軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

役者は揃った

僕ら……というかルルにあてがわれた部屋は、他とほとんど同じ作りだ。

大きさ的には僕の家だったところと変わらない程度のリビングが二つ。寝室が一つ。水を湧かす程度のことは出来る程度の、換気窓と煙突つきの小さな炊事場。……室内だけど、薪を燃やして大丈夫だろうか。

それに使用人が使うことを想定している他、納屋としても使えるよう用意されているのだろう三畳ほどの小さな部屋が六つあった。

僕も含めた使用人たちは、別棟とかで家関係なくまとめて寝かせた方が省スペースになると思うけれど、まあ私室があって悪いことはないので批判はしまい。

施工中も見てはいたが、壁を叩いてみると、やはりあまり分厚いわけではない木の壁。それでも寝室やリビング、それに厠を隔てる壁は厚い上に間を開けて二枚入れているようで、それなりの防音性はあった。

驚いたのは厠だ。もちろん部屋の中のものはルルたち貴族子女専用ではあるが、暗い穴の中にどこからか水を引いて、それに常に圧力でもかけているのか音を立てて水が流れ続けている。……一応、高貴な女性たちが住む部屋ということで考えられているのだろうか? 前世の外国の宮殿では、トイレがなかったという話を聞いたこともあった気もするが。

「カラス殿、それはこちらに」

「ああ、はい」

そして現在、僕たちは力仕事の真っ最中だ。僕らといってもルルとオトフシは不参加だしサロメは主に指示なので、僕と下男下女と城から派遣された使用人の女性の四人だけだが。

それに、力仕事といっても下女ナミンはあまりそれには参加しない。今僕が一人で運んでいる引き出しつきの姿見などは、同じ大きさの石よりも重たく、さすがに下女には運べまい。

「右ー! 右注意ー!」

「はーい!」

廊下を見れば、同じような者たちが所狭しと動き回っている。クローゼットや衣服、それにお気に入りの私物など、運び込む作業はどこも一緒らしい。

廊下は大人三人が両腕を横に伸ばした程度の幅。余裕はあるが、やはりすれ違うのには気を遣った。

そういうときに役に立つのはやはり魔法使いや闘気使いなのだろう。

荷物を運んでいる人間を見れば、たまにそういう者がいる。取り回しのために足は取っているようだが、それでも明らかに重量のあるピアノに似た弦楽器を一人で運んでいる者。『枕が変わると寝られない』どころか、ベッドが変わると寝られないのだろうか、解体したベッドをまとめて担いでいる者など、様々に。

残念ながら、ザブロック家の搬入作業には、そういう者は三人しかいない。

そして三人のうち一人のオトフシは不参加……私室内で警護はいらないだろうに……、まあ、なので重たい荷物は僕一人、もしくは少し闘気の出力の弱い『その人』と下男の二人で運んでいた。

大きな窓があれば、まとめて僕が一人で運び入れるのに。

だが換気程度にしか開かない天窓しかないこの部屋では、それも出来なかった。

最後の大きな荷物、文机を部屋の隅に置くと、サロメが目録を見ながら僕に声をかけてきた。

「……これで一段落、でございますね」

「あとは綺麗に整えるだけですか?」

「それは私がやりましょう。カラス殿は……」

言いかけて、サロメがリビングの入り口を向く。派遣された使用人が姿を見せたのを感じ取ったように。

「いえ、整列や手入れはナミンたちにやらせましょう。カラス殿は私室の準備でも」

「わかりました」

僕の私室も当然他の使用人と同じく三畳ほどの一間で、窓もなく小さなもの。灯り用の燭台をつけるような小さな出っ張り以外、ただ漆喰で塗られている粗末な部屋だった。まあそれで充分だ。

そして僕にも荷物はある。背嚢一つにはいった全財産。……広げるようなものではないけれど。

それでもとりあえず、確認だけしておこうか、と先ほど荷物を投げ入れた僕の部屋へと足を向ける。その背後で、サロメの言葉が響いた。

「オルガ殿。お嬢様へお茶を用意したいのですが、竈は使える状態でしょうか?」

「すぐに用意いたします」

ふふ、と笑い、臙脂と白のエプロンドレスを着た女性が、軽く手の埃を叩き落とす。

それから使用人……オルガさんは踵を返すと、それにサロメの足音が続いていった。

……そう、この依頼、また更にやりづらくなったのだ。

いや、難易度的にではなく、こう、僕の心情的に。

先ほどの会場、王の言葉直後のことを思い出す。

そこでサロメに話しかけて、そしてルルに挨拶に来た彼女に、僕はまず驚いた。

「こちらの王城で過ごされる間、身の回りのお世話をさせていただきます、オルガ・ユスティティアと申します」

「よろしく、お願いします」

ルルの言葉に応え、にっこりと笑う彼女の笑顔はあの時とあまり変わっていなかった。というか、年齢を偽ることはやめたのだろうか。外見年齢は僕よりも少しだけ年上、という程度に収まっていた。

どういうことだろう、何故ここに、と僕はオトフシに目で問いかける。だがオトフシも、知らないという風に首を横に振った。

「こちらへ。お部屋へとご案内いたします」

だが僕らとは顔見知りということもおくびに出さず、オルガさんはルルの案内を始める。

もちろんその後の会話などもない。僕の荷物搬入作業は一人で行い、そしてオトフシはルルの傍についていたために話す機会もなかったということもあるが。

荷物を漁り、薬の小包が床に転がったところで我に返った。

拾いながら息を吐く。

そうだ、今は荷物の整理中だ。これ部屋の隅に置いておくだけでいい気がするけど。

そんな風に考えても、やはりオルガさんへと思考が戻る。

しかし、何だろう。彼女がここにいる理由。まだ、婿捜しの奉公を続けているのだろうか。

外見年齢操作の指輪は、まだ右の人差し指に填まっていた。婚約指輪などそういうものがないということは、未だ結婚していないのだろうか。いや、この世界でも、贈らない者も多いと聞くが。

やはり、頭が痛くなる思いだ。

懐かしく、そして苦い思い出。あの時のプロポーズを断った選択の正否は、未だわからないままだ。

……いいや、それも違う。

あの後も、僕は色々と問題を起こした。現在進行形で歪な僕が結婚をしても、ただ相手を不幸にするだけだ。あの時結婚していたら、ただオルガさんに迷惑をかけていただけだ。

それにまあ、僕からの気持ちは今のところない。オルガさんも、あの時のことは一時の気の迷いとして、なかったことにしてしまっているのかもしれない。僕の優柔不断さ故に保留としてしまったあの話、もしもまたそんな話が上がれば、その時は改めて断ろう。

薬を背嚢に戻し、口を結ぶ。

思考を戻そう。

一応荷物の隠し場所など作っておいたほうがいいだろうか。窃盗などまずあり得ないとも思うが、それでも用心するに越したことはない。

たいして隠せる場所はないけれど。私室であれば、天井の上か、床下か、程度。

使用人が大金を持っていることなど想定していない作り、と考えてしまうのは穿ちすぎだろうか。

部屋の主に用事がなく、そして仕事もなければ使用人はここで待機するのが本来一般的なのだ。セキュリティも、考えるだけ無駄かな。

今日の夕食は、ほとんどの家が共同の食堂で取るらしい。まだ手配していた食材が届いていない家も多く、個別に出来ないところが多かったらしい。

そして、そのルルのおつきも僕の仕事だ。いや、ただサロメの後にくっついていくだけだが。

ちなみにオトフシは、その時間食事を取っていた。本当は僕たち使用人は貴族の方々の後に賄いの大皿料理を食べることが出来るが、僕らの業務の性質上、その時間も誰かがルルの部屋にいなければいけないだろうというのがオトフシの言葉だ。

しかしなんだろう。

……やはり、貴族の料理は美味しそうだが、食事は美味しそうに見えない。

「この兎、苔桃を使ってるのかしら」

「蓬の付け合わせがあってるわ」

当然のようにコース料理なのだが、タイミングもある程度まとまって取るらしい。まるでこの前の晩餐会のような食事風景で、皆背筋を正して行儀良く飲み食いしていた。

匂いからすると、酒は出されていない。だが先ほど厨房をこっそりと覗いたときには、飲むために冷やされているようなものもあった。多分飲む令嬢もいるのだろう。ここエッセンでは十五歳を超えれば飲んで良いし、二十歳を超えている令嬢もいるくらいだ。駄目な人ももちろんいるが、年齢的に全く問題ない人もいる。

僕は壁際に控えて、じっとその光景を眺めている。

同じように手持ちぶさたにしている従者もそこらじゅうにいるため、問題はないだろう。……何もしてないし、何をしに来たのかわからなくなっているのは問題だが。

「貴方のところは、料理人を連れては来ませんでしたの?」

「ええ。サロメも……ある程度作れますし、こちらでいただけるとも伺ったので」

「それで、代わりに……?」

ルルの横で食べている……ええと、……ルネスがちらりと僕の方を向く。僕は彼女らのほとんど後ろにいるので、視界の端にわずかに入っている程度ではあるが。

彼女は昼と違い、黄色か橙かわからないような髪を上でまとめ、ドレスも少し露出を増やしてうなじを出していた。ちなみにルルはあまり変わらない。

「私はいらないと言ったのですが、何が起きるかわからないので、お母様がどうしてもと」

困ったようにルルは笑う。いやまあその通りなんだけど、さすがに本人の前では……いいか、別に。

「……そう」

とうとうルネスが僕の方を向く。あまり行儀はよろしくないはずだが、体をねじり背もたれに手をかけた。

「ねえ、貴方、お名前を聞いていませんでしたね。お名前は?」

「……カラス、と申します」

僕は軽く頭を下げてから、顔を上げて言葉を待つ。ルネスは小さく口の中で、確かめるように僕の名前を呟いていた。

それから顎に手を当てて、片目を瞑って悩む。何かあったのだろうか。

「……カラス……聞いたことがあるのですけれど、どこだったかしら」

「はばかりながら、一部ではそれなりに名が知れているようなので……」

まあ不思議ではない。僕の名前は知れている。イラインでは嫌な噂とともにだったが、こちらではどうなのだろう。

……いや、違う。僕は王都で活動していないのに、どうして彼女が?

「そうなの? なら、武勇伝などがあるのでは?」

「人に話せるようなものはあまりございません。申し訳ありませんが、ご期待には添えないかと」

ルネスの言葉に返しながら、確かに、と自分で納得する。そういえば僕には武勇伝がない。人に自慢できるような活動を最近何もしていない。

「力もないのに名ばかりが売れて、困っております」

僕は本音混じりの謙遜を吐く。僕の噂は悪いものが多い。それを気にしていなかったから、リコの悲劇は起きたのに。

「お嬢様、冷めてしまいますので…………」

あまりの行儀の悪さを見かねたのか、ルネスの侍女らしき女性がルネスに注意する。

それに素直に『はいはい』と応えたルネスは、『またお話しさせてください』とだけ僕に言って、料理に向き直った。

食事も終わり、ルルは席を立つ。ルネスに部屋へと招かれたが、もう遅いのでとルルが断ると、素直に彼女は応じてくれた。貴族にしては物わかりが良いらしい。

食堂を後にする。そうして歩き出した僕らにむけてではないだろうが、部屋の隅で、笑い混じりの言葉が響く。

ちらりと見れば、兎肉のステーキにナイフの先を突き刺して、唯一楽しそうに笑っている男がいた。

年の頃は二十くらい? 体型は少し太めで、オールバックに後頭部をリーゼントにした茶髪。……ええと、誰だっけ?

男性だから数は少ないのだが、そうすると今度は衣装も同じようなものが多くて困る。

鼻中隔湾曲に、……あ、右目の重瞳。

思い出した。

というよりも、反省しなくては。覚えておかなくてはいけない重要人物だ。

隣にいる子分じみた男性の肩を叩いて笑っている人物。

ジュリアン・パンサ・ビャクダン。オトフシが要注意人物として挙げた中で、もっとも階級の高い家に生まれた人物。ビャクダン大公の次男だったか。

ルルもふとそちらに視線を向ける。それからきょとんとした顔で立ち止まる。

「どうかなさいましたか?」

「……いえ」

サロメが尋ねるが、ルルは何も答えずにまた歩き出した。静かに、いつも通りの足取りで。

それを追うように進んでいくと、食堂の笑い声が背後に消えていくのが殊更にわかった。

ちなみに賄いのメインは兎肉の寒天寄せだった。

屑肉を有効活用したもののようだが、もとが良いのと下ごしらえが丁寧なのとでとても美味しかった。他家の使用人に驚いた様子がないのが意外だったが。彼らは普段、もっとよいものを食べているのか。

次の日。

今朝の賄いは焼き目が悪く令嬢令息に出せないパンと、血などが混じった卵で作られたスクランブルエッグのようなもの。他にもサラダがあったか。実際には令嬢たちに供されているものよりも味は落ちているのだろうが、どれも中々に美味しかった。

そして昼前には、僕たちは召喚の間に集められる。

場所は、やはりレイトンと以前訪れた召喚陣の部屋。定められた経路を部屋に訪ねてきた係の者に案内され、階段を下り、あの日引き返した場所まで歩く。今日は開放されているようで、聖騎士の警護はそのままに、城門のような大きな扉は開かれたままだった。

令嬢令息だけで約五十人。だが、全員は集められていない。

召喚の間に同席できるのは、伯爵位以上の家のみ。要はルルも入るのだが、男爵家の二十名ほどは省かれていた。

そしてその代わり、貴族たちが観衆として参加するらしい。大人が大勢歩いているが、この中の大半が爵位持ちとは恐れ入る。

重たそうな扉を見ながら、ルルに続いて僕たちは部屋へと入り、そして感心する。

滑りそうなほどに磨かれた床。それでも光沢はなく、黒に近い灰色のコンクリートのように見えるのに感触は金属質だ。

そして部屋は、ノイズまみれだったあの日には読み取れなかったほど巨大だった。

天井は高い。通常の家屋のものよりもやはり高く、扉に合わせたような大きさだ。実際には扉を部屋に合わせたのだろうが。そしてその部屋の広大さは、通常の家屋と比べものにならない。

今現在入っている人間は、目測で適当に数えて三百人は下らない。それが収まってなお余裕がある。野球のグラウンドほど、と思えばそれくらいなのだろうか。実際には僕は立ち入ったことがないので知らないけど。

人間たちの足に阻まれよく見えないが、部屋の中央にあの日確認した魔法陣がある。入って少しだけ違和感を覚える程度の傾斜だが、部屋はそこを中心にすり鉢状にへこんでいるようだ。

魔法陣の周囲に十人ほどいるのは、あの日と違うがやはり魔術師たちだろうか。魔法陣が柔らかな明滅を繰り返し、その顔を微かに照らしていた。

「お嬢様、はぐれませんよう」

「気をつけます」

召喚陣まで二十歩ほどの距離で立ち止まり、サロメがルルを気遣い声をかける。それにルルも笑顔で応える。一連の応答の間にも、少しだけ人は増えていた。

整列の声はないが、何故だか皆綺麗に並んでいく。列を作るというような感じではなく、綺麗に間隔を開けたまま詰めるという感じだが。

もちろんその中心は召喚陣。魔術師が作る一番近い円から一歩だけ離れているのは、国王とその一団か。……一緒にいる巻き毛の若い女性は王女かな?

そしてそこからまた少し離れるように、聖騎士装備の兵たちが十数名並ぶ。……あれが皆プロンデと同レベルと考えれば、竜程度ならば簡単に殺せるのだろう。

聖騎士の一団の中で一歩前に出て、指揮を執っている人物がいる。多分団長か副団長クラスなんだろうけれど……。

緑に近い青い髪。それを頭の後ろで括って垂らしている。骨格と筋肉の印象が乖離していないため、がっしりとした体格は天性のものだろう。

名前はわからない。だがその白いコートの胸につけてある勲章は、伊達ではあるまい。

……そうか、聞いてみよう。

「オトフシさん」

「なんだ?」

ルルに帯同しているのは、僕とオトフシとサロメ。おそらくその中で、一番の情報通はオトフシだろう。オトフシには悪いが、僕の好奇心を満たすのに付き合ってもらおう。

口の動きだけでオトフシに問いかける。僕たちが話していることをルルは気がついていないが、今回サロメは気がついたようだ。

「聖騎士団って十七ありましたよね?」

「そうだが」

「なら、あの方も団長ですか?」

僕の視線の方を向いたが、群衆で見えなかったのだろう。わずかに目をこらし、ようやく隙間から見えたようで、頷いた。

「ああ。序列第二位の聖騎士団〈旋風〉の団長。〈涼風〉のクロード・ベルレアンだ。……他の十六人の解説もいるか?」

「……そこまではいいです」

愉しそうに笑みを浮かべたオトフシの言葉を、遮るように断る。今でさえ、貴族令嬢と令息の名前と顔だけで頭から零れそうなのに、顔も見ていない者の名前など覚えられない。

いや、今聞いたのは僕だ。

なるほど。群衆の端々に目を送れば、他にも聖騎士装備は群衆に紛れるようにしている。ここには聖騎士団の一団がいると考えていいだろう。

……つまり今ならば、仮に五英将クラスの一人がここに来ても対抗できるわけだ。来たら困るけど。

「……ちょっと離れます」

「どうした?」

オトフシに、僕は視線で群衆の向こうを指し示す。それだけで事情は知らずとも意図を汲んだのだろう、オトフシは『わかった』と言って視線をルルの方へ戻した。

僕はそこから一歩遠ざかる。客だ。

千客万来というか、まあここにいるのは当然だろう。

良い匂いがするような気配が横から近づいてくる。微かに人混みが割れるのは、きっと彼女に遠慮しているからだ。

だが、近づいてきて欲しくはなかった。

「……今日は一人なんですか?」

一応今気がついたような演技をしなければなるまい。声をかけられた僕はゆっくりとそちらを向くが、言葉の主と視線は交わらない。

彼女は、目を瞑ったままそこにいた。

大きな帽子は前と同じ。赤いコートもそのままに。ただ近づけば、瞑目した姿がとても奇妙に見えた。

「……失礼ながら、どなたかとお間違えでは?」

僕の受け答え。だが、彼女はクスと笑う。帽子の中が、少しだけ震えた気がした。

「あら、そうでしたか。それは失礼いたしました」

軽く頭を下げるが、その声の調子は冗談染みている。……いやまあ、もうバレているのだろうけれど。

「最近は鼠さんが多いようで。三匹ほど屋根裏にいましたが、見間違えだったなんて残念」

「大変ですね」

諧謔か、それとも比喩を使った脅しか。それはわからないが、一応無反応を通せたようだ。

クロエが目を開く。光のない目が僕を射貫く。

「でも、ここで知り合ったのも何かの縁。私はクロエ・ゴーティエ。貴方の名前は?」

「……これは申し訳ありません。〈欠片余り〉のクロエ様でしたか。……私は……」

そして、今、来てほしくない人がもう一人いるのに気がついた。

いや、彼女に関しては、今回は本当に空気を読んでほしい。

言葉を紡ごうとした僕に向けて、横合いから衝撃が走った。

「カラス君ドーン!!!」

「ぅぇ……っ!?」

全身でぶつかってきた女性。その笑顔の声が、僕らの周囲にだけ聞こえるように響く。……いやこれは、僕以外には聞こえてないのか。どうやら一応魔術か何かで偽装はしているらしく、反応したのは僕と目の前のクロエだけだった。

突き飛ばされないように蹈鞴を踏んだ僕を瞑った目で追いながら、クロエは動じず握り拳の掌を口に当てる。

「まあ。カラス様、というのですね。以後お見知りおきを」

「……ええ、よろしくお願いします」

クスクスと笑いながら、クロエは『それでは』とその場を立ち去っていった。

それと入れ替わるように、僕の肩をばんばんと叩く女性がいる。視線が集まるから勘弁してほしい。

「何今の? カラス君のコレっすか、おうおう、すみに置けないのう!」

小指を立てて、エウリューケがにんまりと笑う。その笑みと反対の憮然とした笑みを、こちらを確認したオトフシは浮かべていたが。

「今知り合ったばかりの女性です……」

ルルたちに不自然に思われないよう反論しつつ、エウリューケを見れば、僕の言葉が止まった。なんというか、変な感じだった。

僕よりも小さい身長も、多分体型もそのままなのだろう。

だがいつもと服が違う。いや、いつもの服だとそれはそれでこの場では違和感があるのだろうが。

「お? お? いつもと違うあたしに惚れそう?? でもでもざんねん! エウリューケちゃんは今恋愛とかそういうのに興味がない年頃なのでー、うひょー!!」

「違います」

言葉へは端的に否定しながら、僕はその変装具合に感心する。

今日の衣装はいつもと全く印象が違う。いつもは分厚い茶色のローブを何枚にも重ねて、さらに胴にベルトを幾重にも巻いたような格好だった。

しかし今は、なんとドレス。それも首下は布があるが肩が大胆に露出したような青いドレスだった。さらに三つ編みにしていた髪の毛を、シュシュを使い全て頭の後ろでまとめている。これで身長が高ければ、大人の女性と言っても誰も疑わないだろう。

「……あんまりはしゃがないでよ。いまのきみは、キュヴィエ伯爵夫人なんだ」

そしてもう一人、声が響く。

先ほど一瞬思ったが、やはり今日は千客万来だ。

「わかってらい。レーちゃんこそ、今はあたしの家来ってこと忘れんなよ! 卵買ってこい! 最高級品だぞ!!」

「はいはい」

現れたのは、もう一人。金髪の男。いつものカッターシャツではなく、その上に緑の礼装を着込んだ優男。

レイトンだった。

「きみが正規の手段をとってここに入るなんて驚いたね」

「……僕も地味に驚いていますが、どうやってここへ?」

「さっき言ったろ? 今のぼくは、キュヴィエ伯爵夫人のお供でここにいるのさ」

それがおかしいと言っているのに。

エウリューケももちろん爵位など持っていない。それに、レイトンが普通にこの城に入れるとも思えない。

キュヴィエ伯爵というのは、何だろうか。

「……この前この王城へ入ったときに、布石は蒔いておいた。こういった命令系統の重い組織って便利だね。名簿の正誤を確認しないんだから」

「紛れ込ませたんですか」

「そう。架空の貴族に、上手く招待状を発送してくれたよ」

ひひひ、とレイトンは笑う。

この前僕たちが王城へ侵入したとき、目の前で転んだ官吏の持っていた書類。あの関係か。

「だから今のぼくたちは堂々とここにいる。面白いだろ?」

「ふひょー! カーくん、レーちゃん! 始まるみたいですぜ!!」

僕たちの会話を遮るように、エウリューケが小声ではしゃぐ。周囲に聞こえないようにしているとはいえ、不用心な。

しかし、そうか。ついに。

両手それぞれの人差し指と親指で輪を作り、エウリューケがそれを両目に当てて覗き込む。魔術による望遠だろう。以前、詠唱はあったが使っている者を何人か見た。

僕も眼鏡の位置を直し、目をこらす。

観客がどよめく。

魔術師の汗が滴り落ちる。

魔法陣の光が強くなる。

明滅も激しくなり、そして色も虹色のように変化し続ける。

風もないのに、ゴー、という風が吹くような音が響く。

部屋全体が揺れているように感じた。

「きますぜきますぜー!!」

魔力を空中に這わせ、そちらからの視点で、僕も補正をかけてしっかりと確認する。

魔法陣から、一瞬床が透けて見えるような強い光が走る。そして一瞬だけ静かになると、また中心に光が集まり光の玉を作った。

光の玉が爆発するように広がる。

まばゆい光。それが艶のない壁を明るく照らし、観客の影すら見えなくする。

視界が真っ白に染まる。魔法陣の魔力の影響か、僕の魔力圏から受け取れる情報も一切消失する。

観客が悲鳴を上げる。

熱もない光に体を包まれて、焼かれている気さえした。

だがそれもまた一瞬のこと。

暗転し、部屋が暗くなったように見える。光が消えただけだが。

そしてまた、観客にどよめきと歓声のようなものが走った。

「……、い、痛ててて……」

部屋の中心。魔法陣の中心。

そこには、ブレザー姿にネクタイを締めた、十代後半の男性が、横倒しになった自転車とともに尻餅をついていた。