軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

知っている声

それから僕が訪れたのは、カノン・ドルバックの部屋だった。

ここへ来るのは初めてだが、貴族の家を訪れる作法は一応心得ている。僕はルルの部屋まで僕を呼びに来た侍女に連れられ、応接室へと足を踏み入れた。

行儀は悪いが聞き耳を立ててみても、衣装替えや化粧などのルルの部屋で見られたような気配はない。自由参加と聞いたが、彼女は昼餐に出席しないのだろうか。

ソファーのような椅子は貴族然として、やはり座り心地は良さそうだ。ビロードのような表面は一切毛羽立っておらず、その下のクッションの膨らみがよくわかる。

僕は席へと座り、出されたお茶に手をつけずに待つ。絨毯の上に下ろした荷物が、崩れるように倒れた。

やはりルルよりも格が二つ下の男爵位ということか、調度品の数は少ない。

応接室もやや狭い……というか、ルルと違って一つ狭い部屋を使っているのだろう、何となく違う感じがする。

壁際に飾られた鉢には、紫蘇のような葉に薄紫の花が咲いていた。

壁に掛けられた絵は緑色が主体の風景画。どこかの街中だろうか、市場で働くような人混みが、丁寧な筆致で描かれていた。

これは趣味のものだろうか。おそらく絵の具の劣化具合から、描かれてから四十年ほど。絵の善し悪しはわからないが、まあきっと貴族の家のものだ、高価なのだろう。

先ほどの侍女の声が、壁の向こうで囁くように聞こえる。

「お嬢様、お連れしました」

「ええ? もうですか?」

その『もう』の意味がわからないが、……迷惑だったのだろうか。

今からでもいいというので来てみたが、やはり少し時間を取るべきだったのかもしれない。向こうが言ったのだから、特に不躾でもないと思うが。

化粧直しでもするのか、壁の向こうで位置を移り、何かしらの箱を開く音がした。

正直匂いとかも判断材料なので、あまり濃い化粧はしてほしくないんだけど。

いくつかの瓶がぶつかる音がする。硝子瓶、容量は少ないが、あまり使っていないようで中にはたっぷり液体や粉が入っている。

「まずい、ちょっと寝不足で……」

「顔色はあまり気にしなくてもよろしいかと」

侍女の方は心得ているらしい。その不健康さを見に来ているので、隠されても困る。

まあ、この様子ではまだ大分かかるだろう。

僕は溜息をつき、もう蜘蛛の巣が張っている天井の隅を眺めた。

机に目を落としてボウッとすれば、僕は昨日の情景を思い出す。

昨日のエウリューケとの昼食。その後、エウリューケの部屋でおやつにと茹で卵をごちそうになったときのことだ。

机の上に盛られた山のような茹で卵。その内の一つを手に取り殻を剥いて、はふはふと湯気を吐きながらエウリューケは一つ僕へと尋ねた。

「そういえばさー、ねー」

僕も、一つ茹で卵を手に取り、端を囓る。鉄の寸胴を使ったからか、緑色のような黒ずんだ色の黄身が見えて、断端が平らになる。

本来ならばここに手持ちの塩でもかけるところだが、そういった荷物はルルの部屋に置いてある。まあ、卵の味を楽しむということでそのままでもいいだろうか、と思いつつ、もう一口囓り僕はエウリューケを見た。

エウリューケは机から一歩離れた棚に手を伸ばし、いくつかの瓶を掻き分けて、一つの小瓶を取り出す。

茶色く透き通った瓶。中には白色の細かな結晶が入っており、振るとそれがさらさらと鳴った。

「ここに、大量に飲むと、誰もが体調を崩す毒がある」

「あるんなら先に出してくださいよ」

得意げにいって、エウリューケは瓶の蓋を開ける。中蓋にはいくつか開けられた小さな穴があった。

中の結晶を半分残った茹で卵に振りかけてから、エウリューケは瓶を机に置いた。

「使う? 他にもあるよ」

「どんなものが?」

えーっとねー、と呟きながら、また先ほどの棚が漁られる。そしてそれぞれ形は違うが、何かがこびりついて汚れた瓶を三つほど取り出すと、先ほどの瓶の隣に並べた。

「蕃椒の粉に、甜菜糖。あと生姜」

「どれもあまり茹で卵にかけると聞いたことはないですけど」

とりあえず僕は、先ほどエウリューケが一番最初に取り出した塩の瓶を手に取り、軽く茹で卵にかける。これが欲しかった。

塩はこの国では一般的な岩塩を砕いたものではなく、精製されたもののようで真っ白な結晶だった。……これが塩化ナトリウムのいわゆる『塩』なのかはわからないが、まあ味にはあまり変わりはない。

美味しそうにエウリューケは半分になった茹で卵を口の中に放り込むと、そのままもう一つを手に取り殻を剥き始める。

こういうのを取り除く魔術などはないのだろうか。……あるわけないか。もちろん念動力でも出来そうだが。

「カラス君は、不思議に思わなかった?」

「何をです?」

僕も最後の一口を口の中に押し込むと、またもう一つを剥き始める。これ全部食べられるだろうか。皿の上にはあと二十個以上ある上に、さっきから厨房で火にかけられてる寸胴にまだ卵があったんだけど。

「今日あたしが見せた毒を、あたしがなんで持ってんの? ってさ」

「……正直、あまり不自然にも思っていませんでしたが」

剥いた殻を横に置かれた実験に使いそうな金属製のボウルに入れながら、僕は答える。

持っているのを不自然とは思わなかった。その労力は疑問に思ったけれど。

今日エウリューケが僕に見せた毒は、調和水も含めてどれも貴重なものだ。毒性が強い、作るのが大変、遠い場所でしか採取できない。その理由は様々だが、流通はどれもあまりしていまい。

そもそも毒物が流通している、というのもおかしい話だが。

それでも、彼女ならば持っていてもおかしくはない。

今いるこの部屋だって、見回せば視界の中には瓶の山がある。その中は液体や固体の何かが封入されており、きっとそのどれもが彼女の作だろう。

それが薬か毒かは問わないまでも、彼女が何かしらを合成、調合しているというのはまあ疑いようがない。

「投げつけたら死ぬ煙幕とか大量に持ってそうですし」

「あるけど。うぃひひひひ、その場で死なないけど、後で体中真っ黒に壊死してくやつ。使う?」

「いりません」

まだ口の中に残っているのに、エウリューケはまた茹で卵を一つ口の中に丸ごと入れる。噛み砕くのも大変そうなのに……と思っていたら、口からそのまま飛び出しそうになって慌てて口を押さえていた。

「あたしも作ってみてからどうしようもなくて困ってんだよね。あとで燃やそうと思ってるんだけど」

「密閉したところでお願いしますね」

また一つ僕も茹で卵を囓る。蕃椒……唐辛子も試してみようかな。

噛み砕くのを諦めたのか、エウリューケがそのまま卵を飲み込むように顔を上に向ける。さすがに丸のままではないようだが、それでも喉に落ちていく様が見えるようだった。

「まあまあまあまあ、そんなことよりも、本題なんだけど」

「はあ」

どれくらい唐辛子をかけていいかわからず、まず適当にぱらぱらとかける。そもそもこの唐辛子は辛いのだろうか。

親指の付け根に数粒落とし、僕はそれだけを舐める。

瞬間感じた舌を刺すような痛み。激辛ではないが、そこそこ辛いやつだこれ。

「あの毒は、全部じっちゃんの作だ。それを、あたしが持ってきたのですね」

「……石ころ屋の」

僕は顔を上げる。聞き逃せない単語があった。

「そう。遺品。金属毒とかならまだしも、生物毒はどうせ時間経てば失活しちゃうような毒ばかり。もったいないじゃん?」

「使うような状況にならないことを祈りますけど」

もったいない、というのであれば、もったいなくない状況というのはそれを使う状況ということだ。

今日見せられたものは、どれも人体に凄まじい影響を及ぼす。見ただけで胃を焼くもの。一滴で数百人が笑い死ぬもの。生物毒ではないが、飲めば衰弱死させるもの。

そのどれも、適切に使わなければ人体が傷つくものだ。……いや、分類上は毒だし、どちらかといえば適切に使えば人体が傷つくのだろうけれど。

「じっちゃんが亡くなった後、じっちゃんの所有物のうち『扱いに困るもの』は全部ニクスキーどんの手でどこかへ移された。その中に紛れていた形見」

今度は小さく茹で卵を囓る。何となく、エウリューケの仕草から豪快さが薄れた気がする。

「カラス君がお墓にいったときには、もう価値のないものしか残ってなかったんじゃない?」

「そうですね。既に、倉庫は隙間だらけでした」

残っていたのは布製品に食器や壺などの日用品ばかり。玉石混淆で多分中には高価なものも紛れていたんだろうが、僕にそれを見分ける目はない。

「だから多分、君は何も持ってこなかったとあたしは思うんだよね」

殻ごと噛み砕くようにエウリューケは口の中に茹で卵を押し込んで、がりがりと咀嚼する。

殻ごとはさすがに僕は食べたくないけど。

エウリューケは立ち上がり、すぐ横の棚の上に手を伸ばす。

棚の上、というがまさしく天板の上なので、背の低い彼女は手を伸ばしたままぷるぷると震えていた。

「そおい!!」

そして気合いを入れて跳ねるようにその棚の上のものを払い落とすと、いくつかの瓶が揺れて倒れそうになっていた。

幸いにも倒れる瓶はなく、目当てのものが床に落ちる。

……手帳?

手帳よりも少しだけ大判の『ノート』という感じの分厚いもの。

厚紙のような表紙には何も書かれていないが、端が少しよれよれとなっており、年季が入っていることが読み取れた。

そのノートについた埃を払い落として、エウリューケはそれを僕に差し出す。

「ほい」

「……これは?」

「じっちゃんの、調合薬の記録」

ノートを手に取ると、ずしりと重い。見た目は何の変哲もない綴じられた本なのに。

僕は両手を開けるために持っていた茹で卵を口の中に入れる。口の中に入れた茹で卵から、刺激的な痛みが口の中に訪れる。しかし、それを気にもしていられなかった。

エウリューケの言葉を聞きながら本を開くと、昔見たアブラムの資料と同じような、それでいてそれよりも乱暴に書かれた文字が細かく並んでいた。

内容は、グスタフさんが修業時代か、それともその後かはわからないが、調合した薬の記録。

各症例が細かく書かれ、それに対して処方した薬。薬に含まれる生薬とその目的。さらには、薬の改善点や、処方されていないものの効果があるのではないかと新たに考えた薬のレシピ。

そんな、整理もされていない様々な情報が、僕の目に飛び込んできた。

「この街に来るまでにあたしも読んで覚えたけど、使えそうなものはあまりないね。あたしにゃ、さ」

また一つ茹で卵を手に取り、エウリューケは僕の方を見ずに呟く。今度は殻を剥くらしい、机に打ち付けた卵が割れる鈍い音がした。

「でも、カラス君には違うっしょ?」

エウリューケが手を止める。

「じっちゃんの弟子。副都イライン……というか、多分エッセンに残る炎氏本草学を学んだ最後の薬師」

「そこまで大それたものになった気はしませんが」

「大それてんだよ、あんたさんは」

上手く剥けたのか、エウリューケは熟練の指捌きで卵の殻を取り除く。真っ二つに上下に裂けた二つの殻をボウルに捨てれば、もうその指先には綺麗な白い卵があった。

「あたしたち治療師の台頭で、本草学は徐々にその影響力を失ってきた。千年の昔、勇者に付き従い魔王を打ち倒したことで聖教会が勢力を増すずっと前から。そして、その内の一派、炎氏本草学」

エウリューケは親指で壁際の棚を指し示す。

「毒、もしくは秘薬と呼ばれるようなものの技術に関しては、今の聖教会よりもずっと上だとあたしゃ思うよ。ま、あたしたちは法術も組み合わせてだけど、じっちゃんたちは薬だけで何とかしてきたんだもんね」

唐辛子の小瓶を手に取り、それを茹で卵に振りかけて、さらにそこに生姜を振る。

慣れているのか、エウリューケはその分量も調整しているように見えた。

「当然、あたしたちも秘匿してる技術はあったから、公開できないものもあるけどさ」

また一口エウリューケが茹で卵を食べる。だが、慣れていると思ったのは勘違いらしい、食べた次の瞬間に咳をするように苦しみだし、わたわたと腕を振った。

「……っー!!」

涙目になりながら水筒の水を手に取ると、一息に流し込む。あまり辛味には効果がないと思うが。

それでもどうにかして飲み込むと、机の上に置かれた瓶を睨んだ。

「誰こんなのここに出したの!?」

「エウリューケさんです」

僕は適当に答えながら、ノートを捲る。

たしかにそこには、あまり目新しい知識はない。既に習ったこと。本草学の基本と応用が書かれているだけの。

だが、目新しい知識がない、というのにむしろ少し驚きだ。

覚えている。この僕が、習ったことを。

「……カラス君は何も持ってこなかった。それはあまりにもあれだとあたしは思うんだ」

「…………」

「だから、形見分け。じっちゃんから、《神農》グスタフ・キルヒホッフから本草学を学んだカラス君へ」

エウリューケは、行儀悪く椅子の上に体育座りするように足を乗せる。

茹で卵を手に取らずに。

「これで、その本草学はじっちゃんからカー坊に受け継がれた。どう使うのかは君次第!」

「……受け継いだ、ですか」

書かれた年代が違うのか、所々インクが違う。そして後半は、少し細い線になっているように見えた。

これを、受け継いでいかなければいけないのか。

もちろんこの本に書かれていることが全てではない。むしろ、この本に書かれていることなど炎氏本草学の一部に過ぎないだろう。僕も多分、習えていないことなど山ほどある。

「受け継いだ責任なんか取れませんが」

「んなもんどーだっていいだしょ」

体育座りのまま、エウリューケは体を揺らす。視線を逸らすようにしながら。

「じっちゃんは渡した、カラス君は受け取った。それでおしまい。その後それをどう使うのかはあんたさん次第じゃよ。いらなければ燃やしちゃっても、じっちゃんは多分怒らんよ」

「生きているときに渡さなかったんです。グスタフさんは、僕にこれを渡す気はなかったと思いますけど?」

「それはどーだかわからんちん」

照れるように、にひ、と笑い、エウリューケは足を下ろした。

「さて、まだまだ茹で卵はあるからね! いっぱい食べていきなさい、これであなたもわたしもつるつる玉子肌!!」

「……それだけですと飽きそうな……」

「飽きないし。あたしずーっと飽きてないし!」

というか、飽きるというよりは、満腹感との戦いなのだが。

出された食べ物は残したくないが、昼食でそれなりにお腹を満たした後だし……。

エウリューケは立ち上がり、厨房の寸胴を見る。

そしてそれを持ち上げて横の流しのざるにあけると、ごろごろと白い物体が数十個は流れ出る。その殻同士が当たるガチガチという音に、僕は唾を飲み込んだ。

「お待たせいたしました」

僕が昨日の事を思い出していると、耳にノックの音とほぼ同時に言葉が飛び込んでくる。

反射的に立ち上がりそちらを見ると、先ほどの侍女が扉を開けて、そして目当ての人物が部屋に足を踏み入れてくるところだった。

「本日はご足労頂いて、申し訳ありません」

開口一番に僕へと笑いかけるのは、この部屋の主、カノン・ドルバック。髪は薄い桃色。その髪に負けない白い肌に、血色の悪さが透けている。

「お招きいただいて光栄でございます」

僕は胸に手を当てて頭を下げる。そこまで深くは下げなくてもいいだろうが、一応礼は失しない程度に。

机を挟んだ向かい側に、カノンが座る。侍女は立ったままだが、カノンは僕へと向けて席へと座るように指示をした。

「お話は伝わっていると思いますが」

カノンが口を開くと、ちょうどそこにお茶が置かれる。声には出さずにその給仕した使用人へカノンが首だけでお辞儀をして、また僕の方を向いた。

「伝わっていると思いますが、お頼みしたいことがあるのです」

「薬が欲しいと伺いましたが」

「はい」

そこから説明を受けたが、だいたい先ほどされたものと同じ事。

治療師から受け取っていた薬がなくなりそうで、新たに作ってほしい。そしてそもそもその治療師も少しだけ信用できなくなっているので、同じ薬ではなく僕独自のものを、と。

やることはわかったし、意図も理解できた。

だが、そうすると一つ問題はある。

「……先に断っておきたいのですが」

「何でしょう?」

「その治療師の見立てと、それに薬の処方も私と同一のものとなるかもしれません。私から見ても適切な処方ならば、同じ薬となってしまいますがそれでもよろしいでしょうか?」

「構いません。その場合は、今と変わらないのですもの」

ふふふ、と面白くもないだろうに面白そうにカノンは口元を隠して笑う。それようの扇子も使わずに。

「ちなみに、今お使いになっている薬の残りなどは?」

「アリサ」

「ここに」

用意していたようで、侍女が紙で小さく包まれた薬包を取り出す。それを机の上に置いて、僕へと示した。

「開けてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

侍女に聞いてから、僕はそれを開く。中には赤黒く、吹けば飛ぶような細かい粉末が入っていた。

顔の近くに寄せて嗅ぐと、鉄の臭い。それに、ほのかに血の臭い。

おそらく悪いものではないだろう。手の甲にわずかに落として舐めると、昔グスタフさんに味を見させられたものとほとんど同じ。知っている味がした。

「牛肝に、鉄丸、ですか」

他にもいくつか入っているが、主な成分はそれ。牛の肝と、鉄丸は文字通り鉄の細かな玉。

「そうです」

「これを毎食飲んでいるのですが、味が……」

「まあたしかに、美味しいものではないですね」

包み直し、僕は薬を懐に入れる。どうせ捨てるのだし、多分いいだろう。

しかしまあ、今のところ問題はなさそうなものだが。

この薬、要は鉄欠乏性貧血の対症療法に使われるものだ。

もちろん鉄の玉はそのまま入れるのではない。

鉄鍋を使い、一升の水に牛の肝と一つかみの鉄の玉、それにいくつかの薬草を入れて、火にかける。当然水は減っていくが、半分になったところでまた水を半升足して、また煮る。それを三回ほど繰り返した後に、今度は水がなくなるまで煮込み、最後に残った牛の肝を干して、乾燥させる。

その乾燥した肝を砕いたのが、この薬だ。黄春針牛散、だっけ。

しかしまあ、ありふれているが、貧血の対処としてはあまり間違ってはいない気がする。

「これ別にそのまま飲まなくても、味の強い料理に混ぜても大丈夫なので、次はそうした方がいいと思いますよ」

「そうなんですか?」

「ええ。火を通して効果の変わるものではありませんし、食べ合わせもあるでしょうが、それはまあ一緒に食べてしまえばそれこそ一緒ですし」

それよりも、毎食美味しくないものが混じるというのは耐えきれない、と思う。良く何年も我慢したものだ。艱難鳥を毎食食べろと言われているようなもの。僕は途中で怒ると思う。

「でも、効果があるとは思えませんし……辛いときには、《賦活》と言いましたか? そういった法術で補っているくらいです」

「……そこまで、ですか?」

僕はふと思考を止める。指を唇に当ててしばし悩むが、少々違和感があった。

鉄欠乏性貧血の症状を抑えるというのは、簡単ではある。単純に鉄分を補給すればいい。

しかしたしかに、おかしな話だ。それを数年も続けて、一向に改善が見られない。十代中盤という年齢的にその辺りで充分だと思ったのだが……。

『辛いとき』も、月経のとき、などということで一応説明はつく。その辺り、突っ込んで聞いてしまってもいいか……いいかな?

いやまあ、とりあえずは。

「お手数ですが、少々確認したいことがあるので、隣に……」

隣に座って、と思ったが、それもやりづらい。視界の端にスツールが三つあったので、それを使おう。

「いえ。そちらに座っていただいてもよろしいでしょうか?」

隣に、と言ったところで表情をわずかに固めたカノン。だが僕がそちらを指し示すと、ほっとしたような、あと……残念? ……まあ、変な表情をわずかに浮かべた。

「顔などを触ってもよろしいでしょうか?」

「え、ええ、まあ……」

いきなり失礼な申し出だが、まあ仕方あるまい。向かい合って座り、僕が少し身を乗り出したところでカノンはギクリとまた体を固める。

「目の下の色を見せていただきます」

許可も取ったし問題はないだろう。瞼の下を少しだけ押して、粘膜をわずかに露出させる。

色は薄い。それに加えて目の下のわずかな隈も、別に治療師の見立てと矛盾しない。

唇の端がわずかに腫れているのもそうだ。

「お手を見せていただいても?」

「は、はい!」

僕が手を出すと、それに重ねるようにカノンが手を出す。そんなに気合いを入れなくてもいいのに。

手の甲の肌は、顔の肌と同じで少しだけ荒れ気味。爪は……。

「…………っ」

少しだけ撫でると、割れていたのを削ったらしい。表面も少し筋があり、その上からジェルのようなもので固めて見辛くしていた。

手を返し、掌を見る。仕事などをしたことがないような傷のない綺麗な手。……でもないな。よく見なければわからないほどの古い火傷の跡がある。おそらくごく小さな時に、暖炉か何かに触れて焼いたのだろう。

それでも柔らかく綺麗な手だ。ルルと少し違って。

脈はやや速いか。

色はそんなに異常はない。……と思うのだが……。

掌を見つめながら、僕は昔グスタフさんに聞いた言葉を思い返す。

『掌ってのは、大体人間の健康がわかるもんだ。色もだが、使い方によって変形もする。それに、手触りだって……お前のはわからんな』

「っ……」

くすぐったいのか悶えるように抵抗するカノンの手をもう一度握るように触り、僕は感触を確かめる。

そして、グスタフさんの言葉の通り、手触りが……。

「…………」

なるほど。少し浮腫がある。太っているわけでもないが、おそらくは。

もう一度カノンの顔を見れば、わずかに逸らした目の下、頬も少しだけふくよかに見えた。そのふくよかさも、太っているわけではない。浮腫んでいるのだ。

標準範囲内だと思って見逃していた。思い出して良かった。

「……水やお茶は、一日にどの程度飲みますか?」

「え、ええっと……」

僕の質問に、カノンは困ったように侍女を見る。見られた侍女は顎の下に手を当てて、天井を見つめて何かを数える。すぐにそれは終わったようで、僕の方を見た。

「あまりお嬢様に申しつけられませんので……日にお茶の器五杯か……多くても七……」

だが口にされた数字はやはり一日に取るべきものよりも少なく、何となく僕の考えは固まってきていた。

そこからいくつかの質問を重ねながら、握っている手に少しだけ魔力を込めて、その中を見る。

見るのは血管。そして、そこを流れている赤血球。

あわあわとしながら答えていたカノンは、それでも慣れてきたのか、途中からは覚悟を決めたようにしっかりと答えてくれていた。

その質問の答えを精査しながら、それと血液を確認して、答えを照らし合わせていく。

たしかにこれは貧血だ。それは間違っていなかったし、症状的にも治療師も間違えてはいなかった。

でもこれ、鉄欠乏性貧血じゃない。

「ありがとうございました」

僕が手を離すと、反射的にかわずかにカノンが一瞬僕の手を握り返す。だが、もう終わったのに気づいたのだろう、その手はすぐに引っ込められていった。

「それではいくつか薬を調合したいので、……どうしましょう、少しお待ちいただいても」

そもそも手持ちのもので足りたっけ。多分材料はある。火は……今回使わなくてもいいかな。

いやでも、油は必要だ。持っていなかったと思うし、それは借りられないだろうか。

「ここで出来ませんか?」

というか、持ち帰って薬を届けるという選択肢はあまり採れないらしい。侍女はまた、そう急かすように僕へと尋ねてきた。

僕は渋る顔をしないように笑みを作る。

「出来なくもないですが、出来れば水が使いたいですね。あと、食用の油があれば少し頂きたいです」

「では……」

侍女が、また悩むようにしてから扉の外へと声をかける。呼ばれた使用人が入ってくると、すぐさま侍女が申しつけるように言った。

「カラス様を炊事場へ案内して。それと、油を一瓶用意してください」

「かしこまりました」

頭を下げてから僕を見て、使用人は外を指し示す。

「どれくらいの時間かかりますか?」

「 八半刻(十五分) もあれば」

今回は基本的には混ぜるだけだ。それくらいだろう。

侍女に答えると、一度カノンを見てから、僕を見て頷く。

「わかりました。お待ちしていますので、よろしくお願いします」

「かしこまりました」

僕が扉を潜ると、使用人が閉める。どうぞこちらへ、と案内されるのは、なんとなく懐かしい気がした。多分まだイラインにいた頃、貴族たちの依頼を受けていたときにもこんな風だったのだろう。

懐かしいと思うと同時に、思い出すと嫌悪感が湧く。あの街のことを思い出すと。

使用人に器を借りて、持っていた葉を粉砕していく。

今回作るのは、五種の生薬を混ぜただけの粉薬と、それを封入するように周囲を固める七種の薬草を混ぜたもの。周囲を固めるために油が必要で、練り固めるようにすると丸薬になる。

粉よりは丸薬の方が味的にはマシだろう。もっともそうすると、料理に混ぜることは出来なくなるが。

粉砕した葉の分量を確かめながら、僕はグスタフさんに習っていた日々を思い出していた。

生薬の配合はパズルのようなものだ。

『脳、肝、腎、心、脾、肺。重要なものがそれだな。次いで、胃に腸、膀胱に胆嚢、三焦……はまあ、血管と神経ってとこだな』

人間の体は、各種臓器とその連絡で成り立っている。どれか一部が機能不全に陥ると、その周囲も含めて機能不全、もしくは機能亢進が起きてしまう。

その機能不全が、外部から入ってきた何かで起きてしまうのが『実証』、ただ衰えなどによる機能不全が『虚証』。薬師の使う『証を見立てる』……いわゆる診断は、その判別をするものだ。

そして原因部位と不調の原因を特定したら、次には薬の調合だ。それこそ、まさしくパズルのようで……。

『生薬はその効果が様々だ。肝機能を高めるもの、腎機能を高めるもの、色々だが……そう言う単一の機能を持つ生薬なんざそうそうねえ』

生薬にも様々なものがある。

腎機能を高める代わりに、胃腸の吸収能力をなくしてしまうもの。肺のガス交換機能を高める代わりに、腎臓を痛めるもの。その他各種、様々なものが。

『病気だって色々あるな。そこ一カ所だけが悪くなるわけじゃねえ。神経が悪くなれば、膀胱だって悪くなることがある。胃が悪けりゃ腸がその代わりに強くなることだってある。人間、強くても弱くても駄目なことだってあんだよ』

そしてその機能を正常に近付けるために、生薬を上手く組み合わせる必要がある。

今回であれば、……。

今回の貧血。貧血ではあるが、鉄欠乏性ではない。

彼女には、わずかに腎不全の症状があった。あの若さで、とも思うが、ないわけではない。

先ほど聞いた限りでは、既に亡くなった叔父もそうだったらしい。とりあえず彼女にも、それがある。

腎性貧血だ。

症状的には鉄欠乏性と変わらないところもあるし、事実それも合併していたのだろう。だからこそ、治療師はそれだけだと思っていた。

今回の薬でやりたいことは、腎臓の賦活。それに、心臓の鎮静と今までの負担の分の強壮だ。

腎不全により、赤血球の産生が少なくなったことに起因し、血中の赤血球濃度が下がり虚弱になっていた。

そしてその分血液を全身に急ぎ回すため、心臓にずっと負担がかかっていた、とそんなところだろうか。

まず配合するのは、腎臓を賦活する薬草。そしてこれを使うと腸に負担がかかるので、整腸作用のある木の根も混ぜる。整腸作用に付随するのは血管の拡張だが、まあこれは心臓に負担をかけないためにあまり抑えなくてもいい。

そして心臓のためにもいくつか組み合わせて……。

『同じ薬でも、人によって効果に差はあんだ。男に女、年寄りに子供、筋肉質痩せぎす、おんなじ人間なんざ双子でもねえとそうそういねえし、その時の体調にだってよる。そこを忘れねえように量の加減を……』

ごりごりと、乾燥している根を小さな器の底で砕きながら、僕は何となく嬉しくなる。

生薬のパズル。あちらを立てればこちらが立たず、を繰り返して組み合わせる。そんな組み合わせに、迷うことはない。

受け継いできたこと。習ったことは、たしかに今僕の中にあるのだ。

今手に持っているのは、借りた瓶。作った薬は三十一錠。

借りた瓶の中に湿気を防ぐ紙を入れて、さらに錠剤一粒一粒を紙で包んで入れてある。これだけやっておけば湿気るまいし、仮に湿気てもくっつくまい。

あとは風通しのいいところに置いておいてもらえばいい。

包むのは使用人も手伝ってくれた。手伝ってもらえなければ十五分は過ぎていただろう。彼女らにも関わることとはいえ、ありがたい。

薬を手に、僕はまた応接室へと向かう。直線距離でわずか十数歩の距離だが、なんというか、緊張するものだ。

「お待たせいたしました」

僕の代わりに使用人が声をかけて、扉を開く。僕がまたそこを潜ると、先ほどと一切配置が変わっていない二人がそこで待っていた。

「おまたせしました」

僕も言葉を繰り返し、瓶を侍女へと手渡す。手渡された侍女は、その小瓶の中を見つめてしげしげと眺めた。

「丸薬にしておきました。そちらを三日に一錠、出来れば夜にお飲みください」

「そんなに少なくても?」

「はい」

そんなに劇的な効果もないが、二週間もすれば浮腫は落ち着くだろう。そして三月もすれば、一応症状も落ち着くのではないだろうか。

先ほどの接触中に、造血自体は促してある。それも含めれば、数日で効果も実感できるはずだ。

「毒味などは必要でしょうか?」

「……出来れば一粒」

「アリサ」

「申し訳ありませんが、……」

もちろんその程度はしよう。そのために一粒半端な数になっている。

信用されていない、ということではないだろう。だが慣例のように、ランダムに侍女は一粒取り出す。

そしてそれを僕へと差し出してきた。

僕も受け取り、一粒を舌に乗せて口の中にゆっくりと入れる。

毒を一粒混ぜてあるとしても、三十一分の一の確率。あまり効果のない毒味だ。まあそもそも入れてない上に、僕が飲んでも、本当に毒だとしても効かないのだが。

「今回のお嬢様の症状、おそらく腎の病によるものでしょう。それを飲みきる頃には改善されていると思いますが、まだ症状があれば、……またご連絡いただければ幸いです。もう少し強い薬もありますが、そちらは現在の手持ちでは難しいので。もちろん治療に失敗したということで、今度は治療師に頼ってもよろしいかと思いますが」

「治療師が間違えていたと?」

「それは私の口からは。少なくとも、原因箇所が私と違う考えです。なので少しだけ対処法が私と違う、といったところでしょうか」

エウリューケなどに聞いてみたらどうだろう。彼女ならば、薬すら必要なく治しているのではないだろうか。

怪我は除いて、病気に対する治癒の力は、僕は彼女には及ばない。病気に出来るのは対症療法だけだし、仮に腎臓を切り取り再生させたところで、僕の場合はまた再発しないとも限らない。

「では、その時にはまた」

「ええ。もちろん、今度は元気な笑顔を見せていただけるのが一番ですけれど」

リップサービスも込めて、一応『出来れば次はない方がいい』と伝えておく。

これはまあ用心だ。先ほどの言葉で終われば、次を望んでいるかのようにも聞こえてしまう。

「それでは私はこれで。皆様の昼餐の準備をお邪魔してはまずい」

「カラス様はお出になるんですか?」

立ち去ろう、としたその時に、カノンがそう僕に問いかける。

無論それは否だろう。呼ばれているのはご令嬢たちで、僕ではない。今回は勇者からの誘いもなかったようだし。

「いいえ。ルルお嬢様は出席なさいますが、そもそも私は出る権利などございませんので」

「そう……ですか……」

残念そうにカノンは口を尖らせる。だが、すぐに思い直したように笑顔を作り顔を上げた。

「私は今回欠席いたしますので、時間は大丈夫です。よろしければ、昼食を用意させますので、ご一緒にいかがですか?」

「…………とても心惹かれる話なのですが、遠慮させていただきます。皆様と同じ机につける身分ではありませんので」

僕は承知しそうになって何とか踏みとどまる。社交辞令をまともに受け取るところだった。きっと美味しいものを食べるのだろうが、さすがにこれ以上ここで接待を受けるのもまずい。

しかし、何を食べるんだろう。ルルはよくサンドイッチのような軽食で済ませているが。他の令嬢も似たような人が多いと思う。多分。

「それでは、失礼いたします」

「ああ、お送りいたします」

慌てたように侍女が僕の前へと出ようとする。扉を開けて、僕の見送りの体勢になって。

カノンも立ち上がり、僕へとスカートをわずかにつまんで頭を下げた。

「ごきげんよう」

「ありがとうございました」

僕も頭を下げて礼の言葉を述べ、応接室を出る。扉を閉めて先導するように進み出た侍女にぶつからないように歩調を緩めて、僕はついていく。

部屋を出て、大通りに僕と侍女は立つ。僕も立ち去るだけなのだが、侍女は心配そうに呟くように僕へと尋ねてきた。

「今日はありがとうございました。……効果はいつくらいで出るのでしょう?」

「あの薬自体はゆっくりとした効き目なので、倦怠感は十日ほどから三月ほどまでかけてゆっくりと抜けていくと思います」

やはり、手持ちの生薬が足りない。もう少し劇的な効果を持つものも調合できるが、材料がない。赤血球の産生は通常でもそれくらいかかる。今身体が増産を始めたとしても、治るのはまだ先の話だ。

ただ、まあ。

「しかし気分的には、薬を飲んで栄養を取っていただいて二日三日で改善はするでしょう」

今まで身体が重かった分、少し改善するだけでも気分は雲泥の差だ。

その程度でも、治ったと錯覚する程度には改善しているのではないだろうか。

その『改善』を早めた要因。法術のような魔法に関しては黙っていたほうがいいだろう。この城にも治療師はおり、そして噂の広まる速度は速い。

「それでも、飲み続けてください。薬がなくなるまでは」

「忘れないようにします……毎食でなくなると、忘れそうな気がしますね」

ははは、と侍女は笑う。まあ毎食と三日おき、忘れそうなのは明らかに後者だろうけれど。

そこまでフォローは出来ないので、頑張って欲しい。正直一日程度ならずれても問題ないし。

「それと、あの薬を他の人に飲ませたりはしないようにお願いします。飲んでも害は少ないでしょうが、カノン様に合わせて調合をしていますので」

「心得ました」

今度は自信を持って、侍女が頷く。そっちのほうは大丈夫そうだ。

「ありがとうございました。礼はまた、後ほど」

「ええ。それでは」

僕が踵を返したのを確認し、侍女が頭を下げる。

それを背に、僕はカノン・ドルバックの部屋を後にする。

ムジカルでは慣れたものだが、ここエッセンでもやることになるとは思わなかった。

薬師の真似事。ムジカルの時点で、もはや『真似事』ともつかないのだが。

しかし、と僕は考える。

やはり不自然だ。

あまり意味のない毒味だけで、得体の知れない僕から渡された薬を彼女たちは受け入れた。

身体に入れるもの、それも健康に影響のあるものだ。信用していない者に渡されても、普通なら絶対に飲みたくないもの。

僕が本草学を扱っているという噂といい、やはり何か干渉されている。

レイトンか、それともプリシラか。……まあどっちかというとレイトンの手によるものだと思った方が楽だろうか。

これがあの男の何の役に立つのか。

なんだろう、良い噂を流して謝罪という事ではないと思うが。

まああの男の役にどう立つのかは知らないが、それでも役に立った人はいる。

それを考えれば、まあきっとこれは良いことなのだろう。その『良いこと』にレイトンが関わるということにも違和感があるのだが。

使った生薬の代金や手間賃はあとでくれるらしい。

それを受け取るのも吝かではないし、まあいいだろう。

……レイトンの意図としては、治療させたい誰かがいるのだろうか。

そんなことを考えつつ僕が部屋に戻った頃には、ルルたちの準備は終わっていた。