軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

あの日の森へ

「お待ちどうさまです」

一応、長方形の机の部屋の入り口から最も離れた短い辺、つまり上座にはルルが座る。その角を挟んだ横にはサロメ。そしてサロメから離れた横、角の席には僕、その対面に、オトフシ。そう、食事会の席が出来る。

緊張した雰囲気というのはない。けれども、でん、僕たちの前に並べられた料理の数々を見て、ルル以外の三人はそれぞれ感嘆の溜息を漏らした。

まずは、先付けと言っていた茄子と魚の……なんと言えばいいんだろう? 火を通したなめろう? いや、なめろう自体この世界にはないんだけど。まあ、そういった前菜。

それに、サラダ……にしては、少しだけ表面の艶がない野菜たち。レタスのような葉野菜も、ピンと張っているのにどこか調理済みの雰囲気が漂う。

肉野菜炒めを入れたスープ。通常炒め物はあまりスープと混ぜないと思うが、香ばしい匂いが残り普通に美味しそうなもの。

そしてやはり、メインは多分、蟹、だろう。

「これは素揚げ……じゃなくて……」

「食べてみるとわかります。素揚げじゃありませんよ」

小麦粉らしき衣をわずかに纏った蟹が二杯。手足が切り取られて甲羅部分だけになっているが、それでもほぼ姿を損なっていない姿。衣があるのでそれだけでもたしかに素揚げではないんだけれども……。

その横に、ほぼ同じ大きさのコロッケのようなものが二つ。サロメは蟹の姿があるものがなく、こちらが四つ乗っかっていた。

一応、一人につき一つパンもついている。

これは、最近いつも食べている従業員用食堂のワンプレートではない。そして、貴族用の食堂で出るコース料理でもない。

まさしく、エッセンの街の少し洒落た食堂で出る『定食』。そのものだった。

「……いただこうか」

「はい」

オトフシが頷いて、僕もグラスを手に取る。悪い意味ではないが、この食事の前ではあまり取る姿が思い浮かばない形式的な儀式の礼。

「では」

オトフシが持ってきた、白葡萄ジュースに近い薄い葡萄酒。それを掲げて、ルルが音頭を取る。

「美味き糧を」

ルルの言葉に合わせて、四人共にグラスを掲げる。皆一口それを飲み、それから思い思いに匙を取った。

コース料理ではないので、食べる順番はない。しかし、先付けというからにはこれが一番最初だろう。僕は魚のすり身を匙でひとすくいし、口へと運ぶ。やわらかなマッシュポテトという感じの感触だった。

僕が食べるのを見つめて、待っていたルル。

そんなルルに、どう言おうかと思っていた僕は、次の瞬間にほとんど何も言えることがないことを悟る。

まず舌に走ったのは、強めの塩味。それに辛味。だが噛みしめるとわずかに感触が残っていた魚の旨みが口の中に染み出して、しゃきしゃきとした歯触りの茄子の味と混ざり合う。

魚の味がした頃には、最初に感じた塩味は薄く感じるだけとなっており、唐辛子のような辛さも息を潜める。だがその刺激に、胃が改めて動き出す感触がした。

「美味しいですね、これ……」

言いながら、水代わりに葡萄酒で口の中を流し、またもう一口食べる。

美味しい。それしか僕の中にこれを表す語彙はない。あえて言うならば、濃い味なのに薄味。そして、胃を動かして次に食べる何かを受け入れる準備を整えさせる。最高の前菜だろう、これは。

「ありがとうございます」

僕の何も言えなかった言葉にも礼を述べて、ルルはこの名もわからない料理を口に運ぶ。そして満足げに頷くと、パンにも手を伸ばし一口囓った。

「さすがですな。これは、イラインで出していた料理でしょうか?」

「いえ、どれもさっきあり合わせで作ったものです。……あ、……それは申し訳ないんですけど……」

あり合わせ。通常それは謙遜や揶揄に使われる言葉で、人に誇れるものではない。しかし、それでもこれならば。

「いやいや、あり合わせでこれを作れるともなれば立派なものでしょう。正直、従業員食堂で食事している者たちにこれを出せば、涙を流して喜ぶでしょうな」

オトフシも、演技などなく美味しそうにスープを口に運ぶ。

僕もそれに倣い、飲む。王城内で出る料理に共通している、高尚な料理、という雰囲気はない。けれども、家庭料理、という観点からならばこのこってりとした味のスープはきっと満点だろう。

他の料理の箸休めのために置かれているようなサラダ。そちらも、ただの生野菜ではない。

というか、生ではない。人参やレタスのような葉野菜は、どれも一見生だが、表面には火が通っている。これは、油通しというやつだろうか、それに加えて、葉野菜も火が通っているはずなのに生よりも張りがあるように感じた。

味付けは、塩と……なんだろうか、何かの果実酢。油で加熱してあるからだろう、味付けは野菜にほとんど弾かれずにきちんと口の中で混ざり合った。

そして食べるものをちょこちょこ変えて行儀も悪いが、蟹料理。

一つは素揚げのようで素揚げではない何か。一つはコロッケのようなもの。どちらからにしようか……。

「しかしこうしてみると、足があればやはり……」

「カラス様。言わんとしていることはわかりますが、その先は禁句でお願いします」

『この前壁を這っていたもの』と似ている、と口にしようとしたが、それはルルに止められる。今のは、それが嫌いな人の前で口にしようとした僕が悪い。

僕が会釈すると、ルルはホッとしたように料理に目を戻した。

せっかくなので、その素揚げ擬きからにしよう。そう思い立った僕は、一つをナイフで半分に切る。すると、溢れるように肉汁らしきものが染み出てきた。

匂いからすると、これは……。

「これは、中に豚の脂と香草と……」

「足から取った蟹の身も入っています。揚げても足はどうしても刺さるので、食べづらいと思いまして」

素揚げではない。一度甲羅を剥がして、詰め物をして閉じてから揚げている。

蟹味噌というか、内臓系もほとんど中に入っているらしい。もともと丸ごと食べられる蟹だ。問題はあるまい。

フォークで刺して、それを口に運ぶ。

ぱりぱりという煎餅に似た感触の殻を噛み砕き、中の蟹肉や香草の匂いが口の中で溢れた。

「これも、美味……しい……」

それしか語彙がなくて、本当にルルに申し訳ない。だが、今までの僕の人生で記憶に残っているものの中で、一位二位を争う出来ではないだろうか。

一杯の蟹を瞬く間に平らげて、もう一杯……に行く前に、コロッケらしきものの方へ。

こちらは切っても中から汁気は溢れず、断面は……芋と、何かしらの肉、それに蟹の身だろう赤い斑点があった。

「サロメはこちらだけで申し訳ないです」

「い、いえ。ありがたいです!!」

サロメもそのコロッケを切って口へと運ぶ。こういう会食では通常は、すぐに返答できるようにもっと細かく切るべきなのもお互い忘れていると思う。

そして、目が合って頷き合った。

衣には、何かしらの茶色く粘稠性の低いソースが既にかかっている。そして、思った通り蟹のコロッケ……というわけでもないらしい。

入っているのは、蟹の身。それに、潰した芋だろう。そしてこちらは形の残っている魚肉。そして、魚の内臓も入っているのではないだろうか。どこからか、青物の匂いとわずかな苦みも口の中を刺激した。

本当に、美味いしか言うことがない。

粗相は出来ない。これが街中の食堂であれば、もっと夢中でむしゃむしゃとマナーも気にせず食べていただろう。ここでも、そうしたい欲求が抑えられない。

何とか耐えつつ、スープや野菜で間を取って堪える。

それでもこれも美味しい。このスープ、水代わりにネルグのどこかに湧いていないだろうか。

そんなことはまああるわけがない。そう、自分で自分の思考に反論しつつ、中の肉野菜も口に運ぶ。

美味しい。炒め物を水に入れると感触が悪くなるが、そこも考えられているのかそうもなっていない。

コンソメのようなスープはさすがに王城で分けてもらったものだと思う。しかしそれを補う工夫というか調理の数々。中に入っているのは野草というわけでもないが、なんとなく野趣溢れる感じが……。

ん、と僕は手を止める。

この味、いや、この料理をどこかで食べたことがあるわけがないが、それでもどこかを思い出しそうな気がした。

どこだろう。

そう、どこか、なのだ。他の料理を思い出すわけでもない。似たようなものを食べたというわけでもないだろうと思う。中の食材に何か特徴があるわけでもない。使われているのは野草でも何でもなく、普通の食材たちだ。ならば森とかそういうわけでもないはずだ。

でも何故だろう。僕の鼻が、森の匂いを感じる。

どこかの森を思い出すような、そんな懐かしい味。

「……何か、入っていました?」

「いいえ」

だが、違うな。こういう美味しいものを食べているときに、余計なことを考えることこそが無粋だろう。

僕は、出来る限りマナーを守ったまま、それでも体の求めるままに急ぎ食べる。

同じように思ったのではないだろうか。

オトフシもサロメも、わずかばかりの世間話を口にしながらも、僕とほとんど同時に食べ終わる。

その時間はきっと、いつもの晩餐会よりもかなり短く終わったのだろうと思う。

食材はほとんど使い切ったらしい。分けてもらった調味料も合わせてまだ幾分か余裕はあるが、どうしようとルルは笑っていた。

それから僕は洗い物をする。洗い物といってもごく簡単で、使っている調理器具は出てきた料理から想像されるよりもかなり少なく、サロメはまたそこで驚いていたが。

故に、僕の魔法で乾燥させるのも相まって、食後のお茶をサロメが淹れるのとほぼ同時に洗い物も終わってしまった。

まだ昼過ぎ。

だがこの満足感と満腹故の気だるさは、もはや夕食後の雰囲気だった。

「いやしかし、本当に見事なものでした。充分自慢してもよろしいものだと私は思いますが」

「昔やっていただけなので……」

オトフシの称賛に、ルルは恥ずかしそうに笑う。僕も席について、内心心底頷いていた。

「でも、楽しかったです」

「羨ましいものですな。私は軽食ひとつ作るのも面倒なのに」

「久しぶりだからでしょうね」

正直、あの綺麗な爪のオトフシが、料理をする光景が浮かばないのだが。それは言うまいと、僕は口を塞ぐ代わりに紅茶を飲み込んだ。

「楽しんでいただけましたか?」

ルルは、おずおずと僕に尋ねる。否とは絶対にいえない。儀礼上でも、そして本心でも。

「ええ。あれほど美味しい食事は久しぶりです。過去一番と言っても過言ではないですね」

単体の料理であれば、昔食べた竜の肉の水煮が一番かもしれない。あれはそれほどインパクトのある料理だった。

だが食事という単位で見れば、そして仮に毎食続くともなれば、この食事が揺るぎない一番だ。僕が何か忘れていることがなければ、あとは自信を持ってそう言える。

毎日でも作って欲しい。それはさすがに言えないけれども。

「よかった」

心底ホッとした顔で、ルルがそう口にする。緊張していたとは今の今でも思えないけれど。

「蟹もきちんと調理されると美味しかったですね。あれではとても……」

言いかけて、僕は気づく。その話題は禁句だった。

「いえ。その他の料理も、正直初めてのものばかりです。それでも、なんだか懐かしい感じが……」

そして言いかけて話題を変えた先ほどと同じように、僕は言葉を詰まらせる。その言葉に繋がる何かがあった気がして。

初めてのものばかりだったのは、ルルが即興で創作したからだろう。そして懐かしい感じがするのは、ルルが食堂で出している料理が家庭料理などの『そういう料理』というカテゴリだからだろう。

しかし、そうだろうか。それだけではないものがあった気がする。

懐かしい。しかしそれは単純に……。

ルルを見て、また懐かしさを感じる。それに森の匂い。それは、実際に嗅いだものだった。

単純に、食べたことがあったのだ。あのスープの中の肉野菜炒め、その中に使われていて、先ほどルルが買っていた小さな果実。

「あの果物、名前は存じ上げませんが、懐かしかったです」

「……でしょう?」

気づいてくれた、という態度を前面に出し、ルルが喜ぶ。

「羊桃というらしいです。イラインよりもかなり西側からしか生えていないらしくて、イラインでは扱ったことなかったんですけど……あれ以来、私の好物で……」

「あの時は失礼しました」

名前は今初めて知ったが、そうだ、それだ。

毛のないキウイのような果物。あの護衛の旅のとき、僕がルルに、朝食の余りを差しだしたもの。

皮がやたら渋いものだったが、皮を剥く発想がなくそのまま差しだして食べさせたものだ。

「いえ、皮が渋いなんて私も知らなかったので……」

申し訳なさそうに視線を落としたルル。だが、でも、と顔を上げた。

「カラス様と、ちゃんと話した 最(・) 初(・) のときのこと。覚えていて頂けたんですね」

「懐かしい思い出ですから」

僕は笑顔でもう一口紅茶を飲む。

あの時も、一応オトフシと一緒にいたか。サロメはまだいなかったが、このメンバーで……いや、ルルの母親もいたな。

懐かしい。まだ、僕にも何かを頑張る気があった頃。

キーチやオトフシ、それに……ええと、サー……サーフェスだっけ、他の人間と力を合わせて分担というものが出来た頃。

「私はその頃のことをよく知らないのですが、どういう話だったんですか?」

「なに。急ぎイラインからこの王都まで来たときの話だ。妾とカラスの護衛付きでな」

その頃のことをよく知らないサロメが、オトフシに尋ねる。それからオトフシの思い出話が始まり、ルルとサロメが少し茶々を入れるようにしながら話が展開していく。

酔っていないだろうに、やはりこういう噂話というか人の話は好きなのだろう。喋ってはいけなさそうなことはルルに恐る恐る探りを入れながらも、オトフシは語っていく。

僕としては話に入る気もしなかったので黙っていた。

だが、紅茶が美味しい気がする。何故だろう。茶葉が特別美味しいわけでもなく、サロメが特別上手なわけでもないと思うが。

何故だろう。

少しだけ、楽しい気がする。森よりも、きっと。

そんな風に考えていた僕の耳に、今度は鮮明に音が届く。

足音。隠していて、男性の歩幅。筋肉質で、やはりそれは先ほどと変わらない。

そうだ。いつもこういうものだろう。

僕が何かしら、こういうふうに少しだけ自分を見つめ直したり、何か変えようと思う度に、それは起こる。

今回は予告があっただけマシだろう。先ほどの約束、あまりの楽しさに忘れていたのは僕の方だし。

だが、予告はあった。ならば、ここまで楽しい思いをしなければよかった、とも心のどこかで感じてしまう。

「……カラス」

「はい」

言葉を止めて、オトフシが僕を呼ぶ。そして席を立つと、察したようにサロメもついてくる。思い出したのだろう、唾を飲んだ音がした。

ノックの音に、扉を開くと先ほど見た顔。

クロード・ベルレアン第二聖騎士団団長。

「やあ、カラス殿。先ほどの約束の件だが、今よろしいか?」

「……ええ」

サロメが頷いたのを確認し、僕は中へと案内する。

オトフシが立ち上がり、ルルも一応客人を迎えるように居住まいを正していた。