軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

人間ごっこ

反応できずにいた。

体は未だに動かないが、それだけではない。

その声音に、そして背後から感じる異質な迫力に、僕は振り返れずにいた。

「いいぞニクスキー、放してやれ」

「……しかし、グスタフさん」

「…………」

言いつのろうとするニクスキーさんだったが、無反応で通したグスタフさんに諦めたのか、それとも何かを示唆する動作でもあったのか、そっと僕を床へと下ろす。

解放され、多分今起き上がっても妨害はないのだろう。ただ、僕は未だに這いずる程度しか出来ないのだけれど。

冷たい床が掌で濡れる。見上げた天井から、滴が僕の額に垂れた。

「もしもの時に備えて、ニクスキーにゃお前向けの毒を持たしといた。誇れよ、ただお前に向けた装備だ」

「…………」

深いため息が聞こえる。今まで聞いたことのない深いため息が。

「お前が、殺しに来たときに備えてな」

「……何故、止めるんですか。あんな人間を殺すのを」

そんな価値があるのか。ニクスキーさんとの問答でも考えたこと。

だが、どれだけ考えてもあの男にそんな価値はない。

人を殺す男だ。

自分では手を下さずとも、人に指示を出し簡単に殺す。

今回は狙われたのが僕だったから、死者が出なかった。だが、まかり間違えて普通の人間を狙ってしまったらどうなるだろう。

雇われた者にもよるだろうが、ほぼ間違いなく死ぬ。

そして、人を狙う理由も心底下らない。

先ほどのニクスキーさんの言葉。奴の顔に残っていた痕からすれば、恐らく尋問か簡単な拷問により引き出されたものだろう。

嫉妬。それも、腕や剣について言及していた。

剣とは玄関に置いてあったあの剣。使い込まれた柄に対し、あまりにも綺麗な刀身。多分素振りで使っていたもの。

……奴は、スティーブンになれなかったのだ。

だから、僕のことを聞いて嫌悪した。

自意識過剰気味で嫌な考えだが、きっとそういうことなのだろう。

そんな男が生きていて、何になるだろう。

そしてその上、僕が殺さずとも奴は死ぬ。ならば、僕が殺しても……。

グ、と奥歯を噛みしめる。リコの受けた傷を思い浮かべれば、腕に少し力が戻ってきた気がした。

グスタフさんが口を開く。

「……決まってら。奴が、街の人間だからだ」

「街の人間だから。だから守られるんですか。僕からも」

嫌悪を感じた。その言い方は、街の人間以外を下に見ている。

人間たちは街に暮らしている者たちだけではない。村も、そして野外にも、それこそ貧民街にもいるはずなのに。

奴らは特権階級だとでもいうのだろうか。庶民に対する貴族のように。

それに、ならば何故ニクスキーさんは。石ころ屋は。

「だったら、何故ニクスキーさんは」

「俺らは外道だ。お前ら、街の人間と違って……いや……」

一歩歩み寄ってくる。ギシと床が軋む。

甘い匂いがした。

「お前はもう、俺たちと同じだったか」

ニクスキーさんが首を横に振る。

だがそれでも、グスタフさんの言葉は止まらない。

「どうせすぐ動けるようになんだろ。いいぜ、殺してくればいいさ」

もう一歩歩み寄ってくる。ようやく上下反転したグスタフさんの顔が見えた。その顔には、一切の優しさが見えなかったが。

「どうした? 解毒して早く立て。人間ごっこはやめたんだろ?」

僕を見下ろす目が、とても冷たい。

「……ごっこ、ですか」

「街の人間みたいにはもうなりたくねえ。お前の言葉だったな」

「…………」

呆れるような声音で吐かれた言葉に、反論する気になれず僕は口を閉ざす。

確かに言った。それも、言葉の綾でも言い間違いでも口を滑らせたわけでもない。確かにそれは僕の本心で、今でもたしかにそう思う。

それに、ごっこ遊び。たしかに言い得て妙かもしれない。

「ニクスキーには、遭遇するかもしれないと言った。そこでお前を止めるんなら、殺す気でやれってな。……ニクスキーよりかは遅かったみてえだが、どうやってここを突き止めた」

「見ていた、鳥たちがいました」

「鳥、ねえ……」

雀の声が外で響く。『入っちゃダメ?』と中に問いかけている。恐らく、僕に向けて。

「お前が、魔物使いだったとは初耳だったな」

「魔物使いじゃありません」

「魔物使いは動物の使役もする。そう俺の知識にはあるが」

「……そうですね」

そうだ。確かにきっとその通りで、多くの場合は魔物使いは動物使いも兼ねる。

それでも僕は違う。

「でも、違います。彼らは、僕の仲間だった」

未だに多分僕は魔物との会話は出来ない。命令して使役することも出来ない。

彼らと僕が意思疎通できるのは、きっと僕が彼らと近いからだ。

人間以外で街に住む動物。猫や犬などもいるだろうが、きっと僕に一番近いのは、……。

だが、グスタフさんはそれを笑い飛ばした。

「ハ、鳥がテメエの仲間か。仲間ってのは同格の奴らの集まりだと思ってたがな」

「仲間です。彼らと僕は」

そう、同格だから仲間になれる。格が違えばそれは上下関係だ。仲間というよりも主従関係。ヘレナと魔物。レヴィンと人間。それらはたしかにそうだろう。

けれど、 彼ら(鳥たち) と僕はそうではない。

ドン、と僕の顔の横に棒が突き立てられる。

グスタフさんの杖が、威嚇するように音を鳴らした。

「テメエは、どうしたって人間だろうが」

「もしもそうだったら、リコは死にそうな目になんて遭いませんでした」

どうしたのだろうと思う。

今日はいくつもの反論が簡単に出る。いつもならば萎縮してしまったのかもしれないのに。

「だから、だから諦めるってか。街で暮らすことを」

「諦めるんじゃありません」

グスタフさんの言葉を否定する。行動は同じでも、きっと違うことだろう。

「やめるんです。あいつらの思った通りに。烏に石を投げてきた人間たちの思った通りに」

ここは僕の森ではなかった。

「それを、諦めるってんだ。街に住みたいっつったのはお前だろ」

「そしてそれを、この街の人間は認めなかった」

解毒は進んでいる。

ようやく体に力が戻ってくる。体を起こせば、また視界からグスタフさんが消えた。

「お互い、関わらない。それが一番の選択だった。あの男を殺して、僕はまたどこかへ行きます。けじめとして」

友がいる。世話になった人もいる。だが、そこに迷惑をかけるのであればもうここにはいられない。

この街に留まり続けるだけで傷つく人がいるのであれば、そして僕が傷つき続けるのであれば、そこは僕の居場所ではない。

「お前が殺さなくても、奴は死ぬ」

「だから、それを僕が……!」

「お前が手を汚す必要はないって言ってんだ」

叫ぼうとした。

だが、グスタフさんの静かな言葉に言葉が続かなくなる。

冷たく感情も見えず、何故か恐怖まで覚える声。けれど、何か違和感があった。

「この街を出て行く。そりゃ、俺には止めらんねえ。どこへなりとも行きゃいい。だが、このままだと同じ問題をお前はどこでも起こすだろうな」

「……暗殺者を放たれたのは、この街だけです」

他の街でも、僕を狙った者はいるがそれでも自分で狙ってきた。アブラム配下の紅血隊も、ウェイトたちも。

けれど、自分の手を汚さずに人を雇って狙い来る。そんなのは未だにこの街だけだ。

「……そうじゃねえよ」

ふう、とため息が聞こえる。いつもの調子に戻ったような声で。

髪の毛を掻く音。そして、僕の首の横から杖が突き出される。

「……カラス。多分、貧民街から俺が見送る最後のガキ」

「…………」

「お前に、……話をしてやろう」

「……何を……」

「貧民街に戻ろうと、街から出てこうとしてるお前にしてやれる最後の話だ」

肩に乗せられた杖が、木製なのに重い。新しい杖、きっと今日下ろしたてなのだと思う。

伝わる呼吸が少し荒い。喘鳴音も混じる。なのに、言葉に揺れはなかった。

鳥たちが少し騒がしくなる。

何だろうか、よく聞こえないが、何かあったのだろうか。

「……不思議なもんだよな。俺たち人間は、人でなしや化け物ってのが蔑称だと思ってやがる」

……化け物。僕も言われた。そういえば、人でなし、も少し前に言われたか。

少しだけ可笑しくなり吐息が漏れる。僕はきっと、その頃から兆候はあったのだ。

「人でなし、ってのは人じゃねえってことだ。けどよ、人じゃねえ獣たちに、俺ら人間が勝てるところがあんのかな?」

「…………」

「犬より鼻は利かねえ。猫より夜目は悪い。竜や鬼に腕っ節で適う奴なんざそうそういねえ」

声に感情が混じる。……これは、憎悪。

「なのに、自分たちが一番だと信じてやがる。だから、人でなしは人間以下だってんだ」

「……貧民街の住人は人でなし。……きっと、僕もそうなんでしょうね」

「ふざけた話だ。何を持って、人間が優れてるなんて思ってんだろうな」

僕の合いの手を無視して、グスタフさんが続ける。杖を持つ手の筋肉が微かに音を鳴らしていた。

「だが俺も人間だ。人間が一番良いって思いてえし、人以外を人以下だと思っちまう。なら、何故だ? お前は何故だと思う?」

「…………」

僕は目を閉じて一瞬だけ考える。だが、すぐに答えが出た。今の僕の状況と鑑みて。

「……言葉が通じないから、でしょう。彼らの言葉がわからないから、意思疎通が出来るのが、……言葉が使えるのが自分たちだけだと思ってる」

そんな妄想を抱いている。根拠もなく、自分たちだけを過大評価し動物たちを過小評価している。

「言語。それも一つの答えだろうな」

杖がどかされる。

それから、トントン、と多分自分の肩を叩く音が聞こえてきた。

それから、床をまた強く叩く。

「だが、俺たちには理性ってもんがある。考えるってことが出来る」

「それこそ、やはり人間たちの誇大妄想です。鳥たちだって考えている。少し前に見た人間たちの顔を覚えていて、僕の頼みを聞いて捜索してくれるくらいには」

食欲という本能には忠実みたいだ。けれども、それこそ高度な理性あっての行動だろう。

けして、人間たちの優位ではない。

それに。

「糞や木に残した傷。そういったもので情報交換もする。彼らには言語も、そして文字を扱う知性もあった」

思考や記憶を記録する『文字』。それに類するものを彼らも持っている。ならば、もう変わりはない。

それこそ僕も、今日気がついたことではあるが。

「なら、鳥のほうが人間より優れてんのか?」

「……一面では」

彼らは空を飛べる。エネルジコではないが、人間はどう足掻いても空を飛べないのに。

……それが、僕が人間ではないことの証左に思えてきた。

「それでも人間は、鳥にゃなれねえ。犬にも、猫にも」

じっとりと濡れた床が気持ち悪い。

濡れた手が、床を滑って音を鳴らす。

「人間が一番優れてる理由。俺は、決まりってもんを作れることだと思ってる」

「決まりなら、群れを作る動物ならどれでも持ってます。犬でも、猿でも」

大抵はリーダーがいて、そこからピラミッド型の序列を作る。……まるで、人間と同じように。

「そいつらの決めた規則には、群れによっての違いもねえだろう。大抵は本能のまま決められてるはずだ」

「……どうですかね」

言い返せず、言葉に詰まって僕は負け惜しみを吐く。いや、たしかにそうかもしれない。だが確証もない。僕は犬と話したことはない。

「だが人間は違う。規則を決めて守ることが出来る。時節や気候、土地柄なんかにも合せてより良い規則を考えることが出来る。拙いと思ったら、その規則を作り替えることも出来る。それが出来るのは、俺の知ってる限り人間だけだ」

「……要は法律を守るべき、ということでしょうか」

結局はそれか。

僕は殺してはいけない。何故ならば法律があるから。

法律があるから街の人間たちは守られて、僕らは法の庇護下には置かれない。結局は。

人間でいたければ、法律を守れ。

だったら、そんなもの、僕は……。

「法律じゃねえよ。あんなくだらねえもん」

しかし、ケッ、とグスタフさんは悪態をついた。

「どっかの誰かに適当に決められた法律とかいうものを守れとか命令されて、破ったらこれまた適当に決められた刑罰が執行される。くっだらねえ。心底くっだらねえ」

その言いぐさがなんとなく可笑しくて、僕は噴き出した。笑い話でもないのに。

「くっだらねえ。だが、……ちょっと違ったな、お前の言う通りかもしんねえ。街で暮らしてる限り、法律は守るべきもんだ」

「僕には……」

守れない、と僕は言葉を繋ごうとした。

「俺から見れば、くっだらねえよ。何で街に暮らしてる人間は飢えたら助けてやるのがお上の美徳なのに、貧民街の奴らは放っとかれるんだ? 街の人間は殺しちゃいけねえのに、貧民街の人間は殺してもお咎めなしなんだ? あんなもん、考え直されるべきくそ拙い規則だ」

だが、とグスタフさんが多分顔を上げた。

「それでも俺は、そんな決まりを守ろうとする人間たちが一番上等に見える。思える。それを守ろうとしねえ貧民街の人間どもは、クソ野郎どもに見える」

「グスタフさん……」

ニクスキーさんが初めて声を上げる。その表情から見れば、多分ニクスキーさんも初めて聞いた種類の話なのだろうと思う。

「だから、俺たちはクソ野郎だ。死んじまうべきクソ野郎で、人間以下だ」

「…………」

「それでもお前は言った。『何か仕事はねえか』って。奪うことも盗むことも選ばなかった。だから、俺はお前を買ったんだ」

「……いつの話ですか……」

フフ、と笑う。覚えている。昔、僕がグスタフさんに仕事の斡旋を依頼した。街に出て、貧民街の人間だと蔑まれたのが我慢できなくて。

今思えば、それも短絡的な考えだったと思うけれど。

「守るべきは人の決めた法律や規則じゃねえ。自分が決めた、自分だけの規則だ。そして人間やってくんだったら、その街の、その場所の決まりを守れ。規則を破るんじゃなくて変えろ。それが出来るのは人間だけだ……多分な」

多分、とつけてはいるけれど、その言葉には自信が見えた。

「街を出てくのはお前だ。人間やめてえと思うのもお前だ。だから、お前が選ぶもんだ」

今度は、杖の持ち手が僕の首に掛かる。

そのまま引っ張られたが、抵抗する気になれずに僕は床に倒れた。

「これは俺の勝手な願いだ」

また、グスタフさんの顔が見える。

「人間やってくのを諦めんなよ。お前は、貧民街に戻ってくるような奴じゃねえだろ」

もはや冷たい声ではない。

だが、その言葉に込められた感情が、読み取れなくて少し悔しい。

「……僕は……」

玄関のほうから、声が響く。

チチチチ、と先ほどの雀が鳴いていた。