軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

笑顔の再会

次の日。借りている宿の部屋で。

服装は、こんな感じでよかっただろうか。

僕は姿見の魔法で何度も自分の姿を確認する。

外套を変える気はない。リコ作成の竜鱗の外套は、汚れていない限りはフォーマルな場でも通用するはずだ。一度洗って埃を落とせば、この十日間の汚れのせいだろうか、ほんの少しだけくすんだ輝きが透き通ったようになった気がする。

だがその下。カッターシャツに黒いズボン。いつも着ている装飾も何もないそれは、庶民の一般的な服装といった感じで、貴族に呼ばれて行く分には少々不味い気もする。

もちろんそれもリコ製なので粗末なわけではないが、……。

貴族から呼び出しを受けたことはこれが初めてではない。

以前イラインでは、貴族からの依頼を受けていた。まあ、直接家の主人に会うこともなく、従僕と話すようなことも多かったが。

その時とは事情が違う。

あの時呼び出されたのは探索者としての僕で、貸衣装屋を使うなどして気を遣っていたとはいえ、多少服装に不備があっても多分見逃されていたのだろう。

ところが、今回はそうではない。

呼び出されたのは晩餐会。おそらくそれが目的ではないというのがオトフシの予想だが、それでも名目上は晩餐会向けの服装をしなければならない。

小汚い格好……というわけではないが、普通の服装ではいけないだろう。

といっても、あまり着飾るのも気が引ける。

身分はこちらの方がもちろん下。たしか、僕の知識の中ではそういった会では主賓、もしくは最も身分の高い人間以上に派手な服装をするのは憚られたはずだ。

着飾りもせず、そして失礼のない程度の簡素な服装で。

考えれば考えるほど面倒な話だ。

前世では背広を着てネクタイを締めればそれでよかったというのに。

……あれも一応、その場に合わせたやつがあるんだっけ? そういう物を着た経験がおそらくない以上、細かいことはわからないが。

まあ、悩んでいても仕方がない。

今回は貸衣装屋に頼んで適当に服を見繕って貰った。姿見の角度を変えれば、さすがにプロの仕事だ。なんとなく、いつも着ている物とは違う気がする。作りはリコの方が丁寧な気もするが、それでも細かな細工や装飾が、そういったものがわからない僕の目にも、なんとなく。

肌触りはいつも着ている物のほうがいいと思うけれど。

「しかし、生活感のない部屋だな」

「単なる宿ですからね」

最終確認をしていた僕に向けて、ベッドに腰掛けたオトフシがそう口にする。

一応今回は迎えが来る。その迎えに来てもらう場所をどこにするかという話になったのだが、とりあえずどちらかの宿ということにした。

そしてオトフシの『婦人の宿に立ち入る気か?』という言葉で僕が泊まっている宿ということになった。

本当は宿の前でよかったが、衣装を整えているオトフシはそれなりに目立つ。

紺色の厚いワンピースのような長袖のドレス。もちろん機能性は考えられているのだろう、動くには全く邪魔にならないような折り目やゆとりのある設計。あと多分、香水の匂いに隠れているが革などを使った防刃加工が裏地にあるだろう。防具としても使えるドレスとは物騒なものだ。

それに、小さな鞄のようなわずかな荷物を持っている。中に何が入っているかはわからないが、さっき金属質の音が少しした。多分、化粧品のような類いのものではあるまい。

約束の時間より早く来たオトフシ。彼女が宿の前で陣取っているのは迷惑だと宿の主人から苦情が来たため、僕の部屋で待っていてもらっているわけだが……。

「荷物をいつもまとめているのはいい心がけだ」

「退路は? 窓の外の足場からすると……いや、お前は飛べるのか」

「寝台の敷布は起きたら伸ばしておいたほうがいいな。その日の夜に……な」

チェックが厳しい。というか、うるさい。

僕への指導というよりも文句を言うのを楽しんでいるという感じなので、僕の反応を期待してはいないだろうが。

「……それで、オトフシさんは武装の方は?」

「フフン、知りたいか?」

何気ない僕の質問。それに対し、オトフシはにやりとした笑みを浮かべて自分の腿を軽く叩く。

今の動きだと、太ももに小刀……あと袖に寸鉄と、首筋にワイヤーのようなものがある……かな? 他にもいくらでも出てきそうだけど。

「いいえ」

聞いておいてなんだが、別に正しく知りたいわけではない。

それを告げると、オトフシは眉を顰めて溜息をついた。

「俺が脱がせて確かめてやろう、程度の軽口も覚えておいた方がいいぞ」

「そんな恐いこと誰が出来ますか」

僕が呟くように答えると、オトフシはまたつまらなそうに天を仰いで溜息をついた。

そろそろ時間だ。

そう思った僕の思考を読んだわけではないだろうが、オトフシがぴくりと顔を上げる。

「来たな」

「ええ」

わずかに開けていた窓から紙燕が入ってくると同時に、馬車の車輪が石畳を踏む音がする。

馬の嘶き。二頭立てか。

「行きますか」

背嚢の中にある高価なものを小袋に詰め、外套の裏の隠しに忍ばせる。今回の行為の副産物だが、金貨や銀貨がようやく一つの袋にまとめられた。

そして、一応という感じで備え付けられた宿の金庫の中に残りの雑多な薬や調理器具を詰めておく。

……といっても鍵は部屋の鍵と共通なので宿の主人からしたら無防備なものなので、鍵の内部の金属部分を念動力で少し曲げておいた。今は正規の鍵でも開かない。あとで元通りにしておけばいいだろう。

薄い鉄板の金庫なので、壊そうと思えば壊せるというのはさすがにどうにも出来ないが。

宿の主人に『少し出てくる』と告げ、僕らは宿の外に踏み出す。

待っていたのは、馬車と、その横に立ち、今まさに宿に入り僕らの所在を尋ねようとしていた従僕らしき男性と御者。

従僕にオトフシが招待状をちらりと示すと、納得したように男は頷いた。

当然のように、王都まで使っていた馬車とは乗り心地が違う。

僕とオトフシは、少しの間を開けて並んで座る。椅子の緑色のクッションが柔らかい。

「こういう馬車は初めてですね」

「そうか」

オトフシは慣れているように静かに座る。

窓のある馬車だが、カーテンが閉められているため外はあまり見えない。だが、その隙間からほんの一瞬ちらりと見えたのはオトフシの操る紙燕か。周囲の警戒は怠っていないらしい。

「……本当に用心深い」

「妾はお前と違い臆病なのでな。先が見えないとなると、それだけで恐怖なのだ」

「それは多分僕も変わりませんよ」

光がないという意味での暗闇は僕には関係がないが、それでも何も見えないという意味での暗闇は恐怖だ。

「今から行った場所で、何が起こるのかわからないのは怖いですし」

ザブロック家での食事会。四年以上前の印象からすれば、僕らに危害を加えるような意図はないと思う。

でも人は変わる。壁に飲まれた数時間で、簡単に変わるように。

「然り。だが何か起きるときに必ず前兆があるとは限らん。いつの世も、人を救うのは好奇心と臆病さだ。ならば妾は臆病さをとろう」

「好奇心のほうでいいのでは?」

「そちらはスヴェンに任せてある」

頬杖をついて、オトフシは見えないカーテンの向こうを見る。その微笑みは、先ほどまでと種類が違っていた。

「……どういった関係で?」

久しぶりに聞いた名前に、僕はたまらず聞き返す。

何か二つのものを分け合った。オトフシの言い方からすれば、近しいはずだ。

「今は何も関係ない。女の過去を詮索するものではないな」

「自分から口に出したのに」

僕が唇を尖らすと、オトフシがまたニ、と笑う。それ以上話してくれることはないのだろう。気になりはしないが、中途半端でなんとなく気持ち悪くなった。

オトフシとの世間話を続けているうちに、街の気配が遠ざかる。

人の声が少なくなってきており、代わりにどこかで鳥や獣の声が多くなった気がする。

禁じられてはいないために別に堂々とやってもいいのだが、カーテンをそっと開けて外を見れば、すでに郊外に入ったところだった。

「もうすぐですかね」

たしか、馬車の並足ではあと少しだったと思う。あと二つ角を曲がり、そしてまっすぐにしばらく進めば門があるはずだ。

広い敷地。王都の方に見覚えはなかったが、この郊外はまだいくらか覚えている。

だが、何か違和感があった。道が変わっているということもなく、建物が変わっているという感じもしないのに。

高い塀が続く。その隙間から時折見える建物は、やはり前と同じ。

もうすぐザブロック邸だ。

あとは道なりに進むだけ。

この違和感は何だろうか。そう悩んでいた僕は、ここまで来てようやく気がついた。

そうだ、変わっていないのだ。

建物も、道も。

そして、違和感を覚えた理由もわかってしまった。

これは違和感ではなく、落胆だ。僕はまだ期待していたのだろう。この街も、どこか変わっていてほしいと。

やがて、ザブロック邸の門の前で馬車が止まる。従僕のかけ声で門が開かれ、そこからまたゆっくりと僕たちを乗せた馬車が邸内に足を踏み入れる。

終点だ。さて、ここから上手く出来ればいいのだが。

「お召し物をお預かりします」

従僕は、馬車を降りた僕の外套を預かると、丁寧に前で畳む。重たい袋も入っているのに、器用に。

それから邸内を指し示す。

「どうぞ、こちらに」

年長者のオトフシが前に進み、僕もそれに倣って静かに足を進めた。

邸内に足を踏み入れれば、毛足の短い緋色の絨毯が僕たちを迎える。

廊下に飾られている花は鮮やかな黄色い花。三枚の大きな花びらの中心に斑紋があった。……たしかこの花は、午後には萎むはずだ。僕たちのためというか、来客のために時間を合わせたのだろう。丁寧なことだ。

案内された小部屋は応接室のようなもの。だが、この邸内にいくつかある中でも小さいほうだ。

そこに備え付けられた椅子に腰掛けるように促され、席に着くと従僕が頭を下げる。流れるような動きだったからかわからなかったが、いつの間にかハンガーのようなものに僕の外套がかけられていた。

「ではこちらで、おくつろぎになってお待ちください」

「ありがとう」

オトフシの返礼に笑顔を作り、従僕が出て行く。

そしてそれと入れ替わりに、エプロンを着けた使用人がガラガラとカートを押して入ってきた。

瞬く間に、机の上にセッティングされたそれは、お菓子か。

「粗茶でございますが」

三段のケーキスタンドに焼き菓子が乗せられ、そして次いで僕たちの前に置かれたカップにお茶が注がれる。

黒茶に近い紅茶のようだが、カップまで温められていた配慮に頭が下がる。

ティーポットには厚い布が被せられ、一仕事終えた女性が部屋の隅まで下がっていく。一応、ここについているらしい。

僕はそこに会釈すると、カップを手に取った。

「……貴族だなぁ、って感じがしますね」

「伯爵家のもてなしが粗末なわけがあるまい」

オトフシは目を瞑り、紅茶を一口含む。それからふうと一息ついた。

焼き菓子を一つ手に取ると、何も入っていないクッキーのようなものだ。……というよりも、いつか食べた気がする、たまごボーロを円盤状にしたような感じか。

口の中の水分が奪われる。

「そういえば、爵位を継いだのは誰なんでしょう」

伯爵家。ならば、爵位を持つ誰かがいるはずだ。前回ここに来たときには、暫定的に前当主の弟がそういう扱いになっていたはずだが。

今あいつはいない。

ならば、誰だろう。レグリスが再婚したか……それとも、……。

「……レグリス・ザブロック卿だ」

「レグリス……というと奥方様が?」

わずかに安堵の息を吐き、それでも意味がわからず僕が問い返すと、オトフシもクッキーを一つ手に取る。色が黒っぽいので、多分さっき僕が食べたのと味は違うと思う。

「そうだな。女伯爵……過去にこの国でもいないわけではなかったが、珍しい話だ」

僕もまたクッキーを手に取る。今度は茶葉が混じっているらしい。

「爵位って男性が継ぐものでは?」

この国では、爵位を持つ女性はいないと聞いたことがある。勇者の影響があるからだとグスタフさんは言っていた。

そして、爵位を男性が継ぐからこそ、この家の一人がレグリスやルルに牙を剥いたのだと思うのだが。

「そうだな。だが、女性が爵位を持つ場合は大きく分けて二つある……が、一つはこの家には当てはまらないだろう」

「何故ですか?」

「王が愛妾に爵位を与えた場合だからだ」

言い切ったオトフシに、僕は口をつぐむ。

たしかに、それはない。年齢や見た目の問題ではない。以前の剣幕に、レグリスが、そうすると僕は思いたくないからだ。

「するともう一つですね」

オトフシも同じらしい。まったく迷いが見えずに、言葉を続けた。

「そうだ。ごく稀に、家督の相続が上手くいかないことを理由に、ひとまず爵位を保持したいと国王に向けて申し立てられることがある。多くはそれも退けられるが、今回は受理されたのだろう」

なるほど。だから今はレグリスがこの家の当主で、『レグリス・ザブロック女伯爵』と。

……聞いておいて良かった。たしか、貴族に向けての作法も爵位を持つ相手とそうでない相手で変わったはずだ。

もう一つクッキーを噛み砕く。

今度は甘い果実の香り……葡萄かな。

三段積まれたケーキスタンドの二段ほどが空になるころ。

紅茶のおかわりも三杯目に入り、多分外は暗くなっている。

手持ちぶさたになった僕は、突然の思いつきで髪の毛を編み始めた。その頃になって、廊下からやや小走りの足音が響く。……この音は、何も押していない。で、二人……?

「失礼しますっ」

扉に小さく隙間が出来る。最初に見えたのは、扉を開く女性の白い手。

「お嬢様……!」

小さくそれを咎めるような声が響く。だがそれに構わず、扉がわずかに突き飛ばされるように開かれた。

現れたのは、モノトーンの洋服に身を包んだ女性……いや、少女?

黒髪、黒目は僕と同じ。毛先のまとまった長めのボブカット。まるで初めて会ったかのような女性。だが、見覚えがあった。もちろん、僕は彼女を知っている。

「カラス、様……」

僕とオトフシは立ち上がり、頭を下げる。それからオトフシが口を……開くのを待ったが開かず僕を見るので、わずかに唾を飲み込んだ。

「お久しぶりです、ルルお嬢様」

彼女は僕を見て、一瞬笑顔を作り、それからまた沈んだ顔を作り、また違う雰囲気で笑う。

「…………。一別以来、懐かしい顔に出会えて、嬉しく思います」

それからまた、ルルもスカートに手を添えて、恭しく頭を下げる。

少しだけ、声が沈んだように感じた。