軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:飛び火

既に初夏。

例年よりも多く降り注いだ今年の雪は未だにネルグの細い葉に積もり、いつもはない雪景色をミールマンの住民にも見せつけていた。

まるでリドニックの領土が広がったかのような光景。攻め寄せる白銀の大地からこの国を守るように、エッセン王国の副都、ミールマンの城壁はいつもと変わらぬように聳え立つ。

遠目に見れば細かな石が無造作に積まれているようにすら見える城壁は、仮に接着などなくとも、大の男が押しても引いても動かないほど精密に組まれていることを知るものは少ない。

人一人の力、とても小さな力が寄り集まって、加えて職人技ともいえる精密な業を使って組み上げた城壁。

その城壁が、四百年の昔に起きた災害と偉業を覆い隠すためのものだということも、そこに住む住人のほとんどは知る由もなかった。

建物は例外なく石造りであるこの街の片隅。

そこには内部へと潜るための階段がある。通陽口にある階段とも違い、一般に公開されているその階段。そこを下れば、既に地下百階層以上にまで膨れあがった地下墓が暗く続いていた。

手に明かりを持った男が、その階段を下ってゆく。

神妙な顔つき。それが悲しみを湛えているようにも見えるのは火の加減によるものだったが、すれ違う者がいればその男は今まさに親しい誰かを亡くしたのだと勘違いしただろう。

階段を革靴が叩く度、コツンコツンと音が響く。

精密に組まれた石材は、音を一切吸収することなく内部に反響させていた。

墓地の区画はこの街が生まれたその時から一切変わってはいない。

だが、墓地自体が高く積まれていく以上、新しい年代になるにつれて上の階層になっていく。言い換えれば、深く潜るごとに古い年代の墓がある。

頻繁に墓参りの者が訪れる新しい階層であれば、彼らの善意により踊り場に蝋燭の明かりが置かれることがある。

だが、短く刈られた髪に日光が当たらなくなり、踊り場に蝋燭が置かれないような暗闇の階層に至ってもなお、男の足は止まらない。

既に日の光は遙か上層。

階段には一切の光が入っていないようにすら見えて、ただ蝋燭の明かりが近づく度に石の壁の存在を感じていた。

二十階層ほど潜っただろうか。

そこを目指した本人すら数えてはいなかった。

だが、壁の角を撫でた感触に、男は確信する。何度も何度もここは訪れた。覚えている、この感触。この階、この部屋、その片隅に、我が友コンラッド・ソーヤーは眠っている。

埃のような臭いを肺の奥まで吸い込んで、階段から墓地の部屋に至る入り口に、ウェイト・エゼルレッドは足を踏み入れた。

大きな部屋。

部屋は何枚もの薄い壁で細く区切られており、作られた廊下の両側の壁に、小さなくぼみが縦横に列を成して並んでいる。そのくぼみの中に、握り拳よりも少し大きい程度の小瓶がそれぞれ納められていた。

並んだ廊下。まるで王都の図書館の棚のようだ、とここに来る度にウェイトは思っていた。

目当ての棚も、もう迷うことはない。

一つの棚だけで数百の死者が納められているにも関わらず、ウェイトの足はある一点を目指し、やがてある一角で立ち止まる。

そのくぼみには、本来一つしかないはずの骨瓶が、二つ隙間なく並んでいた。

素焼きの小瓶が、火の光を受けて影を作る。

動いていないはずの小瓶の影が揺らめいているのを見て、ウェイトは目を細めた。

骨瓶の中には、骨が納められている。

骨といっても、そのままではない。白骨塔を使った聖教会の儀式により死体は焼かれ、骨も灰となる。その灰の一部を素焼きの瓶に納めて木の栓をして、故人を偲ぶために保管するのである。

ここに並んでいる二つの瓶。

一つは、三十年以上前に仇敵レイトン・ドルグワントによって殺害されたウェイトの幼馴染み、コンラッド・ソーヤー。

そしてもう一つは、本当はここにはないはずの瓶。

ある日ウェイトの下へと届けられた親友、プロンデ・シーゲンターラー。

その、変わり果てた姿だった。

そっと明かりを床に置き、ウェイトは二つの瓶を握りしめる。

じんわりと自らの体温を弾く瓶に温かみを感じながら、深く呼吸を繰り返した。

もう何度ここを訪れただろう。

この街にはびこる悪の種。その中で、裁かれないもの。もはや改心は望めないであろう軽犯罪者、官憲の汚職、怠慢。あらゆる種を自らの権限で処罰した日には、ほとんど必ずここを訪れていた。

素焼きの感触を確かめつつ、毎度思う。

今日が最後になればいいのに。

今日処罰した犯罪者がこの街にとって最後の犯罪者で、これからこの街は正しい者だけで正しい道へ進めばいいのに。

そう願いつづけて、そしてすぐにその願いが裏切られてきたのも毎度のことだ。

人の愚かさは底が知れない。

ウェイトはこの三年間でその事実を知った。

どんなに防ごうとしても、必ず悪の種はどこかに眠り、そして芽吹いてしまう。

要職に就いた貴族は、どんなに清廉な人物であっても、ほとんどの者がすぐに公平さを欠く。身内を優遇し、ときには賄賂を受け取って、誰かに超法規的な便宜を図る。

子供のうちのほんのわずかな者たちは、軽い気持ちで盗みを働く。商店から商品をくすねることもあるし、親の顔見知りや自らの知り合いの持ち物を盗んだりもする。

それらが処罰されるのならば、それならばこの街も良い方向に向かうのかもしれない。

だが、一番の問題がそれを阻む。

官権は怠惰に走る。衛兵たちは周囲の評判や、個人的な感情。そういったものに振り回され、目の前で起きた犯罪を見て見ぬふりをする。

冗談ではない、とウェイトは考える。

仲間内の乱暴者が、腹立ち紛れに罪のない子供に暴行を働いた。たとえそれが分別のない子供であっても、それは裁かれるべき犯罪だ。

物を一つ盗んだ子供が、それで味を占めたらどうするのだろう。

しかし、衛兵の多くはそれらを笑って仲裁するのだ。『子供のしたことだから』と。

そういった態度が、ウェイトには我慢できなかった。

悪事は、悪い事だから悪事という。けっして、褒められるべき事ではない。

貴族の汚職。町人の軽犯罪。子供たちの犯罪。どれも裁かれるべき犯罪で、そして自分たち官憲はそれらを決して許してはいけないはずだ。

全ての人間が犯罪を犯すわけではない。

我慢する者もいるだろう。どれだけ飢えようとも、店の商品を盗まないように自制する者もいる。賄賂を拒み、法の下、公平であろうと努める貴族もいる。困難に直面しても、まっすぐに道を踏み外さぬように生きる子供たちだって大勢いる。

犯罪を許すということは、彼ら犯罪を犯していない大勢に対する、最大限の侮辱なのだ。

左手に握りしめた、プロンデの骨瓶がぎしりと鳴る。

この骨瓶は、その象徴だ。

三年前のリドニック。そこでプリシラという女に殺害されたプロンデ。

レイトンはその死体をイラインに持ち込み、そこでの事故死に偽装した。

プロンデの死が露見したのは、ウェイトがミールマンに戻って半月ほど経った後のこと。

曰く、先にミールマンに戻ろうとするウェイトと別れて一人イラインに残ったプロンデは、宿に泊まっている最中、夜間に急な心臓の病で急死した。

しかしその時、お忍びの休暇ということもあり、たまたま身元がわかる持ち物を持っていなかったために素性がわからず、しばらくは行方不明となっていた、という話だ

自らの事情に巻き込んでしまったレイトンの希望もあり、石ころ屋からすれば、最大限の配慮だった。

聖騎士である。大抵の困難では傷一つ負わずに生還できる者たちであり、その死亡原因も限られる。

考えられるとしたら、即死に至る病、もしくは聖騎士以上の強者の悪意。そういったものだろう。

しかしそれを、国家の『ある人物』は許さなかった。

聖騎士である。大抵の困難では傷一つ負わずに生還できる者たちであり、その死亡原因も限られる。

彼らは国家の武力を担う重要な者たちで、超人間的な者たちでなければならず、常人と同じであっては困る。

死ぬとするなら、華々しく戦場で。

もしもそれ以外の死因があるならば、退団をしてから。『ある人物』はそう望んでいた。

死後ではあっても、名目上既に退団をした人間ということにすることも出来た。

だが『ある人物』はそれもしなかった。

仮にそのような書類上の操作が漏れてしまえば、おそらくその『ある人物』は政治上の瑕疵が作られてしまうのだろう。

それも、推測だ。

国家の最高戦力、聖騎士団の一人であるウェイトであっても、爵位上は騎士扱いと最低のものだ。故に政治の中枢のことはよくわからず、知ろうとしても知られるものではない。

名目上、聖騎士団は王の直属ではあるが、実体はやはり政治的なものに左右されている。

『ある人物』とは、おそらくウェイトたちの所属する聖騎士団〈日輪〉の属する政治派閥の長、 太傳(たいふ) フェンネル公爵、もしくはそこに近い貴族。

ウェイトはそう睨んでいた。

どれも、確証はない。

だが事実として、プロンデの死は外部に漏れてはいなかった。

プロンデの死は、イラインでの発見当初、もちろん〈日輪〉の団員に伝えられた。

ウェイトもそこで喚問を受けた。死体発見の状況から、ウェイトに過失はなかっただろうと思われたが、それでも念のために。

ウェイトも、その茶番に付き合っていた。自分がしてしまったこと、出来なかったことを悔やみながら、神妙に。

だが、喚問を受けている数日の中で、事態が急展開する。

プロンデの死は誤報であり、そしてその行方は団長をも飛び越す権限を持つ誰かによる指令により伏せられている、ということになったのだ。

ウェイトもそれには驚いた。

予想していなかった展開。それも、石ころ屋が関わっているとは思えない類いの事態の干渉。

組織としては、往々にしてあることだ。特に、貴族間の派閥争いが常態化して、命令系統が複雑に肥大化しているこの国では特に。

しかしやはり、ウェイトはそこに得体の知れない力を感じた。ほの暗く、生臭い力。けっして、表だっては批判できない力。その事実が悔しかった。

ともかくとして、今プロンデ・シーゲンターラーの死体と思われたそれは『書類上』事実ではなく、彼は今もなお極秘任務の行方知れずのままである。

当時は、ウェイトも抗議をしようと考えた。

このままでは、プロンデの遺体はただの身元の知れない行き倒れとして処理される。

白骨塔での儀式は受けられても、その後はその他大勢の名も知れない死者の骨に混ぜられておざなりに供養される。

信心深いわけではない。だがそれでも甘受できなかった。親友の弔いも出来ない、その不快感は何故だか拭えなかった。

それからまたしばらくの後。

団長を通じ、宛てもわからぬどこかへ抗議を。そう団長に何度も願い出ていたある日のことだった。

ウェイトの下へ、一つの小包が届けられた。ウェイトが単独で辿ろうにも細かな経路すら不明の得体の知れない荷物。

しかし中に同封された一通の手紙には、荷物の中の瓶はミールマンの地下墓に納められるように処理したプロンデの骨瓶であること、それに、自分たちの力不足を詫びる文句が書かれていた。

そして、その手紙でわかったことはもう一つある。差出人がレイトンであることだ。

ウェイトは複雑な心境だった。

プロンデを身元不明の死体として葬ろうとしたのはエッセン王国だ。ウェイトにとっては、道義上も、そして心情的にも認められなかったその行為。

だがそれに逆らい、犯罪組織の一員が、書類上はともかくとしてその行為を阻止した。

喜んで良いものだろうか。

少なくとも今目の前にあるのは、正規の手段で手に入れたものではない。

少なくともすり替えは行われており、もしかしたら盗んだのかもしれない。

このままでは、自分は石ころ屋に頼ったことになってしまうのではないだろうか。

毒虫のように嫌い、竜のような強力な敵と考えていた相手に、縋ってしまったことになりはしないだろうか。

何をしても、プロンデは生きて帰ってくることはない。

なのに、単なる自己満足のために、彼を弔うことを喜んでしまって良いのだろうか。

そんな複雑な思考に、その日食事が喉を通らなかった。

捨ててしまえばいいのだ。そうとも思った。

骨灰となり、もはや特徴も消え失せて、それがプロンデのものとも確認する術はない。

もしかしたらこれもレイトンの嘘なのかもしれない。自分に恩を売るために、適当な死体を使って作ったものなのかもしれない。

ならば、なかったことにしてしまうのが簡単だろう。

砕いて森に蒔くか、通陽口の深い底にでも投げ込むか。そうして忘れてしまえば、荷が送られてきたことなどなかったことになる。

しかし、それは出来なかった。

その小さな素焼きの瓶が、親友のこの世に残した唯一のものかもしれない。万が一本当だったなら、そう思ってしまえば。

その日、確かに自分は犯罪を許した。

大した罪ではないだろう。盗まれたところで誰も損をするわけでもなく、おそらく聖教会の担当者も気づくことすらない。

それでも、それは確かに犯罪だ。どんなに小さなものであっても。誰もそう思わなくても、ウェイトは自分が罪を許したとそう思っている。

『それくらいはいいだろう』と、そう思ってしまえば簡単だった。

だが、ウェイトはそう思えなかった。思いたくなかった。そう思ってしまえば、今自分が憎んでいる誰かと同じになってしまう。

ここまで、自らの正義に従い、数多の人間を裁いてきた。

法に反しながらも、権力に守られて罰されない人間。法を守るべき立場にいながらも、反している者を見逃す人間。法に背きながらも、周囲を味方につけて無辜となる人間。

ウェイトはここを訪れ、その瓶を、プロンデの骨瓶を触る度に思う。

絶対にやり遂げなければならない。

この街の悪の芽を摘み、汚職を封じ、官憲を正し、皆が規律正しく生きる街にする。そして手を広げ、レイトンを罰し、石ころ屋を裁き、やがてはイラインも、そしてエッセン王国をも正しい国へと塗り替える。

それが正義たる自分の役目で、そしてプロンデがやり遂げたかったことなのだろう。

「……負けてたまるものか」

誰も、幼馴染みのように無残に殺されることもなく、親友のようにその死が弄ばれることもない世を作る。

きっと、全ての善人が救われる。『誰一人として』犯罪を許す者がいない世界。そんな世を作る。それが、自分の正義だ。

ここへ来る度にウェイトは、そう何度も決意を強固にしていた。

明かりがあるとはいえ、長時間の暗闇は感覚を鋭敏にする。

墓参りを終えて地上に上がったウェイトは、青空の眩しさに目が染みる思いだった。

まるで石の裏から這い出した虫けらになった気分だ。そう自嘲するが、その諧謔を実際に聞いた者は誰一人としていない。

燃料の少なくなった明かりを消して、一息つく。定期的に通陽口からわずかに吹き込む風があるとはいえ、いつも地下墓は空気が悪い気がする。もっとも、この街で生まれ育った彼には、その換気の悪く煤が混じる空気も慣れ親しんだものだったが。

「…………」

さて、午後はまた聖騎士団員としての定期会合だ。基本的に有事でもなく訓練でもない時間帯は自由行動とはいえ、会合まで無視してはまずい。

そう足を踏み出したウェイトは、目の前に壁が出来た気がした。それも全くの気のせいだったが、その壁の手前で足を止め、そして壁の向こうを見て納得する。

足を止めた理由は明白だ。

畏怖。それも、圧力まで感じるほどの。

「よっす」

「おはようございます」

今日初対面だった男性にウェイトは頭を下げる。丁寧な礼を取るように求められるような相手ではなかったが、それでも敬礼と同じく敬意を取って、頭を下げざるを得なかった。

軽く手を上げた男性は、外見は年の頃三十ほど。目を引くのは、腰まで届く太い一本の三つ編み。そしてもう一つ、丸い黒眼鏡が、目とともに感情まで覆い尽くしていた。

近寄る足音を感じ、ウェイトは頭を上げる。そして男性は、ウェイトと、その後ろにある地下墓の入り口を交互に見た。

「今日も墓参りか。精が出るねぇ」

「エーミール様は、どうしてこちらに……」

エーミールと呼ばれた男性が、ウェイトの肩に手をかける。その軽い力に、ずしりと重たいものが乗ったように肩が強張った。

「少し話しに来ただけ。……ここじゃ人目もあるし、場所変えようぜ」

ニヒと笑う上司の表情に、薄ら寒さを感じたウェイトは、エーミールに従い上を確認する。

近くで、人の視線が気にならないような建物は……と探しながら、軽い動作で跳び上がるエーミールに追従して走り出した。

適当な建物の屋上を選び、二人は降り立つ。そして背を向けたまま黙っている上司の姿に痺れを切らしたウェイトが口を開くのに合わせるように、エーミールも言葉を発した。

「何の……」

「……今日のあのクソ男爵、お前の仕業だってな」

「…………」

背を向けたままの冷たい声に、ウェイトは黙り込む。その言葉に、まさしく身に覚えがあった。

だが立場もあり、すぐには肯定できなかった。殺人。それは、聖騎士でも理由なければ許されることではない。もちろん今回は理由あってのことだったが。

商業区画の管理に新しく携わった男爵位にある役人。

その男爵が、今日死んだ。

男爵に関わる犯罪の件で、衛兵が邸内に踏み込んだ直後のことだった。

「抵抗したようでしたので、加勢いたしました」

「だからって……なあ……」

エーミールは頭を掻いて溜息をつく。口元だけを見れば、心底困っているようだった。

「区画管理において、商店の立地は各商店の営業に関わる重要な事項のはず。それを賄賂を受け取り恣意的に操作していたあの男が、死んで困る者など誰がおりましょう」

賄賂は金だけではない。価値のある者や、人。新たに出店の申請をした商店の店主に、年ごろの娘を差し出させたことまである男だった。

死んで当然。ウェイトはそう思っていた。

「殺さずに制圧できただろ……つーか、それお前の仕事じゃないだろうし」

「たまたま居合わせましたので、衛兵の逮捕権の行使に反対した事由で処罰しました」

淡々と答えるウェイトに、エーミールはまた内心溜息をつく。

たしかに、今回の抵抗は派手なものだったと聞く。確保に向けて向かった衛兵四人。それに対し、雇われていた私兵十人が、刃物を用いて抵抗したのだ。

重罪となるようなことではある。しかしだからといって、死刑になるとは限らない。それをこの男は勝手に……。

「お前、そろそろ俺でも庇いきれねえぞ」

「…………」

向けられた黒眼鏡に、ウェイトは息を飲む。軽い口調、態度。だが、その黒眼鏡の奥が見えずに。

「今までで何人の逮捕に関わった? や(いや) 、ここ何年で何人殺したんだよ。そろそろ越権行為が問題になる頃だって」

眉は顰められ、不満げに叱る態度は目に見えてわかる。それでも、目が見えないだけでその言葉から読み取れるはずの何かがいくらか抜けているのが、ウェイトには密かな恐怖だった。

「……しかしどれもが、私がおらねば衛兵たちが危なかった件です」

「そういう話をしてんじゃねーの」

てい、とエーミールが手刀で軽くウェイトの頭を小突く。この気安い態度は、ウェイトにとって少しだけ気に入らないものだったが。

黒眼鏡の奥で、エーミールの目が細められる。

いなければ衛兵が危なかった、という話では終わらない。

そもそも、衛兵たちがそこに出向かなかった、という話に繋がっているのだ。どれも本来ならば事件化もせずに、衛兵が立ち向かうことも危険に出会うこともなかったであろう話なのだ。

そして、今自分も。

「領分ってもんがあるんだからさ、そこをはみ出ないようにおとなしくしてねーと。な?」

「領分……?」

ウェイトが、エーミールの言葉に言い返すべくその言葉を繰り返す。騎士団内部という縦割り社会。その社会の仕組みが染みついているウェイトであっても、納得は出来ない言葉だ。

「犯罪者。つまり悪人を処罰しているのです。それをするのが誰であろうと、されるのが誰であろうと関係ない。そうではありませんか?」

「いつも通り頭かってえなあ、おい」

ウェイトの冷たくなった視線を黒眼鏡の奥で受け流す。この男も、処世術の一つも身につけてほしいものだ、と思いつつ。

「や、つーか、それで今支障が出てんだって。上からなんやかんや言われる俺の身にもなれって」

「…………」

ならば直接自分に言えばいいと伝えてくれ。

そう言いたかったが、その言葉をウェイトは飲み込んだ。

立場上、それが彼にも自分にも出来ないこともわかる。迷惑をかけている、それは事実だった。

そして今となっては、頑迷に口答えをし続けることもないだろう。

「……了解しました。今後は控えるといたします」

「そうしてくれよ」

ニカ、とまたエーミールが笑う。その言葉の真意を、なんとなく受け取りつつ。

控える。そうは言ったが、そもそもしばらくは必要ないのだ。

ウェイトは内心安堵の息を吐く。文句を言われたのが今日でよかった。

何せ、大きなものは今日で最後なのだから。

そして、ではここの落ち穂を拾うのもいいが、少しだけ手を伸ばしたい。

聖騎士という身分がなくとも、出来ることは多い。

「では……突然なんですが」

「んあ?」

「休暇をいただけませんでしょうか。三十日ほどで構いません」

「三じゅ……!?」

話も終わった。そんな安堵に包まれていたエーミールが凍り付く。馬鹿な、何故唐突にそんなこと。それに、そのような長期の休暇がすぐに取れるわけがない。

しかも、平時ならば考慮もしよう。だが、このいつ戦時となるかわからないこんな時に。

「え? 馬鹿? 馬鹿なの? いきなりなにしてくれんだよ」

「……少し、イラインへ行きたいと思いまして……」

馬鹿、という言葉に反論できずに、それでも不満げな顔をして雰囲気だけで反抗の意を表す。そして反抗の言葉の代わりに、その目的を正直に吐いた。

「イライン? このクソ忙しくなりそうなときに?」

それも、遠方に行きたいという。冗談ではない。すぐに呼び戻すことも出来ないような場所へ、今行かせることが出来るはずがない。

「……無理でしょうか」

「無理に決まってんだろうが馬鹿」

「…………わかりました。不躾なお願い、申し訳ありません」

食い下がらずに、ウェイトは頭を下げて撤回する。無理か。ならば、強行する意味も今のところない。

それならば、この街で少しだけ落ち穂拾いを続けるだけだ。聖騎士としての力を用いず、自らの正義にのみ従って。

そんな、第二計画があったウェイト。その目に、警戒を感じてエーミールは一歩だけ考える。

そして、一つの可能性に思い至った。ここで行かせなければ、先ほどの言葉を撤回する気ではないだろうか。そう、深読みした。

ならば困る。また胃が痛む。

「……本当に行きたい?」

「休暇をいただけるんですか?」

質問に質問で応える。イライン行きはもはやウェイトにとって重要ではない。だがその言葉にウェイトも可能性を感じた。

「…………じゃあ、仕事としてなら、いいぞ」

「は?」

しぶしぶ、とエーミールは許可を出す。

それでもやはり唐突で、思わずウェイトは聞き返してしまった。

「じゃ、三十日な。イラインも今大変みたいだし、その内情調べて報告書にまとめてこい」

「イラインが……大変……?」

聞いてばかりだ。そんな風な事をふと思い悄然としながらも、ウェイトはまた質問を重ねる。

だが、エーミールはそれにも驚いた。ウェイトが当然知っているものとばかり思っていた。

「知らないのか。お前が執心の石ころ屋、な。グスタフったっけ? 死んで今壊滅してるからさ」

「…………!!」

ウェイトが目を見開く。

大変。そんな言葉で片付けられることではないのに。

そして、どうして自分はそれを知らなかったのだろうか。そんな重要なことを、この街にかまけて忘れていたとは!?

「いつのことでしょう……?」

「十日くらい前か? イライン方面は治安が悪化するかもしれないから警戒しろって青鳥での封書が届いてな。……そうか、そういや誰にも言ってなかったな」

隣といえども遠い副都の話だ。それも、一般の情報経路には乗らない話で、知らなくてもおかしくはない。そうエーミールは思い直す。

「……構成員は、どうなったんでしょうか? 特に幹部の、レイ……いえ、幹部の連中は」

「幹部……、どうだったっけなぁ……? や、とりあえず、レイトン・ドルなんとかって奴と、カラスって奴は今王都に移動中らしい。贅沢にも馬車に 天狗(てんこう) 使ってるから追跡が楽なんだって。他は知らね」

天狗(てんこう) は、ハクと並んで馬の代わりに使われている騎獣だ。大型化した狸のような見た目で、首が白く、ルールーと鳴く。馬四頭分の荷を引くことが出来、馬の速度の倍は出る。

乗っている者はいないわけではないとはいえ、やはりエッセンの移動手段としては馬が一番多い。その上、ハクよりもまた使っている者の少ない 天狗(てんこう) ともなれば、更に追跡は容易だ。王都まで行けば使う者も増えるためそうでもないが、そこまでは。

「でも、気になるんだろ? 行くか?」

「……その任務、謹んで引き受けましょう」

ならば行かない理由はない。

イラインへ行く理由も出来た。それに、石ころ屋の壊滅ともなれば、その治安も……。

ウェイトは唾を飲み込む。その理由は誰にもわからなかったが。

「じゃ、あとで一応資料やるから荷造りしとけよ。明日出発でな」

「了解しました、団長」

イラインとレイトン。既に離れている二者が、ウェイトの脳内では未だに結びついている。

そんなことに違和感を覚えられる者は、この場にはいなかった。