姿を隠して扉を開けて、その顔を見ればオトフシだ。それも、随分と深刻そうな顔をして。

一応透明化を解いてから僕たちは視線を交わし合う。オトフシは何事かを頷くが、それは読み取れずにまた顎で行き先を示した。

僕の肩にわずかに重さがかかる。先ほどと同じく、紙燕が。

「道々ではなく、ここで話した方が早いな」

「でしょうね」

「軽口をやめろ。真面目な話だ」

オトフシは不快そうに眉を顰める。いつもの厚手の生地のコートのような略式礼装だったが、おそらく中は違う物を着ているのではないだろうか。どこかしらに『急いだ』という雰囲気があった。

僕は口を閉じてオトフシの言葉を待つ。ルルの部屋の中には聞こえないよう、一応音を遮断しながら。

特に溜めることもなく、もったいつけることもなく、オトフシは口を開いた。

「勇者が発狂した」

「……発狂?」

だが、その言葉はよく意味がわからず、僕は何パターンか推定しながら聞き返した。

オトフシはその態度を咎めることなく腕を組む。

「その言葉のままだ。先ほど勇者がこの近くの廊下にて、突然叫び声を上げた後卒倒した」

「…………」

「現在治療師によりとりあえず部屋に運び込まれ、沈静香による処置を受けている」

「……原因は」

発狂。それに本当に当てはまるのかはわからないが、廊下で突然叫び声を上げて卒倒した、というのは尋常じゃない事態だ。

何が起きたのだろうか。情報が少ない。

しかし、発狂というのはそうそう起きるものでもないだろう。突然というのもそうだし、彼が、というのもある。そういった狂疾を持っていたようにはおよそ見受けられなかったし、そうなるような要因も……。

通常は、精神に作用する薬、もしくは長期的なストレス、などが原因だろうか。

「おそらく、 野狐(やこ) にやられたのだろう」

「……野狐?」

オトフシが端的に説明してくれるが、知らない単語だ。いや、知っているが、多分僕が知っているものではないだろう。

僕の言葉にオトフシは頷いて、僕が知らないことにようやく気が付いて片目を瞑った。

「勇者は魔術の修行として瞑想を繰り返していたのだろう? 魔術ギルドでも初学者を抜けた辺りの者がごく稀にやられてしまうのだがな。瞑想中に幻覚を見て、精神に異常を来すことを妾たちは『野狐にやられた』という。直前にも瞑想をしていたようだしな」

「つまり瞑想が原因で」

「……と、見てくれるといいのだが」

つまり勇者が修行のせいで体調を崩した。ならば僕たちは関係ないだろう、と続けようとした僕の言葉をオトフシは遮る。

何か奥歯にものが挟まったような、嫌な言い方で。

一瞬黙った僕に向けて、オトフシは腕を組んだまま僕を指さす。

「お前の反応もそうだったが、聖教会ではそういったものの研究は進んでいないようだな。現状対応した治療師には原因は掴めていないようだ。が、しかし、怪しいものがある」

「怪しいもの、というのは」

「先ほど妾が部屋を覗いた限りでは、発狂の直前、お前が渡した甘露を飲んだ形跡があった」

「…………」

僕は怯むように黙る。『お前が渡した』という僕を責めるような文章に、少々の罪悪感まで湧いた気がする。それのせいだと決まったわけでもないはずだが。

その様子にオトフシは目を細め、指で先ほどの騒ぎの方向を示した。

「行け。おそらく瓶の回収が必要になる。治療師に見咎められる前に、早く」

「……回収しては、それこそ証拠になりませんか?」

「ん?」

「『原因は何でしょうか。そういえば、最近勇者様が飲んでいたはずの薬が見つかりません。もしかして、証拠隠滅のために持ち去られたのでは』」

今日の夕方オトフシがやったように、僕も棒読みの演技をする。いやだから、そういうのをやめろと先ほど注意されたばかりだったっけ。

自重しなければ。確かに今は、緊急事態だ。仮にそれが本当に僕の責任ならば、ルルに迷惑がかかる。

「いえ」

しかし、そう考えを戻しても、オトフシのその手は悪手だと思う。少なくとも、仮に勇者が正気に戻って『あの時飲んだ薬は』とでも言いだしたらすぐに破綻する。

なにより、オトフシの話であれば、おそらく当てはまる原因はきちんと別にあるのだ。

ならば治療師にはわからずとも、おそらく伝わるであろう魔術師長のヴァグネルが知らずに僕の弁護をしてくれるだろう。

今とりあえず話を聞いた限りでは、僕たちは何もしないほうがいい、というのが僕の意見だ。

「少なくとも、あの薬の中に精神に作用するものはないはずです。調べられても問題は……」

言いかけて僕は迷う。

そういえば、勇者は言っていた。視界がピンクがかったり、妙な音楽が聞こえたりすると。

あれはやはり脳のどこかに作用してのことではないだろうか。……いやそれでも、そういうことはないはず。あれはグスタフさんも飲んでいたはずのレシピだ。ならばグスタフさんもそうなっていなければおかしいし、それを防ぐべく何かが必要なら、それもレシピに書いてあったはずだ。

薬の成分に問題はない、という確信はある。しかしそれでも。

……瞑想の失敗による幻覚が原因ではなく、僕の薬による幻覚が原因だったら……。

そんな考えに、背筋にわずかに薄ら寒さが走った。

「本当に」

ガリ、とオトフシが爪を噛む。

「本当に、あの薬を疑われても問題はないんだな?」

「と、思います」

「ならばその言葉は信じる。……だが、たとえば何者かにすり替えられた可能性は?」

「誰かに?」

何のために、と僕は聞き返すが、目的はいくつも浮かんでしまう。カンパネラの話的に考えづらいが、ムジカルの策。もしくは……。

「プリシラや、ミルラ。疑える場所は大いにあるだろう」

「あるかもしれませんが、……」

だが、わざわざやるだろうか。弱い者を助ける、というのが楽しみだというプリシラが。

それにミルラも。今までの対応ならば勇者を害することなど考えてもいないだろう。クロードから勇者の担当を外されるとも聞いたが、その腹いせ、というのも何となく考えづらい。

「他にも問題がない薬かどうか、確認してこい。妾ではわからんことも多い」

「やはり、確認が必要ですかね」

僕は、薬のすり替えもないとは思う。しかしオトフシがそこまで言うのだ。ならばきっと、彼女にとっては必要なことなのだろう。

「念には念を。妾は今までそうして生き延びてきた。お前も現地で確認して、不都合そうなものがあれば隠蔽しろ。不必要だったら妾を笑うくらいは許してやる」

「……とりあえず、ここはお願い出来ますか」

「ああ」

オトフシが返事を声に出す前に僕は頷き動き出す。

彼女から視線を切って振り返る。姿を隠し走り出せば、僕の肩に乗った紙燕が風で潰れて『ぴ』と鳴いた。

遠くだが、走ればすぐだ。

誰にも見つからないように、姿を隠して音を消して僕は勇者の部屋の前に立つ。部屋の扉の横には、一人聖騎士が立っていた。

僕は舌打ちをして立ち止まる。扉を開けば見つかるだろう。だが、防犯もかねてだろう、勇者の部屋にはほとんど出入り出来る場所がない。隠し通路もあったが、そちらから回り込むべきだろうか。

僕が立ち止まったのに合わせて、紙燕が飛ぶ。

そして悩んでいる僕に「任せろ」と言った。

「何を?」

「魔術を使う」

紙燕が聖騎士の肩に止まる。だが聖騎士は気付かないようで、ただ周囲へと気を配ったまま視線を固定していた。重さも感じていないのだろうか。

そのまま紙燕が嘴を聖騎士の耳に突き入れるようにして、ゴソゴソと何かを言う。多分、言ったと思う。単語までは聞き取れなかったが。

また紙燕が僕の肩に戻ってくると、肩に引っかかった爪を剥がすように歩きながら、呟くように言う。

「いいぞ、開けろ」

「しかし」

「早く。長くは持たん」

本当にいけるのだろうか。半信半疑ながらも、僕はオトフシの言葉通りに聖騎士の横に立つ。そしてそのまま扉に手を掛ける。

扉をゆっくりと開いたが、オトフシの言葉通り、聖騎士は反応しない。

「……認識阻害か何かですか?」

「似たようなものだ」

扉を潜り、閉めてもその向こうでの反応はない。まったく気付かなかった、ということだろう。……聖騎士という、国有数の手練れが。

「恐ろしい」

まるでレイトンやプリシラのようなことをする。そんな軽口に、紙燕は溜息をついたように見えた。

「残念ながら戦場では使えんし、偶然ここでは出来る条件が揃っていただけだ。後で出るときには何とか出来るが、次には期待するな」

それよりも、と紙燕がまた奥を指す。開かれた扉……勇者の寝室の向こうから、柔らかな香りの煙が漏れていた。

部屋に歩み入れば、ベッドには横たわる勇者。

サイドテーブルには、意識レベルを下げる沈静香が三種ほど混ぜて焚かれていた。一応勇者も魔法使いだが、僕と違って効くのだろうか。

横に治療師が待機し、部屋の隅では丈のあってないローブのようなものを羽織ったマアムもいた。裾の方を見れば、素肌が透けて見えるような寝間着だと思う。

彼女も煙を吸わされているのだろう。なんとなく、目の焦点が合っていないようにも見えた。

心配そうに彼女らに見守られている勇者は目が覚めているのか、ぼんやりと天井を見つめたまま動いていなかった。呼吸もしっかりしているし、瞬きもしている。

一見問題なさそうにも見えるが……。

「甘露は……」

「あそこの棚だ」

嘴で示された先を見れば、戸棚の扉が半開きになっている。近寄って中を覗けば、空の洗ってあるガラス瓶がまとめられており、それと離れた位置に、一本まだ中が濡れた容器がある。

なるほど、先ほど飲んだらしい。

静かに慎重に瓶を取り出し、瓶を逆さにして振る。滴を掌で受け止めて、嗅げば特有の甘い匂いと薬草の香りがした。

「どうだ?」

「……おそらく、僕の作ったものそのままですね。余計な臭いはしません」

舐めてみても、おそらく変わりはない。一瞬サロメのするような臭いを消す調合法を疑ったが、味の方も多分変化はないだろう。無味無臭の毒となるとさすがにお手上げだが、魔力を通してもそんな感じは一切しない。

僕は勇者に目を戻す。

甘露に変化はない。ならば、もう原因はオトフシの言う野狐なのだろうとは思うのだが。

「他に気になるものはあるか?」

「……特には」

勇者の部屋を元から知っているわけでもないが、ざっと見不自然な点はないと思う。

「勇者は廊下で発狂したんですよね?」

「そうだな。そこまでの経緯は残念ながらマアムにもわからないようで見てない妾はさらにわからんが。現場に居合わせたアネットの証言では、廊下ですれ違おうとしたときには既に様子がおかしかったらしい」

「……アネットさんが」

僕はその名前に、違う『災害』を想像する。箝口令は布かれていると思うが、『ここだけの話』が本当にここだけではない女性だ。

まあそれは今はどうでもいいだろう。僕は絨毯の足跡とその他の航跡のような勇者の行動の形跡から、何となくのストーリーを想像する。

おそらく瞑想をしていた勇者は、突然椅子から立ち上がり、戸棚に歩み寄った。そこで甘露を一気飲みして、一旦椅子に座っ……てないな、そのまましばらくその場でぼんやりと足踏みをして外へ向かった。

部屋を出ていく足跡は真っ直ぐ。ならば迷いなく外へ向かったようだが、何のために?

「何をしに廊下へ?」

多分椅子に座っていたときに瞑想をしていたのだろう、と僕は想像するが、順番が不味い気もする。

瞑想中に発狂、などではない。瞑想を一時中断し、薬を飲んだ後に廊下で発狂している。

どこかへ向かおうとしていたのだろうか。

「わからんな」

「足跡は消しておきましょうか」

とりあえず、それだけはしておこう。レイトンやプリシラでもないと、そうも追わないと思うが。

少々気が重いが、足跡は偽装する。薬を飲んだ後そのまま出ていったのではなく、薬を飲んだ後一旦椅子に座ってもらおう。

部屋に入ってくる乱れた足跡はもちろんそのままにしておく。

多分手を拘束された状態で先ほどの聖騎士に肩を貸されるようにして運び込まれた。寝台がやや乱れているのも、その後少し暴れたのだろう。

いくつかの治療師の往来の足跡の末、現在の形に落ち着いている。

ストーリーにも破綻はない。

偽装を交えた末にではあるが、やはり勇者は瞑想で発狂した。

薬の影響はあるのかもしれないが、それこそむしろその空き瓶の数で反論も浮かぶだろう。『今までは平気だった』と。

だがまあ、それに反する事象も僕は勇者に聞いている。以前甘露を飲んだ後、視界がピンクがかったり変な音楽が聞こえたとも。

ならばやはり幻覚作用があるのだろうか。その幻覚作用が何か悪影響を及ぼしたとか。

『やはり僕のせい』という観点から考えてみても、特にそんなものは配合していない。甘露に入っている薬草類は調和水の影響で崩れる身体バランスを整えるように調合するだけだ。それにグスタフさんがそうならなかった、という状況証拠もある。

ふと気付く。

残る懸念は、ヴァグネル。

治療師には原因がわかっていない。甘露が疑わしくもなる現状。ミルラとマアムは勇者が甘露を飲んでいることを知っている。ミルラは僕に敵対的だった。瞑想というのは、ヴァグネルが命じたこと。そんな数々の要素を合わせて考えれば。

仮に野狐にやられたのが瞑想のせいだったのであれば、その責任は誰が取る。

おそらく、指導者であるヴァグネルだろう。

彼の性格まではわからないが、僕が知っているこの城のほとんどの人間の思考の傾向を考えれば……。

「……勇者が野狐にやられたと、客観的に証明することは出来ますか?」

「状況での判断しかないから、それを証明は難しいな」

「ですよね」

ヴァグネルは、認めるだろうか。瞑想での発狂を。

治療師に見咎められるのではなく、彼の手で探し出されないだろうか。空の甘露の瓶が。

責任を押しつけるのに最適な、恰好の的が。

……いやまあ実際、本当に甘露が原因だったら、今まさに僕はヴァグネルに全責任を押しつけようとしているのだが。

僕は両手で髪の毛を両側から掻き上げて思案する。

まったく、因果関係が緩すぎる。

甘露を飲めば必ず発狂する、というのならばわかりやすいのに。または、瞑想をすれば必ず野狐にやられる、となっていればいいのに。

何か面倒になってきた。倒れた勇者には気の毒だが、誰も悪くない、でよくないだろうか。もしくは半々にしたい。僕も悪い、ヴァグネルも悪い、で決着がつかないだろうか。

いやそれも困る。僕が悪い、となればルルに迷惑がかかる。……ルルに……。

「…………」

「どうした?」

「いえ」

一つ、考えが浮かんだ。何のことはない。甘露のせいにされたときに、一番簡単に事態が解決する妙案が。

「戻りましょう。ここは大丈夫です」

「……ならいいが」

なら、もうここですることは何もない。

横たわる勇者を一瞥し、僕はオトフシの協力のもと部屋を出る。

聖騎士に魔術を使うために紙燕は一度一枚の紙に戻って扉の隙間から出ていったが、ならば鳥の姿を取らせることないのに、と僕は思った。

廊下を歩きながら、僕はどう伝えるかと少し悩んだ。

だが、まあオトフシにはいいだろう。別に伝え方に悩む必要もない。

「オトフシさん」

「なんだ?」

「思いましたが、あとはヴァグネル魔術師長の良心にかかっていると思います」

「良心?」

ぷい、と鳴いたような音を発し、紙燕が首を傾げる。僕の肩の上でくしゃりという紙が曲げられる音がした。

「やはりどうしても、甘露のせいにしたければ出来ると思います。ヴァグネル魔術師長が僕に責任を押しつけたければ、僕のせいに出来る」

「…………やはりか」

紙燕は表情なく前を見つめる。いやもともと表情などないのだが、何となく動き方で感情まで表現しているように見えるから本当にすごい。

「だから、僕が反論してもどうにも出来ずに、どうしても僕のせいになるのなら……僕のせいにしましょう」

「その、お前の度々の死にたがり傾向はやめたほうがいいと思うぞ」

「最後は仕方ないですからね。もちろんそれまでに反論はします。でも、最後にはです」

正直取っておける対策などそうはない。起きてしまったことで、そして下手に証拠隠滅すると逆にそれが証拠になるようなこと。

あとはもう、仮に問題になってしまえば、お奉行様に白砂の上で申し開きするくらいしかないだろう。

「野狐について魔術師長が話すならそれでいいですし、そして話さずに僕の甘露のせいになるのであれば、そうしましょう。ザブロック家は一切関係ない。甘露はルル・ザブロックは一切関知せず、ミルラ王女とベルレアン卿の要請に応じて僕が勝手に調合した薬です。オトフシさんも、知らなかったということで」

「ミルラ王女の名前を出したところで矢除けにはならんし、お前が薬を調合して回っている事実は知れ渡っているだろう」

「ルル・ザブロックに依頼され、薬を調合するという行為を隠れ蓑に、危険な薬を調合し勇者に薦めた詐欺師とでも」

なんというか、実感する。自分の悪口を言うのは簡単だ。いつも言われてきたようなことを言えばいいのだから。そしてみんながそう言っていたのならば、みんなは信じるだろう。

「事実、甘露の作成についてはお嬢様は知らなかったんですから」

勇者に対して薬を作っているとは言ったと思う。だが、その薬がどういうものかは言っていないはずだ。

お抱えだった探索者が勝手にやったこと。そう片付けるのが、勇者の婿入りする家としても好都合だろう。……仮に勇者があのままならば、婿入りするかどうかもわからないが。

歩みを進めつつオトフシの返事を待つ。

だがようやく口を開いた紙燕を見れば、無い目を瞑ってまた溜息をついた。

「……言い分はわかったし、まあ妾も協力してやろう。涙を流しながら『まさかカラスがそんなことをしていたなんて』とでも言えばいいのだな?」

「演技下手っぽいのでそこまでしなくてもいいと思いますが」

「そもそもする気がない。させてはもらえないだろうよ」

呆れるように呟く。一度膨らんでから、また戻った。

「お前たちは、差し出すことと犠牲とを同じと捉えているらしい。その辺、帰ってからよく話し合え。お前の責任で済ませることも含めてな」

「たち、とは」

「もう妾は要らんな」

紙燕が飛び上がり、空中でくるりと縦に回る。そしてその次の瞬間、燃え上がって消えた。

光が消えて、一瞬暗くなった視界。

目が慣れれば、目の前には先ほどから近づいてきていたルルの部屋。

僕は小さくノックをして、その扉をわずかに開けた隙間に滑り込んだ。

入ったとき、まず目に入ったのは奥に座っている女性だった。

小さな明かりと、奥に見える光は竈の火だろう。

そして僕が入ったのに合わせて、パーテーションの中でオトフシが立ち上がった。

「それでは、私は失礼します。詳しい事情はカラスから」

「はい」

奥に向けて言葉を発し、オトフシが僕とすれ違うようにして肩を寄せる。

「特に事情は話していないから報告などは任せた」

「……それはどうも」

僕の肩をポンと叩き、オトフシが扉から出ていく。

僕はそれを見送ってから、部屋の中央、長椅子に腰掛けていた女性に歩み寄った。

「指示を外れての交代、失礼しました」

「……何があったんですか?」

頭を下げながら僕が言うと、ルルが紅茶を一口含みながら僕へと尋ねてくる。マアムと同じように、しかし少し違い、薄手の服の上から半纏のような綿入りの厚い生地の上着を着ていた。

僕は、どう報告していいかと頬を掻く。

「それが」

「あ、今お茶入れますね。座ってください」

「え!? いや……!」

言うが早いが、ルルは立ち上がって炊事場に向かい、客用のカップを持ってくる。そして机の上にあったティーポットから、赤く透き通った液体を注ぎ込んだ。

良い匂いがする。

雰囲気を見れば、別に詰問したいとかそういうことではないようだ。……と思う。本心はわからないが。

とりあえず、僕も一声掛けてからルルの向かいに座り、礼儀として一口だけ紅茶を口に含んだ。

飲み込めば、胃に落ちてからまた香りが口の中に広がってくる。

美味しい。砂糖も何もないはずなのに甘い気がする。

高級な茶葉ということもあるだろうが、温度管理などの抽出の手順も徹底したのではないだろうか。イラインを出たあの日に、レイトンが淹れたものとは違う味だ。

「それで、あの、……何が……?」

報告と言うことを一瞬忘れていた僕が、ルルの声にまた引き戻される。そうだ、そういえば。

「……どこから話していいものかはわかりませんが、まず、先ほど事件がありまして」

「事件?」

「勇者様が、先ほど狂乱の末お倒れになりました」

「…………」

ルルが口を押さえて絶句する。僕とは違う反応だろう、と思う。

「原因はまだ不明ですが、オトフシの話では魔術修行中に特有のものではないかと」

「……大丈夫なのでしょうか?」

「私は門外漢なのでわかりません。しかし、珍しくもありふれているのならば何かしらの対処はあるのではないかと」

多分、と僕は内心付け加える。

どうなのだろうか。一時的な狂乱ならば、そもそもそこまで問題になるものでもないという淡い期待を抱いてしまうが。

「それとその勇者様が発狂なされる直前に……これが目下問題なのですが」

「何を?」

「私の作った薬を飲んだ形跡があります。薬にそういった成分はないと私は思っていますが、…………」

だが、周りはそう思わないかもしれない。周りはともかく、ヴァグネルは。

僕は立ち上がり、深く頭を下げる。

「申し訳ありません。これから、ご迷惑をおかけするかもしれません」

「どういうことでしょうか」

頭上で、カップを皿に置く音がした。僕がその音に応えて頭を上げると、ルルが戸惑う顔で僕を見つめていた。

「私は意図的に薬の配合を変えたとかそういう覚えもないですし、オトフシの言葉を信じるならば問題はないのでしょうが、……勇者様の発狂が、私のせいになるかもしれません」

「……ならばカラス様のせいなどではないでしょう。堂々としていてください」

「それで済むのであれば、そうしていたいと思います。取り越し苦労ならば申し分ない。けれど、私の責任となったときに、ザブロック家の迷惑にもなりたくありません」

というよりも、ルルの。僕が心配しているのは、ザブロック家ではない。

「どうかその時は、オトフシにご協力くださいますよう」

「オトフシ様は、どうなさるんですか?」

「…………」

なんとなく、ルルの声音に怒気が混ざった気がする。だが、引き返せない。

「ザブロック家は知らなかった。オトフシも知らなかった。薬は、ミルラ王女とベルレアン卿の指示により、僕の独断で作りました。ルル様からの要請に応えて、いくつかの家に薬を届けるという行為を隠れ蓑に、勇者に個人的に近づくために」

「カラス様を切り捨てろというのですか?」

「そのための、探索者の外注でしょう」

レグリスの意図からしてもそうだったはずだ。最悪の場合、ルルを守って蜥蜴の尻尾切りにあえと。実際にはそんなことなど起きようはずもなく、どちらかといえばこちらが迷惑をかけ続けているのだけれども。

じ、とルルは僕を見つめてから、また紅茶を一口飲む。そのまま一口どころか一気飲みするように豪快に傾けた。

そしてそれをまた、皿に置いて息を吐く。

「嫌です」

一言だけ呟いて、ルルが目を伏せる。

だがしかし、やってもらわなければ困る。

「もちろん必要になるとは限りませんが、どうかお願いします。僕は、迷惑を掛けたくは」

「そうなったら、私がカラス様を守ります。勇者様が婿入りするはずの家、ならば少々の粗相も許されるでしょう?」

「それは……」

もう一口飲もうとして、カップに紅茶が残っていないことに気が付いてルルが苦笑する。

「正直、未だに事態が飲み込めていません。勇者様がお倒れになって、それがカラス様の責任になるかもしれない、ということでしょうか?」

「……はい」

「でも、カラス様はそんなことをしたはずはない。それにもっと違う原因がありそう。だったら、気にしないでください。何もしていないのに、責任を取る事なんてありません」

残った紅茶をルルが自分のカップに注ぐ。カップに半分ほどの量しか残っておらず、名残惜しそうに注ぎ口から垂れる最後の滴を待っていた。

「もしも何かカラス様が気付かずに失敗しているのなら、それは雇い主の私の責任です。私が……」

滴が垂れる。それをカップで受け止めて、空になったティーポットを静かに机に置けば、先ほどと違う軽い音がする。

「私が、……私は、勇者様と結婚するんですから。勇者様を傷つけた罪で私を罰するなんて、出来ないでしょう?」

ルルが笑う。僕でもわかる、何となく悲しそうな顔で。

それからまた美味しそうに紅茶を飲んで、手を温めながら「そっか」と小さく呟いた。

「……ふんぎりがつきました。ありがとうございます。カラス様は何も心配しないでください」

「ふんぎり、ですか」

力を抜いて、僕は椅子に座り込む。ルルの言葉の端が、やけに気になった。

「…………」

僕も紅茶を飲む。ほんのわずかに温度が下がった液体は、さっきと違う味がする気がする。

「立ち入ったことをお聞きします。失礼ならば、平手打ちでもなんでも受けます」

「何でしょうか?」

「家の事情で勇者様と結婚しなければいけない、ということはわかります。でもルル様は、勇者様と結婚したいと思っていますか?」

「…………」

ここに至るまでにも、そうじゃない、と遠回しに何度も聞いた気がする。結婚なんかしたくない、というような言葉も、どこかで聞いた気がする。どこだったか。

でも、はっきり聞きたい。なんとなく。

「……勇者様のことは、お好きですか?」

「…………」

僕は何故か、この前尖塔の上でルルに聞いた言葉を思い出した。ルルは、自分のことが嫌いかと聞いた。僕は、それにいいえと答えた。今回のものとは違うのに、何故か。

ルルは首を横に振る。だが僕の質問に答えたわけではないらしい。続く言葉は、勇者のことが好きではない、という意味ではないらしい。

「……答えたくありません」

…………。

「そうですか。……失礼をしました」

怒っているわけでもなく、力なくルルが笑った。怒っているのであれば、本当に平手打ちでも正拳でも何でも受けたのに。

怒っていない、というのが何となく悲しい。

食器を僕が片付け、ルルもまた床についた。

ルルは僕とオトフシの会議中に、何となく何かを察して起きてしまったらしい。オトフシに竈に火を入れてもらい、気分転換にお茶を飲んでいたという。

そんなふうに点けられた火も消えて、明かりも消えた暗い中。

僕は持ち場のパーテーションに戻り、警戒をしつつ目を瞑る。

静かな中、誰かの寝息だけが聞こえる中、僕も暗闇の中で少しでも休もうと。

もちろん警戒は切らない。この部屋の周囲を誰かが通っただけで、すぐに僕は気付く。

そんなふうに、気を張ったまま。

自分の周囲の空気が温かい気がする。誰かの声がする。遠くの方で。

多分、うたた寝をしているのだろう。

目を閉じた暗闇と、瞼の裏の何かの映像が混ぜ合わされる。

そんな奇妙な感覚の中。

夢を見た。